偽物の子猫
僕は平凡な子猫として森の一画で両親と共に暮らしていた。あの日までは。
リアムには兄弟がいなかったため、いつも母親のゆれる尻尾と遊んでいた。そんなとき、突然彼らの前に姿を現したのが魔獣だった。
その足は木の枝ほども太く、大きなかき爪が生えていた。体格は猫を何倍も大きくしたような感じだが、首の回りにはたてがみがあり、背中にはコウモリのような翼があった。
「逃げるのよ」
母猫がリアムをくわえ上げて駆け出した。父猫もその後に続く。魔獣は思ったより足が遅かったそのため、なんとか魔獣をまいて森の中のしげみの中に隠れることができた。
「もう追ってこないだろうか」
父猫が不安そうに目を見開いた。
「そうであることを祈るわ」
母猫が答えた。
空は曇り、太陽の光が届かない森に音もなく雨が降っていた。
「母さん、寒い」
リアムは雨に漏れて毛が逆立った体を震わせながら母親を見上げた。
「雨が降っていて、これじゃ魔獣がどこにいるのかも分からないからここから移動するのは危険なの。だからがまんして」
夜が明けた。森にはまだ霧雨が降っていた。 リアムがしげみの外をうかがっていたとき、何かがぶつかってきた。葉の間から見える鋭いかぎ爪。魔獣だった。リアムは母親のあとを追って必死で逃げた。しかし森のはずれまで来たとき、父親はいなくなっていた。
「父さん、一緒に逃げてきたんじゃなかったの?」
リアムは聞いた。
「分からないわ。さっきまで一緒にいたはずなのに。でもまだ魔獣が追ってくるかもしれない。逃げるのよ」
リアムと母猫は夜通し歩き続けた。
再び夜が明けた。歩き続ける彼らの背後から聞きなれた声がした。
「おーい」
リアムは振り向いた。父猫がこちらに駆けてくるところだった。
「無事だったのね」
母親がうれしそうにのどを鳴らした。
「う、うん」
父猫はどことなく気もそぞろなような感じがした。だがリアムは、魔獣に追われているせいだろうと思った。
「あそこに逃げよう」
父猫が遠くの岩山を尾で指した。
「あそこなら隠れる場所も多いだろうし、一日もあれば着くことができる。きっと逃げきれるよ」
母親とリアムは素直にうなずいた。信頼する父親が導こうとしているところが、魔獣の住処であることなど、幼いリアムに予想できるはずがなかった。
岩山についた頃には既に日が暮れていた。その日、魔獣に追われることはなかった。
「連れてきました!」
不意に父猫が叫んだ。
リアムが何のことか分からず父親の顔を見つめていると、突如として岩の影から魔獣が姿を現した。
「ど、どういうこと?!」
母親が父親の方を見た。
「まさか、わざと私たちを連れてきたの?」
父親は答えない。たた魔獣を見つめている。
そんなはずがない。とリアムは思った。これは偶然なんだ。父さんが逃げたら良いと思った場所にたまたま魔獣がいただけなんだ。 でも、だとしたらどうして、追いかけてきていたはずの魔獣がここにいるのだろうか。
「誰だって結局は自分の命を大切に思うものだろ」
父親が無表情で言った。
「私たちを魔獣に売ったの?どうして?」
母親の悲痛な叫びが岩山に響き、リアムの思考は記憶の中に引きずりこまれた。
それは父親の記憶だった。巣穴で待つ僕たちにいつも獲物を持って帰ってきてくれた。息子であるリアムを見つめる優しい笑顔。その全てが偽りだったのだろうか。
魔獣のかぎ爪が迫まってくる。だが、リアムはもうどうでもいいと思った。逃げることに、生きることに何の意味があるのだろうか。すべてが偽りかもしれないのに。
しかし、リアムが覚悟した死は訪れなかった。代わりに、リアムをかばった母猫が彼の足もとに無惨な姿で倒れていた。
リアムは少しはなれたところに立つ、茶トラの猫を見つめた。父親だと思っていたその猫の表情は読めない。
そのとき、後頭部にがつんと衝撃が走り、次の瞬間には地面を肩の下にして横たわっていた。
目を開けると目の前にかぎ爪のついた大きな足があった。魔獣だ。なぜ僕を殺さなかったのだろうか。
リアムが起きあがると魔獣が見動きした。彼がいるのは洞窟の中だった。魔獣の巣穴だろう。リアムは魔獣を見上げた。
目があったとたん激痛が走りリアムはあえいだ。そのときは、この瞬間に自分は永遠に成長しない体になったということに気づきはしなかった。
倒れたリアムに魔獣が近づいてきてさらに何かしようとしたとき、黒いものが洞窟の中に飛び込んできて魔獣にぶつかった。
血しぶきが先日の雨のように降りそそぎ、魔獣の咆哮が洞窟にとどろく。
リアムと魔獣の間に立ちふさがるように立っていたのは普通の猫とほとんど変わらない大きさの黒猫だった。
黒猫が自分の何倍も大きな魔獣を圧倒し、洞窟から追い出すのにほとんど時間はかからなかった。
洞窟の外まで魔獣を追っていった黒猫が戻ってきて、そして言った。
「私についてこい」
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