器械騎士と蛇女

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第1話 侍者の願い

 

 少年のほおに銀色のしずくが落ちた。


 「ん……?」


 少年が目を覚ますと、赤茶けた金属製のパイプが複雑にからみ合っている天井が目に入った。 天井を走るパイプ内から水が流れる音が聞こえてくる……。 パイプの継ぎ目からは銀色の液体がれており、少年の頬を再度濡らした。

 

 「ワシは……『ゼルナー』になれたんじゃろうか……?」


 聞きなれない言葉を使う少年。 右手で頬を押さえながら半身を起こす少年の姿は全身の肌が浅黒く、両肩の後ろと首の付け根からは太いケーブルが伸びている。 ケーブルは少年が寝ていた何かの装置のような機械式のベッドへとつながっていた。

 少年は辺りをキョロキョロと見渡した。 び果てた金属製の壁に囲まれた汚れた小部屋は少年が寝ていた装置があるだけで、他には何もない……。

 両手を開いて手の平を見詰める少年――眠っていたのは数日だったか、それとも数時間だけなのか……よく覚えていない。

 

 ――すると、壁の向こうから『ズズズ……』という何かを引きずる音が聞こえてきた。 手の平を見つめていた少年は驚いて音のした壁を見つめた。

 顔を上げ、金色の髪を大きく揺らした少年――杏子あんずの種のような大きな瞳は少年の幼さを垣間見させる。 ツンとした高い鼻先を向けて、一筆書きの金色の眉をひそめて見つめた壁をみつめる少年――すると、突然、壁は長方形に切り込みが入り、回転しながら開き始めた……。 壁かと思っていた部分は扉だったようだ。


 「――ライコウ! 目が覚めたんだね!」


 壁から出てきたのは、一体のロボットであった。

 十円玉のような色をしたロボットは、ブリキでできたオモチャのような不格好な外見であった。

 丸い頭に大きな一つ目を黄色く輝かせているロボット――目の下には小さい長方形の通気口のような穴が開いている。 恐らくこれが口であり、この中にスピーカーでも内臓されていて声を出せるのであろう。 小さい穴には黒い網のような細い金属がかかっているが、これは任意に開閉できるようであった。

 この全長90センチにも満たない小さなロボットは、幼い子供のような声色と、背中に背負った黒いランドセルのような外観の箱型の機械と相まって、まるで子供のようだった。

 

 「ヒツジ……ワシは本当にゼルナーになったんかのう?」


 ロボットから『ライコウ』と呼ばれた少年は、心配そうな顔をロボットに向けた。

 少年から『ヒツジ』と呼ばれたロボットは、少年の言葉に目の色を赤色に変えて叫んだ。


 「もう、何言ってるのさ! 今はまだ実感がわかないかも知れないけど、『ショル・アボル』と戦えばきっとわかるよ! メチャクチャ強くなったんだから!」


 そう言って、ロボットはまくしたてるように、先端が三本指のロボットハンドとなっている短いアームのような手をバタバタさせて赤色に替わった瞳を点滅させた。 ロボットは手をバタバタさせたせいで、右ハンドで掴んでいたくさりを思わず離してしまい、鉄製の床に落ちた鎖が甲高い音を発した。


 「ふむ……まぁ、いいか……。 それより、お主、一体何を持って来たんじゃ?」


 少年の言葉にさらに手をばたつかせてロボットが叫ぶ――


 「もう、もう、もうぅ! キミの装備を持って来たんじゃないか!」


 そう言って、ロボットはプンプンとした様子で少年に背を向けた。 ロボットが右手に持っていた鎖はロボットの後ろに見えるコンテナのような箱につながっていた。 先ほどの引きずるような大きな音は、ロボットが箱を引きずっていた音であった。


 「おお、そうか、そうか! そりゃ、すまんかった!」


 そう言って、「ガハハ」と笑った少年は、素早く両肩の後ろと背中に接続されていたダクトを取り払い、自身の寝ていた器械からピョンと飛び降りた。

 少年はロボットの前を通り過ぎて、ロボットの後ろの箱の前へと進む――少年はロボットの前を通り過ぎる時に、ロボットの頭をグリグリと乱暴に撫でた。

 少年の背中を見ると、両肩の部分と首の後ろ、そして背中の腰の部分に大きな穴が開いており、その穴からソケットのような接続端子が顔をのぞかせていた。

 

 「全く……」


 箱を開けてゴソゴソと中身を漁る少年を見つめながら、ロボットはあきれたような声を出す――丸い瞳はピンク色に変わっており、ゆっくりと点滅していた。


 ――


 このライコウという浅黒い肌の少年は器械きかい(バトラー)と呼ばれるロボットである。 そして、ライコウからヒツジと呼ばれた小さいロボットもまた器械と呼ばれていた。

 器械とは一般のロボットとは違い、意思を持ち、感情を持つロボットの事を言った。 反対に意思を持たず、感情も持たない一般のロボットを機械きかい(ネクト)と呼んでいた。

 ライコウはもともと器械として製造されたが、上位の器械である『ゼルナー』になるべくある改造をされて、その改造を終えてこの錆びだらけの小汚い部屋で安置されていたのであった。


 ライコウはヒツジの持って来た自身の装備を身に着けた。 装備を身に着けたライコウは先ほどの少年のような愛くるしい様子から打って変わって、戦いにおもむく騎士の姿へと変わっていた。

 ライコウは白銀プラチナに輝く鎧に薄い水色のマントを身に着け、背中には大きな剣を背負っていた。 鎧は胸から両肩にかけて唐草模様のような草を象った装飾をあしらっている立派な鎧だ。 右腕にはガントレットを装備しており、ガントレットからは赤、青、黄の三本の細いケーブルがひじ当てを通り、肩当てまで繋がっていた。 左腕には柔らかそうな白いグローブを付けており、グローブの表面は、定期的に赤、青、緑、黄色のネオンが手首から手先、手先から手首へオーロラのように陰陽いんようを付けながら流れている様子が見える。 グローブはどうやらガラスのような透明な繊維で出来ているようで、中に溜まった電気が放電して光を放っているようであった。 背中に背負っている剣は鎧に装着されている立派なさやに収まっている。 ところが、ライコウの左腰に下げているもう一つの鞘は剣をいていない……。

