第7話 政府の仕事
政府がチャーターしたリムジンバスが庁舎の玄関前に停まり、しょぼくれたスーツ姿の男が先導して使節団が降りてくる。内閣情報調査室の人間が同行しているとの話は聞いていたが、この先頭の男がそうなのだろうか。
使節団は国防大臣に外務大臣、そして文官と武官が二名ずつと事前情報にはあった。確かにバスから降りてきたのは六人。服装の感じは古いヨーロッパ風、あるいは中央アジア風なのか。その辺りの文化には疎い保岡府知事ではあったが、異世界からの訪問者というのは、正直いまだに信じられはしないものの、まるっきりの嘘ではないと思わせるだけの説得力はある。
親書でも入っているのか、細長い箱を抱えた痩せた老人が前に出た。
「この地域を任された責任者の方ですかな」
日本語が話せるというのは摩訶不思議だが事実らしい。保岡府知事も一歩前に出て笑顔で答える。
「大阪府知事の保岡と申します。国家の使節団をお迎えするにはいささか役者不足かもしれませんが、日本政府の責任ある立場の者がいまこちらに向かっております。それまでの間、ご勘弁ください」
「私は王国サンリーハムの外務大臣ケネット、こちらは同じく国防大臣サヘエ・サヘエにございます。これだけの巨大都市の治政を任されるとは素晴らしいですな」
なるほど、先に名乗るのが礼儀であるといった文化はないのかも知れない。握手もしないようだ。おそらく他にも異なる文化があるに違いない。政府の人間が到着するまで、迂闊なことをして怒らせないようにしないと。保岡府知事は少し胃が引きつったような気がした。
「一平太ちゃん、もうお化け、けえへんかな」
風呂から上がった留美が、髪を拭かれながら言った。家に帰ってきてから五回はたずねている。お化けとはあの『怪獣』のことだ。よほど恐ろしかったのだろう。一平太は留美の前にしゃがみ込むと、満面の笑顔を見せた。
「けえへんよ。それにもし来ても、俺がやっつけるから大丈夫やて」
そうは言いながら、一平太のハラワタは煮えくり返っていた。クソ、クソ、クソ! あのクソ怪獣が、留美にトラウマ植え付けやがって! 誰があんなもん送り込んだんか知らんけど、絶対に許さへんからな!
可能ならば絶叫したいところだったが、そんなことをすれば留美が怯えるのでできない。一平太は怒りのやり場に困っていた。
カタン。
そこに聞こえたのは聞き慣れた音。玄関ドアの新聞受けに何かが投函されたのだ。時計を見れば午後八時を過ぎている。こんな時間に郵便配達もないだろうし、また広告でも放り込まれたのだろうか。
とは言え今日の今日だし、気にはなる。髪を拭き終われば、パジャマに着替えるのは留美一人でできるはずだ。タオルを洗濯機に放り込んでから一平太は玄関ドアに向かった。新聞受けには一平太と留美の名前が宛名に書かれた緑色の封筒。差出人の名前はないが、表に『ご招待状同封』とだけある。
何の招待状や、また詐欺か何かか。開封せずに捨ててしまってもいいような気もしたものの、昼間会った内閣情報調査室の中ノ郷の姿が一平太の脳裏をよぎる。一応は開封してみようか、そう思い直した一平太は、封筒を乱暴に破り明けた。中から出て来たのは。
「……晩餐会の招待状?」
「一平太ちゃーん。何それ」
足下に抱きついてきた留美に、招待状を見せた。
「いや、何って言うか、何やろな、これ」
政府主催の晩餐会への招待状。何でこんな物が自分のところに。一平太は不穏な胸騒ぎを感じていた。
物腰穏やかで上品な高齢の紳士。初対面である保岡府知事の目にはそう映った。だが
「大変にお待たせして申し訳ありませんでした。親善使節の皆様にも保岡大阪府知事にもご負担をおかけしたことお詫び申し上げます。さてそれでは会談を始めたいのですが、もし親書などご持参でしたら、まず受け取らせていただきます」
府庁第二会議室で城戸内副首相の発した言葉に、サンリーハムの外務大臣ケネットが立ち上がり、テーブルの上で細長い箱を開けた。中には茶色い巻紙が、細いリボンで真ん中辺りを止められている。ケネットは言った。
「こちらを国政の最高責任者の方に進呈致します。書いてある内容はたいしたことではありません。我ら王国サンリーハムの城塞がこの地の上空に姿を現したのは不幸な偶然であり、こちらには何ら敵意のないこと、および我らが元の世界に戻るまでの間、サンリーハムをしばらくこの地に留め置く許可がいただきたいという要請です」
親書を受け取った城戸内副首相は優しげな笑顔でこう返す。
