王都の夜


 わたしは客人用の部屋に案内される。


 ……わたしがいつも寝ている部屋より一回り広い。立派な調度品に、ベッドもふかふか。

 普段使われない客人用の部屋でこれなのだから、マゼロン侯爵やその家族の寝室はどれほど豪華なのだろう。

 マゼロン侯爵家は官僚や政治家としての貴族収入に加え、領地での農業による利益も大きい。

 家柄も実力も申し分なしの、イメージ通りの大貴族である。


「アリア様、お父様がお呼びです」

 入り口でアンの声がしたので、わたしはお父様と兄がいる隣の部屋へ。

 廊下に出ると、わたしのいたような部屋が何室も並んでいることがわかり、この屋敷の大きさを実感する。


 ……マゼロン侯爵家のような大貴族は、自身の領地とこの王都、2箇所に屋敷を構えている。

 というより、領地とは別に王都に滞在のための場所を持つことが、大貴族のステータスとなっていると言ったほうが良いか。

 

 領地での仕事、王都での仕事両方をこなすため、必要に応じて2つを行き来しているのだ。

 そして大体の場合、当たり前だが領地にある屋敷のほうが大きい。つまり今いるこの屋敷よりも大きなものをマゼロン侯爵家は持っているのだ。


 ……平民にとっては同じ貴族でも、ファイエール子爵家のような零細の家とマゼロン侯爵家のような大貴族でどれほどの差があるか。

 もちろん同様に、大貴族の中でも力関係があり、それが権力争いにつながり、結果として今、議会が開かれたは良いが何も決められない、ということに繋がっているのだろうが。



「アリア! 本当に大きくなったな……」


 部屋に入った瞬間、わたしは兄に頭を撫でられる。

 ……そういえば前世のわたしは一人っ子だったので、こうして兄弟姉妹に接するというのは初めての経験だ。


 兄というのは、ここまで妹を好むものなのか。


「兄さん、やめてください。わたしも15才ですよ」

「……そうだよな。アリアももう立派な大人の女性だ」


 兄はまるで自分のことのようにうんうんと首を縦に振る。……親じゃないんだから。


「そうだ。明日はアリアにとって大事な日になる。明日の予定を、改めて確認するぞ」

 お父様は手元の羊皮紙を見ながら話す。


 明日はいつも以上に早起きし、大聖堂で成人の儀を受ける。一日がかりの儀式だ。

 面倒なことこの上ないけど、ここはなんとしても乗り越えなければいけない。



 ***



 予定や服装を確認していたり、マゼロン侯爵家の皆さんに挨拶をしていたら、あっという間に寝る時間となった。

 

「ではアリア様、おやすみなさい」

 わたしは部屋に一人となり、魔力ランプの灯りを消す。

 窓の外から入る星の光が、わずかに部屋の中を照らす。


「……ふう」

 やっと息をつける。


 わたしは寝間着になり、なんとなく窓際へ。

 屋敷の1階にある部屋からは、茂みと柵の向こう、他の屋敷に隠れて宮殿の塔が遠くに見える。

 深夜、というほどの時間ではないが、外の道路を歩いている人は全くいない。


 まあ、王都に来るのも最初で最後だろう。せっかくだし、この景色は記憶に残しておかないと。



 ……おや。

 視界の端に動くものを見た気がして、わたしは目を向ける。


 他に動いてるものが無かったから、よく目立った。

 窓から敷地の端まで5メートル少々、その向こうにある柵の手前にはわたしの身長ほどの高さの茂み。

 その生い茂る生け垣の中に紛れて……人がいた。


 

 うん。間違いない。

 頭に黒いフードのようなものを被っているが、あれは人だ。生け垣の上に、ほんの少し違う色が見え隠れしている。


 ここの使用人?

 いや、だったらあんな隠れるようなことはしないはずだ。

 明らかに挙動不審過ぎる。


 わたしは窓から身を乗り出して周囲を見回す。

 特段騒ぎにはなっていない。

 あの人に気づいているのは、今のところ自分だけっぽい。

 


 ……気にならなくはないが……

 かといってわたしができることも特に無い。

 一応、屋敷の人に話しておこうか?


 

 

 ――そんなことを考えていると、目が合ってしまった。


 


 やばい。間違いなく今、視線と視線がぶつかった。


 

 

「お前、貴族か?」

 そして次の瞬間には、わたしの目の前にその人がいた。


 なにかの魔法か、本当に一瞬でわたしのすぐ先、窓の向こうに立っていた。

 お互いに、表情がはっきり見える。


 

 

「はい……」

 ……待って。めちゃくちゃカッコイイ。


 端正な顔立ち、という言葉がこれほど似合う男性が、かつていただろうか。

 わたしがこれだけ見上げないといけないから、身長は180cmあるはず。

 顔は小さく、近くで見ると身体も細身だ。

 全身黒いフードで身体を隠しているが、頭身の高さは容易にわかる。


「そうか。……運が良かったな。ここにいるのが俺じゃなかったら、お前は死んでたぞ」

 ……えっ。

 物騒なことを……でもその小さな声はまるでベテラン声優のように低い声。顔の感じは兄と同年代ぐらい、20才になってるかどうかぐらいなのに。


「知らないのか。すでに街のあちこちで貴族と平民との小競り合いが起きてる。お前も自分の命が大事なら、気をつけるんだな」

「あ、あの、あなたは……」


「おい。あまり声を出すな」


 男は懐から短刀を取り出し、わたしの顔の前に見せる。

 かすかな光に照らされて輝く銀の刃は、間違いなくわたしの危機感を煽っている。


「俺のことは、一切口外するな。もしも俺らの不利益になることをやったら……」

 男は短刀の切っ先をわたしの方に向ける。

 

 言われなくても、このことを誰かに話す気は無くなっていた。


「誰にも、言いません」

「なら、俺のことは忘れろ」


 そう言ってその次には、男はどこにもいなくなっていた。



 

 

「……何だったんだろう……」


 ベッドに横になっても、その男の顔が頭から離れることはなかった。

 あまりにも良すぎる顔。


 ……この世界に来てから見た、最もいい顔だった。


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