幻夢一刀〜剣術を鍛え過ぎて逆に何も斬れなくなった話〜

もうしばらくで川

第1話「剣聖ウォーレン」

 人の生きる意味というのは長年哲学者たちの頭を悩ませてきた最大の疑問の一つである。そもそも、人は意味などもって生まれてきたのだろうか。脳やら神経やらの仕業で意識などというフワッとした代物を獲得した我らに神は何をさせたいのだろう。何を見せたいのだろう。そもそも神は存在するのか。疑問は尽きない。


 しかし、1つだけはっきりしていることがある。


 我々は思考を止めてはいけない。  


 その先に真理が無かったとしても、生まれてきたことに意味などなかったとしても、考えることをやめなければいつか意味を“持たせる”ことはできるのだから。




ーーー




 ウォーレン・ウォーカーの半生は苦悩と共にあった。


 イルス王国のスラム街で生を受けたウォーレンは物心がついた時にはもう一人だった。ゴミと暴力に塗れた街で彼が生き残るには強くなるしかない。鍛えた体と虚勢を武器にウォーレンは少しずつ仲間を増やしていき、やがてスラム街の王と言われるまでに成り上がった。


 しかし、その頃にはウォーレンは人を信じるという行為が出来なくなっていた。周りにいる人間がいつか自分を騙し、裏切るのではないか。そう思うと怖くてたまらなかった。


 そして、その予感は正しかった。ウォーレンに幼い頃から付き従っていた右腕のガスが手下の半数を率いて謀反を起こしたのだ。きっかけは仕事の分け前に対する不満とか、そんな小さいことだったのだろう。しかし、時間というものは人の感情を強く、重たいものに変えてしまう。ガスの心に積もった闇は並大抵のものではなかった。


 激闘の末にウォーレンを下したガスは剣の切っ先でウォーレンのこめかみの辺りを突き刺した。心をぽっきりと折られたウォーレンは部下の悲鳴を聞きながら命からがらその場から逃げだした。雨に濡れ、泥に塗れ、無様に逃げ続けて辿り着いたのは、とある伯爵家の邸宅の前だった。


 幸運なことにウォーカー家の当主、スティーブは善人だった。スティーブはウォーレンを保護し、治療を施したのだ。しかし、ガスから受けた傷は深刻だった。剣は脳の一部にまで及んでおり、やがてウォーレンは視覚と触覚の一部、特に両腕から両ひざにかけての感覚を失った。暗闇の中で自分の存在さえも曖昧になりつつあったウォーレンをスティーブは使用人として雇い入れた。なぜ自分なんかにそこまでしてくれるのかウォーレンが聞くと「下々に居場所を与えるのは上位者としての当然の役目である」スティーブは傲慢にもそう言い放った。ウォーレンはそれを聞いてスティーブに一生仕えようと決めた。


 ウォーカー家は代々、剣聖を輩出している一族であり、当代はスティーブが剣聖を務めている。ウォーレンは頼み込み、スティーブに弟子入りした。全てはウォーカー家を守り、恩を返すため。視覚を持たないウォーレンは聴覚を頼りとした独自の戦い方を身につけ、めきめきとその実力を伸ばしていった。


 その頃、スティーブには十三になる娘がいた。名はルカといい、ウォーレンによく懐いていた。庭でウォーレンが素振りを行っていると危険を顧みず駆けて行って、ウォーレン抱きついた。


「……ウォーレン!」


「お嬢様!?危ないではありませんか!」


「……」


 無口なルカは抱き着くばかりで何も言わない。他者と抱き合うという行為は普通、互いの温もりや肌の感触を確かめ合い、より直接的なコミュニケーションを図る意味があるが、触覚の一部を失い、他者と自分の境界が曖昧なウォーレンにとってそれはあまり心地よいものではなかった。むしろ、相手の存在を強く感じることが出来ず、言いようのない寂しさに見舞われた。皮膚の感覚とは違う、体に僅かにかかる“重み”だけがルカがそこにいる証拠だった。


 ルカは毎日のようにウォーレンに駆け寄り、抱き着いた。スティーブに修行の邪魔だと叱られてもめげずに何度も、何度も。


 この静かな攻防が始まって3年が経という頃にはウォーレンにとってこの体にかかる“重み”は何物にも代えられない大切な存在へと変わっていた。


 他者の存在を、いや他者の存在を通して自分の存在を確かめられる手段。


 例えるならそれは光。柔らかい、優しい光線を浴びてウォーレンは自らの影を視認し、自分の存在を確信した。気付いた時には涙がこぼれていた。


“私はこの女性に恋をしているのだ”




