第5話 不穏な影

代り映えのない毎日を繰り返し、リアは十七歳になった。


ヴェルタの聖女のもっとも重要な仕事——水清めの儀。

それは、神殿の最奥にある生命の間で取り行われる儀式で、毎日必ず行われる。


円形にとられた空間の中央に、石で作られた古い井戸がある。

天窓からは朝日がきらきらと差し込んで来る。

井戸であるのだが、そこを満たす水は、縁ぎりぎりまでせりあがり、その水面に触れることも容易い。光を弾くような透明な水が満ち、その水面は常に凪いでいる。


ここに、自ら持つ水清めの力を注ぎ込むのが、ヴェルタの聖女の仕事だ。

朝夕に行われる祈りなどは特に大きな意味はない。


その日、いつものように水清めの儀を終えたリアは、生命の間の外で待つゲルトの元へ急いだ。今日はこれからゲルトがパンを焼いてくれるという。リアはゲルトの作るパンが大好きだった。礼儀を欠かさないような足取りで扉に飛びつき鍵を開け、顔を出すと、何やら騒がしい。


「あっちの方が騒がしいね。何かあったの?」


扉脇の壁に、背を預けて腕を組んでいたゲルトは、眉を上げた。


「確かに。珍しいな」


神殿内は、人が極端に少ないこともあり、いつも静謐な空気で満たされている。

耳が痛いくらいの静寂を感じることもあるくらいだ。


だのに今日は、数人の話し声や、かつんと響く足音がいくつも重なっている。

二人は横に並んで歩き出した。

磨かれた石床は、歩くたびに音を響かせる。


聖女の正装は、いたってシンプルだ。真っ白なワンピースで、裾や袖はゆるやかに広がっている。襟は詰襟で、袖は手首、スカートの裾は足首まで隠す。胸より少し下には、金糸と銀糸を編んだ紐を結んでいる。装身具は、ラピスラズリの首飾りだけ。

着飾るのが禁止されているわけではないのだが、もともとリアはお洒落に疎いし、そもそも神殿から出ず、来客も皆無の生活を送っているので、着飾る必要性などない。

首飾りは、聖女になったときに、ゲルトが送ってくれたものだ。


『リアを守ってくれますようにって』


黒い紐に、歪な青い石のついた首飾りを差し出して、ゲルトははにかんだ。

俺が磨いたんだと付け足して。

リアは感動のあまり飛び上がったのを覚えている。

それからというもの、毎日身に着けている。


『磨き方が良くなかったな……作り直したい』


胸元で揺れる青い石を見て、時折ゲルトは目を伏せ呟く。


『これがいいの。だって、十三歳のゲルトが一生懸命作ってくれたものだからね』


にっこり微笑めば、ゲルトは照れたように顔を背けた。



騒がしさの原因を探りたい気持ちはあったものの、面倒ごとにも巻き込まれるのは避けたかったので、リアとゲルトは厨房へ向かった。今日はゲルトのパン作りを後ろで見学するつもりなのだ。昼食の支度にとりかかる料理人たちを尻目に、隅にある木製の卓を陣取った。


身に着けた防具類を外し、身軽になったゲルトが袖を捲った時、開け放していた扉から、若い神官が飛び込んできた。


「あ、あの! 大変です! 新しい聖女候補の方がお見えで」


聞き慣れぬ言葉に、リアとゲルトは顔を見合わせた。

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