第9話 晩餐会場
そやけどなあ。根木一平太は思う。自分が出席しないことで、あのしょぼくれた中ノ郷が上司に叱られたりするのではないかと考えると、顔くらいは出してやってもいいのかも知れない。
……などと仏心を出したのは間違いだったのだろう。
晩餐会の会場は大阪市内の某高級ホテル。幼稚園の制服を着た留美を連れた安物スーツの一平太には、近づくだけで勇気が要った。入り口で招待状を見せれば、確かに中には通してもらえたが、問題はその後だ。晩餐会って何をすればいいのかわからない。
とにかく案内された部屋では、みんな手に手に小さなグラスを持ち、立ち話をしている。晩餐会ってご飯食べるんと違うんか。この時点で一平太にはカルチャーショック、もう部屋の壁際に立つしかなく、身動きが取れない。
会場の真ん中には何故か新品で企業のロゴも名前も書かれていない、七トンクラスだろうか、かなり立派なバックホーが一台ライトアップされて飾られている。何のことやら意味がわからない。
やっぱり来るんやなかったかなあ。いまからでも帰ってええやろか。一平太が疲れ切ったため息をついたとき。
「初めまして、根木一平太さんですね」
顔を上げればシャンパングラスを手に持った、自分より少し年上くらいのまだ若い男。どこかで顔を見た記憶がある。どこだったか。
そんな一平太の困惑を理解したのだろう、男は自分から名乗った。
「大阪府知事の保岡です」
「あっ、ああ!」
なるほどテレビやポスターなどでよく見る顔である。しかし芸能人ではないのでいつも観てます、はおかしいし、一平太は特に保岡支持派という訳でもないので、応援してます、もおかしい。普通の人々はその辺を適当にごまかせるのだが、一平太にはそれができなかった。
だが保岡府知事はそういったことを気にしないタイプらしい。一平太の隣の壁にもたれると、不思議そうに見上げている留美に笑顔を見せた。
「あなたたちが来てくれて助かりました。根木さんは今日の晩餐会の陰の主役ですから、もし来られなかったらイロイロととっ散らかるところでしたよ」
「えっ、陰の主役? 俺が? 何でですか」
「それがまた、おそらくあなたにとっては厄介で面倒臭い話なのですが」
そこまで言いかけたとき。
「保岡さん、見つけましたよ」
そこに立っていたのは苦り切った表情の二人。小柄でガッシリした頑固そうな人物と、大柄でポッチャリした髪の薄い人物。
「いったい何がどうなっているんです、政府に問い合わせても満足のいく返事がない。詳しいことはあなたに訊いてくれの一点張りだ。困るんですよ、勝手なことをされては」
保岡は少々ウンザリした顔で何とか口元に笑みを浮かべ、壁から離れた。
「ああ、お二人ともおっしゃりたいことはわかってます。あちらで話しましょうか」
そして一平太を振り返り「それじゃ」と一言残して三人で立ち去った。
一平太がポカンとしていると、話しかけてくる声が。
「兵庫県の丹波知事と和歌山県の紀ノ川知事ですよ。サンリーハムが大阪湾に降りたことについて説明を求めているのでしょうな」
近づいてきたのは内閣情報調査室の中ノ郷だ。
「保岡府知事から何かお聞きになりましたか」
「陰の主役がどうたらこうたら」
不満を顔に表した一平太に、中ノ郷はうなずいた。
「昨日あなたが竜、歩兵竜と言うそうですが、それをバックホーで倒したことを日本政府もサンリーハム側でも非常に高く評価しておりましてね、急遽バックホーを千台かき集めてサンリーハムに輸出するという話が出ているのです」
一平太は呆気に取られた。昨日の今日でもうそんな話になっているのか。ああ、なるほど。会場の真ん中に新品のバックホーが飾り付けられてるのはそういうことなのかと、ここでようやく理解した。中ノ郷は話を続ける。
「言うまでもなくサンリーハムは国連加盟国ではありませんし、そもそもバックホーは建設機械ですから、日本の武器輸出三原則に引っかかる訳でもありません。対価をどのように受け取るかという問題はありますが、まあその辺は官僚の得意とするところです。ただ」
ここで中ノ郷は言葉を切った。その目が一平太を見つめる。
「ただ?」
続きが気になる一平太に、中ノ郷はこう言うのだ。
「バックホーはサンリーハムの住人には未知の機械文明です。簡単に言えば、動かすためには先生が必要になります。とは言えそれで戦うともなれば、先生は誰でもいいという訳にも参りません」
「……ん? え、あれ。もしかして俺に先生やれって言うてます?」
中ノ郷は少し哀れみを感じさせる笑顔でうなずいた。
「日本政府はその方向性で考えていますね。あなたは実戦で結果を残した英雄ですから、先生役には適任です」
「ちょ、ちょっと待ってくれ、俺にかって都合はあるし仕事もあるし」
「もちろんタダ働きをしろなどというつもりは政府にだってありません。月に手取りで四、五十万は出すと思いますよ」
「えっ!」
この数字にはさしもの一平太も目を丸くする。思わず周囲を確認し、声を潜めた。
「し、四、五十万ってマジですか」
「そりゃあ国を代表して赴いていただく訳ですから、それなりの額は出しますよ」
中ノ郷は当然だろうという顔をしているが、日本政府が何かにつけてケチだという話は一平太も聞いたことがある。マトモに信用していいのだろうか、そんな思いで中ノ郷の顔をのぞき込んでいると。
「おい」