ーーー




 ウォーレンが二十五、ルカが十八になる頃、2人は婚約した。剣聖の娘とその使用人、それもスラム出身の男が婚約をしたのだ。当然、周囲の反対は大きかった。しかし、それも全て剣聖スティーブ・ウォーカーが黙らせた。


「息子は幼い頃に死に、私には今跡取りがいない。私が持つ武の全てを叩きこんだ男が婿になるなら、それは願ったり叶ったりである」


 こうしてウォーレンはイルス王国における9代目剣聖となった。このことは世間を大いに驚かせたが、ウォーレンの実力の前に正面から文句を言う者は少なかった。


 視覚を失い、執務が出来ない分、ウォーレンは自ら騎士団を率いて国家の治安維持に努めた。数日家を留守にすることも少なくはなかったが、それでもウォーレンは幸せだった。家に帰ればいつものようにルカが抱き着いてくる。この関係が公に認められ、今夫婦としてここにある。


「ウォーレン、あなたを愛してる」


「私もだ、ルカ」


“これが、これこそが私の生まれてきた意味なのだ”


 ウォーレンはそう思った。


 しかし、この幸せは長くは続かなかった。




ーーー




 ある日、ウォーレンが帰宅しても、ルカが抱き着いてくることがなかった。


 それどころか使用人たちの出迎えもない。嫌な予感がする。ウォーレンは荒い呼吸を押えながら邸宅を進んでいく。




びちゃ




 何かの液体を足で踏んだ。




 なんだ、これは。


 気持ちが悪い。吐き気がこみ上げてくる。


 ……いや、目が見えなくても分かる。仕事で、何度も、そう何度も嗅いだことのある、この焼け付くような臭い。


「血だ」


 部屋は荒らされており、使用人たちが倒れている。


 意味が分からない。


 どうなっている。


 思考が追い付かない。


「ルカ!ルカはいるか!?」


 返事は無い。


 倒れている者たちの中からルカを探そうにも、視覚と触覚が機能しないのでは上手く見つけられない。


「ルカ!ルカ!」


 このままでは埒が明かない。ウォーレンはルカが無事だと信じ、階段を駆け、ルカの部屋へと向かった。


 扉を開けた瞬間、ふわりとした重みがウォーレンの体を包み込んだ。


 この“重み”は、間違えるはずもない。


「ルカ!!よかった!本当に!」


 安堵で瞳から涙が零れ出す。


「ルカ!怪我は無いか!?この惨状は何だ!何が起きたんだ!?」


 しかし、返事は無い。


「ルカ……?どうして何も言ってくれないんだ……?ルカ?」


「哀れなものだな」


「……?義父上、そこにおられるのですか?」


「ああ、いるとも」


 スティーブはどうやらルカの部屋のベッドに腰を掛けているようだ。


「哀れだな、ウォーレン。視覚も触覚も持たないお前はルカが死んでいることにも気付かない」


「……どういうことですか」


「お前はいつか“重み”という言葉を使っていたな。それがお前たちを繋ぎとめるのだと。だがそんなものは何の意味も持たない。ルカから流れる血にも、凍えるような体温にも、何にも気付けない。お前にとってルカとはその程度の物なのか?生きていても死んでいても変わらないのではないか?何が“重み”だ。笑わせるな。お前は無価値なものに無理に意味を持たせていたに過ぎん」 


「……ルカは、ルカは死んだのですか?」


「ああ、私が殺した」


「は?」


「私はルカを愛していた。1人の女性として。誰にも渡したくなかった。誰にもルカの純潔を汚させたくはなかった。あの藍色の瞳、桜の唇、ああ思い出しただけで胸の高鳴りが止まらん。これは恋だ。だが、彼女は私を拒絶した。平手打ちまでしたのだぞ。だから殺した」


「た、たったそれだけで……?」

 

「それだけではない。私がどれだけ彼女に恋い焦がれてきたと思っている。幼いころから彼女が女として花開く時をどれだけ心待ちにしてきたと思っている。この燃えるような恋心を全て台無しにされたのだ。私の悲しみが、怒りがお前に分かるか!?私の想いの邪魔をするものは皆殺しだ。使用人共も、ルカ本人でさえも」


「お前は、お前は何なんだ!!」


「お前の義父だ。お前を婿に選んだのだってルカを誰にも渡したくない一心だ。お前は触覚が無い分、性的快感という物が無く、行為も行うことができない。お前を婿にすればルカの純潔を汚さず、跡取りも手に入れることができる。一石二鳥というやつだ」