 この鞘はまるでさむらいの鞘のようであった。


 「――それじゃ、『マザー』に挨拶あいさつしておくかのぅ」


 すっかり装備を身に着けたライコウがヒツジに向かって言った。 ライコウは顔全体が隠れる鉄仮面てっかめんを付けており、面頬めんほおをかち上げて凛々りりしい顔を見せていた。 鉄仮面も鎧に見劣りしない程の立派なものであり、額当ひたいあては中心に稲妻のような金色の紋様が彫られ、頭頂部にはトサカのような突起が付けられていた。


 「……別に。 もう『リター』のところになんか行く必要ないんじゃない? それより、の言う通り、早くキミの願いをかなえなくちゃ」


 ヒツジは目を白色に光らせて、ライコウの言葉に答えた。 そして、扉の方へと振り向いて部屋から出ようとピョコピョコと歩き出した。


 「そうか……? まあ、お主がそう言うなら別に挨拶せんでもいいか……」


 ライコウはそう言うと、部屋を出たヒツジの後を追った。


 ――


 ライコウとヒツジは『マザー』という器械が統治する地底都市に住んでいた。 都市の名前は『ハーブリム』と呼ばれており、地上の『ティルナング大陸』という場所の地下に位置している。 比較的大きな地底都市であり、ライコウのような器械や作業用の機械など、多くの者達が市民として暮らしていた。 都市の構造は二層に及ぶ。 一層エリアは地上へ続く出入口があり、各種工場や兵舎、宿舎、飲食店などが立ち並ぶ工業・商業地帯であった。


 一層エリアは、そこかしこに直径2,3メートルほどの太いパイプが走っており、太いパイプは至る所で細いパイプに分岐ぶんきしている。 パイプは地面から飛び出していたり、空中で枝分かれしていたりと四方八方へ伸びおり、トタンやレンガ造りの工場や兵舎、民家などの建物へ接続されていた。 どのパイプもぎだらけで決して見栄えの良いものでは無い。 ともすれば、何かの拍子ひょうしで壊れて中のガスやら水やらが噴き出すのではないか思う程ボロボロに見えるのであるが、ヒツジの話では「特殊な金属で造っており、耐久性は問題ない」との事であった。

 太いパイプは地面に半分以上埋まっている事が多く、市民が通行する道路の多くはそういった太いパイプと太いパイプの間に敷設されている。 地面から少し顔をのぞかせているパイプはちょうど道路と敷地を仕切る防音壁のようであった。 

 道路は機械の馬を引いている商人風の器械や、戦車に乗った兵隊風の器械、布地の洋服を纏った市民風の器械、さらにはバイクに乗ったヒツジのようなブリキ風のロボットなどが頻繁に行き来しており、時折、沿道に立ち並ぶ商店に立ち寄って買物をしていた。

 一層の東側には崖のような巨大で深い穴がある。 この穴は二層エリアへと繋がっており、二層はこの穴を掘削くっさくして広げたエリアであった。

 二層へのアクセスは、一層の器械達がまさかこの大穴からダイブして落ちる訳ではない。 崖地の壁にはパイプや昇降機、そして線路が設置されているおり、線路は機関車のようなレトロな形状の電車がどういう仕組みか垂直に崖を昇降している。 崖の上と麓にはそれぞれ駅舎えきしゃが設置されており、二層の住民が一層へと移動する交通機関の一つとなっている。 また、ドローンのような航空機を使用して一層と二層を行き来している器械もいるが、大抵の住民は電車や昇降機を使用して移動している。


 二層エリアは市民の住宅と役所が存在していた。 一層エリアとは打って変わって透明なガラスのような素材で造られた住宅や、銀のような金属で造られた住宅が立ち並ぶ。 一見すると美しい街並みのように見えるが、何か無機質で温かみを感じる事が出来ない。 二層はパイプが地面に露出しておらず、地面はクリスタルガラスのような透明の床になっている。 透明な床下には銀色の液体が揺らめいており、液体の中に一層から伸びてきている大小のパイプが幾重いくえにも重なっている。 パイプは床下から各建物へと接続されていた。

 中央には円筒状の黒い建物が建っている。 黒い大理石のような光沢のある金属で造られた窓のないこの建物は一見すると何かの巨大な装置のように見える。 しかし、この建物こそ市民を統括する『役所』であった。

 役所は透明な壁に囲まれており、入口と思しき部分には個人認証を行う装置が置かれている。 不正な改造やデータ改ざんを行った器械が認証を行うと、けたたましい警報が鳴り響き役所に入れない。 空から無理に入ろうとすれば、役所の壁がおもむろに開き、大量のレーザーが侵入者目掛けて襲い掛かる。 レーザーは侵入者をオーバーヒートさせて撃ち落とす。 だが、撃ち落とされた侵入者は破壊される事はない。 『ゼルナー』と呼ばれる器械に連行されて取り調べを受け、場合によっては厳しい拷問に処されるのだ……。

 マザーは役所の長であり、都市の全権を掌握している。 しかし、マザーは役所にいる訳ではない。 都市のに存在しており、市民の中でマザーに会える者はゼルナーだけである。 したがって、市民の中には「マザーはゼルナーが我々を管理する為にでっち上げた架空の存在である」と叫ぶ者もいる程だが、そういった声はすぐにゼルナーの耳に届き、彼らは『不敬罪』としてゼルナーによって連行されタップリと再教育を受けさせられた。


 ――このようにゼルナーは都市の治安を維持する役割を持っているため、市民から畏怖いふされ、時には尊敬される存在である。 ゼルナーはマザーからある改造を施された特別な器械であり、他の器械達よりも性能が上である。 だが、彼らはただ警察のように都市の治安維持に努め、役人のように市民達を管理し、市民達より性能が上だからと言って威張り散らしているだけでは無い。


 ゼルナーの真の役目は、マザーの命令により地上へ遠征し『ショル・アボル』と呼ばれる怪物や『マルアハ』と呼ばれるバケモノと戦う事であった。


 ところで、ヒツジは他のゼルナーとは異なり、マザーの事を『リター』と呼んでいた。 ライコウもヒツジがマザーの事を何故リターと呼ぶのかは知らなかった。 ヒツジは他のゼルナーと比較しても異質な存在である。 いずれ、ヒツジが何者なのかは分かってくることだろう。


