お姉ちゃんを救うため、無力な妹は世界を滅ぼすことにしました

壊滅的な扇子

第一章 明けない夜に少女は叫ぶ

第1話 異形の飛竜

 この世界には桜も、ひまわりも、青空も。


 そして、初恋の人お姉ちゃんも、もういない。


〇 〇 〇 〇


 隣の校舎の教室では生徒達が必死でキャンバスに向き合っていた。みんな集中して、静かに絵を描いている。でも突然響いた轟音が、その静寂を破り捨てた。


「……うわ。みろよ。ドラゴンだ」


 同じ教室の男子生徒が、窓の外をみつめながらぼそりと口にした。

 

 ぎろりとした目に、青く光る硬い鱗。巨大で鋭い爪。ごつい胴体。長く分厚い尻尾。小さくたたまれてはいるがそれでも存在感のある翼。そんなドラゴンが隣の校舎の教室、キャンバスに向き合う生徒たちのど真ん中に出現したのだ。


「イデア」を生み出すのに成功したらしい。一人の生徒が拳を天に掲げ、ガッツポーズをしている。決してオーバーリアクションではない。強力なイデアを生み出せたのなら、それは将来を約束されたようなものなのだ。


 ドラゴンはその生徒に対して服従を示すみたいに、頭をさげていた。


「いいなぁ……」

「私にもイデアの適性があればよかったのに」


 そんな羨まし気な声が、教室の中から噴出する。でも教卓の先生は注意することもなく、やる気なさげに小難しい物理定数だとか化学式だとかを黒板に書いている。


「であるからして……」


 生徒たちはドラゴンに興味津々で、誰も授業なんて聞いていない。憧れるのも分かる。けれど憧れたところでどうにもならないことは、みんな分かってるはずだ。


 私たちにはイデアの適性はない。いくら絵を描いたところで、それはただの絵でしかない。イデアにはならない。


「さて。この構造に従って鉄製の椅子を生み出せるものはいるかね?」


 その声に私は手をあげる。


日葵ひまり君か。前に出て生成しなさい」

「分かりました」


 私は前に出て、鉄の椅子の構造とそれを構成する物質を頭の中に思い浮かべる。アーティファクトは地味だ。役には立つけれど、イデアにはかなわない。なぜならイデアには制限がないのだ。


 能力さえあれば自分の思うまま、この世に存在しないはずのドラゴンでもワープゲートでも、なんでも生み出せてしまう。しかもそれらは物理法則を無視している。だから物理法則を踏み倒せないアーティファクトは、イデアの下位互換でしかない。


 頭の中で鉄の椅子を思い浮かべたあと、集中する。


 すると目の前に、鉄の椅子が電流を散らしながら現れた。


「ふむ。よろしい。では次はこの椅子を分解しなさい」


 私は頭の中で鉄の椅子の構造とそれを構成する物質をバラバラにする。するとまたしても電流が走ると同時に、鉄の椅子は消滅した。


「君はしっかり学んでいるようだね」

「……ありがとうございます」


 私は静かに自分の席に戻った。 


「すげえけど、やっぱ地味だよなぁ」


 誰かがぼそりとつぶやいた。


 アーティファクトは千年前から衰退し続けている科学技術の残りかす。かつては宇宙を飛んで月の大地を踏みしめたり、インターネットで地球の裏側の人と会話できたらしい。


 でも今残っているのはせいぜい、テレビとか電車くらいだ。かつて存在した水道や電気みたいなインフラだって無限に水や電気を生み出せるイデアで事足りる。


 とはいえアーティファクトが全てにおいてイデアの完全な下位互換ってわけではない。なぜなら、アーティファクトはイデアのように世界を侵食しない。


 五時ごろになると授業が終わった。校舎を出て帰路につく。


 電車を降り、人ごみにもまれながら足早に家に帰る。その頃になると、色々な色でつぎはぎになった空をにこやかな顔のついた太陽が沈もうとしていた。空だけでなく太陽すらもイデアに浸食されて、奇妙な物体になってしまっている。


