第4話 謎の攻撃 万事休す?

 二階の貸部屋は、ろくな用事に使われないらしい。

 テーブルと、椅子が二脚。

 あとベッドがあった。


 ムスティは顔をしかめた。

「ここ、臭いよ」

「ったくお坊っちゃんはしょうがねえな」

「早く理由を教えて」

「一つ聞いていいか? どっかの金持ちの恨みを買ったことはあるか」

「ないと思うけど」


 チトは首をひねった。

「だよな。だったら何であいつは……」

「つまりあなたたちを雇った人は、お金持ちだったんだね」


 ムスティはきびすを返した。

「おい! どこ行くんだ」

「誰かわかんないけど、お金持ちが僕を襲えっていったんでしょ? その感じだとそのお金持ちはあなた達に正体を明かしてないから、これ以上いても無駄だもん」

 四人は目を合わせ、チトの顔は凶悪になった。言外に小物だと言われたようなものだった。


 チトはムスティの腕つかみ、ベッドに投げつけた。

 ロソは窓の外から、思わず身を乗り出した。

 ムスティは一瞬、意識を失ったようだったが、すぐに意識を取り戻し「痛あー」と言った。


「よく喋る小僧だな」

「……なんかやばい感じがするんだけど」

 ムスティは半笑いになった。


「本当にやばいんだ。覚悟しろよ」

 チトが上着を脱ぎ捨てた。


「もしかして、やるつもり? こう見えても僕、男だよ」

「知ってるさ」

 ムスティは口の中で信じられないとつぶやくと、大きく息を吸った。


「ロソー! 助けてー!」

「いいよー」


 男達が一斉に振り向いた。

 男達の後ろにはロソが立っていた。


「てめえ、昨日のガキ」

「うん、そう」

 ロソは男達の記憶力を褒めるようにうなずいた。

 ムスティはロソの方へと走りよりながら言った。

「ああ、半分覚悟したよ」


「もっと早く呼べばよかったのに」

「いろいろ聞いてみたかったからなんだけど、僕もまだまだ交渉術ができてないみたい」

「おい、なに言ってんだ!」

「ムスティはね、なんで襲われたか知りたいんだ。そうでしょう?」

「その通り。ロソは賢いね」

「なに笑ってんだ! そのくらい俺らにもわかってたよ」

「知っているなら、なんで教えてあげないの」

「お……大人にはいろいろと事情があるんだよ、ガキ」


 ムスティは服を整えながら補足した。

「誰かに頼まれたらしいんだけど、教えてくれないんだ。ロソがきいたら教えてくれるかもしれない」

「ほんと?」


 四人は揃って気まずそうな顔をした。

「——教えてやってももいいが、言うと俺たちがやばいこといなる」

「内緒にしておけばわからないよ」

 ムスティが言った。


「世の中には妥協も必要だって、お師匠さまが言っていた」

「いい言葉だ。つくづくロソのお師匠さまは賢者だ」

「……勝手なことぬかしやがる。しょうがない、たぶんこのあたりの人間じゃないとしか言えない。たぶん貴族だ」

「貴族に知り合いなんていないけど……どうしたの、ロソ!」


 ロソの表情がガラリと変わっていた。瞳が金色に光り、髪が逆立っていた。


「どうした、坊主。なんか襲ってくるのか」

 うろたえたのは、チトたちの方だった。ロソは素早く答えた。

「何かおかしい。なに、このすごい音!」

 ロソは耳を抑えた。


「お、おい、どうした。音なんて聞こえねえぞ」

 おかしなことに、この音が聞こえているのはロソだけのようだった。

 ロソは崩れるようにうずくまり、耳を押さえた。

 まるで頭蓋骨の内側を、鋭い爪でひっかきまわされるようだった。


 きりのように細い音は、次第に勢いがついた滝のように広がり、低くなって、やがてチト達も耳を抑えて一人、二人と倒れていった。


 ロソは窓ガラスを叩き割り、転がるように窓の外へ飛び出した。


 部屋を出たとたん、音が止んだ。

 ロソはあっけにとられた。こんなおかしなことは初めてだった。

 周囲を見渡した。

 道を歩く人々はさっきと変わらないし、鳥も変わらずさえずっている。

 危機感も去っている。


 ほっとしたとたん、ものすごい吐き気が襲ってきた。どうやら怪音の後遺症らしい。吐いても吐いても気分は治らなかった。


「しまった、ムスティ」

