青年の”英語での”主張

13:その話、スピーチにしてみなよ

 佳織と友達になって二ヶ月が経った。最初は孤独な一人暮らしを覚悟してこっちに来たものの、佳織のおかげで生活にメリハリがつくようになった。

 最近では食事のレパートリーも増えてきて、毎日が楽しく感じるようになった。あの時の佳織が提案したことは、俺にとっては無駄ではなかった。

 佳織と一緒に勉強し、木曜午後のサークル活動をこなし、週末は互いにバイトに精を出す――。部屋は別々だけども一緒に大学生活を過ごすのって、なんだか楽しい。

 ただ、そんな俺の気持ちとは裏腹に、午後に入ると五月晴れの太陽は曇り空に隠れてしまった。

 そんな空の下、五橋キャンパスの講義棟六階のL七一二号室には各学部に散らばっているESSの部員たちが集められていた。

 綾音さんは「ふん、ふ~ん♪」と鼻歌を歌いながら、ホワイトボードの前に立ってを書いていた。

 ここ最近は暑くなってきたからなのか、綾音さんや佳織は薄着で大学に通うことが多くなった。ちなみに、壇上に居る綾音さんの格好は薄手のブラウスに薄手のスラックス、それに女性向けのスニーカーだ。


「綾音さん、何しているんだろ?」


 こないだのコンパで胸を触られまくった佳織も、ここ最近は綾音さんと似たような恰好をしている。

 ただ、佳織はガードが固く、綾音さんと違って透けて見えるようなブラウスを着ていない。


「さあて、ね」


 そんな佳織は我関せずといったところで、スマホを開いて何かを眺めていた。


「佳織、さっきから何を見ているんだ」

「ちょっとね、水着を……」


 佳織が何か言いかけた途端、「ほら、佳織ちゃん。口とスマホの両方を閉じて」と綾音さんからお叱りの言葉が飛んだ。


「ごめんなさい」


 佳織が慌ててスマホを鞄にしまうと、綾音さんは「それじゃ、始めるわよ」と声をかけて席に座っている学生たちを一瞥した。

 壇上に居る綾音さんをよく見ると、眼鏡をかけていた。俺は後ろの席に座って講義を受けるときは眼鏡を使っているけど、果たして綾音さんはどうなんだろうか。


「綾音さんって視力はどうなの?」

「こないだのコンパで聞いたけど、そんなに悪くはないらしいよ」


 綾音さんが咳払いをすると、手を後ろに組んで壇上のあたりを行ったり来たりして俺たちのほうを眺めていた。

 壇上に立っている綾音さんを見ていると、服装のせいかいつも壇上で授業をしている講師や先生と重なって見える。


「さて、みんな、今日は何のために集まってもらったか分かる? 誰でもいいから手を挙げて」


 すると、講義室からどよめきが聞こえてきた。どよめいているのは俺と佳織以外の新入部員ばかりで、後ろに控える先輩方はわかりきった表情をしていた。

 俺は今日のお昼にLEINで綾音さんからメッセージを受け取っていたので、今日やることはなんとなくわかった。

 先ほど綾音さんに叱られた佳織も俺と同じようにメッセージを受け取っていたらしく、ちょっと考え事をしながらタブレットPCを弄っていた。

 どよめきが止まらない中で、「ハイ」と俺たちの右後ろから声が聞こえた。

 振り返ると、一人の学生が挙手をしていた。

 座った感じではわからないが、その学生は俺よりも身長が小さく、一六〇センチあるか微妙なところだった。

 髪は俺に比べると短く、見た感じでは少年のように見えた。


「はい、そこの君。Please give your department and your name. (名前と学部を言って) 」


 綾音さんが英語で指示を出すと、その少年……というか、学生が立ち上がった。


「経済学部一年の山本です」

「それじゃあ山本君、今日は何のために集まってもらったか分かる?」

「それは……、ホワイトボードにある通り、スピーチの大会のことですよね」

「その通りね」


 そう話すと、綾音さんはホワイトボードに書いていある文字をマジックを手にして指し示した。

 そこには「Freshman Speech Contest」の字と、コンテストまでの日程が記されていた。


「Freshmanと書いていあるとおり、新入生を対象にしたスピーチコンテストですよね」

「そうね。毎年七月になると、東北地区にある大学のESSに所属する一年生を対象にしたスピーチコンテストが開かれるの。そこで……」

「参加する学生を募集している、と」

「そういうこと。呑み込みが早いわね、徹君って」

「ええ。父さんから話を聞いていましたから」


 こっちに来る前、父さんから英語弁論大会のことはいろいろと聞いていた。

 一ヶ月前から準備していたことや、終わった後のかくし芸に参加したことも――。

 当時一緒になった学生とは今でも交友があるとも話していて、アルバムを開いては当時を懐かしんでいた。

 俺もいつか父さんと同じようになるのかな……。


「さっき鹿島君が話しちゃったけど、参加してみたい人はいないかしら?」


 などと物思いにふけっていると、綾音さんは壇上から辺りを見回していた。

 ただ、俺の周りは誰も手を挙げる気配がない。

 最初に挙手をした山本はスマホを見たと思ったら、腕を組んで考え事をしている。

 その一方で俺の隣に居る佳織はというと、これまた山本と同じようにスマホでスケジュールを見ていた。アルバイトのスケジュールを確認しているのかな?

