その29


 学園での旧校舎。生徒達の認識はちょっと不気味な所である。


 曰く、興味本位で侵入した数人が、翌日には帰らぬ人となったり。

 曰く、悲鳴に近しい甲高い女性の声が、深夜に鳴り響いたり。

 曰く、不気味な光が窓際を通過し、髪の長い亡霊がうっすらと見えたり。


 そんな場所は人が無意識的に寄らないため、誰かを呼び出すのには適している。


 僕は学校の午後の授業が始まる鐘を聞きながら、旧校舎の古びれた小さな教室で、待っていた。


 以前に緑仙先輩とクレアに催眠された場所であり、彼女達であればこの場所を知っている。


「さて、そろそろ来てもおかしくないんだが……」


 扉が開き、緑仙先輩が現れる。以前の怪訝そうな視線から、催眠アプリで記憶を上書きする前の、目尻が下がった蕩けそうな眼つきになっている。


 僕はその姿を見て「予想通りで良かった」と告げて、彼女を手招きする。

 記憶を改変するには条件がある、それは今までの記憶を削除することだ。


 例えるなら、人の脳内はタンスである。記憶という名の服や下着、へそくりやタオルを仕舞うのだが、その量には上限がある。


 記憶を改変するのであれば、タンスに入っている中の一部を捨てて、別の物をその代わりに仕舞う。


 だが、記憶の上書きというのは、タンスの中に無理やり服を詰め込むようなものだ。徐々に余分な物が溢れてきて、余分な服やいらないものに気づく。


 人によって記憶の容量は異なるけど、中二病で僕に対する色濃い感情を持つ緑仙先輩であれば、上書きされた記憶が数日ほどで元に復活すると思ったのだ。


 目の前に対峙した彼女に、僕は微笑みを浮かべて。


「お久しぶりです、緑仙先輩」

「まさか本当に一人になって汚名を被るなんて……好き」


 緑仙は瞳にハートを浮かべて、頬を両手で押さえながら、うっとりとした光悦の表情を浮かべた。


 相変わらずの反応に僕は安心して、緑仙先輩に事情を話す。


「催眠アプリを管理し運営する人を見つけました、先輩はだいぶ催眠アプリに関わっているので知る権利があります。どうしますか?」

「もちろん聞かせてよっ、せっかく新婚夫婦が夜の営みでマンネリしかけたときの催眠プレイが本当に出来るんだから、感謝くらい言わないとね」

「新婚夫婦の件はスルーしますが、催眠アプリが原因で学園の騒ぎが起きたんですが……」

「でも催眠アプリが無ければ私達が合うことは無かったじゃない? 運命の赤い糸を結んだ天使といっても過言じゃないよ」


 緑仙先輩の言葉にも一理あるが、それ以上に催眠アプリが原因で僕の日常を狂わした。


 多少僕にも原因があるのは理解しているが、そもそも催眠アプリさえなければ学園全体を巻き込むこともなかったし、ましてや緑仙先輩やクレアに纏わりつかれることも無かった。


 半ば八つ当たりだと自覚しているが、感情に従うのが人間だ。僕は僕の信念を貫き通す。


「クレアは先輩よりも後だと思っていたが、これ以上時間を使うのは面倒だし……ちょっと緑仙先輩、写真いいですか?」

「いいよ、せっかくなら盛って可愛くしてね」


 僕は彼女をスマホで撮ると、煽り散らかす顔文字と一緒にクレアに送信する。


 数分経過し、ドタドタと豪快な足音が近づいてくる。開いている扉に、汗を付帯から流したクレアが登場した。


 僕と緑仙先輩が椅子で雑談しているのに気づき、焦ったようすのクレアは鬼の形相で近づいてくる。


 僕は顔を向けて「久しぶり――」だな、と言おうとして後方に吹き飛ばされる。クレアから飛び膝蹴りをくらったからだ。


 僕はクレアに馬乗りにされる。彼女の拳が勢いよく振り下ろされて、


「あれ? なんで私……」

「よ、ようやく戻ったか。とりあえず僕の上から退いてくれ」


 クレアを持ち上げて横に移動させる。僕は立ち上がり砂埃を払うと、床で女の子座りをしてきょとんとした顔の彼女にも質問する。


「催眠アプリの生みの親を見つけた、クレアにもだいぶ世話をかけたからな、知る理由はあると思って」

「絶対に教えてもらうわよッ⁉ まだ、ワタシは緑仙がアンタに催眠やら洗脳をされてると思ってるからね。原因の正体を知って、どうにかしてもらうわよ」


 クレアは顔を赤くして立ち上がり、僕に詰め寄ってくる。


「私のことを忘れてなーいっ⁉」


 緑仙先輩が椅子から立ち上がり、僕とクレアの間に入ってきた。滲み寄ってくる彼女達から急いで距離をとり、僕はスマホ片手に催眠アプリを起動する。


「命令。僕が良いと言うまで、隣の教室で待機!」

「私は都合の良い女じゃ……かもしれないね」「ワタシはあんたの言うことを聞くオモチャじゃないぞ!」と、緑仙先輩とクレアがくるりと方向転換をして教室から出ていった。


 一人になり心が落ち着いたところで、僕はスマホである人物を呼び出す。電話をして数回のコールの後にガチャリと出て「……」と無言で切られた。


「これで僕が管理人の正体を知ったと分かっただろう」


 時間が5分ほど経過し、コツコツとゆっくりと近づく足音が聞こえてきた。

  

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