消えちゃえばいいのに(中)

「すごいね!」

「さすがー!」

「こんなことできるの陽葵ちゃんしかいないよ」


 次の日の昼休み。

 今日も今日とてクラスメイトたちの結束力は素晴らしかった。バリエーションの少ない台詞の羅列だ。よく飽きないものである。


「そんなことないよ。たまたまだよ」


 陽葵は曖昧な笑みを作ったが、彼女らの変わらぬ調子で、


「出た出た、優等生発言!」

「じゃあ私たちなんなんだよー」

「嫌味なんじゃない?」


 ほら、またこうなる。

 いつもこうだ。

 陽葵が何か言えば、何を言っても、彼女らはすぐに騒ぎ出す。


 普段なら陽葵はこのような言葉を受け流している。否定しても無駄だとわかっているからだ。

 でも今日は馬鹿笑いが妙に不愉快に感じて、うっかり言い返してしまった。


「……嫌味はそっちでしょ」


 ぽかん、と彼女らが呆気にとられた顔をした。


「なにそれ。私たち褒めてるだけなのに。ね?」

「そうそう」

「嫌味に感じるってことは。何かずるいことやってんじゃないの?」


 ああ、ミスった。

 陽葵が後悔する間にも、彼女らはきゃっきゃと下卑た声を発した。


「そういえば、陽葵ちゃんのお母さんってアレだもんね」

「てか陽葵ちゃんもやってたりして」

「え、何の話?」

「あれお前知らない?」

「男に言うこと聞かせられる魔法の話」

「ああそういうこと? ガチ? やば」


 耳障りだ。

 本当に本当に耳障りだ。


「……そんな魔法ないよ。本物も見たことないくせに」


 気づけば、陽葵はそのようなことをぼやいてしまっていた。

 ――お姉さんは、魔術と言っていたのだったか。

 それが良くなかった。


「本物?」

「やば。本物だって。おもろ」

「チューニビョーってやつ?」


 新しいネタを見つけた、という反応だった。


「いやぁ、ほんと。流石だね、陽葵ちゃんは」

「すごいよね。私には真似できないや」

「恥ずかしくて?」


 げらげらと、聞くに堪えない笑い声。


 陽葵は席を立った。

 逃げるようで癪だが限界だった。図書室にでも行ってやり過ごすことにした。


「あれ、どっか行っちゃった」

「せっかく楽しくお話してたのにね」

「ねー?」


 背後の声に一切耳を貸さずに廊下へ出た。

 その直前、廊下側の一番後ろの席に座ったおとなしい女の子と目が合った気がした。見られていたのかと思うと、行き場のない感情が沸き上がってきた。


 陽葵は誰にも見られないよう周囲を見てから、リノリウムの床を思い切り踏みつけた。二度、三度と繰り返したが、気分はちっとも晴れなかった。


    ◇


「お姉さんの魔眼で、人間って消せるの?」


 放課後、陽葵は昨日の川辺を訪れた。

 そして今日もそこにいたお姉さんに、そう訊いた。


「えっ……というか、何故ここに?」

「なんとなく」


 戸惑うお姉さんに構わず、陽葵はまたその隣に座った。


「……うう、練習場所変えたほうがいいんでしょうか」

「知らないけど。それで、消せるの? 人間」

「え、えっと……」


 お姉さんは返答に困っている様子だった。

 でも陽葵はむしゃくしゃしていたので、構わず言葉を続けた。


「馬鹿ばっかりなの。私のクラスメイト。寄ってたかって人を貶めるのが、楽しくて楽しくて仕方ないみたいでさ」


 陽葵が言うと、お姉さんは驚いたように目を瞬いた。そして、躊躇うような間を置いて訊いてきた。


「……もしかして、いじめられているんですか?」

「いじめじゃない」


 陽葵は即答した。


「私は普通にしてるだけ。それなのに普通のことすらできないやつらが、自尊心を守ろうとして必死なの。そんなんで他人に迷惑かけんなよって感じ。どいつもこいつも救えないクズばっかり」


