異世界の辺境でもふもふといっしょにのんびり暮らします~虐待された少女は異世界の夢を見るか~

くーねるでぶる(戒め)

第1話 終わりと始まり

「クロ……もう終わりにしよう……」


 高いビルの屋上、私は抱きしめたクロの顔に頬擦りする。クロの体はだらんとして重く、だんだんと温かさが失われていた。その宝石のように輝いていた金の瞳は、今では潰れて血の涙を流し、口からは血の泡が出て止まらない。


 誰の目から見ても、クロの命が消えるのは時間の問題だった。


「ごめんね、ごめんね、クロ……」


 クロが死んでしまうのは私のせいだ。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろうね……」


 私は、目の前に広がるどんよりとした空を見ながら思う。


 原因は分かっている。パパとママが揃って事故で死んじゃったからだ。


 まるで魂を引き裂かれたような痛みを伴った悲しみは、今でも鮮明に思い出せた。


 それからのことは、大人たちが勝手に決めてしまった。


 一か月ほど前から私とクロは、父方の叔父に引き取られることになった。


 最初から歓迎されていないのはわかった。明らかに私のご飯は残飯だし、クロのご飯が貰えないんだもの。子どもの私でもすぐにわかった。


 私は少ないご飯をクロと分け合って食べた。


 でも今思うと、私のご飯が残飯でも用意されていたのはまだいい待遇だったのね。冬休みに入ってからは、まったく貰えなくなったもの。


 そして、叔父からの暴力が始まったのもこの頃からだ。今までは学校があるから手加減していたのだと思い知らされた。


 嫌だった。痛かった。逃げたかった。


 でも、私たちにはどこにも行く当てなんて無くて……。


 そんな時、いつも私をかばって慰めてくれたのがクロだった。


 私と同じ日に生まれた黒猫。パパとママからの最初のプレゼント。一人っ子だった私の姉弟。私に残された唯一の家族。


 私はクロが居てくれるから生きようと思えた。クロが私の全てだった。


 だって、私まで死んじゃったらクロが本当に独りぼっちになっちゃうもの。


 でも、私のその考えが、私のクロへの依存が、クロを死に追いやってしまった。


 気付かれてしまったのだ。クロが私の心の支えであると。


 クロがイジメられれば、私は無我夢中でクロを守った。私が暴力を振るわれれば、クロが私をかばって立ち向かってくれた。


 叔父はそんな私とクロを蹴とばすのが楽しいらしい。必死に抵抗し、無様に張り倒される私とクロの姿は笑えるのだそうだ。


 私たちは、叔父を楽しませるおもちゃのようにボコボコにされた。


 そして今日を迎えてしまった。


 私は、叔父に頭を殴られて、気を失ってしまったのだ。


「ちっ、まだ立ち上がるのか。気持ちわりぃなッ!」


 叔父の怒声に私は跳び起きた。私が気を失ってしまったというのことは、その間クロが痛めつけられているということだからだ。


 私の目に飛び込んできたのは、ゴミに塗れたマンションの中、叔父の本気の蹴りに飛ばされ、ぐったりと横たわる黒猫の姿だった。


「クロ……ッ!」


 私はクロを守りたかった。必死に痛みに痙攣する身体を起こそうとするけど、動けない。でもクロは……。


「ク……」


 思わず絶句してしまうくらいクロはボロボロだった。優雅な長い尻尾は千切れ、左の前足も変な方向を向いている。左胸が不自然に凹んでいた。


「お! やっと起きたか?」


 叔父は私が起きたことに気が付いた。その時――――ッ!