「意図を公式に文書化することで意味を持たせられるのはこの国でも同じことです。地域の和を乱さない誠実な隣人であれば、我らとて受け入れるにやぶさかではございません。ただし、受け入れるにしても具体的に、どう受け入れればよろしいのでしょう。ご希望はございますか」
これに白いひげ面のサヘエ・サヘエが答える。
「聞けばこの都市のすぐ近くに穏やかな海があるとか。できますればサンリーハムをそちらに下ろしたいと考えておりますところ。ご許可願えますかな」
城戸内副首相は少し首をかしげてこう問うた。
「サンリーハムの長径はどれくらいになりますか」
サヘエ・サヘエが即答する。
「およそ三百セクトになります」
すると城戸内副首相は壁際に立つ内閣情報調査室の中ノ郷に目をやった。中ノ郷は小さく会釈しこう言う。
「十キロ弱です」
城戸内副首相は口元を押さえた。これは悩みどころだな、と保岡府知事は思う。確かに大阪湾の広い部分になら、それくらいの大きさの物体を置くことは不可能ではない。ただし海運や漁業権といった面倒臭い部分を考慮に入れなければの話だ。
実際のところ大阪湾は国際的な海運の要衝であり、漁業も盛んに行われている。また『大阪湾』と名前は付いているが、大阪府だけではなく兵庫県にも広く面し、和歌山県にも少しかかっているのだ、仮に大阪府がOKを出してもそれだけで話が通る訳ではない。極めて繊細で込み入った問題になってくるだろう。
とは言え、それは政府が頭を痛めればいいことであり、自分には関係ない。保岡府知事がホッと胸をなで下ろしたとき。
「いいでしょう」
城戸内副首相はうなずいた。
「日本国政府は王国サンリーハムの一時的な大阪湾滞在を許可します。今後はここ大阪府庁に外務省が特別窓口を設置致しますので、ご用の際にはそこを通していただければ」
は? 外務省の特別窓口? 何やそれは。こっちは何も聞いてないぞ。どういうことや、勝手にそんなことを決めて……そこまで考えて、保岡府知事はハッとした。
最初からそのつもりだったのだ。政府は最初からこうなることを見越していた。だから交渉の場に大阪府知事を立ち会わせたのである。説明の手間を省くために。これはもう決定事項、保岡府知事がいまさら何をどう言っても変更はないだろう。
やられた。これが中央の政治のやり方か。城戸内副首相はいまサンリーハムの外務大臣と国防大臣に握手の仕方を教えている。三人とも笑顔の友好ムードだ。ここで自分一人が駄々を捏ねる訳にも行くまい。姑息だが有効な手管には違いない。保岡大阪府知事は一人歯がみをしながらも舌を巻いた。
サンリーハムの親善使節団は、飛行駕籠に乗って大阪府庁前から飛び去った。来るときにバスに乗ってきたのは日本政府側の顔を立てたのだろう。見上げる保岡府知事の隣に城戸内副首相が立った。
「本日はご苦労様でした、知事」
どの面さげてそんなことが言えるのか。保岡府知事はにらみつけてやりたかったが、そこは大人である、自分を何とか抑えて乾いた作り笑顔を向けた。
「できれば、もうこういうことはご勘弁願いたいですね」
「そうですね、できれば政府の側もそうしたいところなのですが」
「……はい?」
嫌な予感を覚えた保岡府知事に、城戸内副首相は満面の笑みでこう言うのだ。
「とりあえず漁業者との交渉、海運業者との取り決めの変更など諸々に関しては大阪府が窓口となっていただけますか」
「え」
「ああそうだ、兵庫県と、あと和歌山県にも説明をしなくてはなりませんよね。これも知事にお願いします。大変でしょうが」
「いや、いやいやいやいや、ちょっと、何言ってんですか! 無茶を言わんでください、それはみんな政府の仕事でしょう。地方に政府の仕事押しつけてどうする気です、政府には政府の仕事をしてもらわないと」
真っ青な顔で食い下がる保岡府知事に、城戸内副首相は残念そうに首を振った。
「今日の昼からずっと、アメリカと中国の大使が首相に面会させろと矢の催促でね。首相は公用を理由に何とかはぐらかしてはいるんですが、さすがに明日になっても会わないという訳には行きません。いまサンリーハムの問題は、文字通り世界を揺るがしているんですよ。あなたのおっしゃる通り、政府には政府の仕事があります。
優しく丁寧な口調の、しかし断固とした意思表示。これは副首相の個人的な判断ではなく、日本国政府の正式な決定である。あくまで従えないと言うのなら、行政の場から退くしかないだろう。
「……国民への説明はしていただけるんでしょうね」
これが府知事の最後の抵抗。城戸内副首相は笑顔で大きくうなずいた。
「ええ、それは政府の仕事ですから」
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