06:徹と佳織、お互いの家族

「プルルルル……、プルルルル……」


 午後八時。

 佳織さんが帰ると、俺は横須賀の実家に電話を入れた。

 仙台生まれの仙台育ちである父さんがなぜ横須賀の地に住んだのかというと、母さんが横須賀出身なのもあるが、それ以上に海の見えるところに住みたかったというのもある。

 父さんは仙台生まれとはいえども内陸育ちで、生まれてこのかた海を見たことがなかった。

 大学に入ってから母さんと出会い、母さんに押し切られる形で横須賀の市役所に入り、母さんとそのまま結婚した。

 父さんは大学卒業とともに横須賀に引っ越し、母さんの実家で居候していた。

 当時はやっと海の見えるところに住めると喜んでいた半面、仙台の地を懐かしむことが多かったそうだ。

 ただ、今では父さんは横須賀の街をすっかり気に入り、横須賀の市役所で働いている。

 当然ながら、部署は違えど母さんも働いている。

 来月から地元の金融機関で働くことになる兄貴は多忙で出ることはないし、父さんは年度末のことがあってこれまた忙しい。多分出るとしたら……。


『もしもし、徹?』


 やっぱり母さんだ。

 母さんとは進学のことで何度もやりあい、一時は声をかけることすらしなかった時期があった。

 ただ、こうして引っ越しが終わって声をかけるのは何と心地よいことか。


「母さん、やっと引っ越しが終わったよ」

『それはよかったわね。それで、お隣さんにはあいさつはしたの?』

「したよ。カレーマドレーヌを渡したら、喜んでいたよ」

『それはよかったわね。ちゃんとご飯は食べたの?』

「そりゃ食べたさ」

『一人で出来たの?』

「もちろんだよ」


 本当はお隣さんである佳織さんがすべてやってくれたけど、そのことは黙っておこう。


『徹、入学式はどうするの? 母さんが来てもいいけど』

「俺一人でいいよ。母さんこそ、有給の残り日数は大丈夫なのか?」

『大丈夫よ、心配しないで。息子の晴れ姿も見たいからね』

「それならいいけど、引っ越し先には寄らないでくれる?」

『え? どうして?』

「どうしてって、そりゃ……」


 今日になって女の人と出会ったなんて、口が裂けても言えない。

 しかもその人と一緒に買い物して、夕飯まで食べたんだから。

 このことを話したら、母さんに「騙されているんじゃないのか」と盛大に突っ込まれそうだ。

 嘘の告白の件については父さんだけでなく、母さんも全てを知っているからな。


「まぁ、いろいろあってね」

『怪しいわね、何があったのか教えなさいよ』

「母さんの頼みでも断るよ。申し訳ないけど」

『……ハイハイ、そこまで言われたら仕方ないわね。ちゃんと役所の手続きは済ませておきなさいよ』

「わかったよ。それじゃあ、おやすみ」


 俺はそう言って電話を切ると、スマホを充電器に置いた。

 市役所勤めをしている母さんが来てくれるのはありがたい反面、仕事は大丈夫なのかがちょっと気になる。


「母さんのことはともかくとして、佳織さんはどうなんだろ?」


 ふと、俺は一緒に買い物をしてカレーを作ってくれた佳織さんのことを振り返った。

 横須賀で俺を痛い目に遭わせた女二人と比べて、佳織さんはどうなのだろうか。

 人を見る目があり、きちんとものを言い、それでいて優しい。

 仙台で一人暮らしをすると決意した当初は孤独に生きようと思っていた俺だったが、佳織さんはそんな俺を照らしてくれる一筋の光となりそうだ。


「悪くない、かな」


 俺はそう独り言ちると、お風呂の準備に取り掛かった。

 明日も必要な手続きがいろいろある。そのすべてをこなしていかないと……。


 □


「ふぅ……」


 風呂から出てバスタオル一枚になって自室に戻ると、得も言われぬ解放感を味わった。

 実家ではバスタオル一枚で歩き回るなんて真似は出来なかったけど、一人暮らししてみると快適だね。

 推薦入試が終わった後で一人暮らしをしたいと持ち掛けて了承してくれたパパとママのおかげだね。特待生として学費がほとんど免除されるから、なおさらだよ。

 今頃里果にパパとママはご飯を食べ終わっているのかな? 電話したいけど、まずは着替えないと。

 まだまだ寒いし、風邪をひいたら大変だからね。

 下着とパジャマは……、よし!


「ふんふ~ん、ふんふ~ん、ふふふ~ん♪」


 鼻歌を歌いながら着替えると、私は充電スタンドに置いてあったスマホを取り出して里果にLEIN電話を入れた。

 大丈夫かな、里果。うまくやれているかな。


『もしもし……。なんだ、姉貴か』


 電話口からは、いつもの元気な声に比べると控えめな里果の声が聞こえてきた。

 私が急に一人暮らしを始めて、寂しくなったのかな?