 ピクッと動く黒の耳。クロが、立ち上がる。


 どう見ても瀕死のクロ。立ち上がれるわけない。だって、右の後ろ脚からは骨が飛び出ているし、口からは蛇口をひねったように血が流れている。


 でも、クロは立ち上がった。


 私以上にボロボロなのに。死んじゃいそうな怪我なのに。


 私を守るために。


「あ?」


 叔父が立ち上がったクロを見た後、私を見た。そして、残酷なまでにその口を吊り上げる。


「シュゥゥゥートッ!」

「ダメ――――」


 叔父が戯れにクロを蹴り飛ばした。クロは骨が砕ける軽い音を響かせて、私の前に落ちた。クロの命が、もう助からないまでに削られてしまったことを、私は嫌でもわからされた。


「いやぁあああああああああああああああああああああああああああ!」


 片足を上げてかっこつけていた叔父に体当たりして転ばせると、私はクロを抱えて家を飛び出した。それからのことは、記憶が曖昧だ。気が付いたら、私はクロを抱えてビルの屋上の端へと立っていた。


「ごめんね、クロ。私は、いいお姉ちゃんじゃなかったね……。守れなくてごめんね……」


 クロを抱き寄せると、濃い死の匂いがした。クロの頬に頬擦りすると、ほっぺに温かいザラリとした感触があった。


「クロ……」


 クロが、まるで労わるように私のほっぺを舐める。私の視界はどんどんと滲んでいった。


「ごめんね、ありがとう……。あり、がとう……」


 もしかしたら、クロは私に生きてほしいのかもしれない。でも、クロの居ない世界なんて私には無理だ。


「だからね、クロ。一緒に行こう……」


 雪の積もる中、私は腫れあがった裸の足を前に踏み出す。一瞬の浮遊感の後、体は重力に引かれて落ちていく。


 私はクロを強く抱きしめたまま目を閉じた。


 覚悟していた衝撃は、いつまで経っても訪れることはなかった。



 ◇



「んぁー?」


 頬を温かくて柔らかいヤスリにかけられる感覚で目を覚ました。


「ハッ!?」

「んなー」


 弾かれたように上体を起こすと、猫の鳴き声が聞こえた。


 視界を下げると、二つの金の瞳と目が合った。


「クロッ!」

「ぶにゃ!?」


 クロだ! 私はクロをきつく抱きしめる。


「あぁどうして? ありがとう神様……!」


 クロは潰されたはずの二つの瞳も、折られたはずの骨も、千切られたはずの尻尾もすっかり治っていた。


 もうクロは助からない。


 そう思ったから私は、ビルの屋上から……。


 クロの無傷の立派な体を撫でていて気が付く。体がちっとも痛くない。


「なんで? 私の体も治ってる……?」


 夜も眠れないほどしくしくと痛んでいた私の体。それがすっかり治っていた。


 痛くない体なんて、いったいいつぶりだろう……。


 痛くない。それだけでものすごく気持ちよかった。


「ここは……?」


 木に囲まれた花畑。その真ん中に私たちはいた。ここはどこだろう?


「いやー素晴らしい! 素晴らしい絆だ!」

「誰!?」


 目を向けると、お花畑の中を白猫が泣きながら二足歩行で拍手をしながら近づいてくる。


 なんで二足歩行? なんで王様みたいな格好してるんだろう?


 白猫は拍手してるんだけど、ぜんぜん拍手の音が聞こえなかった。微かにポムポム聞こえるだけだ。


 手が肉球だからかな?


「誰と聞かれれば答えよう。僕は神様だよ」

「神、様……?」

「と言っても、君たちからすると異世界の神様だけどね」


 本当に? でもしゃべる猫なんて……。本当に神様? 異世界って何?


「あ、クロ」

「シャーッ!」


 胸の中でクロが暴れて飛び出すと、白猫に向かって威嚇した。


「ハハッ。そんなのじゃないよ?」

「?」

「君は心配性だなー」


 クロと会話してる……? 猫同士だから言葉が分かるとか?


「君たちには、ちょっと頼みごとがあってね」

「頼みごと……?」


 神様の頼みごとって何だろう?