 ちょうどお母さんも仕事を終えたところなのか、家の前で鉢合わせた。


「あら。おかえりなさい。学校はどうだった?」


 お母さんは明らかに疲れた顔をしていた。不遇なアーティファクト職人なのだ。イデア職人に比べると遥かに少ない収入しか得られない。


 だがそれでも苦労しながらも一人で私を育ててくれている。いつかは幸せになって欲しいものだけれど、今の私にできることは少ない。


「……うん。まぁまぁだよ。お母さんこそ、どうだった?」

「良かった、と言いたいところだけど。……お得意様が、イデアにするからもうアーティファクトはいいって」


 お母さんは作り笑いを浮かべて玄関の扉を開いた。


 お母さんはイデアに夫も娘も奪われている。私のお父さんはずっと昔、イデアを用いたテロから私たちを守って命を落とした。私のお姉ちゃんも三年前、近くのスーパーに買い出しに行った時、イデアによって塵一つ残さずこの世から消えてしまった。


「誰かを憎まないで。復讐も考えないで」


 それが母の口癖だった。けれど本当に母は何も憎んでいないのだろうか。


「……お母さんは、辛くないの?」


 目を伏せながら問いかけると、お母さんは笑顔を浮かべた。


「あなたがそばにいてくれるだけで、何も辛くないわ」

「……憎いとか、思ったりしないの?」

「そんなこと考えるわけないじゃないの。私たちはお父さんと美月のためにも幸せに生きないといけないんだから。幸せには憎しみも、復讐も、いらないのよ」


 幸せに生きないといけない、なんて。


 生きていれば自然と幸せになる。そうであるべきなのに。


「さて。お腹すいたでしょ? ご飯を作って来るから待ってね」

「……。いつもありがとう。お母さん」


 私が微笑むと、お母さんは優しく私の頭を撫でてくれた。


 リビングに一人になった私は、テレビをつける。テレビも電車と同じくこの世界に普及している数少ないアーティファクトの一つだ。


 テレビに目を向けると、現在この国と戦争状態にある二桁を超える国、その全てと戦線が膠着していることを報道していた。きっと大昔の人がこのニュースをみたらびっくりするんだろうな。


 昔、ここは春になると桜が咲く、平和な島国だったらしいから。


 ぼうっとテレビを見ていると、キッチンからいい匂いがしてきた。


「お母さん。もしかして今日は牛肉?」

「そうねぇ。私も牛肉が食べたかったんだけど、なくなっちゃったみたいなのよ。イデアに上書きされちゃって。「世界で一番おいしい肉」って名前みたい」

「……そっか」

「牛肉よりもおいしいって評判みたいだけど、なんだ悲しいわよね。これまで私たちが信じていた全てが、何もかもが、失われていくなんて」


 私が知っているだけでも、イデアに上書きされてしまったものはたくさんある。マグロにエビに鶏肉にイチゴに桃にメロンに。あげればきりがないほどだ。私の名前――日葵の由来である向日葵も、もう、この世には存在していない。


 しばらくするとお母さんが料理を運んできてくれた。


「世界で一番おいしい肉」丼だ。口に運ぶと確かに美味しかった。けれどこれまでの全てを否定して成り立つそれが、私には受け入れがたいものだと感じられた。


 お母さんも私が「世界で一番おいしい肉」を食べるのを、悲しそうな顔でみつめていた。箸が進んでいない。


「……お母さんは食べないの?」

「ううん。食べるわ」


 慌てた様子で「世界で一番おいしい肉」を口に運んだ。わざとらしい笑顔で「美味しいわ」と笑う。でも私は作り笑いも浮かべられなかった。心配になったのか、お母さんは明るく微笑んだ。


「ご飯を食べた後、二人で月でもみない?」と。


 私は思わずお母さんから目をそらす。


 月。それは夜にしか現れない輝きだ。失敗したパッチワークのような汚い夜空に、それでも白く輝く月は今でも千年前と同じ姿であるらしい。人はこの世に存在するあらゆるものを、自分勝手に作り替えていく。けれど月だけは誰も手を出していない。


