顔占い9 目と眉が美しい人は賢くて才能のある人です(目清眉秀 定爲聰俊之兒)

顔占い・人相占いは中国語の原典で(神異賦{しんいふ})と呼ばれるものがあるのですが、

それを日本語に訳して、顔占いを学んだ私が現代人の感覚で内容をアレンジしたものを書いています。

人相術の古典の現代的な解説です。




(6 目清眉秀めがきよくまゆのひいでたるは


  定爲聰俊之兒さだめてそうしゅんのじとなる)


「眼が清らかにんでいて眉毛が美しい形をしている人は


 思慮深く賢くて才能に秀でている人と決まっています」




目(メ)とは、「め」のことです、ものを見る目のことです



清(キヨイ)とは、「汚れが無いさま」、とか


「澄み切ってはっきりしているさま」という意味があります



眉秀(マユヒイデタル)と読めますが、この言葉はいくつかの意味がありますので

順に説明をしていきます


まず、そのままの意味で「眉毛の姿形が良くてひときわ優れている」という

意味があります


次に眉秀という成句ですが「眉目秀麗ビモクシュウレイ」という言葉を


眉秀という一語に収めて表現しています


意味は「顔の形が大変優れている」とか「一段と優れた顔立ちをしている」

という意身があるそうです


また言葉の前後を入れ替えて秀眉(シュウビ)という単語として読む場合は


「優美なまゆ毛」とか「立派で優れた容貌ようぼう」を現わす言葉でもあります



定(サダメル)とは、そのままで「決まる、さだまる」という意味です



爲(ナス)とは、「である」とか「なり」という意味になります



聰俊(ソウシュン)とは、「聡叡(ソウエイ)」と同じ意味であり


「思慮深く賢いこと」とか「理解力と判断力に優れている」とか


「才知や才能に秀でている」という意味があります


伝説上の聖人や君主について語るときに使われる言葉でもあります



之(ノ)とは、そのままで「の」です



兒(ジ)とは、「子供」という意味であり「児(ジ)」のことですが


「青少年・青年・若者」という意味もあります、


ここでは若者全般を含めて「人」という意味で使っていると思います




それではこの詩句の解釈をしていきます



まず前の句の「目が清くまゆひいでたる」ですが


顔占いでは眼を一番重要なるべきポイントとしています


顔の他の部分がどれほど優れていても


眼が良くなければその人の人格や運勢が良いとは判断できません



この詩句ではその眼が清いと述べています


これは運勢としてはとても良い状態を示していて


その人の性格や人格が優れていて良いという暗示になります



眼が清ければ、他には眼の光が強いのか弱いのかとか


眼が明かるいのか暗いのかも併せて観るのです


眼光の強弱や明暗によっても性格や行動とか運勢は変わってくるのです


眼の光は強い方が良いとされています



眼がにごっていたりよどんでいたり、鋭くなりすぎたり


あるいはよこしまな感じでない限りは


眼の光は強いほうが良いとされています



眼の光が強いのはその人の生きる力が強いのです


眼の力の強さがその人の生命力の強さを現しています


またその人の意思の強さも現わしています



逆に眼の光が弱いのは生きる力が弱いのです


つまり生命力が弱いのが眼の力の弱さで現れているのです


そしてその人の意思の弱さも現わしています


なので眼の光は強い方がよいとされています




次に眉ですが


眉毛がひときわ優れている事をここでは眉秀(マユヒイデタル)と述べています


「眉毛の姿形が良くてひときわ優れている」ということなのですが


先ほど述べた通りその他にも意味があるので順に説明をしていきます



眉目秀麗ビモクシュウレイという意味での眉秀とか、


言葉の前後を入れ替えた「秀眉しゅうび」の意味は両方ともに


「顔の形がいちだんと優れている」とか「大変優れた容貌をしている」


という意味があります



眉の形がとても優れているという一語だけで


顔立ちや顔全体が優れているという意味まで含めてしまうのは


ある意味すごい表現の仕方だなと思うのですが


顔占いの本質をズバリと述べている表現とも言えるので


まったく間違ってはおりません


