第6話 書庫管理人






ランプを掲げながら、メイヴィスは本棚の間を縫うように歩いていく。

王宮の書庫であれば管理人がいるはずだが、姿は見当たらない。灯りも付いていないので、もう閉館しているのか。それとも元からこうなのか。


「だとしたら随分杜撰な管理ね……貴重な本もあるでしょうに」


少し歩くと、螺旋階段があった。その周りには階段を囲むように本棚が設置され、上の方までずっと続いている。


「わ、さすが王宮の書庫」


メイヴィスはゆっくりと階段を上り始める。

棚に収められた本の背表紙を撫でながら、ゆっくりと。


「……そういえば、さっきの騎士。名前を聞くのを忘れたわ」


まだ成長途中、といった風貌だったが、その力は間違いなく本物だった。


「私も名乗ってないし、もう会うこともないでしょうから別にいいか……」


メイヴィスは基本動かない。そのため、滅多に人と出会わない。今回はたまたま声をかけられたが、それは一人だったからだろう。誰かがそばにいれば、騎士と二人きりで話すことはあり得ない。


「しっかし、この螺旋階段……どこまであるのかしら」


地上から十数メートルは来ただろうか。それでもまだ上はある。王宮の天井は高すぎる。

それでも限界を知りたくて、メイヴィスはひたすら階段を上っていく。


「ん?」


一冊だけ、タイトルもなく、製本も崩れた古書が綺麗な本たちの中に突っ込まれているのを見つけた。


「呪いの書とか?」


手にとって階段に座り込み、躊躇いなくパラパラとめくってみる。しかし何も起こらない。中に印刷されている文字は、古代文字なのか読むこともできない。


「……私って、本当に何もないわね。せめて一つでも、得意なことがあればよかったのに」


歌姫、という意味の自身の名前でさえ、メイヴィスに才を与えてはくれなかった。


「未来が読める、心が読める、浄化の力がある……他の誰にもできない何かが、あれば」


たとえ、それが忌み嫌われるものであったとしても、何か一つでも他人より優れたものがあったなら。


「でも所詮、絵空事か」


古書を閉じ、元あった場所へ戻す。


「絵空事。本当か?」


背中から声が聞こえ、メイヴィスは振り向く。誰もいなかったはずなのに。


「よお」


メイヴィスより数段上に、青年がいた。見たところ、騎士でも使用人でもない。だが、貴族のようにも見えない。その格好は、まるで侯爵家を訪れていた商人、もしくは旅人のように見えた。年齢はサイラスと同じ、若しくは少し上だろうか。


「……っ」


今夜はやたら初めましてが多い。わざとなのか偶然なのか、メイヴィスはただ困惑した。

立ち上がり、いつでも逃げられるよう体勢をとる。


「無理すんなよ。お前みたいな貧弱娘が逃げられるわけないだろ」

「なっ」


青年は冷めた目でメイヴィスを見下ろす。


「俺はコーディ。ここの管理人……みたいなもんだ」


釈然としない物言いが引っかかったが、メイヴィスは突っ込まないことにした。態度も決して王太子妃候補に対するものとは言えないが、言い方を変えればフランクとも言える。それはメイヴィスにとって新鮮だった。


「何だか私のことを前から知っていたような口ぶりね」


代わりに別のことで突っ込んでみる。コーディ、と名乗る青年は動揺することもなく笑みを浮かべている。


「お前の方が弱いのは、見ればわかる」

「……さっき、私が絵空事と言ったことに疑問を投げたわね。どういうこと?」


話題を変える。世間の噂は概ね正しい。メイヴィス自身も似たような評価だ。何も持たないメイヴィスが、何かを望むのは絵空事。青年の言葉は、その前提に石を投じたようなものだった。


「俺を見つけるのは、そんなに簡単なことじゃねえから」


たかが書庫の管理人を、見つけるのが難しいとはどういうことなのか。メイヴィスは首を傾げた。


「まだ話してやりてえが、今日は日が悪い。また来な。俺はいつでもここにいる」

「あっ、ちょっと」


書庫から締め出されるような形で、メイヴィスは廊下に出る。


「侯爵令嬢様!」


するとカレンが悲鳴のような叫び声と共に飛んできて、メイヴィスは大人しく部屋に連れ戻された。





♢♢♢♢♢





カレンはあれほど焦っていたにも関わらず、「肝が冷えるのでやめてください」と言うだけだった。


「私がいない時は書庫にいると思って」

「そうではなくて……はあ、もういいです」


カレンの心労は絶えないようだ。


「ねえカレン、王宮書庫の管理ってどうなってるの?」

「書庫ですか? えぇと、朝には管理人が来て、その方は夕方には帰っていきます。王宮の方が資料を探しに来る可能性があるので、窓はともかく、出入り口の鍵はかけていないそうですが」

