第29話悪魔の嘘は合法

 夜。人間界の外れで、悪魔たちの集う酒場が賑わいを見せている。


 外から見ると廃墟のようにボロボロで、窓から中をのぞいてもランプの灯りのひとつも見えず、とても誰かがいるようには見えない。しかし、内装はそれなりにきちんと整っていて、暗闇に強い悪魔の目には、はっきりと中の様子が見えるのだ。度数の強い酒が並び、メニューは言うまでもなく肉料理が中心。


 席は小さなカウンターとテーブル席の他に、三つの個室は予約が十年先まで埋まるほどの人気だ。知る人ぞ知るこの酒場は、地獄では出来ない秘密の話をするのに適している。


「こんな場所を急に押さえるなんて、流石リーダーは違うっすね」


 急に呼ばれた個室の席で、短めの茶髪を針のように逆立てた青年悪魔が酒の入ったグラスを煽った。隣では、全身にタトゥーの入った女性の悪魔が豪快に干し肉を齧っている。


「ここ、リーダーの奢りっすよね? アタシ今月ピンチで……」

「給料入ったばっかだろうが。何に使ってんだよ!」

「ドラゴン賭博」

「うわっ、引くわー」

「あそこで四番が火ぃ吹かなきゃ勝ってたんだよ!」

 

 茶髪の悪魔が露骨に距離を取る横で、バン、と悔しそうにタトゥーの悪魔が机を叩いた。彼らは人間界でも地獄のイメージとして有名な「針の山」と「血の池」の責任者をしている優秀な悪魔だ。悪魔はあまり他人に興味を示さないので、彼らも仲が良いとまでは言わないが、機会があればたまに飲みに行くくらいはする。


「奢ってやるから行儀よくしてろ」

 

 そして向かい側でその様子を見ていた、少し欠けた翼の悪魔が腕を組んで椅子の背に凭れた。彼は今日は、誰の印象にも残らないような地味な青年の姿をしている。


「やりぃ! じゃあもっといい肉頼んでもいっすか?」

「もしかしてお前が干し肉食ってたのってカネが無ぇからかよ」

「そうだけど、リーダーの奢りなら高いの食えるっしょ」

「調子乗んなよクソ女」

「テメェも酒頼めばいーじゃんハリヤマ。相変わらずツンツンしてんな」

「うっせぇチノイケ。これからデートだから控えてんだよ。酒はイイオンナと飲みたいんでね」

「うわ、生意気」


 軽快なテンポで会話している二人だが、隣同士の席にしてはその間には微妙な距離が開いている。それをしばらく眺めて、ケルベスは深い溜息をついた。若いやつらと飲む酒はとても疲れる。ケルベスはほんの一瞬クロムを思い出した。


 クロムは微妙に嫌な顔をしながらも、誘ったら必ず二十分前には席について一人黙々と飲んでいるのだ。決して話が弾むわけではないが、どんな話をしても外に話が漏れることなく軽い相槌だけが返ってくるあの空間には妙な心地よさがあり、ケルベスは数年に一度はクロムの事を飲みに誘っていた。


 しかし、もう二度と彼と飲む日はないだろう。何故なら今のケルベスにとって、彼は排除しなければならない大きな敵になってしまったからだ。

 

(魔王とクロム……あの二人をどうにかしないと、金印は手に入らない)


 魔王もクロムも、ケルベスにとって明らかに格上だ。力も強く、頭も切れる。味方だった時は心強いとばかり思っていたが、敵に回るとこれほど厄介なものはない。正攻法で仕掛けても勝てないのはわかっているので、何とか彼らの意表を突き、わずかな隙を狙うしかないのだ。

 

(まずは味方を作る。天使と悪魔の溝を深めて、両者がぶつかり合っている隙に魔王から金印を奪う。そうして十三条を廃止すれば、天使より悪魔の方が圧倒的に強い)

 

 これで勝てるかは正直わからない。しかしこれしか思いつかない。魔王なら、クロムならどう出るだろう。そんな事を考えているうちに個室の扉が開き、新しいグラスと血が滴るほどの分厚い塊肉ステーキが運ばれる。店員がいなくなったのを見計らって、ハリヤマが口を開いた。


「で。何かあったんすか?」


 ケルベスは、机の上にあるものを出した。その宝石のように蒼く光る花に、ふたりの視線が寄せられる。


獄炎花ヘル・フラワーじゃないすか」


 その花弁を握りつぶすだけで簡単に地獄の下層の炎が再現できてしまう危険な花。しかしこのメンバーは全員、下層までの炎には耐性がある。こんな花ごときに命の危機を感じる者はここにはいない。


「そういや、コレ投げたんでしたっけ? ルシファーさんが」


 今度はチノイケが何てことないように言った。彼女自身も昔一度、この花を賭博場で投げつけて喧嘩相手の悪魔を灰にしたことがある。獄炎花ヘル・フラワーは貴重なので滅多に手にできるものではないが、たまたま持っている時にムカつく奴がいれば投げたくもなるだろうというのは、悪魔なら真っ先に思う事だ。

 

 しかし、ケルベスは首を振った。彼女が無実だったという事実は、事件後もあまり広まっていない。汚名を晴らすのは自分の役目だと、否定の言葉を口にする。

 

「……ルシファーは、投げていない。天使に罪を着せられたんだ」

「……天使が?」

「え? ……冗談っすよね?」


 ふたりの動きがぴたりと止まった。思った通りの反応で助かるとケルベスは内心だけで笑い、表面的には厳しく眉を寄せて、事件の真相を語り出す。


「ルシファーは確かに獄炎花ヘル・フラワーを持っていた。それに目を付けたあるふたりの天使が、意図的に彼女から花を奪って蹴り飛ばし、多くの悪魔を焼いたのが事件の始まりだ……そして、彼女のせいにした」