 あるいは、その神秘性に未だ誰も手を出せていないのか。


 美月は、私のお姉ちゃんは月が好きだった。夜になるといつも月を見上げて「綺麗だね」と微笑んでいた。あの笑顔が、私は大好きだった。あんな笑顔を浮かべさせてくれる月のことだって、大好きだった。


 でも今は月が怖い。みるたびに、もういないお姉ちゃんのことを思い出してしまう。だからお母さんの問いかけに、すぐには反応できなかったのだ。


 そんな私に何を思ったのか、お母さんは優しい笑顔でつぶやく。


「それとも今日はもう疲れた? それならお風呂を沸かしてくるわ」

「……待って。一緒にみようよ。月」


 かつて私たち家族は、四人で月見を楽しんでいた。一番美しかったのは、家族四人でみる月だと今でも思う。でも今だって月の美しさは、少しくらいはお母さんの心を救ってくれるはずだ。


 お母さんの手を引っ張って外に出る。夜は治安が良くないけれど、ちょっと家の外に出るくらいなら問題はない。


 奇妙に歪んだ前衛的な街灯が道路を照らしている。私はそれに背を向けて、色々な色でつぎはぎになった夜空を見上げた。


 今日は満月だった。白い月が煌々と輝いている。十分に美しいけれど、もしも夜空が真っ暗だったのなら月は今よりもずっと美しくなるのだろうか。そんなことを思ってしまう。


「相変わらず綺麗ね」

「……そうだね」


 お母さんが私の手を優しく握る。私もそっと握り返す。


「日葵。お姉ちゃんが、……美月が適性検査のときに描いた絵は月の絵だったわよね」

「……うん」

「どうしてあんなに綺麗な絵が認められないのか。私には分からなかったわ」

「イデアを生み出すには、お姉ちゃんは優しすぎたんだよ」

「……人はもう、優しくなれないのかしらね」


 お母さんは物憂げにつぶやいた。


 家の中に戻ってから、私たちはお姉ちゃんの描いた月の絵を取り出した。真っ暗な空に白い輝きが浮かんでいる。この絵画はイデアを生み出せない。だから世間では「無価値」だとされているのだろう。でも私はこの絵の月は世界で一番美しい月だと思う。


「確か日葵はひまわり畑を描いたのよね?」

「そうだよ。ちょっと待っててね」


 私は自分の部屋に向かって、ひまわり畑の絵をリビングに持ってきた。もう失われた真っ青な空の下に広がる、黄色い宝石たち。大昔にはこんな風景が当たり前だったなんて、過去の資料を参考に描いた私にも正直、信じられない。


「美月はあなたの絵が好きだったわよね」

「……うん」


 かつてお姉ちゃんは私の絵をみると、月を見た時よりもずっと嬉しそうに笑った。思えば、私がお姉ちゃんに恋をしたのはあの笑顔がきっかけだったのかもしれない。


 お姉ちゃんは、本当に可愛い人で。私の、生きる意味だった。


 でもこの世には、もういない。


〇 〇 〇 〇

 


「テロ組織の活動が活発化しています。お出かけの際は注意を……」


 私はテレビを消して、玄関に向かった。


「忘れ物はないわね?」


 見送りに来てくれたお母さんに「大丈夫だよ」と声を返す。


「それじゃいってきます」

「いってらっしゃい。日葵」


 そうして私は玄関の扉を開いた。


 私の住む街には「高い城の女」。あるいは「旧時代の亡霊」と呼ばれるアーティファクトの権威が暮らしている。天に届くほどに巨大なドーム状の要塞は、家からでもみえる。


 私は要塞を横目に、色々な色でつぎはぎになった汚い空の下、にこやかな笑顔のついた「太陽よりも素晴らしい太陽」の光に照らされながら駅に向かった。


 駅にたどり着き、ホームまでやってくる。電車はまだ来ていない。暇だからなんとなく周囲の人の様子をみる。ほとんどが学生だった。


 だからこそ、その姿は目立った。


 ――挙動不審に周囲をきょろきょろと見渡している男がいる。私が以前、テロに巻き込まれて父を失った時。あの時も、似たような雰囲気の男を見かけた記憶がある。


 あの日、私たちは両親が生み出したアーティファクトで、まだイデアに浸食されていない美しい風景を巡っていた。でもイデア職人の中には手つかずの絶景に、良くない感情を抱くものもいる。そしてその感情がテロという形で爆発することもある。