 そう言ってスティーブは笑った。


「もういい」


「なんだ?自暴自棄か?」


「ああ、もう疲れた。だからもういいんだ」


 ウォーレンは腰に差した剣を抜く。


「ふん、私を殺すか。好きにすればいい。想い人に振られて、私も自暴自棄な……」


 言い終える前にウォーレンはスティーブの首を撥ねた。


「ルカ、私は……」


 やがて、駆け付けた衛兵にウォーレンは取り押さえられた。


 その時には既にウォーレンの瞳に光は無かった。


 尋問中も一言も発さず、全ての罪を背負い、9代目剣聖ウォーレン・ウォーカーの処刑が決まった。




ーーー




 時は現在。場所はイルス王国の首都ミカエラの中心地、クレブ広場。


 使用人を含め一族を皆殺しにした狂気の殺人鬼、剣聖ウォーレン・ウォーカーの処刑を一目見ようと周囲には人だかりができていた。


 広場は暗黒時代の遺跡をそのまま流用したものになっており、均等に地面に打ち立てられた6本の石柱がどこか神聖さを醸し出している。


 ウォーレンはその石柱に囲まれるように地面に倒れていた。体中に殴られたような痣が浮かび、動きは木製の手枷によって制限されていた。


 民衆が彼に石を投げ、嘲笑する。彼らは直接ウォーレンに怒りを抱いているわけではない。公開処刑には民衆の不満やストレスの捌け口の意味があった。周囲の警備兵は当然それを止めようとはしない。


 上位貴族の処刑にはより高位の貴族の立ち合いが義務とされている。


「これより剣聖ウォーレン・ウォーカーの処刑を始める!」


 侯爵家、現当主レオナルド・マッカスが声を上げる。


「この者はウォーレン家の前当主、スティーブ・ウォーカーとその娘であり自身の妻、ルカ・ウォーカーそしてその使用人たちを皆殺しにした!イルス王の名の元に断じてこの悪逆非道を許すわけにはいかん!断罪者の刃にその魂ごと切り裂かれるがいい!【八聖】がひとり、断罪者“シキ”の入場である!」


 その瞬間、喧騒に満ちていた広場の空気が凍った。誰もが息を呑み、人ならざる者がこの場に現れたのだと本能的に理解した。


 イルス王国において処刑は特別な意味を持つ。イルスには地獄や天国という概念が無く、人は死後、神に魂を裁かれることなく転生を繰り返していくとされている。そのため生きている内に罪人の魂を砕き、二度と悪に染まらぬよう転生を促す死刑執行人は、この世界でも最高位の権力と強さを持つ人物が務める決まりとなっていた。イルス王国が位置する大陸、アラグニアにて最強の八人、【八聖】がひとり、人間にして神の座へ近付いた人神“シキ”、彼こそがミカエラにおいて死刑執行人を任せられている断罪者に他ならなかった。


 シキは死神のような黒いローブを着たどこにでもいるような青年だった。年の頃は二十、いやそれよりも若く見える。顔色は悪く、目の下には隈が浮かんでいる。


 ローブと同じ漆黒の髪が風に揺れる。この街ではシキの姿を目にするのはそう珍しいことではない。しかし、民衆はその存在感に圧倒されていた。シキ自体にそこまで目を見張る要素は無い。むしろ希薄な印象さえ受ける。しかし、彼を取り巻く空気と景色が彼の希薄さと絶大な“差異”となり、逆に彼の存在感を強めていた。