「げ……マジっすか。えぐ。てか陰湿」

「天使もなかなかやるっすねー」


 ヒュウ、とチノイケが口笛を鳴らした。それをハリヤマが引いた顔で見て、椅子をテーブルの端に移動して彼女から距離を置く。彼女のデリカシーのなさは、同じ悪魔から見ても少し異常だ。

 

「あの日、あのふたりの天使が言っているのを聞いたんだ。悪魔なんていなければいい、地獄なんてなければってな……そしてそんな風に思っている天使は意外と多いんだ」

「確かに。俺も言われたことあるっす。悪魔は野蛮だって」

「アタシも! 賭博なんてバカみたいだって」

「それはその通りだ」

「俺もそう思うっす」

「何で!」

 

 チノイケが解せないという顔で大きめに切り分けた肉を口に入れ、あっという間に飲み込んだ。そしてはっと思いついたことを口にする。


「それ、ミカエル様は知ってるんすかね?」

「それなんだがな……彼の見解は少し違ったようなんだ」


 ケルベスは深刻そうな表情を浮かべ、水晶玉を机に置いた。透き通った透明の球体の中に、黒い靄がかかっている。身を乗り出すようにしてそれを覗き込んでいる二人を交互に見て、ケルベスは辛そうに眉を寄せた。


「お前らだけに特別に見せる。あの日……俺が見た光景だ」


 黒い靄が、事件当時の煉獄を再現した。黒い翼のルシファーを囲むようにして、天国地獄の上層部が揃っている。そしてミカエルの手には、銀色に光る銃身。


「銃!!?」


 それを見た瞬間、驚きのあまり、ハリヤマが仰け反った。チノイケも、難しい顔で腕を組んで天井を見上げている。ケルベスは水晶を素早くしまった。見せたい場面は今ので終わりだ。天国に武器があると印象付けられればいいし、この後彼がルシファーを撃ち殺す場面は、もう二度と見たくはない。


「天国に、武器が?」

「まさか。え……今見たのホンモノっすか!?」


 よく考えれば武器がない国の方が不自然なのだが、平和で争いがないと信じられている天国に武器のイメージは皆無だ。槍だけは、お守りのように玄関に置いてあるのをたまに見るが、あれも先は尖っておらず、武器とはとても言えないものだ。


 有事の際は悪魔が天国に出張して問題を解決するのが暗黙の了解。そう思っていただけに、天国に武器があるということへの衝撃は大きかった。


 それに、天国周辺の国は地獄だけだ。天使と敵対しうる存在があるとしたら、考えられるのは悪魔だけ。つまり天国の武器は、言うまでもなく対悪魔用なのだ。

 

「でも、なんで銃なんか出して……今まで隠してんすよね?」

「そもそも、ルシファーに獄炎花ヘル・フラワーを渡したのは悪魔だろう?」

「でも、それは医療棟に届けないといけないからじゃねっすか!」


 ハリヤマが、今日一番の強い反応を示した。同じ責任者として、毒の沼から降格になったメルルに同情しているのだろうとケルベスは思い、彼の気持ちに同調するように大きく頷いた。

 

「そうだ。毒の沼の責任者は何も悪くない。だがミカエルはそこを突いてきた。天使はプライドが高いから、自分たちの非を認めようとしないんだ。そもそも何も知らない天使の手に危険物を渡したことが全ての始まりだと、武器の存在を知らしめて脅してきた……だから、サタン様は彼女を降格せざるを得なかった」

 

 ハリヤマの表情が厳しくなる。言うまでもなく、こんなものは今適当に考えた話だ。よく考えても考えなくても穴だらけの理屈だが、そんな深くまで考えるほど頭のまわる悪魔はサタンとクロムをのぞけば地獄にはいない。思わせぶりに何か言えば信じるだろうと、ケルベスは高を括っていた。そして、彼の背中を押すように、チノイケが朗報をもたらす。


「あっ! じゃあもしかして、最近天国から新しい洗剤入ってこないのってそれが原因っすか!?」


 一日中血塗れで仕事をしている血の池勤務の悪魔にとって、天国から仕入れている洗剤は必需品だ。それがあの事件以降急に手に入らなくなったのだと、彼女は訴えた。


「別に洗濯なんてしなくても生きていけるんすけど、やっぱすぐ服ダメになるんで。あの洗剤あると違うんすよね」

「そういえば、解毒剤の取引も止まったって聞いた気がするっす!」

 

 ハリヤマも思い出したように言った。それはケルベスにとって初耳だったが、彼は当然のように頷き、思わせぶりに口を開いた。


「どうやらもう始まっているようだな……天国側の制裁が」


 ハリヤマのグラスから酒が零れ、チノイケの手から肉の刺さったフォークが落ちる。思った通りの反応に満足そうに頷いたケルベスの前で、動揺を隠せない震え声を出しながらハリヤマは言った。


「じゃ……じゃあ、本当に?」

「まさか。そんな……」

「まぁ落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない、表立って騒いだら逆効果だろう。だが、心の準備はしておいた方が良いだろうな……戦争が始まるかもしれない、と」


 二人が頷いたのを確認して、ケルベスは席を立った。その晩から地獄には、近く天使と悪魔の大規模な戦争が起こるかもしれないという噂がさざ波のように静かに広まった。ある者はそんなはずないと一笑に付し、またある者は十三条の存在を思って怯え、またある者は地獄を守る意思を静かに固めてその時を待つ。しかし不思議とそれを、魔王やクロムに伝える者はいなかった。

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