 私たちはあの日、父と、そして、一つの美しい景色をこの世界から永遠に失った。


 かつてそこは、ネモフィラという花が青い絨毯のように広がる美しい花畑があった。けれど突然現れたイデア――巨大な異形の飛竜のブレスによって、その全てが。そこを訪れていた自然の美しさを愛する人達ごと、焼き払われた。


 父の尽力もあって、私たちは何とか助かった。けれど多くの死傷者が生まれたし、イデアに上書きされたそこは、今やまさに地獄のような景色になっている。


 それ以来、風光明媚な土地を巡る人も少なくなった。


 経験則なんて頼りにならないのかもしれない。でも嫌な予感がする。


 だけどそんな曖昧な予感のために学校に遅れるわけにもいかない。お母さんを安心させるためにも優秀な成績を取らないといけないのだ。滑り込んできた車両に、私は押し込まれるようにして乗り込んだ。


 座席に着くと、その正面ではイデア職人の卵なのであろう二人の男子生徒が、お互いの絵を自慢しあっていた。片方の生徒の額縁の中には何やらごちゃごちゃしたロボットが描かれている。もう一人の方には東洋の龍のようなものが描かれている。


 けれどまだ技術が伴っていないのか、お世辞にも褒めることはできない絵だった。なんというか、見ているだけで気が抜けてくるような絵だ。龍はミミズのように細長いし、ロボットは足腰が弱くて今にも崩れ落ちそうにみえる。

 

 その脱力感の凄い絵をぼんやりとみつめていると、電車が加速してゆき、速度が一定になった。規則的な音が響いてくる。


 こんな風に変わらない毎日が続くのだとすれば、そんなに悪くはないかもしれない、と思う。世界では戦争だらけで国中でテロは多発しているけれど、それでも私とお母さんの周りが平和であるのなら、私たちもいつか本当の意味で幸せになれるかもしれない。


 だから今日も平穏無事に始まり、そして終わって欲しい。


 でも突然、ぱん、となにかが弾けるような音が聞こえた。


 目的の駅まであと少しというところだった。前方の車両から、男女問わない悲鳴も届いてくる。気のせいであってほしかった。けれどまたすぐに、今度ははっきりと爆発音が聞こえてくる。私の背筋を冷たい感覚が走った。


 ざわめく人々に混じって私も立ち上がり、後方の車両へと逃げる。


 走行中の車両に、逃げ場なんてない。


 それでも逃げ惑う。それが人間というもので、もちろん私もその一人だった。もみくちゃにされながら、悲鳴とは反対側へと逃げていく。何か思考が挟まる余地なんてなくて、ただただ逃げるので精いっぱいだった。


 けれど窓の外にその姿を見た瞬間、人々の逃げる足が止まる。


 まるで時間が止まったようだった。


 そこにはあの日、父を殺した異形の飛竜がいた。


 線路を走る電車に並行して、つぎはぎの空を飛行している。その巨躯は左右対称ではなく、あらゆる部位が歪んでいた。少なくとも私の美的感覚からはかけ離れていて、どうしようもない生理的嫌悪を感じる。その上、ギロリとした瞳は鋭い刃物のようで、みつめられただけで生きた心地がしない。


 動けずにいると、口元から赤い炎が舌のように漏れ出しているのに気付いた。


 この国はただでさえテロが多い。特にイデアを用いたテロは頻繁に起きる。だから身を守るための手段を身に着けている人は多い。私にも物理法則に従う物体を生み出せる「アーティファクト」という防御手段はある。


 けれどいったいどれほどの人が、死の恐怖に晒されながらとっさにその手段を行使できるというのだろう? 


