32:平和への祈りの中、君を抱く
キスしてから十分後、外からは相変わらず車の通りかかる音がここまで届いた。
開けておいたカーテンはいつの間にか閉じられていて、佳織はスポーツバッグから何かを取り出すと風呂場に消えていった。佳織が居ない部屋はしんと静まり返っていて、まるで佳織の部屋に初めて招かれたあの日のようだった。
佳織がシャワーを浴びているってことは、そのつもりじゃないよな。その気だとしてもまだ日は高いぞ。そんなことをするにしても、もしその気だったら、アレを持っていてもおかしくはないはずだ。
いかん、いかん。なんでそんなことを気にしているんだ! おかしいぞ、自分。告白した後なのに、どうして変なことを考えているんだ? ……と思って自分の下半身を見たら、股間のテントが膨らんでいた。これはひょっとして、期待していいのだろうか。
いかん、いかん、いかん! 高校二年のあの日のことを忘れたのか、俺。あの時清水は抵抗する俺を容赦なく襲ったんだぞ。あいつに貪られるように体を求められ、最後は……。いや、佳織は違うはず。佳織は優しく包み込むように……。
「お待たせ」
俺が悶々としていると、シャワーを浴びたばかりの佳織が後ろから俺に声をかけた。振り向いた先には、バスタオル一枚だけの佳織がそこに居た。
佳織の体からは、いつもと同じような甘いオレンジにも似た香りが漂っていた。風呂上りということもあって、肌は少し湿っていた。
「トオル君、シャワーを借りたよ。次は君が入ってきて」
「俺はこっちに戻ってから入ってきたばかりだよ。だから……」
「ダメだよ! 外に出て汗かいたでしょ。入ってきなさい!」
……やれやれ、先程シャワーを浴びたばかりだというのに。そこまで言われたら入るしかないか。
脱衣場に向かい、先ほど着替えたばかりのシャツを放り込もうとして洗濯機の中身を覗き込むと、そこには佳織のモノと思われるブラとパンティが俺の着ていたTシャツと共に転がっていた。
佳織の下着は少し湿っぽくなっている感じだったけど、汗……じゃないよな。ひょっとして……。
いかん、いかん! まずはもう一度シャワーを浴びてこないと。
シャワー室に入って軽く汗を流すと、なぜかドキドキが止まらなくなった。
佳織が下着を洗濯機の中に入れているということは、そういうことをするつもりだろう。ただ、いくら何でもまだ午前中だぞ。そんなことをしたら、三〇三号室の藤沢さんは……、こないだ俺の部屋に来て夏休み中は久慈に帰っているから問題ない、よな。三〇一号室は佳織の部屋だから問題ないけど。
「ふぅ……」
シャワーを浴びて賢者モードになると、俺は先ほど自分の体を拭いたバスタオルでもう一度体を拭きとる。二度目ということもあって、拭きとるのには時間がかかった。それからさっきまで着ていたのとは別のTシャツなどを着なおし、自分のバスタオルを全自動洗濯機に投入する。
そういえば、佳織の下着はどうするのだろうか。このまま洗って大丈夫かな。
「佳織、洗濯機に佳織の下着が入っているけどそのまま洗って大丈夫か?」
「ダメだよ! それより、着替えたの? 早く部屋に戻ってきて」
「わかった。今戻るから」
さっきの話しぶりだと、一時的に俺の洗濯機に入れていたっぽいな。急いで戻ろう。
俺は着替えをしてからリビング兼寝室のワンルームに戻ると、佳織は先ほどと同じバスタオル一枚のままでは……、なかった。
ベッドに座っている佳織が着ている服は、こないだのスピーチ大会の余興で見せたチアユニフォームと模様が似ていた。胸が大きいせいもあってか、上着はカーテンが作られていて、短めのスカートからはすらりとした足が顔を覗かせている。胸元はどう見てもブラをつけていない。
ひょっとして、これは……。
「どうしたの、トオル君。キョロキョロしちゃって」
「あ、いや、素敵な衣装だなって……」
「くすっ、そう言ってもらえると嬉しいよ。ねぇ、そろそろ私の隣に来てよ」
隣に来てってどういうことなんだ? まさか、抱いてくれって言うんじゃないだろうな。ひょっとしてこれって罠なのか? いや、さっき好きだと言ってくれたから、罠ではないな。
俺は彼女の言う通り佳織の左隣に座ると、佳織が俺の傍に近寄ってくるのを感じた。佳織は肌と肌を密着させて、俺の右腕を絡め撮ろうとした。
「トオル君」
「は、はい?」
「私、今この格好している理由って分かる?」
「どういうことって……その、まさか、抱いてほしいってこと?」
「そうだよ。トオル君、さっき私のことを好きだって言ったよね。だから……、何も言わずに私の
それって、俺のことを好きだからってことなのか?
