咎人と飼い主の魔術事件簿

伝々録々

或る事件の幕引き


 ――捕食者は、どちら?


    ◇


 

 その様を、男は下卑た笑みを浮かべて見物していた。


 男の影は食いしん坊だ。


 おいしそうなエサを見つけると途端にかぶりついて、その肉体を貪り食らう。

 でも影は所詮影でしかないから、体に傷はひとつもつかない。一滴の血も出ない。


 それなのに、食われた人間はいつも最終的に死んでしまう。


 いったいどういうことかというと、



「あああああああああああああああああっ!」



 痛いのだ。


 影が咀嚼している間、餌は決まって絶叫する。自分の体をかきむしりながら痛みに耐え、雑巾を絞ったみたいな涙を流し、自分の頭をコンクリートの地面に叩きつけながら発狂し、やがて死によってその地獄から解放される。


 影にとって人間は餌だ。初めから抵抗できるようには作られていない。


 そうして精魂尽き果てた餌が死んでしまうと、影は満足しておとなしくなる。



 男はそんな影の食事を見るのが好きだった。



 水族館のペンギンショーと同じ娯楽の部類。しかし違うのは捕食者だけでなく餌までもがダイナミックにリアクションを取るところで、そこが男の好みだった。


 気づけば世間ではなどと騒がれていたが、正直言ってどうでもいい。


 だって、死因が影に食べられたことだなんて、誰も気づかないはずだから。



「ああっ、あ、ん、ああああああああああああ」



 今日も今日とて影の食欲は絶好調だ。 

 耳の奥を貫くような少女の絶叫に、男はしばし酔いしれる。


「ああ、あっ、はぁ、ああああああああああああ、ん、ぁあ、ああっ、ぁ……」

「あらら、これはちょっと下品すぎるかなぁ。まあ、たまにはいいか」


 路地裏で這いつくばる少女を見下ろし、男は満足げに笑んだ。

 だがそのとき、が起きた。


「いひひ」


 聞き間違いか。最初はそう思った。

 だが違った。


「あは。……はっ、あっ……ああぁ、ぁ、うふ、ふふふ。あははははは」


 少女は笑っている。

 痛みを堪えるように喘ぎながら、確かに笑っている。


「おぉ、どうしたいきなり笑い出して。痛みで頭が狂っちまったか?」

「あは、ははは」


 まだ、少女は笑っている。

 男は眉を顰めた。

 何か、様子がおかしい。


「あはははははは、ひひ、はぁ、ああっ……ふふふふふふふふ」


 痛みがないわけではないだろう。

 そのはずだ。

 だが少女の体が震えているのは、痛みのせいではないように見えた。


 たとえば


 餌であるはずの少女の全身を震わせているのは、そのような感情なのではないか。

 どういうわけか、男にはそう思えてならなかった。


(何を馬鹿な。……そんなわけ、ねえだろ)


 男が自分に言い聞かせた、そのとき。


 ふらり、と。

 ふいに少女が立ち上がった。よろめきながら。


 思わず一歩後ろに退いた。条件反射だった。

 そんな男を、少女はジロリと見た。


「あれぇ、どこか行っちゃうんれすか?」


 呂律が回っていなかった。やはり痛みでおかしくなっているのだ。

 ……なっているはずなのだ。

 それなのに、


「困りますよぉ、ちゃんといてくれないと。……だってぇ」


 少女の口元は、どう見ても三日月形に歪んでいて。




「――だって、こんなにうまくいったのに」




 その瞬間、暗闇に光の線が浮かび上がった。

 それは魔術陣と呼ばれる幾何学模様。


 少女は笑っている。

 歓喜に体を震わせている。


「ああ、そうか」


 男は気づいた。

 特別な力を持っているのは、男だけではなかった。

 この瞬間を楽しんでいたのは、男だけではなかった。

 他人をショーの道具としか見ていないのは、男だけではなかった。


「餌は……俺の方か」


 そうして、













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