「ちょっと調子に乗ってる亜神をぶっ飛ばしてほしいんだ」


 白猫がシュシュッとシャドウボクシングする。


 その光景はかわいらしいけど、ぶっ飛ばすって物騒だ。


「あじんって?」

「地上で神の格を得ようとしている奴の俗称だね。ようは神様の一歩手前の奴だよ」


 神様の一歩手前って……そんな偉そうな人を倒してしまっていいのだろうか?


 それ以前に、倒せるのだろうか?


「今回は、その中でもドラゴンの亜神を倒してほしいんだ」

「ドラゴン!? 無理無理無理ッ!」


 そのドラゴンがどんな強さかは分からない。だけど、大人の男の人にも勝てなかった私たちに勝てるわけがない。


 しかも、神様が倒すのをお願いするような相手だ。絶対強いに決まってる。


 神様の一歩手前。亜神のドラゴン。勝てるような要素がどこにもなかった。


「大丈夫。君たちには報酬の前渡しということで、力を与えよう。これで亜神なんて一発さ!」

「そんなこと言われても……」


 いくら力を貰えるとしても、ドラゴンと戦うなんて怖い……。


 それ以前に、私は争いごとや暴力が大嫌いだ。


 やっぱり断ろう!


「あの、私たちは……」

「じゃあ、任せたよー」

「えっ!?」


 突然感じる一瞬の浮遊感。


「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」

「んなあああああああああああああああ!?」


 突然足元に開いた大きな穴に、私とクロは落ちていくのだった。



 ◇



「んー?」


 生暖かい小さなヤスリで頬を擦られて目が覚めた。


 目を開けると、岩のゴツゴツした洞窟の中に居た。ここどこ?


「やっと起きたか?」

「え?」


 耳元からダンディーなおじさんの声が聞こえて身を固くしてしまう。全然違う声色なのに、なぜか叔父さんの顔が浮かんだ。


「だ、だれ……?」

「誰とはご挨拶だな。我が名はクロであ……。ふむ? なぜだ? 舞の言葉が分かる?」


 私の名前を知ってる!? このおじさんは何者なの!?


 慌てて起き上がって周りを見渡しても、誰も居なかった。


 もしかして、幽霊!?


「クロは猫よ……。あなた、誰なのよ……?」

「舞よ、落ち着いて聞いてくれ。どうやら我は人間の言葉が分かるようだ」


 足にもふもふとした感触。いつもの感触だ。


 足元を見ると、やっぱりクロが居た。


「とにかく、我はクロなのだ」

「本当にクロがしゃべってるの?」

「うむ」

「えー……」


 クロはもっとかわいい男の子だと思っていたんだけど、なんでこんなにダンディーなおじさんの声なのよ。


 なんだか夢が壊された気分だ。


 でも、猫の十一歳って人間年齢にすると立派なおじさんになるんだっけ?


「あなたがクロだって言うなら、証明してよ」

「また面倒なことを言う……。だが、そんなことを言ってる暇もなさそうだぞ?」

「え……?」


 クロの言葉と同時に、急に地面が暗くなった。


「なるほど、そういうことか。あの白猫め! 小癪なマネを……!」


 あの白猫?


 もしかして、白猫の神様のこと?


「舞よ、後ろだ! 来るぞ!」

「なにが!?」


 急いで振り返ると、濡れたような光沢を放つ黒鉄の巨大な像が見えた。


 黒鉄の像はまるで恐竜のような形をしていて――――ッ!?


 動いた!?


 首が痛くなるほど見上げる先に、翼の生えた恐竜の顔が見えた。


 まるで宝石のような赤と青の瞳が、細められる。


 一目見ただけで、生物の格の違いを感じて胸が苦しくなる。


 まさか――ッ!


『人間? 我が財宝を盗みに来たか!』


 頭の中に直接響くような威厳のある声。


 これが、ドラゴン――――ッ!


 いきなりラスボスの目の前なんですけど!?





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