第3話
猪四郎が、自分の身に起こった更なる異変を実感したのは数日後だった。
この日、裏山崩壊から馬を救ったことの褒美を殿から受けるため、猪四郎は城の謁見の間に上がった。先導は武藤である。廊下を上っていく途中に、前を歩く武藤がぶつぶつと呟いているのが聞こえて来た。
「・・星雲号が居なくなったと聞いた時は肝を冷やしたが、それより何より、裏山が崩れて馬が皆死んでいたらそれどころでは無かった。切腹ものだった。これは助かったな。こいつには感謝せねば・・」
余程嬉しいと見えて周囲に聞こえるほどの声を出している。いつもは考えを巡らす時間ばかりが長く、なかなか口を開かない武藤にしてはことのほか饒舌である。
「・・なにしろ、あの時、わしは馬を出すなと命じていたからな。あいつが言う事を聞かなかったことで命拾いをした。そのような事は、家老には口が裂けても言えない。それを知ったら家老は何と言うか・・」
自分が後ろにいる事をわかっていながら、このように聞こえるように呟く武藤の心が不思議だった。
謁見の間で待っていると藩主の白鳥長政(しろとりながまさ)が入って来た。
「面を上げよ」
猪四郎は顔を上げた。長政が自分をまじまじと見つめている。
「鹿山猪四郎、大儀であった」
ハハっ、と言いながら猪四郎が頭を下げた。
「・・これはまた貧弱な体だな。いや、顔も相当なものだが・・」
いくら御上とはいえ何もこうハッキリと言わなくても良いではないか、と思いながら猪四郎は頭を低くしていた。更に長政が続けた。
「・・皆が童顔と言っていたが、幼い形相とはいえ、醜きことには変わりがないな・・」
さすがにこの言い方はあまりではないか。猪四郎は戸惑いながら視線をやや上げて長政に向けた。
「・・お、顔を向けたか、なるほど、これでは嫁の来手もないだろうな、可哀想に・・」
猪四郎はハッとして体が固まった。長政の口が動いていない。
「・・いや、面白いものを見せてもらった。世の中は広い。早速、奥に話をせねば・・」
長政は口を閉じてジッと自分を見詰めているだけだが、聞こえて来た声は間違いなく長政のものだ。
猪四郎は視線を下げた。目がおかしくなったのか、勘違いか、あるいは何かの間違いか。どう考えても、口を動かしていない人の声が聞こえるはずなどない。
長政が立ち上がって部屋を出て行った。猪四郎は上体を起こし、恐る恐る視線を隣に座っている武藤に向けた。武藤は満面の笑みを浮かべている。
「・・御上には久しぶりでお目にかかったが、ことのほかご満悦のご様子。まあ、めでたし。今宵の酒は美味いだろうな。肴は少し贅沢をさせるか・・」
武藤の口は動いていなかった。やがて小さく息を吐き、チラリと猪四郎を見た。
「・・こいつのおかげだ。少し、褒めてやるか・・」
武藤はゆっくりと立ち上がりながら口を開いた。
「ご苦労だったな。御上からお褒めの言葉があった。良かったではないか」
武藤が口を閉じて猪四郎を見た。
「・・それにしても、こいつの貧相にも程があるなぁ・・」
武藤はにこやかな笑みを浮かべているだけだ。
猪四郎はようやく理解した。やはり、自分の身にとんでもない事が起こっているのだ。馬である星雲号の声が聞こえて、更に、人が心に思ったことも聞こえるようになった。神様が、貧弱な容姿の自分を哀れんで与えてくれた才能かもしれない。あるいは、これまで頑張って来た事への褒美なのか。
殿からの褒美として、金一封と禄の増加があった。
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