第十一章 狐と天狗と大なまず
薄暗い院の奥に、二、三のあかりが灯る。
たれこめた御簾の内では、先ほどから上皇がうなっていた。
ぱしり、と、勺を膝に打ち据える。
「して、首尾は?」
上皇に問われた密使はうやうやしく答える。
「少々まずい展開に。
中央から差し向けた役人どもが尾を巻いて逃げ帰ってまいりました。
更に、かの地で、源平の小競り合いが起きている模様」
ぱしり、と、さらなる勺の音が響く。
「なんと、かの地に、より多くの血が流れるというか。それはいかん――」
上皇はそう言うと、急ぎ祈りの塔へと赴いた。
「どうした、狸よ」
呼び出された天狗が気だるげに問うた。
上皇は額に脂汗をにじませながら、早口にまくしたてた。
「なんとか、かの地の穴を封じたい」
天狗は答える。
「大なまずを頭から抑えるのは至難の業よ。
なにせ我と奴とでは相性が悪い」
「そこをなんとか……!」
上皇は必至の形相で頼み込む。
「そうだ、祠を更に百、増やそう。これでどうじゃ?」
それを聞き、天狗はにこりと笑った。
「よかろう――」
上皇の動きはすぐさま知るべき人々の口にのぼり、その噂は今宵も夢弦の元へともたらされた。
「へえ、上皇様、今度はかの地を封印したいの」
夢弦は貴公子の胸の中で髪の毛をもてあそびながら言う。
夢弦のそのような癖を知る相手の男は、「夢弦、あまり変な勘繰りはせぬがよいぞ」と諭すのだった。
しかし、その忠告を聞かずに夢弦は動きだす。
上皇様は、封がされた状態で、かの地を手に入れたがっている――。
では、かの地を寄進により手に入れた後に封をし、私が上皇様にご報告すれば、お引き立ては間違いなかろう。
くすりと、夢弦は笑う。
「誰か、誰か紙と筆をこれへ――」
この日、夢弦は、かの地を己に寄進するよう平貞盛に文を書いた。
その平貞盛は、今まさに源義彬とにらみ合いを続けていた。
折しも、戦場にはしとしとと冷たい雨が降りしきっている。
義彬についてきた一色と雅之は、村にある小屋のひとつで身を隠しながら雨宿りをしていた。
外では、時折、刃の交わる音や怒声が聞こえている。
「こりゃあ、われらの出番はなさそうじゃのう」
冷えた両手をこすり合わせ温めながら雅之が言う。
「いや、これは好機かもしれん。
雅之、かの地の封、我らでしてみようではないか。」
一色の瞳に力がこもった。
「しかし、封をするには穴の中に入らねばならんと言うではないか。誰がそんな――」
雅之はとまどいを見せる。
「何か手はあるはずじゃ。
こんな時、上官ならどうするか――」
「心を静める呪を唱えるかの」
雅之がおどけた調子でこたえる。
「心強いかぎりじゃ」
続けざまに吐いて捨てるように言う。
「とにかく、とりあえずはかの地に結界を張り、これ以上被害が出るのをくい止めるんじゃ」
一色がきっと言い放った。
「けっ。意味は無いと思うがな」
雅之はそう言うと、先に立った一色に続いた。
お香はひとり、村の惨状から離れて、村の氏神でもある稲荷神社に参っていた。
お香のほかに、人影はない。
「いでませい」
お香はいつもように狐を呼び出した。
「おう、お香、どうした、そんなに慌てて」
狐はいつもの調子で現れ続けた。
「お香、こう言ってはなんじゃが、今日は供え物がないのう」
狐は上目遣いにちらりとお香を見やる。
お香は表情をかたくしたまま言い放った。
「狐様、お供え物は、この私。
私を差し出しますから、この戦、源氏に勝たせていただきたい」
しばしの沈黙が場を支配する。
たまらずお香が二の句を継ごうとした時だった。
「待った、それは困るのう」
突然、宙に羽音が鳴り響いたかと思うと、姿を現したのは天狗であった。
「狐よ、我に味方し、大なまずを喰ろうてくれぬか。
礼は祠じゃ。
おぬしを祭る祠を五十は建てさせる故――。
なぁに、面倒なことはない、人間どもは皆殺しでよいから――」
「なんですって!?」
すかさずお香が割って入る。
「天狗様とお見受けいたします。
あなた様は人の世のずっと入り組んだ場所にお住まいと聞き及んでおりますれば。
いきなり出てきて何をおっしゃいます。
皆殺し!?どうして!!
あなた様になんの益もないはずです!!」
「おお、さすがの威勢は義彬の妹よの。
どうせ短い命じゃ、教えてやろう。
この顛末、大元は時の上皇よ。
貴奴が帝であった折、自らの力を誇るべく、奴は都中に自在に災いを起こす術を身に着けたのよ」
お香の瞳が見開かれた。
「まさか、それが、あの土地――」
「察しがよいのう。
そう、奴は大なまずと密約を交わした。
奴と大なまずが手を組んでいる間は、奴が起こると言えば都に地震が起こったものじゃ。
奴は都中から恐れられ、敬われる存在となり、一気に時の権力者になりあがりおったのよ。
その大なまずじゃが、先の大戦で源氏某とかいう輩によって封じられておったが、先日封が破られ、またにょろにょろと出てきおる。
これがまた都に都合が悪くてな。
なまずを再び封じるには百人の贄が必要なんじゃ。
百人。
分かるか?
今、戦場におる奴らの数よ――」
「なんと――!!」
お香はがばと狐に駆け寄った。
「狐様!天狗の言うことを聞いてはなりませぬ!
私の――、この生まれてこのかた仕えてきた、この秦一族の忘れ形見であるお香の言をお聞き入れくださいませ!!」
お香の様子を眼下におさめ、ゆらり、と天狗が言う。
「狐よ、そのような女子の言より、怪は怪同士、ここは祠五十で手を打たぬか、のう――」
二者の言い分にふんふんと首を振っていた狐だが、聞き終えたところで、ひとつ、こん、と鳴いた。
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