でも、アレがないと妊娠してしまうぞ。それって大丈夫なのか。
「大丈夫なのか、このまま抱いても。妊娠でもしたら……」
「もしかして、アレのこと? ちょっと待ってね」
佳織はスポーツバッグが置いてあるところに向かうと、そこからアレと思われるパッケージを取り出してこたつテーブルの上に置いた。パッケージに「めちゃうす」って書いてある……ってことは、まさか近所のドラッグストアで売っている十二個入り三パックのアレじゃないか。
「今日買ってきたばかりだよ。ただ、つけ方の練習はちょっと恥ずかしかったけど、ね」
佳織、そこまで準備していたなんて……。佳織は本気で俺のことを好きだってことか。
もうこれ以上の言葉は要らない。あの日のことなんてどうでもよくなりそうだ。そう、清水に襲われた日のことなんて……。
「佳織……」
「なぁに?」
「……愛している」
「え? もう一度言って」
「愛しているよ。世界で一番、誰よりも」
「……トオル君、……いえ、トオル」
「?」
その次の瞬間、俺は唇を塞がれてそのまま押し倒された。
何もできないうちに唇から佳織の舌が差し出される。
佳織の舌からは、さっきキスした時と同じような人工甘味料のソーダの味がした。
胸元にはたわわに実った果実や、双丘の頂上のコリコリとしたところから佳織の体温が伝わってくる。
佳織の髪や体からはいつものオレンジの匂いが漂う。
……いったいどれだけ時間が過ぎたのだろうか。周りからはバスや自動車の通り過ぎる音ばかりが聞こえる。
佳織は少しずつ唇を離すと、銀の糸が垂れ込めていた。
「あなたのことを愛している。だからもう、怖がらなくていいんだよ」
佳織の言葉は温かく、俺の心を包み込んでくれた。
あの日、修学旅行の最終日に清水は俺に無理やりキスをして舌を差し込んだ。
清水の唇の味はえぐみがひどく、苦かったけれど、佳織の唇は柔らかく、そして優しい味がした。
「初めてだけど、いろいろとエッチなビデオを見て勉強したから心配しないで。今までの辛いことを忘れて、すべて私に任せて……」
そう話すと、また佳織はキスをして俺が着ていたシャツを脱がした。
それから三十分か四十分の間のことはあまり覚えていない。
ただ一つ覚えていることは、佳織が甘い声を堪えながら何度も抱きしめてキスをしたこと、ただそれだけだった。
何度も、何度も佳織は俺の名前を呼び捨てにしながら、ひたすら俺を愛した。
佳織に身を任せているうちに、頭の中から夏美姉や恵令奈、そして清水のことが頭から消えていった。
ああ、そうか。これが身を任せるってことなのか。
今日は厚い雲に遮られて太陽は顔を覗かせないけど、俺の心の中では太陽が燦々と降り注いでいる。
八月十五日、終戦記念日。平和への祈りが捧げられる日だ。
そんな日に、冷房が効いた真夏の単身者向けアパートの一室で俺は佳織の初めての人となった。そして、俺もあの日のトラウマをぶち破った。
あの日佳織に「友達になってください」と頭を下げて、本当に、本当に良かった……。
<あとがき>
ついにしちゃいましたよ……。
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