第36封 不測の事態に立ち向かえ③




 シェルパの呼吸が、不自然に途切れた。


「お前が何年もテトラに執心だった事は、連邦の社交界でも有名だ。連邦諸国に入り浸る連邦外の人間だから目立つんだろう。俺でさえ知ってる。……まぁ、本人は知らねぇだろうが」


 (その通りです……)


 衝撃の事実にテトラが口を開けたまま頷くと、リナンは呆れた調子で息を吐き、シェルパの腕を払う。

 そして次第に顔色が悪くなる、ハルベナリアの第一王子を眺め、乾いた笑みを吐きすてた。


「ナンフェア王国の状況を、お前が知らなかった事はあり得ない。どうして動かなかった? 好きな女の国が危機的状況で、どうして何も差し出さなかった?」

「……私、には、そこまでの権限は」

「無いってか。そんな冗談が通じると思ってんのか? 時期王太子のお前が、国王から発言権を得ていないとでも?」


 再び温度のない表情に戻ったリナンに、シェルパは口を閉ざす。視線は揺らがないが、睨む表情には焦りが見えた。

 背後で動向を見守っている従者達にも、焦燥が滲み始める。彼らは互いに目配せし、シェルパに何かを耳打ちした。


 彼は従者を一瞥し、深呼吸をしてから顎を引いて頷く。


「……そう思われても仕方がありませんが、事実、私にそこまでの権限はありません。私も本当は、テトラ王女殿下をお救いしたい。今もそうです。ですが、我が国にも民を抱える立場という物があります。無償の愛は王女殿下のお立場を悪くするだけだ」

「へぇ。それが、テトラの身柄と引き換えに薬の交換ってか。随分崇高なお立場だ」


 恍惚じみた瞳がテトラを捉え、彼女は震え上がって肩が跳ねた。

 リナンは舐めるような視線からテトラを隠し、一度、目蓋を閉じて息を吸い込む。

 微かに、彼を取り巻いた空気感が変わり、テトラは瞠目した。


 緩慢な動作で目蓋を持ち上げ、白緑の瞳で真っ直ぐにシェルパを見つめたリナンは、今度は逆にシェルパの胸ぐらを掴んで引き寄せる。

 従者達が声を上げ、慌てて引き剥がそうと取り囲むも、シラストが剣を抜いて制した。

 一歩でも動けば、即座に叩きると言わんばかりの気迫に、テトラでさえ身が竦む。

 

 テトラを背に庇ったまま、リナンの、底から響くような怒りが、声に乗って言葉を震わせた。


「……子飼いの業者を通して、良質な鉱物を手に入れられた気分はどうだ? テトラの故郷を害虫で攻撃して、全てを手放すように仕向けた気分は? ガキの頃から手は赤切れて、髪も手入れができずに、それでも国の為に奔走するテトラを見物して、どんな気分だ?」

「っち、違う、私は」

「お前が始めた事でなくても、お前の国がナンフェア王国に害虫を持ち込んだ。王城に使用されている鉱物が、喉から手が出るほど欲しかったか? 言っておくが調からな」

「何を根拠にそんなことを! 私がそんな馬鹿げた事をするか! 金銭の取引で脅迫したお前と一緒にするな!」

「──レベリカに荷馬車を提供しただろう」


 唐突な話題転換に、一同、目を瞬かせる。

 リナンは無造作にシェルパの胸ぐらを離し、シラストを下がらせた。

 近衛騎士はやや渋っていたものの、静かに剣を鞘に収めて、リナンの求めに応じ口を開く。


「先日、リナン殿下を尾行した荷馬車を調べました。馬車を操っていたのは、連邦内の人間でしたが、荷台に乗っていたのは、見たことがない複雑な装置です。馬車の後輪を補助する動力源のようでした」


 一頭の馬でも重い荷物を運べるよう、後方に装置を乗せた荷馬車であったという。

 古い傷もなく状態も綺麗で、つい最近、輸入された物であることを窺わせた。


 テトラが疑問符を飛ばし、シェルパも同様に怪訝な顔をしている。背後で第一王子を、それとなく促していた従者たちも然りだ。

 なぜいきなり荷馬車の話を? とリナンと騎士以外が動揺していると、次いだシラストの発言にテトラは目を見開いた。


「動力源は当該の鉱物です。砕いたものに熱を加えて使用されていました。残されていた現物は、ハルベナリア産で間違いないと。しかし一見、良質な鉱物だそうですが、ちょっと粗悪品らしいのです」

「粗悪品って、どういう事ですか?」


 思わず聞き返せば、シラストは頷く。


「鉱物学者に鑑定中ではありますが、鉱物と一緒に混入していたそうですよ。……穀物を食い荒らす虫の死骸が」


 シェルパの瞳が、今度こそ揺らめいた。

 彼は真っ青な顔で一歩後退し、しかし乾いた笑みで無理やり口角を上げる。


「それが何だというのです? 我が国の鉱山でも、虫くらいいます」

「鉱山の環境下では生きられない虫です。そんな虫が、どうして鉱山に居るのでしょう?」

「……それ、は」

「違いますよね。アマリリス連邦内で最新鋭の設備を売り付け、手頃な輸出入の業者を囲い、彼らに虫を運ばせたのでしょう。設備に搭載される鉱物は、最終的に全て燃え尽きますから、証拠も残りにくいと考えた」

「違う、違うのです、テトラ王女殿下、違います、私じゃない、信じてください、誰よりも完璧に美しいあなたに、私は」


 ふらふらと頼りない足取りで、忌まわしい国の王子が手を伸ばしてくる。

 シラストがその手を振り払い、テトラを一歩、後ろに押しやった。

 しかしテトラは、もう我慢をしなくて良いと結論づけて、リナンの背後から飛び出した。


 力強く一歩踏み出す彼女の耳に、リナンの言葉が反響する。


「ごちゃごちゃウルセェ、このクソ野郎が! 輸出入業者に騎士を派遣して、尋問したら証言したぞ。ハルベナリア国から多額の融資と引き換えに、ナンフェア王国に虫を持ち込んだってな!!」


 テトラは大きく振りかぶると、渾身の力を込めて鮮やかに、シェルパの顔面を叩き飛ばした。

 






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