 ロソは突然、新しい友人のことを思い出した。

 ロソは警戒しながら部屋に近づいた。部屋に近づいても、音は聞こえなかった。

 思い切って部屋の中に足を踏み入れると、やはり、音が聞こえた。音はこの部屋のなかでだけ、聞こえるのだ。


 音は少しずつ音程を下げていた。

 以前、麗しのお師匠さまが、ロソには他人の聞こえないような高い音や低い音も聞こえるのだと言った。真っ先にロソが気づいたのは、そのせいなのだろう。


 ムスティはさっきの場所にまだ倒れていた。

 鼻先に顔を近づけると、弱々しい呼吸が聞こえた。

 体は驚くほど冷えていた。

 ロソはムスティの体をかつぎ上げて、外へ出た。


「ムスティ、ムスティ」

 ロソは開いていた酒場の細いドアの間から水瓶を一本拝借すると、ムスティの顔にかけた。


「ムスティ、しっかり!」

「ん」

 瞼がかすかに震えた。


「ムスティ!」

「だれ」

「僕だよ、ロソ」


 ムスティはまぶしそうに目を開けた。

「ああ、ロソか」

「大丈夫?」

「あれ? なんで僕はここにいるんだ」

 ムスティは体を起こすと、きょろきょろとあたりを見た。


「よかった。ムスティ、しばらくここでじっとしていてくれる? 僕はあの四人の様子を見てくるから」

「四人って、あの四人組のこと? 放っておけば、そのうち気づくんじゃないの」

「でも、気になるから」


 ムスティはふっと笑った。

「逆恨みは作らないことにしているんだったっけ。わかったから、気をつけてね」

「うん」

 ロソは屋根の上へと飛び上がった。


 四人はまだ部屋の中にいた。

 ムスティよりも頑丈な分、回復も早いようで、既に起きあがっていた。

「ねえ、大丈夫!」

「なんだ——逃げたかと思ったら、帰ってきたのか」

「ムスティを避難させてきた。気分はどう?」


 チトは首を振った。

「最悪の二日酔いに近い。こんなのは十年振りだ」

「歩けるんなら、早くこの部屋を出た方がいい。なんだかこの部屋はおかしい——」


 ロソが言った時だった。


 突然衝撃がロソを襲った。


 ロソは間一髪で衝撃を避けたが、何かが腕をかすめた。

 そこが焼けたように熱かった。


「チト! 大丈夫?」

「あ——ああ、なにか当たったと思ったんだが——平気だ」

「熱くない?」

「いや、ただの風がかすめたぐらい。坊ずはどうだ?」

「僕は大丈夫。だから、早くこの部屋を出て!」

「あ、ああ」


 チトはなにがなんだかわからないようだったが、そこは命冥加いのちみょうがで、さっさと逃げた方が得策だと思ったようだった。


 ロソは四人が階下に降りたのを確認すると、ベッドの陰から窓の外を見渡した。


 辺りには、誰もいなかった。

 だが衝撃はロソがそうするのを待っていたように、突然襲いかかってきた。

 信じられない光景だった。突然虚空こくうに、なにかが膨らんだのだ。しかも衝撃は、壁をすり抜けてやってきた。


 ロソが横に避けると、衝撃が襲ったはずのシーツは、かすかにはためいただけだった。

 壁だけではない、衝撃を横切った小鳥も、衝撃をすり抜けていた。


 ロソは額の汗をぬぐった。

 衝撃はロソだけを狙っていた。


 物が盾にならないとすると、手狭な部屋や町中は、かえって命取りになった。

 ロソはその次の衝撃をかわすと、弾みをつけて窓から飛び出し、屋根から屋根へと飛び移った。


 衝撃を受けた部分が、焼けた鉄の棒を押しつけられたように熱かった。熱さはじわじわと菌糸のように広がり、倦怠感とともに腕から胴へと、ロソの体に広がっていった。

 体中から汗が吹き出し、同時に体力も流れ出ていった。


 ——お師匠さま!


 意識が遠くなった。もし今、次の衝撃が襲ってきたら、もうロソには避けることができないだろう。


 ——もうお師匠さまに会うことはできないんだろうか


 麗しのお師匠さまの顔が、瞼に浮かんだ。いつもロソを助け、慈しんでくれたお師匠さま。


 しかし、お師匠さまは今は遠い。


 脂汗が涙と共に頬を伝い、地面に落ちた。


 そして染みの上に、ロソも倒れた。

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