 ――


 ライコウとヒツジは地上へ出る為に騒然とした街を北西に歩き、ある工場を目指していた。

 

 「……それで、のう。 あのマルアハ……えーっと……」


 「アラトロン!」


 「そうじゃった! そのアラトロンと会う前に、まずは『ウサギ』に頼んでおいた例のモノを取りに行かんとのう」


 ライコウとヒツジは地上を出て『アラトロン』と呼ばれるマルアハと戦うつもりのようだ……。


 「……そりゃそうと、ワシらは歩いているだけなのに、何故皆にこんなにジロジロみられるのかのう」


 気が付くと、道を歩くライコウとヒツジには多くの市民が付いて来ており、彼らを見ながら何やら口々に囁き合っていた。 だが、それは敵意を持った目ではなく、一種の好奇心と畏怖を持った憧れの目であった。


 「まぁ、キミがあの『エクイテス』で製造されたエリートで、そのエリートがあっという間にゼルナーとなったんだから、みんなキミがアラトロンを連れて来てくれると期待しているんでしょ!」


 目に黄色の光を輝かせながらヒツジが言うと、ライコウは「そうじゃったら、サインでもしてやるから喋りかけてくれれば良いのにのぅ」と言って複雑な顔をして、ついてくる市民を横目で見た。


 ――彼らはどうやらアラトロンと戦うつもりではなく、このハーブリムに連れて来るつもりのようだ。 だが、何の為に?

 それは、マザーの命令がそうであったからだ。

 マルアハと呼ばれるバケモノは地上に複数蔓延っている。 マザーは、その中の一体のマルアハを手懐けて、他のマルアハを破壊しようと考えたのだ。 どのマルアハも凶暴で、人知を超える力を持つ。 したがって、その怪物の一体を手懐けると言っても容易ではない。

 実際、多くのゼルナーがマザーの命令により、マルアハの一体――アラトロンを手懐けようとアラトロンに会いに行った。 ところが、ゼルナー達は行くたびにアラトロンの怒りを買い、全て破壊されてしまうか、尻尾を巻いて遁走とんそうしていた。 地上にマルアハが出現してからおよそ300年の間、器械達は一体もマルアハを破壊する事が出来ず、ただの一度もかすり傷一つ付けられないのである。


 ところで、器械達は複数体いるマルアハの内、何故アラトロンと呼ばれるマルアハを手懐けようとしているのか? この疑問は『マザーがそのように命令したから』としか答えようが無かった。 器械達の間では、マザーが何故マルアハの中でアラトロンを味方にしようと決めたのかについて「凶暴ではあるが、それでも他のマルアハよりはまだましだからではないか」と噂しているが、ゼルナーの中では「少し気分を損ねただけでゼルナー全員を破壊するような凶暴なバケモノが他よりも『マシ』な訳ねーだろ」と言って、マザーの命令に従わずに他の都市へ逃亡してしまう者もいた。 マルアハというバケモノはどの個体もそれだけ凶暴なのであった。


 ――ライコウとヒツジが物珍しそうについてくる市民達を横目で見ながら道を歩いていると、後ろからか細い少女のような声が聞こえてきた――。


 「あ、あの……」


 「ん? 何じゃ――?」


 後ろから声を掛けられて振り向いたライコウの目の前に、メイドのような服を着た栗色の髪をした少女姿の器械が恥ずかしそうにライコウを見つめていた。 筆のようなフサフサしたおさげ髪を揺らしながらモジモジとしている少女。 両手には白い手袋を身に着けており、背中に何か青い箱のようなものを背負っていた。


 「おお! お主は確か――」


 ライコウはこの少女に見覚えがあるようで、目を丸くして叫んだ。 少女はライコウの言葉を聞いてにわかに表情が明るくなり、今度は元気そうにライコウの言葉を繋いだ。


 「はい! 酒場のナナです! 覚えていらっしゃいましたか!」


 この少女は酒場で働いている『αアルファ・ナナ・マル・Bビー』――通称『ナナ』と呼ばれている少女であった。 都市には商店などの他に酒場などの飲食店や娯楽施設もある。 これらは大抵沿道えんどうに建てられており、道行く器械達に癒しを提供している。 器械達はどんな飲み物を飲み、どんな食べ物を食べているのか? それは、およそ人間では考えられないものであった……。


 「おお、そうじゃった! お主の歌声を聞いて忘れる者はおらんわ」


 ライコウはそう言って、ナナのきれいな髪をぐしゃぐしゃにで込んだ。 ナナは嬉しそうな、迷惑そうな顔をしてはにかんだ笑顔をライコウに見せた。

 ヒツジはそんな二人を横目で見ながら「全く、何が『忘れる者はおらんわ』だよ……。 すっかり名前すら忘れていたくせに……」と呆れたようにぶつくさ言いながら、白色の目を光らせた。

 

 「あの……ライコウ様がゼルナーになられたって聞いたので……」


 ナナが恥ずかしそうに言うと、ライコウは驚いた様子でナナの言葉が終わらないうちに言葉を重ねた。


 「おお! もう、そんな事知れ渡っていたのか!?」


 「そうすると、お主はワシのサインをもらいに来たのかの?」


 しかし、残念ながらそうではなかったようで、ナナは首を横に振ってライコウの言葉を否定した。


 「いえ、そうではなくて……。 ライコウ様がこれからマルアハを捕獲しに行くとお聞きしたので、ご武運を祈って歌を歌おうと……」


 ナナは酒場で歌手をしているメイドである。

 ナナの歌声は器械の中央処理装置を冷却する効果があるようで、酒場の客はナナの歌を楽しみに来店する常連が多い。 その中ではナナに入れあげてファンクラブまで作っている器械もいるそうだ。

 

 「おお、それはかたじけない! それでは、ナナの歌を聞いて張り切ってマルアハをひっ捕らえに行こうかのぅ!」


 ライコウはそう言うと「ガハハ」と笑うと、ナナも微笑みながら両手につけていた白い手袋を外す――すると、人工皮膚でおおわれていない金属製の手が現れた。 

 

