第5封 馬車での独り言
──時は少し遡り。
「話が違います」
リナンが全幅の信頼を寄せている近衛騎士、シラストが、半目で呟いた。
リナンは馬車の椅子に寝そべり、大きな欠伸を零して、目尻に浮かんだ涙を拭う。
「あ? 何がだよ」
「オービス第一王女殿下ですよ! あんなに美人だなんて聞いてません!!」
シラストが頬を染めながら、片手で顔を覆った。惚れっぽい部下のことである。突如目の前に現れた女に、顔面を必死に取り繕っていた事だろう。
まぁ第一王女侍女殿下の噂話だけを聞いていれば、近衛騎士の反応も仕方がない。
生成りの地味なドレスであっても、美しいペールオレンジの髪と、柔らかなメイズの瞳に、目鼻立ちの良さは損なわれない。品の良さを醸し出しながら、声を掛ければ年相応にあどけなさもあった。
同世代の異性らは、すっかり気後れして顔も合わせられず、同性からは、妬み
相手の美醜に特別興味がないリナンでさえ、何ともまぁ美人な女だと思ったくらいである。
それはそれとして、目的が済んだので早々に切り上げてきたが、本当に七面倒な社交場であった。
テトラは別格だが、見目の良いリナンは会場にいるだけで、王女や令嬢の的になる。探し人はあっという間に会場から姿を消すし、かなり時間を無駄に過ごした感覚がした。
リナンはベルトを緩め、シャツの裾すら外に出した格好で、馬車の窓枠に踵を乗せる。
ようやく意識が戻ってきたシラストが、小言を言いつつ、しかし普段とは違い憤りすら感じさせる顔で、リナンを睨め付けた。
「リナン殿下。あのように、取り引き紛いの事をしては、あまりに王女殿下を軽視しているのでは」
「別に構いやしねぇだろ。嫌だったら断ればいい話だ」
リナンが重い腰をあげデビュタントに参加した理由は、同じ年にデビュタントを迎えるテトラに、婚約を申し入れたかったから。その目的は滞りなく達成された。
テトラに話した内容に嘘はなく、リナンは本当に、婚約者兼侍女を探していたのである。
この婚約が成立すれば、外野でとやかく言ってくる輩も減るだろう。彼女はその予防線でもあり、確かな働きを期待していた。
しかし、ごく一般的な感覚のシラストが、良い感情を抱かないことも、主人として分かっているつもりである。
「心配すんな。ちゃんと必要な金は出す。ナンフェア王国が財政難なのは分かってるしな」
「そう言うところですよ!? 相手は一国の姫ですよ、まるで身売りさせるような……あんな可憐な姫君に、……うぅ、罪悪感で吐きそう……」
「ウルセェな……」
赤い顔から一転して、青い顔で口を押さえる近衛騎士に、リナンは心底辟易した。
双方の合意を持って決まる婚姻である。テトラが納得すれば万事解決だ。その為に
リナンは片腕で顔を覆いながら、目蓋を閉じる。
「……あー面倒くせ……早く傍に置いときてぇな……」
掠れた独り言に、シラストは反応しかけて、口を噤む。
帰路に向けて、車窓からは街並みが流れていく。
視線を上げても四角く切り取られた夜空に、言いようのない不快感が胸へ渦巻くようだった。
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