2018.11.11:ポッキーの日


──春風紗妃と出会う、半年前の話────


 

「汐見。今日なんの日か知ってるか?」

「? 今日?」

「そう、今日!」


 俺は頭にクエスチョンマークが飛んでいるであろう汐見をみて感慨深かった。


 今日は11月11日。

 そう! あの日だ!

 あの日ってなんだ!


 ポッキーの日!だッ!


 ポッキーゲームを公然とやっても許される日。


 つまり!

 俺の下心を隠しつつ、汐見の顔面を間近で見るチャンス!

 なんだったら、接触事故を起こしても


『ああ、事故だしな』と汐見に納得させることが! できる!

 そういうイベントだ!


 俺の誕生日は来週に控えているんだが、平日だし、そもそも来週から2週間くらい出張で祝われる俺がいない。

 ということで今日は急遽、俺の家で前倒しプレ誕生会をやってるところ。



 なぜ今日になったのかというと、昨日の会話までさかのぼる。



   ◇◇◇



 会社帰りの前に開発部に寄ったとき。

 汐見が帰宅前の作業をしている横で、俺は汐見がPCモニタ上に高速で打ち出していく呪文のような英字の羅列を眺めていた。


『そういえば、佐藤。お前、来週誕生日じゃないか?』

『? ……あぁ、そうだったな』


 忘れていたわけじゃないが、汐見の誕生日にはちょっと奮発したおしゃれなレストランでのフルコースを奢るのが定番だ。俺の誕生日はというと、まぁ、俺が汐見と2人っきりになりたいもんだから俺の家で2人で誕生会をすることが多かった。


『お前なぁ……誕生日くらい、彼女と祝えよ……』


 渋る汐見に、毎年のように言うセリフを昨日も言ったんだ。


『彼女とは誕生日以外にたくさん会ってんだから、いいんだよ』


 まぁ、それは真っ赤な嘘なんだが、とにかく俺の記念日には極力、汐見と過ごすようにしている。

 汐見に知られないように。


〝いや、お前が恋人だったら一石二鳥だったんだよ……いや……二鳥どころじゃないな……〟


 まぁ、嘘をついていたのは汐見にだけじゃなくて、その時々で付き合ってる彼女にも、なんだけど。


『ごめんな。俺、誕生日は家族と祝うことになってるからさ』と言って。毎年。毎年違う彼女に。


 まぁ、相手だって、自分が本命じゃないことを知ってただろうし、彼女の方も本命がいるパターンも多かったので毎回ことなきを得ていたんだ。

 で、その流れで。



『俺、来週出張で2週間いないんだよ。汐見がよければ明日、俺の家で軽くプレ誕生会しないか?』

『なんだよ、【プレ】誕生会って……』

『いや、誕生会本番は、俺が出張帰ってきてからやるってことにして、その前に』


 怪訝そうな顔をした汐見に


『……お前、自分の誕生祝い、2回やるつもりか?』


 そう言われ


『ん? そうだけど? だめか?』


 俺は小首を傾げて見せた。はぁ、とため息をつきながらも汐見は


『まぁ、明日は何もないからいいか』


 俺の提案を毎回、受け入れてくれる。


『っしゃ!! 今、家に取引先からもらったワインもあるからさ!』

『ふ~ん……』


 汐見が最近ワインにハマっていることを知っている俺は、最後の殺し文句で、なんでもない平日に汐見を俺の家に誘き出すことに成功したわけだ。



   ◇◇◇



 で、本日。11月11日金曜日。


 もちろん、ワインをもらったってのは方便だったけど、汐見が好きそうな軽めの辛口の赤を本当に用意しておいた。

 そして、今。

 ワインはほぼ空になり、ローテーブルに置かれた俺が用意した夕食兼つまみも空き皿だけでほとんど残っていない。

 程よく酔ってる汐見が俺の目の前で、床にあぐらをかいて、ソファの足元に座っている……

 もちろん、俺はその隣にいて、汐見の酔ってる姿を視覚で堪能しているわけだ。


 汐見は酔うと、少し顔が赤くなる。

 俺が日本酒を飲んだみたいに、真っ赤ってほどじゃないけど……

 ほんのり……うっすらと赤くなるんだ。

 その時の表情は……なんだ、その……言葉に尽くし難いほど…………エロぃ……


〝この状態で手を出さない俺、って相当紳士だよな。適当に引っ掛けた女だったらもうベッドに運んでコトに及んでるぞ……〟


 汐見曰く

『酒は好きなんだけど、顔だけじゃなくて体も所々赤くなるんだよ……みっともないから……』とのことで俺の家での宅飲み以外では、深酔いするほどは飲まない。


 ……俺はというと、その酒に酔って赤くなった汐見の全裸を見たい!と思っている。毎回な、毎回。……なんてことは、汐見には絶対言えないけどな!


