老夫婦去る
Jさんの家の向かいには、老夫婦が住んでいた。
とても気のいい夫婦で、ご主人はいつもニコニコして地域の子どもにも優しかった。
奥さんはJさんの奥様に、町の昔の話をしたり、地域のゴシップを話したりして面白く親切な人だった。
こんなご夫婦が近所で良かった。
子どもの小さなJさん一家は喜んだ。
三年ほどの月日が経ったころ、様子が変わってきた。
お向かいの老夫婦はいつもの笑顔が消え、暗い顔をするようになった。
ご主人は家に籠り、外に出なくなった。
奥さんは、やたら近隣の住民が自分に対して嫌がらせをする…そんなことを言い始めた。
奥さんの話す内容に、若干の矛盾や、つじつまの合わない点が見えた。
Jさん夫婦も、「認知が来たのかな」と訝しみ始めた。
老夫婦は段々と人を避けるようになっていった。
奥さんに関しては、相変わらず、周囲の人間や何か悪い存在が、自分を追い出そうとしている…そう思い込み、主張した。
段々と、Jさん夫婦も老婦人に話を合わせるのが辛くなってきた。
やはり周りの人間を悪く言う事もあるので、下手に同意できないからだ。
そんな心配をしていると、老夫婦は養護老人ホームに引き取られた。
息子が手配して手を打ったのだった。
「もう、おふくろの認知もひどくなって、近所の人ともめ事起こすようになったんでね…ホームに移すことにしました。今までお世話になりました」
息子さんはJ夫妻にそういった。
Jさんの妻は、
「残念ね。すごくいい人だったのに。近所の人が嫌がらせするとか、悪い人が家を追い出そうとしてくるとか…被害妄想が発病しなければねえ…」
とJさんに言った。
Jさんもいい人で好いていたので、なおの事残念だった。
ある日、Jさんが夜遅い仕事を終え、帰宅していた。
家が片付けられ、カーテンすら外された老夫婦の家が、闇に浮かんでいる。
カーテンがないため、家の中まで月明りで覗けるのだった。
Jさんは身がすくんだ。
暗闇の中、二階の窓の向こうに、背は2mはあろうかという長身で、身体は枯れ木のように細い人が立っていた。
その人物は、暗い中で、真っ暗な深淵を思わせるような目で、Jさんの方を見ていた。
Jさんはパニックになって、家に逃げ帰った。
奥様が慌てて玄関に来たので訳を話す。
奥様は言った「まさか…それが『悪い人』かしら…。認知から来る妄想だと思ってたけど…。そういえばね、今日回覧板が回ってきたんだけど…老夫婦の名前のところ、カッターか何かでズタズタにされてたのよ。それでも、だれも何も言わず、ハンコをついて回覧を回してるのよ…」妻は言葉を詰まらせながら言った「いやがらせって話も、あながち…ウソではないのかも…」
Jさんは、それからというもの、あまりコミュニティの問題に深入りしなくなった。近所付き合いは極力減らしているそうだ。
【おわり】
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