第30話 お忍び【4】

「あーあ、小さな頃から貯めていたお小遣いが一気になくなったわ。反省しなきゃ」

 店員が運んで来たミルクティーに砂糖を入れて一口飲むと、レイチェルがため息を吐いた。

 私とベティーはオレンジジュースとコーヒー。

 トッドとマークは隣のテーブルに座り、運ばれたコーヒーを飲みながら何か小声で話をしているようだ。仕事の打ち合わせだろうか。

「でも試着していた服はみんなとてもレイチェルに似合っていたわよ」

「さようでございますよ。たまの買い物ぐらいはよろしいではありませんか。エマ様も少しはご自身が着るものに興味を持って頂きたいぐらいでございます。わたくしがお勧めするものを全部『じゃあそれで』で終わらせてしまうので、お洒落にしたい若い女性の姿をこれからもエマ様に見せて下さいませ。少しは興味が出るかも知れませんわ」

「ええ? エマお姉様ったら、とっても綺麗なのになんてもったいない! どうしてですの?」

「……ほら、私はドレスも決まったものしか選べないじゃない? 流行にも乗れないし、あまりバリエーションがないのよ。だから、ね」

 特殊な靴を履かねばならない都合上、足元を隠せることが必須なのだ。

 裾が長いものと言うのは良く言えば伝統的で品があるが、悪く言えば高齢のマダムも着るものなので、落ち着きすぎててデザインもシンプル寄りだ。冒険していると思えるものは少ない。色合いだけ少し若い世代向けに明るいものを選ぶぐらいしか選択肢がないのである。

「……ああ、そうでしたわね」

 レイチェルが足のことに気づいたのか、少し声を落とした。

 だがすぐ話を切り替えると、私がテーブルに乗せていた袋をちょいっと指差した。

「ところでエマお姉様が雑貨屋で私たちを待たせて、いきなり店内に戻って行って買って来たものって何でしたの? とても嬉しそうだったので気になってたの」

「ああ、これ? ペアのマグカップなのよ。ルーク様と私の」

 急にゴンッ、と音がしたので横を見ると、俯いているマークに、

「バカだなあマークは。足元が腹で見えなかったのか。気をつけろ」

 と小声でトッドが注意をしていた。

 きっと足をテーブルの脚にでもぶつけてしまったのね。いきなりぶつけると痛いのよねえ、同じ経験者としてとても分かるわ。

「ペアのマグカップ?」

「そうなの。あ、でもペアとして売られてはいたのだけど、カップの色と形は同じだけどデザインが違うのよ。一つは黒猫で、一つはテディベアの絵が描かれているのよ」

「普通ペアのカップって同じデザインのものが多いですよね?」

「そうね。他のはそういうのが多かったけれど。私が気に入ってしまったのは理由があってね。……ふふ、見たい? 見たい?」

「ええ、見たいですわ!」

 私はいそいそと紙袋からカップの入っている箱を取り出した。

「これが黒猫の方で、こっちがテディベアよ。──私が気に入った理由は分かる?」

「んー、どちらも可愛らしいデザインですけど……」

 レイチェルが首を捻って考えていると、ベティーが軽く手を上げた。

「ベティーは分かった?」

「赤毛のテディベアと黒猫、しかも黒猫の目はサファイアブルーとなれば答えは一つですわ。ルーク様とエマ様ですね?」

「ピンポーン♪」

「あっ! 本当だわ。エマお姉様の黒髪と青い瞳が目の前にいるのに何故気づかなかったのかしら……ルークお兄様とテディベアの可愛らしいイメージが結びつかなかったせいね。でもエマお姉様はぴったりだけど、お兄様は……甲冑の騎士みたいなワイルドな感じだから、髪の赤毛しか似てないような気がするけれど」

 私はカップを手に取り反論する。

「見てちょうだいレイチェル、この愛らしい顔を。穏やかな性格を表しててルーク様に見えない? ほら、少し笑みを浮かべている感じとか」

「うーん……でもこんな可愛い感じではないような……」

「レイチェル様。エマ様は最近クマデザインのものが全てルーク様に見える仕様になっておられます。きっと大きくて包容力がある印象を重ねておられるのでしょう」

 あまり賛同が得られなかったのは残念だが、私の目的は別にある。

「それでね、私がテディベアの方を使って、ルーク様には黒猫の方を贈りたいなと思って。……毛布と枕をプレゼントするついでなら、自然で構わないかしらと思って。どちらも執務室で使えるでしょう? ダメかしら? ルーク様はこういうデザインは好まないかしら?」

「いえ多分ルークお兄様はとても喜んで下さると思いますけれど……エマお姉様がそばでニコニコ笑っている方が嬉しいんじゃないかしら。エマお姉様って私たちといる時は表情豊かだけれど、ルークお兄様と一緒の時は、何と言えばいいか……固い感じがするのよね。不思議だけれど」

 私は情けなくなる。短い付き合いのレイチェルにもそういう風に見えてしまうのか。

「私は、嫁き遅れ寸前でこの国に嫁いで来たのよ。この奇跡が起きたのはひとえにお互いの国が友好関係にあったことと、母譲りで容姿が良かったからなのよ。……私の方が三つも年上な上に色々と欠点があるから、せめて対外的には完璧な淑女でいなければ彼の横に立つ資格はないわ。愛しているからといって、彼の隣で呑気にヘラヘラとしていてはいけないのよ」

「そっ……ぐぼっっ!」

 隣で声が上がったので見ると、マークがお腹を抱えてうずくまっていた。

「おいマーク、いくら緊張してたからと言ってトイレに行きたいのまで我慢するな! エマ様、新人なもので大変失礼致しました。私どもは先に表で待っておりますので……ほら、トイレは入口の横にあるからさっさと行け」

 トッドが私に詫びると、引きずるようにしてマークを連れて行った。

 マークはハンカチで良く汗を拭っていたようだけど、あれは王族のお忍びで緊張していたからなのかしらね。私のワガママで彼にも悪いことをしてしまったわ。

「……私たちもそろそろ帰りましょうか」

「さようでございますね。ロバートへの飲み物の用意をお願いして参ります」

 ベティーがスッと立ち上がりレジの方へ向かった。

「エマお姉様……ルークお兄様は心の狭い方ではないと思います。年下の従妹の意見として頭の隅に入れておいて下さいね。欠点があろうがなかろうが、私はエマお姉様が大好きですわ」

「──ありがとうレイチェル」

 私だって一生騙せるとは思っていない。

 だが、そう言われてもまだ彼に告白する勇気は持てなかった。




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