 「お見苦しい姿で申し訳ありません。 を演奏するにはこの手が一番操作しやすいもので……」


 ナナはそう言うと背中に背負っていた青い箱を前へ持ち替えた。 青い箱はピアノの鍵盤が付いており、かつてアコーディオンと呼ばれて人間に親しまれた楽器であった。

 ナナが目をつぶって鍵盤けんばんをポロンと弾く――奥深い音色が辺りに響くと、道行く器械達の足が止まり、音に引き寄せられたかのようにナナの周りに集まってきた。 ライコウとヒツジはナナが演奏を始める瞬間を心待ちにしている。

 ナナがそんな彼らの様子に微笑みを返す。 そして、ナナが左腕で楽器を抱えて巧みに蛇腹じゃばらを揺らし、無機質な指で鍵盤を軽やかに叩くと、幾重にも重なった波が夏の砂浜を穏やかにでるような、木漏こもれ日の陰影いんえいを揺らす風のような音が辺りに響いた。 ナナは音に合わせて歌を口ずさむ――


 ――その時、突然、ライコウの後ろから怒鳴り声が聞こえてきた。 ナナの歌声が止まり、穏やかな波は荒波にかき消され、激しい風が木々を騒めかした。

 不審そうにその怒号のする先を見るライコウとヒツジ。 ナナは歌いだそうとした口を閉じ、おびえた様子でその怒号どごうの先を見た。


 「オラ、どかんか――! 貴様らぁ!」


 ライコウを見る為に道に集まって来ていた器械たちを蹴飛ばしながら、三体の器械達が肩を揺らしながらライコウに向かって歩いてきた。

 

 「テメェら、小市民の分際でゼルナー様が通る道を塞ぎやがって、馬鹿野郎!」


 道をふさいでいた器械達は口々に悲鳴を叫びながら蜘蛛の子を散らすように道を開けた。 すると、怒鳴り声をあげていたのは、大柄な器械の左右に子分のように付き添っている小柄な器械達である事が分かった。

 子分のような器械達は、道を開けて怯えるように三人を見る市民達に対して、さげすむような目を向けてニタニタと笑っていた。

 彼ら二人は共に黒い甲冑かっちゅうを身に着けており、細長い銀色の槍を乱暴に持って振り回していた。 中央にいる大柄な器械は赤い目を光らせながらドスドスという音を立てて、泰然たいぜんとした様子で彼らの蛮行をとがめることもなく、こちらへ向かってきた。

 

 三体の器械達がライコウとヒツジの目の前まで近づき、立ち止まった。 ライコウは彼らに邪魔されてナナの歌を聞けなかった事に怒りを覚え、切っ先鋭い眼光を彼らに向けた。

 先ほどまでイキリ倒していた黒い甲冑の二体の器械はライコウを見た途端、真ん中の大柄の器械の後ろに隠れるように立ち、か細い声でライコウに言った。


 「お、おい……。 り……『リクイ』様がお通りだ……。 そこを……どいてください」


 二体が同時に遠慮がちな小声でライコウに言った。 すると、ライコウは耳に手を当てた。


 「はぁ!? 聞こえんのぅ!」


 ライコウが昂然こうぜんとした様子で叫ぶと、真ん中の大柄な器械は目を伏せて含み笑いを浮かべた。


 「ふん、相変わらず騒々しい……。 こんな行列まで引き連れて、しかも、見送りにあんなに歌まで歌わせるとは、どこまでも偉そうな奴だ。 これで呆気なくマルアハに破壊されたりでもすれば、お前は永遠に笑いものだな」


 悪意のある口をライコウに叩くこの器械は『リクイ』というゼルナーである。

 両脇の二人の器械とは異なり、大柄で黒ずんだ真鍮色の鎧を身にまとっていた。 その鎧は鎧というよりも機械の一部のようであり、ところどころ赤色のランプが点滅し、太いメッシュホースが両胸から背中にかけて接続されていた。

 背中には熱を排気する装置が備わっているようで、時々プシューという音と共に水蒸気のような煙が立ち上ってきた。 右手は銃のような形状になっており、左手は人間の手のような形状であった。 そして、頭には水牛の角のような装飾を付けたこれまた渋い真鍮色の兜をかぶっており、大柄な体と同じく威圧感のある姿をしていた。


 ――ところが、その威圧感のある器械が一瞬で目の前にいる器械に気圧けおされた。


 「貴様……ガラクダだと?」


 ナナの事をガラクタ呼ばわりしたリクイに対し、ライコウの雰囲気が明らかに変わった。 声色が変わっただけではない。 ライコウから発する名状し難い圧力をリクイは敏感に感じ取り、思わず一歩後ろに下がった。


 ――すると、突然、ヒツジがライコウとリクイの間に割って入ってきて、赤い光を点滅させながらリクイを怒鳴りつけた。

 

 「何だい、何だい! お前ら! これからボク達がみんなの為にマルアハを説得しに行くっていうのに! もうちょっと気の利いた言葉を言えないのかよ! この、バカぁ!」


 ヒツジの子供っぽい怒り方はライコウの気を少し落ち着かせたようだった。 リクイもヒツジの声に拍子抜けしたのか、先ほどまでの横柄な態度を取り戻し、両脇の子分と目を合わせた。 そして、ワハハと大声で笑い飛ばした。


 「ハッ、ハッ、ハッ! みんなの為だと? みんなそんな事思っとらんわ! お前らがマルアハを怒らせて、みじめに破壊されて爆発しやしないか心配しているだけだわ。 ワハハハ――」


 リクイは豪快に笑い、子分二人の顔を見る――子分二人は先ほど一瞬見せたライコウの様子にすっかり萎縮してしまい、リクイにしかたなく同調するように遠慮しがちな乾いた笑いをリクイに返した。


 「なんだと! このバカ、バーカ!!」

 

 プンスカと拳を振り上げて赤い目を点滅させながら怒るヒツジ。

 ライコウはすっかりいつもの様子に戻っており、拳を振り上げてリクイに向かおうとするヒツジの両肩を押さえて、ライコウの後ろに隠れていたナナの隣へとヒツジを下がらせた。


 「これ、これ、ヒツジ――。 お主、ちょっとは落ち着いたらどうじゃ……」


 ライコウはそう言うと、ニヤニヤした笑みを浮かべているリクイに近づき、顔をなめるように見ると、振り返ってヒツジとナナに言った。

 