 車内では誰もが硬直し、死を待つのみだった。私も心臓ばかりが慌しく動いて、思考は完全に停止していた。


 けれどその灼熱のブレスが直撃する間際、目の前を電流が走った。窓の向こうに、轟音を立てて分厚い壁がせりあがってくる。異形の飛竜は機嫌が悪そうに咆哮をあげた。


 ブレスが何かに防がれている。その事実を認識した後、それを生み出したのが自分自身だと遅れて知覚する。母に散々手ほどきを受けていたのだ。自分の命が危険に瀕したときでも、反射的にタングステンの壁を生成できるように、と。


 母のその努力の理由は、父と娘の死なんだと思う。夫を失い、娘も失い。残されたのは私だけ。たった一人の家族を失うことがどれほど恐ろしいか。私もテレビでテロの情報をみるたびに感じている。


 全身に疲労感を覚えながら、壁をみつめた。軍が助けに来てくれるまで耐えられるかどうか私には分からない。でもなんとなく大丈夫なんじゃないか、なんて思っている私が大部分を占めていた。


 けれどすぐに理不尽な力に悲鳴を上げるみたいに壁にひびが入り始める。全くブレスの勢いは止んでいないようだった。常夏のような熱に包また車両はますます激しく揺れる。つり革につかまらなければ、立っていられないほどだった。


 否応なしに、死を間近に感じた。


 熱と焦りで汗が額を流れていく。このままだと、焼き殺される。でも私にはもう一度、壁を補強するような力は残っていない。それでも何もせずに諦めるわけにはいかない。


 もしも私が死んだら、お母さんはどうなるの?


 今度は条件反射ではなかった。全身が震えてしまうような恐怖を乗り越え、明確な生き残る意思を持つ。体に残ったわずかな力を指先に集中させる。


 頭が割れそうなほど痛む。体は今にもはじけ飛んでしまいそうだ。爪が皮膚を裂くほど拳を握り締める。すると鈍い勢いでタングステンの壁がせりあがってくる。確かにアーティファクトの顕現には成功した。


 けれどそれは余りにも遅すぎた。


 新しい壁が私たちを覆う前に、ひび割れた壁が粉々に砕け散り、深紅の地獄が目の前に露わになる。異形の飛竜のブレスは壁を貫通し、そして、それを妨げるものは、私たちの前にはもうなかった。


 乗客たちが悲鳴を上げる。絶望の渦の中で目を閉じる。


 この乱れ切った世の中で、私は余りにも無力だった。ただ、平穏無事に生きていられればそれでよかったのに。それすらも、この世界は許してくれない。


 一人残されたお母さんは、一体どうするのだろう?


 涙が頬をこぼれていく。けれどその時、不意に私の髪を優しい手が撫でた。


 ゆっくりと目を開く。視界には輝きが広がった。


 滅びたはずの青空と、金色のひまわり畑。空を黄色い花びらが舞い、ひまわりの間をミツバチが飛んでいく。心地よい穏やかな風が吹き、そこでようやく私は、自分が感動のあまり呼吸を忘れていたことに気付いた。


 ミツバチも、ひまわりも、青空も、もうこの世界には存在していない。私は一度も本物のそれらをこの目で見たことがない。


 なのに、確かに私にはこれを懐かしいと感じる気持ちがあった。


「よく頑張ったね。日葵」


 懐かしい声に振り向くと、長く伸ばした美しい黒髪に凛とした瞳が目に入る。右目のほのかに赤みがかった黒目の向こうに、青く美しい幾何学模様が現れる。それはまるで、キャンバスに美しい絵画の描かれる過程を可視化したかのようだった。


 人間の瞳の中にこんなものが存在することには、大きな違和感を感じる。けれどずっと見ていたくなるほど、魅入られる瞳だった。


 じっと見つめていると、その人は頬を赤らめて小さく微笑む。


「もう。そんなに見つめないで。恥ずかしくなるでしょ」


 普段は凛としている癖に、笑うと可愛くなる、私の一番好きな人。ひまわり畑と共に現れたのは、紛れもない。


 三年前に死んだはずのお姉ちゃんだった。

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