第28話 乗馬
「メイヴィス様、メイヴィス様!」
ようやく一人で歩くことも難しくなくなった頃、メイヴィスは廊下でクリスタに声をかけられた。
「クリスタ様、ごきげんよう」
結局あれからサイラスには出会していない。食事は相変わらず個人でとっている。そのおかげで心も落ち着いた。
クリスタに会うのも随分と久しぶりだ。
「これから厩舎へ参りますの。メイヴィス様もご一緒しませんか?」
「厩舎?」
「はい、乗馬です!」
「えっ」
にこにこと悪意のない笑顔を向けるクリスタに、メイヴィスは顔が引き攣った。
「そっ……それは、私が行ってもよろしいのでしょうか?」
何よりサイラスに極力会いたくない。
クリスタはきょとんとして首を傾げる。
「はい、殿下にメイヴィス様やルーナ様をお誘いしてよいかお尋ねしました」
「……」
この様子だと是と言われたのだろう。
「何かご懸念が?」
そして、メイヴィスが動物が苦手であると伝えたことも忘れているらしい。
「私が居合わせると、またトラブルを起こしてしまわないかと心配で……」
誰がどう見ても、メイヴィスはトラブルメーカーだ。動物に嫌われる傾向のあるメイヴィスが馬と触れ合ったところで、嫌な予感しかしない。
「ご心配には及びません! 殿下もいらっしゃるのですから、大丈夫ですよ」
(だから嫌なのだけど……)
どこからくる信頼なのか、クリスタはメイヴィスの訴えを棄却する。
(何かあってからでは遅いのに)
しかし、いつまでもサイラスを避け続けるわけにはいかないのも事実だ。乗馬であれば顔を見る必要はないし、それを不自然と思われることもない。馬には乗らずに、遠目から見守っているだけなら誰も咎めないだろう。
「わかりました」
観念して了承すると、クリスタは目を輝かせて
「では私はルーナ様にお声がけしてきます〜!」
と元気に走り去っていった。
メイヴィスはしばらく廊下に立ち尽くしていたが、カレンによって見つけられる。
「侯爵令嬢様、ここにおいででしたか」
「カレン。厩舎に案内してくれる?」
頼むと、カレンは一瞬理解が追いつかないという顔をした。
「えっ? 厩舎ですか?」
「……お誘いよ。行かなきゃね」
カレンは「大丈夫ですか?」と尋ねた。おそらく、サイラスに会ってもいいのか、という意味だ。
「いつまでも避けられないわ」
ただの強がりだ。本当は、同じ空間にいることすら躊躇う。不干渉を盾に、やりたい放題が許されるわけではないのだから。
「承知しました。その前にこちらを」
カレンはポケットから小さな箱を取り出した。とはいえ、ただの箱ではない。華美な装飾が施された箱だ。
「それは」
「ブローチです。付けておかないと」
カパリと開けられた箱の中には、小さなブローチが鎮座している。それはサイラスが持ってきた、王太子妃候補の証であった。
「……」
無言の訴えは届くことなく、カレンは無抵抗のメイヴィスの胸元に手早くブローチをつける。
「こちらです」
流石に普段の装いで厩舎へは行かれないので、メイヴィスはカレンに手伝ってもらいながら厩舎の近くに用意されたテントの中で乗馬用の服に着替えた。
「落とされる可能性もありますので、こちらはやめておきましょう」
ブローチをいつもの服に付けたばかりだというのに、乗馬用の服には付けないらしい。
「じゃあ付けなくて良かったんじゃ」
「私が常に持っていることが殿下に露呈したら、怒られるのは私ですから」
「拒んだのは私なんだから、怒られるなら私でしょう」
メイヴィスの言葉は無視され、カレンはテントから出て行く。憂鬱なため息をついた後、メイヴィスも後を追った。
馬に乗るつもりはない。触れるつもりもない。
メイヴィスが近寄るだけで、警戒されるだろうから。
カレンと共に厩舎へ入ると、男が頭を下げた。
「お話は王太子殿下より聞いております。馬をお選びください」
「一番穏やかな性格の馬を」
厩務員に促され、カレンが返す。乗るつもりは全くないが、それを悟られるわけにはいかない。乗り気なフリをして、馬の調子が良くなかったからと見守る方に回ればいい。
厩務員はその馬の元までメイヴィスを案内する。連れてくるよりも馬を柵の中に居させたほうがいいと言うのでそれに従う。
馬は、芦毛の牡馬だった。小柄で乗りやすい。
しかし、牡馬はメイヴィスを見るなり前足で地面を蹴る。やはり機嫌を損ねてしまったらしい。
「申し訳ありません、普段はこのようなことはしないのですが」
馬を宥めた後、厩務員はメイヴィスに謝罪した。
「……なぜかしらね。昔から動物には好かれないの」
気に入らない何かがあるのだろうと遠回しに尋ねてみる。厩務員は腕を組み、悩みはじめた。
「そうですね、動物に好かれないお方というのは珍しくありません。特に貴族の方ですと、香水の匂いがキツい方や横柄な態度、そういった方が忌避されやすいです。馬は賢い生き物ですから」
「そうでしょうね」
メイヴィスは香水もつけなければ横柄な態度であるわけでもない。
「怯えていることが伝わってしまっているのかもね」
「下に見られている、と?」
「そんなところ。厩舎をぐるりと回って、相性の良さそうな馬を選ぶわ」
「かしこまりました」
ずらりと並ぶ柵の前を少しずつ進んでいく。どの馬も不機嫌そうに鼻を鳴らしたり、地面を蹴ったり、立ち上がってみたりなど、メイヴィスに対して好意的な馬は皆無だった。
そんな中、興奮する馬たちを止めていた厩務員が今度はメイヴィスを止める。
「次の馬はかなり気性が荒いので、ご注意を」
どんな馬かと思えば、見た目は栗毛の牝馬だ。
体が特別大きいわけでもなく、他の馬との差がよくわからない。
「……」
牝馬の正面に立って、反応を待つ。牝馬はメイヴィスを見て、すぐに何か反応することはなかった。じっと見つめ返し、見定めているように見えた。
こいつを背中に乗せてもいいと思えるかどうか。
「お下がりください!」
牝馬はメイヴィスの方に歩み寄る。怪我をさせるわけにいかない厩務員は焦ったようにメイヴィスを庇うが、牝馬は落ち着いていた。
メイヴィスの顔まで近づき、すり、と頬擦りのような行動をとる。
「……?」
意図が分からず、メイヴィスは困惑する。それは厩務員も同じだったようだが、やがて彼は「撫でてやってください」と助言した。
おそるおそる手を前に突き出すと、牝馬の方からメイヴィスの手にくっついた。
「驚きました。初対面の人間にここまで懐くとは」
「……私もよ」
動物と触れ合うのは、初めてだ。手入れの行き届いた牝馬は艶々としていて、自分などよりもよほど気高く、美しい。
「この子にするわ」
「それが良さそうですね」
先に牧場へ向かっているように言われ、メイヴィスはその場を後にした。
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