 「こ奴は、のぅ――。 弱いくせに調子に乗ってイキリ倒していたせいで、アラトロンを怒らせてコテンパンにされた挙句、仲間を破壊されるという失態を犯してしまったのじゃ。 その反省もあって、ワシらの事が心配でわざわざ忠告してくれたんじゃ、うん。 全く、心優しい奴ではないか」


 ライコウの言葉を聞くとリクイの笑みが消えた。 そして、ありありとした憤怒ふんぬの表情が浮かび上がってきた。 ライコウはニッコリと笑みを浮かべ、リクイの顔を見た。


 「――のう、ハーブリムのゼルナーであるリクイよ。 お主の有難ありがたい忠告、ワシがしっかり受け止めてやるからのぅ。 お主は安心してマザーのおっぱいでも飲んでおるが良い」


 彼らのいざこざを緊張した面持おももちで見ていた周りの市民たちはライコウの言葉を聞いて緊張がほぐれたのか、どっと笑った。 ヒツジもライコウの言葉に少し胸のすくような、ほっとした思いがして、黄色い光を点滅させながら「アハハ」と笑った。 ヒツジの隣にいたナナは何とか肩を震わせて笑いを堪えようとしていた。


 「き、貴様ぁ――!!」

 

 大勢に笑われて思わず怒りの声を上げたリクイ――右手の銃をライコウに向けようとしたが、ライコウがすぐに鋭い目に変わったので、リクイはライコウの目を逸らすように目を伏せて銃を下した。


 「ぐっ、貴様は……。 まあ、良い……。 せいぜい頑張るんだな」


 そう言って、再び泰然とした様子に戻ったリクイ。 まだ、周りの市民は笑っていたが、リクイがジロリと笑っている市民をにらみつけると、市民たち慌てて笑いを止めてその場から逃げるように離れていった――。

 そして、リクイは背後に部下の器械達を引き連れて、真っすぐ前を見ながらライコウの横を通り過ぎようとした。


 「――先ほどの言葉は撤回する。 ……ガラクタではない……俺たちはな」


 そう言葉を言い残し、通り過ぎるリクイ。 ライコウは振り返り、リクイの後ろ姿を見た。


 「……何じゃ、あ奴は。 まったく、可笑しな奴じゃのぅ」


 あきれたような表情で肩をすくめるライコウ。 結局、ライコウとヒツジはナナの歌声を聞くことが出来なかった。 ナナはマルアハを連れて必ずハーブリムに戻ってきてほしいとライコウに願いを告げて、酒場へと戻っていった。


 「――ったく、せっかくナナの歌を聴こうと思ったのに……あっ、そうだ! ほら、ライコウ! 早く『ウサギ』のところへ行って、アレ取りに行かないと!」


 ヒツジはナナを見送るライコウの手を引っ張り「急いで!」と言いながらズルズルとライコウを引きずって歩いた。


 ――


 『ウサギ』という器械がいる工場は、都市の中心から西に位置する工業エリアにある。 都市のいしずえとなる工場は大まかに『武器製造工場』 『給排気処理施設』 『器械製造工場』という役割を持つ三種の工場があるが、ウサギはその中の『武器製造工場』で工場長を任されていた。 ちなみに、『給排気処理施設』はゼルナーが管理しており、特別な事情が無い限りは市民が立ち入る事が出来ない。 そして、『器械製造工場』――これは、他の2つ工場とは全く異なりマザーが直接管理している工場であった。 したがって、器械製造工場は他の二種の工場と異なり管理者がおらず、ゼルナーの中でもマザーに許可された者でしか立ち入る事が出来ない。 そのせいか、器械製造工場だけは特別に『ユータラス』という別名が付けられていた。

 器械とは意思と感情を持ったロボットである。 ロボットが意思と感情を何故持つことが出来たのか? その答えが器械製造工場の中にあった――。


 ――ライコウとヒツジはぎだらけのパイプが陸屋根に乱雑につなげられている古めかしい工場の前に来ていた。 二人が『ウサギ』と呼んでいた器械が工場長を務める武器製造工場である。

 二人が金網で囲まれた出入口を越えて工場の入口まで歩いて行くと、出入口の前で工場内から伸びているホースを片手に空調機のフィルターを洗っている器械が目に入った。

 青いチョッキを着て、チェックのハンチング帽をかぶっているイタチのような外見の器械は、自身の体長の3倍はある大きなフィルターを工場のトタン張りの壁に立てて水をかけていた。 イタチはライコウとヒツジが近づいて来たことに気が付いて、二人を見るや長い鼻をヒクヒクさせ、ハンチング帽を脱いで軽くお辞儀をし、小走りで二人に駆け寄ってきた。


 「チワッス、お二人さん! 親方は中にいますぜ?」


 そう言って、ニカっとした笑顔を二人に向けるイタチのような器械――よく見ると黒く湿り気のある柔らかそうな鼻は、オイルを塗った硬質な金属で出来ていた。 そして、全身を覆う灰色の被毛ひもうは、毛ではなく一本一本がオイルを塗った細い合成繊維ごうせいせんいで出来ていた。


 「うむ。 例の頼んでおいたモノは出来ておるかの?」


 ライコウが頷きながらイタチに言うと、イタチは「へい! ……でも、『アイツはあんなモノ必要じゃねぇんだが……』って親方がブツクサ言ってやしたぜ? 俺っちもあんなモンいらねぇと思うんでやすが……」と言いながら、工場へと二人を案内しようと踵を返し、また小走りに出入口へと駆けて行った。


 「……まぁのぉ」


 何だかイタチの言葉に納得しないような様子でヒツジと共にイタチについて行くライコウ。 ヒツジはライコウの手をつないでピョコピョコと可愛らしく足音を立てていた。


 イタチが先に工場へ入ると、間髪入れずに工場内から怒鳴り声が聞こえて来た……。


 「おい、フルダ! テメェ、いつまでフィルター洗ってんだよ! 『プルムブル・ミサイル』の製造が捗ってねーじゃねぇか! このままじゃ、今日は休み無しだぞ、バーロー!」