「ん~……」


〝今日はお泊まりコースだな……ベッドに運ぶ前に……トイレで抜いておかないと……〟


 汐見は酒癖は悪くないが、酔うと眠くなる体質で、俺のマンションで宅飲みするときは基本、俺の家に泊まって翌日朝遅くか、昼頃帰る。

 まぁ、そのために俺は中古ではあるが居心地の良さそうな(汐見のアパートもモゴモゴできる)分譲マンションを購入したわけだけど。


「汐見。そろそろ、ベッドに移動するか?」


〝……このまま、触っても多分、覚えてないんじゃないか?〟


 酔ってる時の記憶があまりない汐見に、何かやってもバレないんじゃないかとは思いつつ、だが実際に実行したことは未だかつてなかった。

 万一、汐見の記憶が残ってたりしたらもう汐見に嫌われて人生に絶望する将来が見えるからだ……


〝いや、汐見の同意なしでそういうことするのは……〟


 座ったまま動く気配のない汐見の状態を確認しつつ、目を伏せている汐見をじっくり観察していた。


 メガネの奥の鋭い眼光は閉じられ、伏せたまつげが、俺ほどじゃないけど意外と長い。

 酔って少し暑かったんだと思う。いつの間にかシャツのボタンが上から3つほど外されていて、鎖骨の中央部から下の胸筋の谷間が俺を悩殺する。


〝エッロ……!〟


 頭が少し斜めに傾いているため、汐見の耳下から鎖骨に伸びる筋が強調して晒され、そこもほんのり赤くなっている。


〝触れたい……〟


 そっと、手を伸ばそうとしたところ

 ガッ! と汐見に手首を掴まれた


〝やべっ! 気づいた?!〟


「あ。すまん……つい反射で……」


 まだトロトロとした視線で、重そうに瞼を開けながら汐見が弁解する。

 眠気と戦いながらも反射で目の前に出された手を掴むなんて、どこの刺客だよ……と思うが、そこも


〝いい……〟


 こうなると、もう汐見だったらなんでもアリだ。俺は手首を掴まれたまま、汐見がシラフの時にはできないこと───汐見をじーーーっと鑑賞する───


 目元もうっすら赤くて、今日は唇まで赤く見える。


〝さ、誘ってる……わけ、ないよな?〟


 ドギマギと脈打つ心臓の音を聞きながら、汐見に限ってそんなことがあるはずがないのに、ともすると自分に都合よく解釈してしまいそうになる自分に叱咤する。


〝いや、違うから! 汐見は酔ってるだけで……酔ってる……はっ! だったら今チャンスか?!〟


 汐見は酔ってる時、普段の冷静沈着な汐見ではありえないようなことを要求しても、全然拒否しない。

 なら!!


〝ポッキーゲームだ!!!〟


 まるで世界の大発明のごとく閃いた俺は、すっくと汐見のそばで立ち上がり、リビングからキッチンに迅速に移動した。


〝今朝、ギャル女子社員から1箱もらったんだ。ラッキーなことに! これは日頃の行いの良さのせいだ! 絶対!〟


 俺は、酒で意識が曖昧な汐見を利用することにした。

 いや、利用ってのは言い方がよくない。


【酔っ払っちゃった汐見とふざけてポッキーゲームをすること】にしたんだ。


 ……どっちにしても、俺の発想は【かなりヤバい人】だ……うん、一応自覚してる。


 だがこの際、そういうことを今は考えないでおく。こういうのは


〝正気に戻ったら負けだ!!〟









 という諸々があった末で、冒頭のセリフだ。



「汐見。今日なんの日か知ってるか?」

「? 今日?」

「そう、今日!」


 酔った汐見が顔を傾けて首すじを晒しながら、半分しか開かない蕩けるような視線で俺を見つめ返す。


〝エッッッロ!!〟


 本日、何度目か覚えていないほど、汐見のエロさ加減を確認しながら、汐見のエロさを神様に感謝する。

 汐見が酔ってるときだけ、俺は自分のものがはちきれんばかりにテントを張っていても気にしない。

 なぜなら、その時のことを汐見は覚えていないから。


〝俺のズボンの前が膨張してたことなんて忘れてる〟


 それはすでに何度かあるチャンスで検証済みだったから、俺の家で宅飲みして酔っ払った汐見を介抱がてら観察するのは俺のご褒美タイムになっていた。


「……きょう……きょうって……」

 