ですがここでは眉毛まゆげという顔の一部位から見た運勢について


述べているともいえるのでその点からの説明に重点を置きたいと思います




眉毛をそれのみで観れば、顔占いではその人の兄弟姉妹との状態とか


身内親族みうちしんぞくとか親戚との状態が現れると言われています


眉の状態が良ければ兄弟身内親戚との関係は良好であり


眉の状態が良くなければ兄弟身内親戚との関係が良くないと言われています



ここでは「眉が秀でたる」と言っていますから


眉毛の姿形や長さ大きさや眉の角度とか毛の状態が特に良い事を現しています


それは兄弟姉妹親族親戚が良い状態だと言っているのと同じです


つまり家族親戚も運勢の良い人達であり


それはその人の家、実家自体が運勢が良い状態だと暗示しているのです



眉秀の人は家が良い、実家が立派で家柄いえがらが良いという事を


暗示しているのです


家柄が良いとは家系の筋が良いということも言っているのです


それは家族親戚全体の人柄や人格が良い事を暗示しています


そういう家に生まれたので家族や周囲の人達の影響を受けて


この人の性格人柄も穏やかで育ちの良い人間性だと暗示しているのです



それに加えて眼が清いのです


その点からみても運勢が強くて、性格人格が優れていて、


自分の意思も強くてしっかりした人間なのです


とこの詩句は述べているのです




次に下の句の「定めて聰俊そうしゅん之兒のじる」の解釈ですが



「聰俊(ソウシュン)」とは「思慮深く賢いこと」とか


「理解力や判断力に優れている」とか「才知や才能に秀でている」


という意味がある言葉らしいのですが


間違いなく優秀であることを伝えようとしている言葉ではあります



「之兒」とは普通に読めば「~の子供」という日本語になりますが


子供というよりも青年とか若い人を指していると思われますし、


もっと範囲を広げて「~の人」と解釈したほうが良いと思います



次は「定と爲」ですが


さだめて」は「決まる」とか「定まる」という意味ですし


なる」は「である」とか「なる」という意味です


ふたつの言葉を合わせて前後の言葉と重ねて解釈すると


「~と決まっています」と強調しているような表現に解釈できます



なので下の句の言葉をつなげて読むと


「思慮深く賢く才能のある人に決まっています」という文章になります



それで上の句と下の句をつなげると


「目が清らかで眉の形が美しい人は、


 思慮深くて賢くて才能にあふれた人と決まっています」


という解釈ができることになります




それで実際の現実はどうなのかというところですが


目と眉毛だけを観て人柄や運勢の判断を決定してはいけないのは


当たり前なのですが


目と眉毛の両方が優れて良い状態であるのが間違いないのならば


運勢や運命はかなり良い方の人だ判断できると思われます



目と眉毛は顔占いではそれだけ重要な判断のポイントだからです


顔全体はもちろん、他の部位も観てチェックするのは当然なのですが


目と眼の周囲の部位は顔占いの中でもポイントが高いのです


この部位の状態が良いのは運勢が強いですし人格の良さも期待できます


人間関係に恵まれやすいですし、人間関係をうまくこなせる能力があります



ただ顔全体を観て他に問題があるようでしたらその部分や


その分野の暗示に関しては割り引いてみなければなりませんが


目と眼の周囲が抜群に良いのであれば傷が浅いのです



このような目と眉毛をした人は成長と共に自然と社会に出て活躍して


社会に貢献したり奉仕をするのを惜しまないところがあります


なので結果的に早くに出世したり社会的な地位が高くなりやすいのです



ですが繰り返しになりますが顔の一部分だけを見て


判断を決めないことは一番重要です




目   眼です


清   汚れなく澄んでいる


眉秀  眉毛の姿形が良くて優れている


定   さだまる、決まる、


爲   なす、である、


聰俊  思慮深く賢く才能あり


之兒  の人


(9目清眉秀めがきよくまゆがひいでたるは

 定爲聰俊之兒さだめてそうしゅんのじとなる)

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