 「ひぃ! そりゃないっスよ! ライコウの旦那だんなとヒツジが来たんでやんすから挨拶したんで遅れたんでやんすから」


 「――何ぃ!?」


 どうやら、先ほどのイタチは『フルダ』と言う名前らしい。 そのフルダが何者かに怒鳴られていた。 工場内からのそんなやり取りを聞きながら、ライコウとヒツジも工場内へと入って行った――。


 工場内は巨大な掘削機くっさくきのような機械や、ミキサー車のように大きなドラムが回転している機械、銃器や爆弾のような物が入っている木箱を運んでいるベルトコンベア等、様々な機械が凄まじい騒音を立てて忙しく稼働していた。 ベルトコンベアのかたわらにはヒツジのような無機質な外見の作業用機械達が規則正しく数メートルごとに点在して、ベルトコンベアで運ばれてくる木箱の蓋を閉じる作業をしている。

 そんな巨大な機械が立ち並ぶ手前に、フルダが背の小さいウサギのような器械にスパナで頭を小突かれている様子が見えた。


 「おう、ウサギ!」


 ライコウが叫ぶと、『ウサギ』は肩を回しながら疲れた様子でライコウに近づいて来た。 ウサギという名の通り、この器械はそのまんまウサギの外見をしていた。

 特殊な繊維で出来たオリーブ色のツナギを身に着けているウサギは、かつてはツヤツヤした美しく白い毛並みだったに違いないと思われた。 だが、今ではすっかりツヤが無くなり、かつての白い毛にはベットリとした油がそこかしこに張り付いており、くすんで灰色になっていた。 腰のあたりに着けている布製の工具入れは大きすぎるせいで、地面に接地して歩くたびにズルズルと音を立てた。 また、上に向かってピンと高く伸びた両耳は被毛が剥げて機械の下地が丸出しになっていた。 だが、右耳にはお洒落のつもりなのか、可愛らしい赤いリボンがついており、ウサギが女の子(メス)である事を窺がわせた――もちろん、その赤いリボンも煤で汚れて赤黒くなっていたのだが……。 ウサギは溶接用と思われる顔の半分が隠れるような大きなゴーグルをかち上げ、威勢の良いがった目をライコウに向けながら叫んだ。


 「ライコウ! オメェ、ゼルナーになったんだってな。 良かったじゃねぇか!」


 ウサギはライコウの肩をポンと叩くつもりが、体長が足りないのでライコウの腕の当たりをペシンと叩いた。

 

 「――ほいでな、オメェがゼルナーになったからにゃ、約束通り、をユータラスから持って来てもらわねぇとな」


 何か期待感のあるような様子ですすけた長い耳をピョコピョコさせながら言うウサギ。 ライコウと何かの約束事をしていたようだが、ライコウはウサギとの約束事の前に、自分がウサギに頼んだモノが出来上がったどうかウサギに聞いた。


 「……おーん。 そりゃ、まぁ、もう出来てるが……あんな鉄製の剣なんぞ、そんなに必要か?」


 ウサギはいぶかしんだ様子で隣にいたフルダを見るや、フルダに向かってあごをしゃくり上げた。

 すると、フルダが「ヘイ、ヘイ……」と言って四本足で駆け出し、工場の奥へと走っていった。 そして、すぐに戻って来たかと思うと、何やら鏡のように光る物を口にくわえて持ってきた。

 それは、侍が使用する刀であった。

 ウサギはフルダが咥えて持ってきた刀に手を取って、つかを握りしめ、刀身を立てて刃文はもんをしげしげとながめた。


 「――うん。 我ながら良く出来てんじゃねぇか。 しかし、これは鉄製の剣だから、ショル・アボルなんぞに攻撃しても、剣があっという間にポキッと折れて使いモンにならねぇぞ……」


 ウサギはそう言うと、ライコウに向かって刃先を向けた。 そして、そのままライコウが左腰にぶら下げていた鞘にこの刀を収めた。 刀は鞘に収まる瞬間に「キンッ」という鋭い音をかなでた。

 ライコウは鞘に納めた刀を再び抜いて、ウサギと同じく刀身を立てて刀を見つめた。


 「いいんじゃ、いいんじゃ。 コイツはワシの憧れの戦士が使っていたと言われている剣じゃ。 取り敢えずコイツをこの鞘に納めておいて、『トコヨ』に行ったときにホンモノと交換するわい」


 ライコウはそう言って、破顔はがんしてウサギの顔を見た。 ウサギはライコウの言葉にムスッとした表情を浮かべ「バーロー! アタシが造った剣がニセモノだっていうのかよ、畜生め」と言って、ライコウの太もものあたりをペシンと叩いた。

 すると、その様子を見ていたヒツジがウサギになぐさめを入れた。

 

 「いや、ウサギ。 ウサギの造った剣はホンモノの鉄の剣さ。 たぶん鉄の剣では一番の切れ味なんじゃないかな。 だけど、ライコウが言っているホンモノの剣と言うのは、トコヨに存在していると噂されている『アマノハバキリ』という剣さ。 その剣は――」


 「――『トガビトノミタマ』で出来ていると聞いている」


 ヒツジの言葉は聞きなれない言葉であったが、ライコウはどうやらヒツジの言った言葉を理解しているようで「うむ、うむ」と相槌あいづちを打っていた。


 「……トガビトノミタマ? なんだ、そりゃ? アタシのデータベースにはそんな言葉記録されてねぇぞ……」


 ウサギはヒツジの言っている言葉が全く分からなかった。 器械には学んだことを記録し、共有するデータベースが備わっているのだが、全ての言葉を共有できる訳ではない。 共有が出来ない言葉は一般の器械が知らなくて良い言葉、または、知ってはいけない言葉である。 つまり、器械は内部の記憶装置も含めて全てマザーに管理されているのだ。 ライコウは先ほどのヒツジが言った言葉をたまたま知っていたが、ライコウといえど記録できない言葉も存在する。