 言葉にすると、それは思っていた以上に度し難いことのように感じられた。

 どうしてあんなやつらのせいで、こんな思いをしなければならないのか。


「お姉さんなら消せるんじゃないの? ああいうゴミみたいなやつ」


 半分冗談、もう半分は願望から尋ねた。

 お姉さんはしばらく言葉を選ぶように考え込んでから答えた。


「そんなこと、考えちゃ駄目です」


 想像以上に、力強い言葉だった。


「消してしまったら、自分はそれよりももっと価値のある人間にならなければなりません。消した数だけ、自分の心が重くなるんです」


 陽葵は思わず大きな溜め息をはいた。

 つまらない説教だ。そんな話が聞きたかったわけじゃない。


「それなら平気。あんなやつらより私のほうが価値は上だから」

「いいえ。そうではないんです」

「何?」

「消してしまったら、人殺しになります」

「……」

「人の価値なんて、私にはわかりません。でもやり返したら同類になりますし、殺せば人殺しになるのは確かです」


 人殺し。強調するように、お姉さんはその言葉を繰り返した。


「お姉さんは人殺しにはなりたくないってこと?」

「私じゃありません」


 お姉さんは、陽葵を真剣な目で見つめた。


「もったいないです。せっかくこんなにかわいいのに、悪者と同類なんかになる必要ありません」

「……じゃあ、あいつらにいいようにされても我慢しろってこと?」


 確かに、あんなやつらと同類なんて嫌だ。

 でも、


「まるであんなやつらに私が負けてるみたいで、みじめで。あいつらばっかり、なんの報復も受けないで」

 

 そう、みじめだ。それが堪らなく嫌だった。

 あの程度のやつらにいいようにされていると思うと、我慢ならなかった。 


「それでも」


 と、お姉さんは言う。


「いつか、頑張っている自分を見てくれる人が現れます。私は十六年かかりました。たぶん、早い方だと思います。でもいつか訪れるそのときのために、手は汚さない方がいいんです。一度そうしてしまったら、取り返しがつきません」


 その言葉は、正しいのかもしれない。

 でも綺麗ごとだと思った。

 誰がなんと言おうと、あいつらが何の報復も受けずに馬鹿笑いしているのは気に入らない。やり返してやりたい。酷い目に遭わせてやりたい。殺してやりたい。そう思ってしまうのを我慢できない。


 陽葵がそんな思いでいると、お姉さんはさらりと続けた。


「私は、もう手遅れですから」


 言葉をかき消すように、一陣の風が吹いた。

 遠くを見つめるその目に、陽葵は何も言えなくなった。

 その瞳は、どんな言葉よりも雄弁にその後悔を語っていた。どういうわけか、そう思えてならなかったのだ。


「なーんて、あんまり偉そうなこと言える立場じゃないんですけどね、私。周囲の大人に恵まれたというのもありますし」

「大人……ね」


 感情がさらに冷めていくのがわかった。


「うちのお母さんは、私のことなんか気にしないよ」


 そして父親はいない。


「私がどんなにいい成績を取ったって、寄り道して帰るのが遅くなったって、あの人は気にもしてくれない。そういう人なの、あの人は」


 だから、家に帰るのは憂鬱だ。


「ここにきたのもそれが理由。もう少し時間を潰してから帰れば出勤の時間だから、顔を合わせずに済む」

「……」

「バカなんだよ、あの人。頭がいいだけのクズ男にいいようにされて、後先考えずに私を産んで。だから生活にも苦労して……頭を使うってことを知らないし、努力することの辛さも知らない。だから、私が何をしてもあの人には響かない」


 ――陽葵はお父さんに似て頭がいいね。

 母親がいつも言うその言葉が、陽葵は大嫌いだった。 

 でもそんなふうに思ってしまう自分も嫌いだった。この性格が母を捨てた父親譲りなのかもしれないと思うと、吐き気がした。


「……すみません。無神経でしたね、私」


 お姉さんは何も悪くないのに謝ってきて、陽葵は余計に苛ついた。

 ほんと、消えちゃえばいいのに。何もかも。

 



 

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