 呂律が回り損ねている汐見を見ると、もうそれだけで頭がスパークしそうになる。


〝お前、俺が狼だったらもう大事なナニかを喪ってるところだぞ!〟


「ポッキーの日だよ!」

「ぽっきぃ……」


〝神様、汐見をこんなに色っぽく誕生させていただいてありがとうございます。今日、事故があっても事故ってことで汐見の記憶からそこだけ消去しといてください!〟


「だからさ、ほら」


 俺はビターチョコレートのポッキーを取り出してその端っこを自分の口で挟むと、その反対を汐見の目の前に差し出した。


「?」

「見たことないか?」


 ポッキーを口に挟んだままではしゃべりにくいが、この際そんなこと言ってられない。


〝真の目的を果たすまでは!!〟


 謎の使命感に駆られた俺は


「??? ナニが?」


 酔っ払い相手に説明を始めた。


「こうやってさ、お互いに食べあっていって、最後までポッキーを離さなかった方が勝ち、ってゲーム。知らないか?」

「……おぼえてない……」


〝いや、そこは「知らない」だろ。相当酔ってるな……〟


 汐見は重そうに目を瞬かせると


「なに……」

「この端をさ、汐見が咥えるんだよ。やってみ」


〝一か八かだ……!〟


 汐見が何も覚えていないくらい酔っているなら、この誘いに乗ってくるだろうし、明日になったら忘れてる、はずだ!


 そう思った俺は、汐見に差し向けたポッキーの端を揺らした。


 すると……


 パク


〝!!!〟


 汐見がまんまとその端っこを口にして。


 パキッ


「おっ、おい!」


 そのまま真っ二つに折ってしまい、むしゃむしゃと食べ始めた。


「おい~。そうじゃなくて」

「お、これウマいな。ワインと合うんじゃないか?」


 そう言い出した汐見が俺の手元にあるポッキーの箱を覗き込み


「もっと、食わせろ」

「ちょ、じゃなくて!」


 酔っ払いにルールを説明したところで理解できないんだろう、と思ったが、はたと思い


「! ……わかった!じゃあポッキーゲーム5回戦に勝ったら、箱ごとやるよ」


 俺は更なる大発明をした!


「かつ?」

「そうだ。ポッキーゲームの勝者は、最後までポッキーを離さなかった回数が多い方だ」


 俺も最後まで離すつもりはない。つまり……


〝キスするくらいじゃないと、汐見は俺に勝てない!〟


 あまりのナイスアイディアに俺が内心ほくそ笑んでると、


 汐見は半開きの目をしたまま


「わかった」


 とだけ言って、俺たちは2人っきりでポッキーゲームをすることになった。


 まぁ、これだけ言えばわかるだろう。


 そう。


 ……俺は4回とも連敗した。


〝だってな! だって! 汐見の顔面が近いだけで! 鼻血出そう!!〟


 汐見の唇が触れそうなくらいの至近距離に来ると、俺はつい、離してしまうんだ……

 我ながら……これほどだったのか……と、汐見に対してのチキンぶりに自分で自分に腹が立った。


 最後の一本。


 俺は、もう負けてもいいか、と思いながらポッキーを咥えていると、汐見が


「これ、おまえもはなさなかったら、キス、する?」


〝……今きづいたのかよ、この酔っ払い……〟


「そう、なるな……」

「なんだ、おまえ……オレとキスしたいのか?」

「え?!」


 目が座ったままの汐見はそう言うと、チョコのかかった反対側を咥えて勢いよくポッキーを齧り始め……

 俺が離す間もなく……


 むちゅ と唇が接触した。


〝!!!!〟


「ばーか」

「!!!!」


 ニヤっ、と笑った汐見はそう言って


 バタン と仰向けに倒れた。


 ……ポッキーゲームは強制終了した。


 俺はというと……


〝うっそ……?! うそ、嘘だろ?! 俺、今!!!!〟


 汐見が酔っ払っていたとはいえ……

 ……汐見との初キッスはビターチョコレートの味がした。


〝っあ~~~~!! ……どうせ、覚えてないんだろうな!……けど……!〟


 2週間、汐見の顔を見れない出張も、汐見との接触事故のおかげで機嫌良く過ごすことができそうだと思った。


 事実、その2週間の間、出張先での俺のおかずは、あの時の汐見のビジュアルと唇の感触だけだったわけだけど、それでも。


 大いなる幸せを噛み締めていた。




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