 だが、ヒツジはこの世界のほとんどすべての言葉を記録していた。


 言葉だけではない――


この世界の歴史――何故、地底に器械が住み、地上にいたすべての人類が絶滅してしまったのかも知っていたのだ。


 「――まぁ、ワシはトガビトノミタマの事などどうでも良いわ。 とにかくワシは憧れの『サムライ』となって、伝説の剣を手に入れなければならんのじゃ」


 ライコウはそう言うと、刀を鞘に納めてヒツジの手を引っ張って工場を出ようとした。 ところが、ウサギがライコウの前に立ちはだかってライコウを帰らせないようにした。


 「おい、テメェ! ちょっと、待ちやがれ! あの約束忘れてねぇだろうな!」


 「約束ぅ――?」


 「バーローが! すっかり忘れやがって! テメェ、ユータラスに行って『アニマ』を持ってくるって約束したじゃねーか!」


 ウサギは気色ばんでライコウに訴えた。 ライコウは涼しい顔をして「おお、そうじゃった」と言ってウサギの頭をグシャグシャと乱暴にで込んだ。


 「心配するでない……。 ワシらがアラトロンを味方につけて連れて来る事が出来れば、マザーがお主にアニマをくれると言っておる」


 「ほ……ホントか?」


 ウサギはそう言って、ライコウに頭をグシャグシャにされて、耳に着けていたリボンが変な方向に傾いてしまったのを直している……。


 「おう、本当じゃ。 だが、ワシらが説得に失敗してアラトロンに破壊されれば約束は反故ほごになるがのぅ」


 意地悪そうにライコウがウサギに答えると、ウサギは「ヘッ! バーロー! そんなつもりは毛頭ねぇくせに」とライコウの冗談を一蹴いっしゅうした。


 ――


 ライコウとヒツジはウサギとフルダに別れを告げた後、さらに西へと進んだ。 ウサギと別れるときに、ウサギから『サクラ2号』という器械が「二人を目的地まで運んであげる」と言っているので、サクラ2号の到着を待ったらどうだと提案があったが、ヒツジが断り、サクラ2号の到着を待たずして二人は早々に歩いて西へ向かった。


 ウサギの工場から西へ向かって進むと、道路がない荒野に出る。 そこからさらに進むと、前から広大な吸排気処理施設が見えてくる。 施設の裏――西側の壁には途方もない大きさのさび色のパイプが三本接続されている。 パイプは直径100メートルをゆうに超えているだろうか……。 パイプが接続されている平屋の施設からは「ゴウゴウ」と強風が吹くような音が聞こえてくる。 激しく揺れている施設の側面や前面には直径10メートルくらいのパイプが幾つも飛び出ており、南北にそれぞれ点在する他の吸排気施設へとつながっている。

 吸排気施設は都市の機能を維持する為に必要不可欠な施設である。 地上からの空気を吸気パイプ内に送り込み、都市へ吐き出している。 そして、都市から排出されたガスは排気パイプへ吸い込まれ、地上へと吐き出されていた。


 広大な吸排気処理施設を通り抜け、西から伸びる巨大なパイプの間に挟まれてライコウとヒツジが進む――すると、今度は前面に巨大な赤茶けた岩壁が見えて来た。 遥か空までそびえている岩壁であり、恐らくそこが地底都市の端っこだろう。

 二人の間に並行して伸びている巨大なパイプは一直線に岩壁を突き破っており、パイプが接続されている岩壁のそばには、パイプのメンテナンスをする為のエレベータ塔や梯子が設置されていた。

 岩壁から数百メートルの手前には3階建の石造りの立派な建物が立っていた。 ライコウとヒツジが目指していた場所はこの建物であり、建物内で地上へと出る手続きを行うのだ。


 「……そういえば、お主……何故サクラの奴を待たずに延々と関所まで歩いて来たんじゃ?」


 『関所』と呼ばれる建物にようやく到着したライコウは、少し疲れた様子でヒツジに苦情を言った。


 「……別に。 なんか歩きたい気分だったからさ」


 ヒツジは目を白色に光らせてそっけない返事をライコウに返した。 建物の出入り口には、二人の鎧姿のゼルナーが槍を片手に退屈そうに立ち尽くしていた。 彼らはライコウとヒツジがこちらへ向かってくることに気が付いて、待ちかねたかのように二人同時に駆け出し、ヒツジの方へと近づいてきた。

 

 「ヒツジ様、お待ちしておりました。 さっ、さっ、どうぞこちらへ――」


 二人のゼルナーはライコウのことなどお構いなしに、ヒツジの手を取ってそそくさと建物の中へと入っていった。

 ライコウは呆気あっけにとられながら、三人の後に付いていった。


 ――


 「さっ、さっ、お疲れでしょう――どうぞ、お飲みください」


 すずのような鈍い光沢の金属で造られたテーブルのイスに座っていたライコウとヒツジの目の前にゼルナーがコーヒーカップを差し出した。

 コーヒーカップには当然コーヒーなど入ってはいない。 何やらオイルの匂いがするドロリとした液体が入っている……。

 

 「おお、これは香ばしい匂いがするのう!」


 ライコウは嬉しそうにコーヒーカップを手に取り、そのドロドロとした液体をおいしそうに飲みほした。 ヒツジはコーヒーカップを手に取らず、代わりに陶器の皿に入っているネジのような形をした金属を手に取って、それを小さな通気口のような口に放り込んでボリボリと食べていた。

 

 そんな二人の傍には一人のゼルナーが屹立きつりつしており、何やらタブレットのような装置を持って難しい顔をしていた。


 「現在、地上にショル・アボルが出没したとの情報が入っております。 今日はこのままこの場に留まって宿泊されてはいかがでしょうか?」


 ゼルナーはライコウには目もくれず、ヒツジに向かってそう進言した。

 

 「うん? ショル・アボルだって? そんなモノ別にいたって構わないよ。 むしろ、こっちにしてみれば都合が良い」


 皿に盛られていたネジのような食べ物はすでにヒツジの口へと全て放り込まれてしまっていた。 ヒツジは緑色の目を光らせて泰然とした様子でゼルナーに答えると、ライコウの方へと顔を向けた。


 「ライコウ――。 キミがゼルナーになって初めての実戦だよ」


 ――


 岩壁を貫く巨大なパイプは地上へと繋がっている。 しかし、パイプの中を通って地上に出るわけではなく、関所の先にある赤茶けた岩壁の先に地上への出入り口があった。

 岩壁に開いた巨大なトンネルの先に、だだっ広い天井の無い機械室のような空間がある。 この緑や青のライトがそこかしこに点灯している空間にライコウとヒツジが入ると、黒い床が突然赤く光り出し、二人を乗せて上昇を始めた。


