第17話 あの美しい方の息子

 踏み込んだのは同時だった。


 硬い音が弾けた。一度離れ、すぐにまた打ち込んだ。


 たった一合なのに、タキトスの手が痺れていた。

 いままで戦った相手とは、段違いの強さだった。

 だが不思議と恐怖心はなかった。

 タキトスの中で何かが変わっていた。


 キアノースが右へ踏み込めば、先に体が反応する。

 今までは捉えられなかった速さのはずだった。


 ——こいつをどう攻めよう。

 思うと同時に攻めていた。

 剣先がキアノースをかすめ、瑠璃色の羽根が舞った。

 羽根が落ちる前に、キアノースが飛んだ。

 滞空時間が長い。

 見上げながら、そういえばこいつは鳥だったなと思った。


 その足が地面に着く前に、戦いは再開していた。


 早い攻防戦だった。傍目にはどちらが優位なのかは分からないだろう。

 分かっているのは、二人だけだった。


 タキトスの中に不思議な感覚があった。

 恐怖心がないわけではない。

 集中力がないわけでもない。

 一合打ち合うごとに緊張感は高まるが、体の全ての感覚がクリアになっていた。

 今までよりも、全ての精度が上がっていた。

  

 一瞬の隙をつかれ、タキトスの剣が地面に叩き落とされた。次の攻撃はかろうじて避けたが、バランスを崩して倒れた。


「——!」

 悲鳴のようなムスティの息づかいが聞こえた。


 そんなに怯えることはない。

 あなたが思っているほど不利ではないし、弱いわけだもない。

 そう言いたかった。


 タキトスはつかんだ土をキアノースに投げた。

 キアナースが土を避けた隙に、足につかみかかり、引きずり倒した。

 だがキアノースはもう一方の足でタキトスを蹴ると、身を交わして再び剣を取った。


 タキトスも同じように剣を取って立ち上がった。


 タキトスの息は弾んでいたが、キアノースも同じだった。

 キアノースは一度剣を持ち直すと、少し低めに構えた。

 その唇の端に笑みが浮かんでいた。

 

「そうか、お前はあの方の息子か」

 

 なぜ母を知っているのだろう。

 なぜ息子だと気付いたんだろう。

 母は異界でも知られているのか。

 そもそも、異界とは何だろう。

 そう考えるのとは別に、体は剣を使っていた。


 どちらの体力が先に尽きるだろうと、タキトスは思った。

 おそらく自分だろう。

 異界から来たこの男とタキトスでは、根本の何かが違う。

 体力の消耗の仕方も、タキトスの方が早い。


 そろそろ決着を着けなければ、自分は負けるだろう。


 これが最後だというタイミングで、同時に踏み込んだ。

 また瑠璃色の羽根が舞った。


 キアノースが言った。

「私の羽根が少し落ちてしまいましたが、あなたの羽根も落ちたようですね」


 タキトスの腕から血が流れていた。


 タキトスは手のひらに流れてきた血をぬぐい、剣を持ち直した。

 二人とも肩で息をしていた。

 だがまだ決着はついていない。


 再び二人が踏み込もうとする寸前だった。


「待って下さい!」

 ムスティが手を広げて立ち塞がった。


「ムスティ、死にたいんですか!」

 タキトスは思わず叫んだ。


 だがムスティは、タキトスを背に立ちはだかったまま、もう一度キアノースに言った。


「僕たちがあなたを帰れるようにするから、少し待ってください」

 ムスティの顔は蒼白で、声も震えていたが、目はしっかりとキアノースに向けられていた。

 キアノースはゆっくりと剣を鞘に納めた。ムスティに向き直ると、どこか面白がるように言った。


「本当にできるんですか」


 その問いに答えたのは、ロソだった。

「できると思う」


 ロソはキアノースの前まで行くと、もう一度言った。


「タキトスができると思う」

「ロソが保証してくれるのか」

「わからないけど、できると思う」

「思うだけでは信用できないな」

 そう言いながらも、キアノースは興味深そうにロソを見ていた。


「ねえキアノース、アーネツは強かったんだ」

「知ってるよ」

「アーネツは草になった」

「それも知っている」


 ロソは懐に手をいれた。

 小さな手をゆっくりと開くと、そこには、やわらかな火がゆらゆら揺れていた。


 キアノースは顔を近づけた。


「……おお! これはアーネツだ。ロソ、なぜこれを持っている」

「鎧の中にあったの」

「しかもなんと若々しい力を持っているのだ。ずっと懐に持っていたのか」


 ロソは頷いた。

「アーネツに返してあげて」

「もちろんだとも。ロソの力を分けて貰えるなんて、羨ましい限りだ」


 キアノースは目を細めた。


「アーネツは元気になる?」

「間違いなく元気になる」

 キアノースは手の中の火を愛でるように見た。


「ではお礼に、私もいいことを教えてあげよう。ロソ、二人と額を合わせてみろ」

「額?」

「こうだ」


 キアノースは額をロソの額に軽くぶつけると、うっとりとしたような声でつぶやいた。

「ああ、こうするだけで体が高揚する。ロソの額に、あの美しい方の底知れぬ力が宿っている。それがあれば、ムスティもしばらくは異界の通路を閉じることができるよ」


 ロソは額を抑えた。

「——メイだ」

「メイだと」

 タキトスが小さく呟いた。


 ロソは言われるまま、ムスティの前に立った。

 額を合わせた瞬間、ムスティが「あ」と言った。

 ムスティは中庭をぐるりと見渡した。

 最後にタキトスと目が会うと笑みが広がった。


「よかった、塞がったよ」


 タキトスは額を合わせる前に、ロソに訊ねた。

「ロソはどうしてメイの名を知ってるんだ? メイという愛称を知っているのは、ごく親しい者だけだ」

「僕、メイに攻撃されたんだ。メイはすごく強いんだ。でも、すごく優しかった」

「……もしかしたら母上はロソより強いのか」

「メイは僕よりもずっと強いよ。僕はメイから息子を助けてって頼まれたんだ。息子ってタキトスのことだったんだね」


 ロソは謎が解けて嬉しそうだったが、タキトスは足元から暗闇に包まれていくような気がした。

 母はこのロソを手玉に取ったのだ。


「ねえタキトス、かがんで」


 タキトスは母のことをに気を取られながら、ロソと額を合わせた。


(……!)


 ムスティは塞がったと言ったが、タキトスは逆に、一瞬のうちに感覚が大きく広がった。

 これは母の——ランファンの感覚だった。

 意識を向ければ、そこにいる小さな虫の羽ばたき、池の蓮の花開く音、ムスティの心臓の音も聞くことができる。

 空を駆け、大気の一部になることもできる。


 果てしなく広がる感覚。

 恐ろしいと感じなかったのは、それがランファンの力だったからだろう。


 感覚は端から少しずつ狭まって行き、全てタキトスの中に納まった。

 長い間だった気もするし、一瞬のことだった気もする。


 誰かが手を握っていた。


 ムスティが心配そうにタキトスを見上げていた。

 喋るのがもったいないような感覚が、体の隅々まで行き渡っていた。

 だがムスティが心配していることはわかったので、その手を軽く握り返した。


 いつの間にか、血も止まっていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る