3
最後の線香花火を楽しむことなくあの場を抜け出した晴樹は、一人、暗がりのオフィスに戻ってきた。急いで戻った訳でもないのにまだ心臓が早鐘を打っている。
一体、何のつもりだったのだろう。今まで出来る限り意識しないようにしていた。季節監査官という役職は気象庁からの出向人事になっていて、神宮寺アヤメは夏期間だけここに派遣される、いわば“夏担当”の監査官だ。だから夏が終われば彼女はまた元の部署へと戻される。会えなくなる訳ではないものの、それでも今までのように仕事とはいえ会話を交わす機会もなくなるだろう。
それでいい、と晴樹は思っていた。この夏、初めてここにやってきた神宮寺アヤメは何も考えずにただ淡々と業務をこなすだけだった晴樹たちに「それ、本当に夏かしら?」と疑問を投げかけた。実際、それまでは誰も夏が何なのかについて考えなかったし、特にクレームが寄せられたりといったこともなかったので、誰も問題意識を持っていなかったのだ。
ただそれで業務内容に大きな変更があったかと言われると、意外とできることは少なく、例年通り花火大会や夏祭りといったイベントをこなし、夏専用の人工植物や動物を管理し、それぞれの店舗メニューに夏限定商品の供給を促した。そういえば冷やし中華なるメニューだけは彼女の提案で盛り込まれたが、それを業績といっていいかと問われると疑問だ。
それでも晴樹にとってはこれまでとは仕事に向かう心持ちが多少変わった、という実感があった。それが彼女の疑問の
でもそれも今日で終わる。今日で夏とは、夏担当とはお別れだ。
「あ、いた」
背後からの声は振り向くことなく誰と分かった。神宮寺だ。
「もう終わったんですか、会」
「今後片付けをしてる。あと三十分ほどで作業が始まるし。季節替えって大変?」
「一番忙しい一日といっても過言じゃないです」
「そっか。じゃあ、それまでに済ませた方がいいのね」
いつもこうだ。神宮寺は晴樹にとって、掴みどころがない。何を考えての言動なのかが分からないことが多いし、そもそもどうしてこんなにも自分に関わってくるのか分からない。一緒にいて彼女が楽しい、とは思えないのだ。つまらないと書かれた看板を背負っている、と学生時代に言われた晴樹からすれば、自分とは住む世界が違うといってもいい。明るくてハキハキとし、見た目もちょっとしたモデルのような彼女の周囲には気づけば人が集まっている。おまけに仕事もできるし、聞けば何でも答えてくれる。おそらく彼女にとって夏担当というのは単なる出世のためのステップの一つで、数年後には気象庁のお偉方になっているだろう。
「今、明かり点けます」
足元を照らす間接照明だけではお互いの表情もよく分からない。晴樹は音声アシスタントに呼びかけようとしたが、その口を何かで塞がれた。ぬるりとした湿気と粘性のある感触に続いて強烈なアルコール臭を感じた。
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