野太い声に一平太が目を向ければ、見上げんばかりに大柄で黒い髪が天を衝く、黒い鎧の男が眼光鋭く見下ろしていた。思わず「ひえっ」と声を漏らしそうになる一平太に、大男は殺気を込めてこう言った。
「レオミスが世話になったそうだな」
「いえ、お世話、というほどのお世話はしてないですけど」
レオミスの知り合いか? 誰? 困惑する一平太に中ノ郷は事もなげに説明する。
「こちらは王国サンリーハムの黒曜の騎士団長、ゼバーマン・ザンドリアさんです。今日の晩餐会においでになったサンリーハムの大臣方の護衛隊長をされているそうで」
「は、はあ。そうですか。それは、ご苦労様です」
他に何とも言いようのない一平太の言葉を聞いて、しかしゼバーマンはこめかみに血管を浮かせる。
「あぁん?」
「いや、え、何か、すみません、失礼なこと言いました、っけ」
動揺して作り笑いを浮かべる一平太に、ゼバーマンは「フン」と鼻を鳴らせた。
「つまらん。竜殺しの英雄というからどんなヤツかと思ってみれば、クソだな」
そう言い捨てて背を向けようとしたゼバーマンの足下に近づく小さな影。留美はゼバーマンのふくらはぎを蹴り飛ばすと、慌てて一平太の後ろに隠れて反抗的に舌を出した。しばしポカンとしていたゼバーマンだったが、次第にその顔が怒りに青白くなって行く。
「こ……このガキぃ!」
しかし怒り狂ったゼバーマンの手が留美を捕らえることはなかった。突然雲もない空から会場の外に地面を震わせる落雷があり、直後ハープを思わせる不気味な音色が響いたからだ。その音を、ゼバーマンは知っていた。
「バザラス!」
中空に右手を伸ばせば、出現する長大な黒い槍、魔槍バザラス。揺らめく炎のような刃を下段に構えると、ゼバーマンは吼えた。
「竜殺しの英雄殿の力は必要ない! そこでおとなしくすっ込んでいろ! 護衛隊、続け!」
会場の外に駆け出すゼバーマンを追って、サンリーハムの護衛たちが走り出て行く。少し遅れて自動小銃を持った自衛隊員が会場の入り口を固めた。
いったい何が起こったのか。一平太を始めとする晩餐会の参加者は外に目をやり、そして息を呑んだ。全身を金色の鎧で覆った小型の肉食恐竜の群れ。一平太が戦った相手よりはるかに小さいが、数は五匹や十匹ではない。
しかしその魔竜の軍勢を前にして、ゼバーマンは怯む様子すら見せない。まるでそよ風の吹く草原でも歩くかのようにスタスタ無防備に前に出ると、釣られて飛びかかってきた三匹の竜へ魔槍バザラスを水平に一閃した。直後、口から目から尻の穴から、炎を噴き出し燃え尽きる竜。
「さあトカゲども! 灰になりたくばかかって来い!」
この怒鳴り声に、竜の群れは明らかに気圧され怯んだ。それを見てゼバーマンはさらにバザラスを一閃、五匹を屠って追い打ちをかける。護衛隊の面々も一人一匹が限界だとは言え、次々に竜を灰へと化して行った。
派手に登場した魔竜の群れだったが、ただ殺されるだけの雑魚でしかなかった、晩餐会場で推移を見つめる人々がそう思ったのも無理はなかったのかも知れない。いや、最前線に立つゼバーマン自身さえそんな風に思っていた節がある。
彼は敵の竜を次々に燃やしながら群れの中央を突破しようとした。前回の襲撃のときのように大型歩兵竜が後方で指揮を執っている可能性が捨てきれない。ならば最初に頭を潰しておかないと、無意味に戦いを長引かせることになる。隊を預かる者としては妥当な判断だった。
果たして、歩兵竜の群れを切り裂き最後尾まで達したゼバーマンは、指揮官と思しき大型の竜を発見した。だが、背が低い。歩兵竜ではなかった。
それはいわゆるアンキロサウルス型の
だが。
四足歩行の鎧竜は炎のカケラすら噴き出さなかった。その意味を一瞬で悟るゼバーマン。
「コイツ、抗魔法
そう思ったとき、すでに相手は水平回転していた。尾の先端の塊が、ゼバーマンの頭部を襲う。魔槍バザラスでその攻撃を受けはしたものの、いかにゼバーマンが無双の戦士であろうと人としての肉体的限界はある。彼の体は宙を舞い、数メートル飛んで地面に叩き付けられた。
魔槍バザラスの庇護がなければゼバーマンの首から上は消滅していたかも知れない。額を流血に染め、それでもバザラスを杖に立ち上がろうとするゼバーマンはまさに武人であったし、超人の域に達しているとさえ言えた。だがそれでも、この鎧竜には勝てない。
その光景を見つめる一平太は逡巡していた。彼らを見殺しにしていいのか。自分も戦いに参加しなくて本当にいいのか。ゼバーマンは必要ないと言ったが、それでも。
いつの間にか固く握りしめていた一平太の拳に、小さな震える手が触れた。視線を落とせば留美が一平太の左手に縋り付いている。
「お化け怖い……」
これで一平太の心は決まった。両手を留美の肩に置くと、しゃがみ込んで笑顔を見せる。
「心配すんな、留美。俺がお化けをやっつけて来るから」
「ほんま?」
「ほんまや。俺は留美には絶対嘘つかへんやろ?」
留美はしばらく迷っていたが、小さな頭をこくんとうなずかせた。一平太は留美の頭に手を置いた。
「よし、ここで見とけよ。俺は絶対負けへんからな」
そう言って一平太は駆け出した。外にではない。会場の真ん中に飾られている新品のバックホーにだ。
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