第二章 呪われた土地

鈍い鈴の音が鳴る。

その後に間を置いて、二度、手を叩く音が鳴る。

ここは柳場やなぎば近くの山のふもとにある稲荷神社である。

今、一人の少女が、一心に祈りを捧げていた――。

「どうかうちとこの土地が、ご加護によって清められますように。」

少女の名はすず

年は十二になる。

食い扶持にあふれた鈴の父が、新しい土地をあてがわれたのは、先月のことだった。

はじめ、父は諸手をあげて喜んでいた。

何しろ、与えられた土地は、元の土地の四倍はあったから。

しかも川からの距離といい、土の状態といい、前の土地よりずいぶんと条件がよかったから。

「これで俺たちも楽な暮らしができる。」

そう、言っていた。

異変が起きたのは、越してきてすぐの頃だった。

鈴の家は――家とは言ってもわらをしいた小屋に過ぎないけれども――田畑の傍に建っている。

土地に異変があればすぐに分かる。

その夜は、鈴も父も少し早く寝付いた。

すると、どこからともなく女のすすり泣くような声がするのである。

はじめは気のせいかと思った。

ところが幾度、互いに確かめてみても気のせいではないらしい。

その日は結局、一睡もできずに朝を迎えた。

朝を迎えて井戸に水を汲みに行くと、井戸の底に蛙がびっしりと死んでいた。

二人は、こんなこともあるのだなあと、気味悪さを覚えたものの、それ以上は気にしないでいた。

こんなこともあった。

その日は、父娘は、田畑を耕していた。

くわで田を掘り返し、不要な石を取り除いていた。

一つ、また一つと取り除いてゆく。

しかしおかしなことに、同じ形と重さの石がいくつもいくつも湧いてくる。

いくつもいくつも同じ形の石を掘り起こし、積み上げてゆく。

不思議に思った父娘が、一旦小屋に戻り再び外に出てみると、石つぶての山が忽然と消えていた。

他にもあげればきりがないが、この一か月で父娘は田畑を耕すのに、他の者の何倍もの労力を強いられていた。

毎夜毎夜繰り広げられる土地の不思議に眠ることもままならず、二人の疲労は重なるばかりだった。

もう、へとへとじゃ――。

まだ何も進んでいない畑仕事を前にして、父はとうとう、そう弱音を吐いた。

それが昨日のことだった。

「どうか、どうか、神様、仏様――。」

まだ肌寒さの残る山間の風が吹き下ろす中、鈴は小さな肩を寄せて、一心に祈るのだった。



うららかな春の陽気の中、水干姿の若者が、田畑の合間の道を縫って歩いてゆく。

ここは柳場、依頼のあった土地である。

「こちらでございます。」

案内されて四名が通されたのは、例の土地の縁に建つ、小さな掘っ立て小屋だった。

「おじゃまいたします。」

一色はそう言うと、促されるままに、奥の一段と高くなった床の間に腰をおろした。

他の三名もそれに倣う。

「して、この地で起こる不思議について、お聞かせ願いたい。」

差し出された水に口をつけながら、さっそく、一色が問う。

「へい。」

男は与兵衛よへいといった。

一か月前に娘と共にこの地へ移り住むことになったが、それ以来、およそ人の仕業とは思えぬことが続くと、男は身振り手振りを交えて、いくつもの体験を四名に語って聞かせた。

しばらく。

「あい、分かった。」

まだ話したりなさそうな与兵衛の言葉を遮ったのは、雅之である。

「どうする、一色。」

雅之が問う。

「どうもこうも、まずはその不思議とやらを拝んでみないことには、話が進まないね。」

一色の号令で、その夜、四名は与兵衛とその娘、鈴の住む小屋で寝ずの番をすることになった。

与平と鈴は、久しぶりに安眠できると、手放しで喜んだのだった。


夜はこんこんと更けてゆく。

春先の山里の夜は、小屋の中でも、まだ何かを羽織らねば寝られぬほどである。

寝静まった鈴のかたわら、囲炉裏を囲み、与兵衛と四名はみのをかぶって今か今かと「その時」を待ち構えている。

何か話していないと眠ってしまうため、自然と四名の口から、雑談めいた言葉が紡ぎだされる。

「お主は、一体何故陰陽師になろうとしておる。」

夕餉ゆうげの味噌汁の残りに手を付けながら、雅之が真中に問うた。

「僕は代々家が結界師だからね。選択の余地もなかったよ。」

「うちも。南宗の坊主くずれが食っていくために、護摩祈祷をよくする家系だからね。」

そう合わせて言うのは玄奈だ。

一色の出自は、誰しもが知る安倍家である。よって誰もこの質問を一色にはしないし、一色も答えようとは思っていない。

「そういう雅之はどうなのさ。」

「俺は――。」

その時である。

「しっ。聞こえたか?」

一色が一同のざわめきを破った。

あたりを静寂が包む。

しばらく――。

「ほら、聞こえる……。」

目をつむり耳に集中する者あり、目を見開いて全身を耳にする者ありの中で、一色だけは両の目を半ば閉じて呼吸を浅くしている。

それは幼い頃、身に着けた獣の呼吸であったか。

「女の、声じゃ。」

与兵衛がぽつりともらす。

「そうじゃな、女のすすり泣く声が聞こえるな……。」

雅之が返す。

更に耳を澄ませると、その声は小屋の建つ小路の縁、例の土地の方向から聞こえてくるようである。

「ひぃ……。」

たまらず与兵衛は全身を藁蓑の中へすっぽりとくるんでしまった。

「何が起こるというのか……。」

微動だにしない四名が待つもむなしく、その夜、それ以上のことは起こらなかった。

ただし、夜が明けていち早く例の土地へ赴いてみると、地面一面がびっしりと十尺はあろうかという髪の毛で埋め尽くされていたのだった。

「この土地は、呪われておる……。」

力ない与兵衛の嘆きむなしく、黒々とした髪の毛の一本一本に、夜露がきらきらと光っていた。

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