 静寂が支配する広場をシキが一歩一歩、確かめるように歩いていく。


 やがてウォーレンの元に辿りつくと、彼の髪を掴み、小声で問いかけた。


「本当に、お前がやったのか?」


 ウォーレンは一瞬驚いたような表情を作るが、すぐに元の無気力な態度に戻った。


「もういい。……もういいんだ」


「……死にたいか。ああ、それもいいだろう。人間にはこの世に生れ落ちるか否か、それを決定する権利は無い。であれば死を選ぶ権利くらいは与えるべきだと、俺はそう思う」


 シキは腰から一本の刀を抜いた。何の特徴も無い刀だ。しかし、民衆にはそれが死神の鎌に見えた。


「ウォーレン・ウォーカーよ、いつかまた出会えることを願っているぞ」


 ウォーレンにとって、それはあまりにも呆気ない最期だった。


 恐ろしいほど美しく、静かな一太刀が彼の首を通過する。


 時間が間延びしたようだった。


 ゆっくりと、ゆっくりと時が流れる。


 ウォーレンの首は未だ落ちない。


 達人の一太刀とは時さえ捻じ曲げるのか。誰もが感嘆する。


 ただ、ゆっくり、ゆっくりと時が流れる。


「…………あれ?」


 民衆の一人が気付く。確かにシキの刀はウォーレンの肉体を通過した。だが、首が落ちるどころか、ウォーレンの首には傷跡ひとつ見当たらない。


 何が起きているのか、民衆の間に動揺が広がる。


「シキ様、これは一体……」


 焦れたようにレオナルドが問いかける。


「処刑は以上だ」


「ど、どういうことですか!?この者はまだ生きております!」


「俺の刀は確かに奴を切り裂いた。その魂ごとな。だが奴は死ななかった。それが全てだ」


「奴は大罪人ですぞ!?このまま生かしておくなど……!」


「ウォーレン・ウォーカーは無罪だ。真犯人は他にいる。それくらい奴の目を見ればわかる」


「なっ!」


「処刑は終わりだ」


 その時、沈黙を貫いていたウォーレンがシキに掴みかかった。


「ふざけるな!勝手に決めるな!私を殺せ!ルカが死んだ!私の全てがなくなった!もう私に生きてる意味などない!」


「知るか。俺の刀はお前を生かすことを選んだ。お前の生きる意味なんて関係ない」


「私には彼女の“重み”が必要だった。まやかしだと言われても、それが私の全てだった。それを失った私はもう自分の存在さえあやふやだ。もう死んでいるのと変わらないんだよ……」


「お前の事情はよく知らんし、興味も無い。だが、ひとつ聞きたい。お前は本当に彼女を愛していたのか?」


 ウォーレンが呆気にとられたような表情をする。


「あ、当たり前だ!」


「そうかな?お前は彼女の“重み”を自分の存在を肯定するための道具だと思っていないか?それは悪いことではないかも知れない。だが真に彼女を愛しているとは言えないのではないか」


「お前に何が分かる!暗闇の中で光を見つけた時の喜びが、幸せがお前に分かるものか!」


「いいや。分かるともウォーレン」


「何を……」


「俺にはお前が分かる。俺はお前が求める光ではない。だが暗闇の中のお前を必ず見つけ出せる。他の者だってそうだ。周りを見ろ。みんなお前を見ている。注目している。これが特別なことか?いや違う。お前の存在を認め、それをお前に伝えるなど簡単なことだ」


「屁理屈を……」


「屁理屈ではない。“重み”などなくてもお前の存在など確かめられる。お前は確かに彼女を愛していたのだろう。だが、その最愛を失ったこととお前の存在の有無は関係ない。お前は大丈夫だ。【八聖】がひとり、断罪者シキの名の元に宣言しよう」


“お前は確かにここにいる”


 ウォーレンの瞳から大粒の涙が零れる。


“生きろ、ウォーレン・ウォーカー”




ーーー




「シキはその恐るべき剣技で、生かしたまま剣聖ウォーレン・ウォーカーを裁いてみせた!さらにウォーレンは罪を犯していないという事実が発覚した!なんという、なんという男だろう、断罪者シキ!流石は人神にして【八聖】のひとり!我が国が有する英雄である!」


 レオナルドの声に、民衆から歓声が上がる。もうお祭り騒ぎだ。この街の人々は何かあるたびに祭りをしたがる。それ程、日々溜まっているものがあるのだろう。


 俺ーーシキは民衆の声を聞きながらそそくさとその場を抜け出した。


 レオナルドも上手く言ったものだ。生かしたまま裁く。成程、良い響きじゃないか。


 なんというか、希望があるよな。うん。




 ただ斬れなかっただけなんだが。




 もう一度言う。




 ただ斬れなかっただけなんだが。




 あれだ。


 物語とかによくある、剣技が熟練し過ぎて


“体が斬られたことにすら気付いてないだと!?”


 みたいなやつ。そう、あれだ。


 剣術を鍛えすぎて常にその状態になってしまった。


 そんな阿呆な、そう思っただろ?


 でも本当だ。もう俺には何も斬ることができない。あはは、泣いていい?


 何が“生きろ、ウォーレン・ウォーカー”だよ、偉そうに。まあなんかソレっぽいこと言っとけば誤魔化せるかなとは思ったが、こんなに上手くいくとは思わなかった。


 確かにウォーレンには同情する。真犯人がいるだろうというのも本当だ。だが、別に殺さないつもりはなかった。ただ斬れなかっただけ。


 なんでこんなことになったんだろう。


 俺はただ最強を目指し、鍛錬を続けていただけなのに。


もうなーんも斬れないの。


 なんで?


 もう一回言う。


 泣いていい?


 あっ、涙出てきた。

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