「……夜の管理人はいないの?」

「うーん、聞いたことないですね。やはり人の出入りが多いのは昼間なので」


的を得ない答えだが、カレンはあの青年を知らないようだった。これ以上深追いしても意味がないと、メイヴィスは追求をやめた。


「それより、スープを飲んでください。温め直しましたので!」


部屋に戻るなり、カレンはメイヴィスを椅子に座らせて目の前に皿を置いた。


(忘れていなかったか……)


今日はカレンの勝ちのようだ。





♢♢♢♢♢





翌日。


「カレン。私ちょっと書庫に行ってくるわね」


部屋着から着替え、羽織を着たメイヴィスがそう言うと、カレンは困ると言わんばかりに扉の前に立ちはだかる。


「いけません! これからダンスのお時間です」

「……あの。本当にやらなきゃダメなの?」


ずっとそばにいるカレンは、メイヴィスが本当に何の才能もないことを知っているはずだ。


「当たり前です! 妃候補なのですよ?」


しかしメイヴィスの才能はともかく、侍女として見過ごせないらしい。


「って言ったって、もう決まってるようなものじゃない? 私にはならないわよ」

「王室主催のパーティーでも踊らないおつもりですか?」

「いやそもそも参加しないし……」


参加しろというならするが、サイラスがメイヴィスと踊るとは思えない。仮に誘われても断るつもりなので、本当に必要ないのである。少なくとも、メイヴィス自身はそう信じて疑っていない。


「そんなわがままは許されませんよ! 妃候補であろうとなかろうと、学ぶ姿勢が大切なんです!」

「さっきは妃候補なんだから、って言ってたのに……」


妃候補が多ければメイヴィスのことなど誰も気にかけないだろうに、母数が少ないばっかりにサボタージュも許されない。


「国王陛下や王妃殿下にも同じことを言えるのですか?」

「……」


侯爵家でこんなに干渉されることはなかった。両親はマリアとメイヴィス同時に教育を受けさせていたが、マリアの死後講師を解雇した。それからメイヴィスはまるで空気のような扱いを受けていた。王宮へ来てからは逆に束縛されているように感じる。今まで誰もメイヴィスにこうしろああしろと命令することはなかったのに。


(窮屈だわ)


今更何を、としか思えない。何をしても上達しないことがわかりきっている、今は。


(でも、カレンの言い分もわからなくはない)


ここで本当に何もしなければ、メイヴィスの名誉は回復するどころか傷つく一方だ。臨時で侍女をしているに過ぎないカレンがそこまで考えているのかは不明だが、自分の主人が出来損ないでは困るのだろう。

しかし、メイヴィスは自分の名誉の回復などどうでもいいのだ。


「何を騒いでいる」


カレンの後ろから現れたのは王太子サイラスだった。


「殿下」


カレンは頭を下げてサイラスが通れるように下がる。メイヴィスも頭を下げた。


「説明しろ」


サイラスがどちらに向けて話しているのかメイヴィスにはわからなかったが、カレンがすかさず口を開いた。


「侯爵令嬢様が無理をなさろうとしていたので、止めていたところです」

「……!」


言うまでもなく、カレンは嘘をついている。


「無理だと?」

「はい殿下」


サイラスの足音がメイヴィスの近くで鳴る。


「侍女を困らせるな。大人しくしていろ」


降ってくる声は冷たく、メイヴィスを微塵も心配していなかった。


「……お騒がせして申し訳ありません」


メイヴィスが返事をすると、サイラスは黙って出ていく。


「……侯爵令嬢様。今日の予定はキャンセルいたします。少々席を外しますね」


カレンは深刻そうな顔をして出ていく。

メイヴィスには何が起こったのかわからなかったが、書庫へ向かう許可を得たと認識し、部屋を出た。





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