 誰も手をあげないと思った綾音さんは壇上を去ると俺たちの前に歩み寄り、机の上に腰かけた。

 佳織はとっさに自分の座っているところに戻り、ちょっと俯き加減になってしまう。


「……徹君」

「は、はい?」


 綾音さんは足を組むと前かがみになって、Gカップはある胸の谷間を俺に見せつけようとする。

 それ以外の女性部員が目立たない反面、綾音さんと佳織はずば抜けて美人でスタイルが良い。

 目のやり場に困るじゃないか。


「す、すみません!」


 俺はすぐさま謝ると視線を逸らして、綾音さんを避けるように視線を別のところに移した。


「急にどうしたのよ、徹君?」

「ちょっと考え事をしていまして……」

「そんなこと言ってないから、こっち見てよ」


 改めて綾音さんの顔を見ると、彼女は何かに期待しているような微笑みを浮かべていた。

 いつもの艶っぽくて愁いを帯びた表情を浮かべている綾音さんとは全く違う、ちょっと大人の女性がここに居た。

 こないだの件でちょっと視線を交わしたくない佳織を横目に、綾音さんは「ねぇ」と俺に向かって話しかける。


「こないだのウェルカム・ディスカッションで嘘の告白をされて、修学旅行で襲われたって話したでしょ」

「ええ、そうです。修学旅行で襲われたのは二年生の頃で……」

「じゃあ、その間ってどんなことがあったのか教えてくれる?」


 参ったな、その間のことを綾音さんに話さなければならないのか。

 顛末を含めて思い出したくないのになぁ。


「嘘の告白をされて、子供の喧嘩に親が出ることになりました。詳しいことは話せませんが」

「ふむ……」


 本当のところはいろいろあったけど、すべて話すとほかの学生に迷惑がかかりそうだったので話を切り上げた。

 綾音さんはタブレットPCにキーボードを取り付けてひとしきりに文章を打ったと思いきや、PCを机に置いては俺に話しかけてきた。


「いいじゃないの、その話をスピーチにしてみなさいよ」

「えっ!?」


 俺が高校時代に経験した出来事を、か?


「綾音さん、いくら何でもそれは……」


 俺の気持ちを汲み取ったのか、綾音さんから目を逸らしていたはずの佳織が彼女に物言おうとする。

 それはそうと綾音さん、こないだ酒に酔って佳織の胸をベタベタと触ったのを俺は見ていたからね。


「ふ~ん、佳織ちゃんはそんなこと言うんだぁ~。こないだ私の体を触ったのにさ、素面のままで」

「なっ……!」


 綾音さんから見事にカウンターをかまされると、佳織は口を開けたまま動かなくなってしまった。おーい。


「ねぇ、書いてみなさいよ。悪いようにはしないからさ」


 綾音さんは佳織が動けなくなったと思いきや、俺にグイグイとに迫ってくる。

 佳織とちょっと違って、綾音さんからはちょっぴり大人の匂いがする。

 それに、薄手のブラウスからは黒のレースブラが透けて見えるじゃないか。

 これはさすがに断れないな。


「え、ええ……」


 あっさりと頷いてしまった。

 見事に綾音さんの誘惑に屈した。

 こないだのことといい、今日のことといい、俺って綾音さんに弱身を握られているのだろうか。

 綾音さんは俺のことなど意に介せず、座っていた机を離れてはこないだと同じように軽くガッツポーズをした。

 スピーチ大会に出るのは俺と佳織、それと経済学部の山本の三人で、しかも俺は綾音さんから内容まで指定された。

 時事問題とかそういうものを書きたかったのに、高校時代の体験談をスピーチにするのか。頭が痛くなりそうだよ。


<あとがき>

 本日からスピーチ編となります。

 学生時代に体験したことをある程度アレンジをかましてお送りしております。


 なお、第7話と第8話に出ているデイリーの場所についてですが、五橋キャンパスの講義棟のラウンジに変更しました。丸い椅子があるし、やれないことはないよね、ってことで。


<追記:2023年10月30日>

 一部修正しました。

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