 ――ヒツジは地上にショル・アボルが出没した事を意に介していないようだった。 ライコウもまた同様で、逆に運よくショル・アボルが近くに出没したので、自身のゼルナーとしての初陣ういじんを飾れると考えてワクワクしていた。

 上昇する床の上で、ライコウが目を輝かしながら、ヒツジに言う――


 「いよいよ、夢への船出よのう!」


 ライコウの言葉にヒツジは返事をせず、だいだい色に光らせた目をゆっくりと点灯させている。

 

 「……うむ、お主が緊張するのも良く分かる。 ワシ等の願いを叶える為にはアラトロンを味方につけねばならん。 それは、それは、難儀なんぎな事じゃ、うん。 そりゃ、判っておる」


 「――だがの、そんな難儀な事を乗り越えてこそ、ワシ等は『人間』になれるのじゃ! そうじゃろ?」


 「うん……。 でも、ボクは別に人間になろうなんて……思って……」

 

 ヒツジの目は青色に光っており、不規則に点滅している光が上昇を続ける黒光りした床を反射していた。

 

 「なぁに、お主がならんでも、ワシは必ずなってやる! 人間にならなければ、ワシが憧れたあの戦士にはなれんからのう」


 「サムライと呼ばれた戦士に――」


 上部からかすかに白い明かりが見えてきた。 そろそろ地上へと出る為のとば口まで到着する。

 二人が顔を上げると、緑色のランプが至る所で点滅をしている機械式の天井が徐々に開いている様子が見えた。 二人が近づくと同時に天井が完全に開いた。 そして、二人が乗っている黒色の床は天井を突き抜けたところで上昇を止めた。 先ほど開いていた天井が、今度は赤色のランプを点滅させながら、ゆっくりと閉じ始める――天井が完全に閉じると黒色の床は閉じた天井の上に下降した。 二人が天井の上へ着地すると、黒色の床は二人を残してそのまま天井をすり抜けて消えていった……。


 だだっ広いたるの様な形をした空間へと到着したライコウとヒツジ。 壁には監視カメラが四方八方に設置されており、正面の壁には金属製の白い梯子が掛かっていた。 その梯子は上部の小さな四角いハッチへと繋がっていた。


 「何じゃ? こんな広いとば口にもかかわらず出入り口はえらい小さいのう……」


 梯子の先に見える人一人分しか通れないような小さいハッチを見ながら不満を言うライコウ。


 「いや、あのハッチは少数の器械が外へ出る為に通用口さ。 戦車や戦闘機で地上へ出る時は上の屋根が丸ごと開くんだよ。 でも、屋根を全開放すれば地上からショル・アボルが侵入してくるかも知れない。 その為に必要な時以外は天井の開閉をせずに、通用口を使うのさ」


 ヒツジは少し気持ちが落ち着いたようで、緑色の目を光らせて顔を上げていた。 ヒツジから発する光が天井に反射してライコウの顔を微かに照らした。


 「……関所にいたゼルナーの話じゃ、地上を出てすぐにショル・アボルが徘徊しているらしい。 恐らく『しお台地だいち』の手前あたりにいるんだろう……」


 アームのような手を顎に乗せながら話すヒツジ。


 「そもそも、地上でいうとここはどの辺りなんじゃ?」


 「えっ!? そんな事、キミのデータベースから世界地図をロードすればわかるじゃんか!」


 ライコウの問いにヒツジは橙色の目を点滅させて答えた。 ライコウは自身のデータベースに膨大な情報を保管していたが、自分で情報を取り出す事もせずに何でもヒツジに聞こうとする癖があった。


 「おお、そうじゃった。 すまん、すまん……」


 そう言うと、ライコウは鉄仮面の面頬めんほおを下げて顔をおおった。 ライコウが顔を覆うと、眼前に薄暗いホログラムが出現した。 ホログラムには立体的な赤、青、緑の小窓が多重に表示され、その枠内には白や緑の文字や棒グラフ、円グラフ、メーターなどが表示されていた。


 「ふむ……。 ここはティルナング大陸の南東に位置しているんじゃの。 それで、ワシ等が目指す……」


 ライコウが手をかざし、指を動かすと眼前の白色の小窓が拡大されて、地上の地形を表示した。

 

 「ほう、ほう――『ダカツの霧沼むしょう』はここから北か。 西の『塩の台地』から迂回して『古戦場テヴェル』を越えた先――岩の山脈を越えたところか」


 ライコウが地図を確認していると、ヒツジが横から口を差し挟む。


 「岩の山脈は越えられないよ! 『ベトール』が襲って来るからね!」


 ヒツジの忠告にライコウはうなずいて「分かっておる。 当然、山脈の下の『ナ・リディリ』に立ち寄って、地底から山脈を越えていくのじゃろう?」と言って、ヒツジの言葉をさえぎった。


 「うん、そういう事。 それじゃ、現在地の把握も出来た事だし、取り敢えず『ナ・リディリ』を目指して出発しようか」


 ヒツジはそう言うと、足裏からジェット機のような火を噴き出して浮き上がった。

 

 「地上では空を飛べないから、今のうちに飛んでおこう」


 何故、地上では空を飛べないのか分からないが、ライコウも頷いて足裏から青い炎を噴き出して浮き上がった。

 

 「のう……。 もう一度聞くが、先ほどウサギの工場から関所まで何故飛んでいかなかったのじゃ?」


 ライコウはウサギの工場からこの出入口まで延々と歩かされたことに多少不満を持っていたようだ。

 

 「だ・か・ら! 歩きたい気分だったって言ってるじゃん! しつこいな!」


 ヒツジはライコウを一喝いっかつすると、バヒュンと上へ飛び上がり、あっと言う間に小さいハッチの前まで来た。 銀色のハッチには取っ手も何もついておらず、ただ小さいカメラが付いていた。 そのカメラから赤外線のような光が照射されると、ハッチが勢いよくバカンと開いた。


 「さぁ、早く! すぐにハッチが閉じるよ!」


 ヒツジが外へ飛び出すと、ライコウも慌ててヒツジの後を追った。

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