「こんばんは、里果。私が家にいなくなって寂しい?」

『いや、全然寂しくないよ』

「嘘でしょ? お姉ちゃんにはお見通しよ」

『……チッ、鋭いなぁ、姉貴は』


 電話口から舌打ちする里果の声を聴くと、一人になってもまったく変わらないなぁと思った。

 里果は私と二歳ほど年が離れていて、幼いころから一緒の部屋で育っていたせいもあって何でも知っている。

 髪が短いのは私と被るのが嫌だからで、血気盛んなせいもあって里果は球技一筋だった。

 それなのに高校に入ってから私を追いかけるようにチアをやり始めたけど、やっぱり私と一緒に居たいからなのかな。


「里果、勉強はちゃんとしている?」

『まぁ、ちゃんとしているぜ。英語科の授業は大変だけど、何とかついていっているから心配するなよ』

「そう、それならよかった」


 ちゃんとやっていることを聞いてほっとしたけど、部活はどうかな?

 私の後を継いで部長になった美咲ちゃんを困らせていないか心配だよ。


「ところで、部活のほうはどう? 美咲ちゃんとはうまくいっている?」

『うまくいっているよ』


 程々がちょうどいいと考えている美咲ちゃんとちょっと血気盛んな里果と釣り合いが取れるのかと思ったけど、里果がそう話すのであれば大丈夫かな。

 ちなみに、美咲ちゃんは私の母校にあるチアリーディングチームのリーダーさんで、フルネームは黒沢くろさわ美咲みさきという。

 普通科の生徒で、最初はチアリーディングチームのリーダーができるか心配だった。

 推薦入試が終わって美咲ちゃんの様子を見たさで部活に戻ると、美咲ちゃんは私抜きでもテキパキやっていた。

 久しぶりに練習で汗を流した私の顔を見るなり、「佳織さん、心配しないでください。私は私なりに頑張りますよ」と笑顔を浮かべていたのが印象的だった。

 里果を抑えるのがちょっと大変そうだけど、頑張っているならオーケーだよ、私は。


『姉貴こそ、何かいいことがあったのか?』

「あ、私? 私はね……」


 そう、今日はいいことがあったのよね。

 昨日こっちに越してきたばかりには居なかったお隣さん、悪くない感じだったなぁ。

 でも、このことを話したらまた里果に「姉貴は恋愛で痛い目に遭ったのに、また虎穴に入るのかよ」と突っ込まれそう。

 だけど、ここは話したほうが……、いや、話しちゃおう。


「隣の部屋に入った人と出会ったよ」

『へー、どんな奴だった?』

「割と普通っぽいけど、ちょっと女の人と近づきたくないオーラを発していたなぁ」


 トオル君は女の人が信じられないって私に愚痴をこぼしていたけれども、私の提案をのむと不思議にこっちから頭を下げてきた。

 彼も私に似て、異性に対して見栄を張っているだけなのかな。


「ちょっと私に似てね、見栄を張っているところがあるの。何があったかはさすがに話せないけどね」

『姉貴、教えてくれてもいいだろ?』

「ダメ、教えない」

『ケチだなぁ』

「いくらなんでも、こればかりはね」


 ああ見えて初心な妹に、トオル君が童貞じゃないって話したらどうなるかわからないから、しばらくは黙っておこう。

 トオル君のことだから、自分で話す可能性は……、ある、のかな?

 まぁ、話したとしてもネット小説やエッチな漫画ではありがちな話だからと軽く流されそうだけど、それはそれで。


 その後も、里果とはちょっとだけ他愛ない話をした。

 話が終わったあとでバッテリーの容量を確認すると、残りが半分以下になっていた。

 そのままスマホを充電スタンドに置くと、私は今日のことを愛用の手帳に記した。

 私が使っている手帳はシンプルなビジネス手帳で、去年の年末に書店で買ってきたものだ。

 可愛い手帳でもよかったけど、パパが使っていたのを見たから買ってきちゃった。

 ママが「もうちょっと可愛いのにしたら」ってこぼしていたけど、私は見た目よりも実用性を重視した。


「今日は……『お隣さんと出会って、一緒に買い物をした。これからどうなるか楽しみだな~』でいいか」


 手帳を閉じると、私は顔面パックなどをしてからそのままベッドになだれ込み、眠りに就いた。

 一人暮らしをしたら、まさか新しい出会いがあるなんて。

 改めて、一人暮らしを許してくれたパパとママに感謝だね。


<あとがき>

 いつかは佳織の妹も出してみたいです。

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