第16話祭りの準備は賑やかに

 天国の空はいつも快晴である。太陽は常に穏やかで季節による寒暖の差もないので、天国のあちこちでは年中様々な祭りが開かれている。


「えーと、あっ、もーちょい右? かな?」

「ここ?」

「いや左かも?」

「もっとしっかり指示しなさいよ!」


 白亜の城の城門前の大きな広場で、色とりどりの風船を持ったローズがルキウスの曖昧な指示に眉を吊り上げている。既に飾り付けも終盤を迎え、天使達はあと数時間で始まる天国で最も大きな祭りの開始に備えていた。


「よっし、出来た!」


 広場の中央ではサタンが、大きな氷像の前で満足気に頷いていた。クロムが氷の能力で作った大きな氷塊をサタンが削って作るこの氷像が、毎年恒例のこの祭りのメインシンボルだ。因みに天使は時間感覚が緩く、日頃から日時をあまり意識していない。なので人間界の暦に合わせて年に一度開かれるこの祭りの回数で、何となく下界の一年を把握しているのだ。


「流石サタン、今年も素晴らしい出来だね」

「毎年やってるからな。こんなもんだろ」


 通りがかったミカエルが感嘆の息を漏らす。最後にぐるりとひと回りして、サタンも再び巨大な氷像を見上げた。羽を大きく広げた不死鳥が、今にも飛びあがっていきたそうに青空を見上げている。


「完成ですか」

「おぉ、良いだろ」

「今年も見事ですね」

「お前の氷塊あってこそだ」


 氷像の元となる氷を作り出した大きな翼が、いつも通りサタンの隣に降り立った。彼の氷は天国の太陽でも地獄の業火でも溶かすことが出来ない特別なものなので、時間をかけて作品を作ることができる。しかし度重なる氷像作りにより、サタンの腕はみるみる上達していた。


「えっ! もう出来たんですかっ!?」

「大変、まだ準備できてないのに!」

「サタン様の氷像が完成しましたー!」

「えぇ!? 早い!」


 氷像の完成を知った周りの天使達の動きが慌ただしくなる。例年、サタンの氷像完成が祭りの開始時刻を決める指標だったが、年々早くなっていく完成に周囲の準備が追いつかないという問題が発生しているのだった。慌てて駆けつけたシルバーが、大きな花籠を持って氷像の前に立つ。


「やべ、もう少し時間かけるべきだったか」

「それ前回も言ってましたね」

「ちょっとサタンさま早すぎよ!」

「本当に上手になったからねぇ」

「悪ぃ。あー……もーちょい羽薄くするか?」

「氷足しますか」

「お、それならこの辺にプレートでも付けるか」

「何のよ?」

「天国と地獄の友好と永続的な平和を……」

「最悪ですね」

「やめた方がいいわ」

「お前らほんと容赦ねぇな……」


 贈呈する記念品のような文言を入れようとしたサタンの意見は、シルバーとクロムに同時に却下された。とはいえ時間調整のために何かするべきかと考え込んでいると、後ろから遠慮がちな声がかけられる。


「あ、あの……クロム……様? はこちらですか?」


 全員で振り向くと、一人の天使がびくりと肩を震わせた。若い女性の天使が、上層部の威圧感に涙目でこちらを見ている。


「クロムは俺だが」

「あっ、あの……」

「何だ、告白か? 祭り一緒に回るくらいなら許すぞ」

「何でサタンさまが許可出すのよ」

「私達は外そうか?」

「あっ、いえ、そうではなくて……」


 何故か当然のように告白する流れに持っていかれそうになり、慌てた天使は勢いよく首を振った。違うのか、とクロム以外の上層部は瞬く。


「悪ぃ。毎年恒例だからてっきり」

「イベントみたいに言わないでください」

「ある意味イベントじゃないの」

「クロムは本当に人気があるからねぇ」


 全員の視線がクロムに集中し、彼は気まずそうに目を逸らした。天使界きってのモテ男であるルキウスが結婚して以来、死後の世界の人気はクロムに集中している。彼とせめて一日だけでも一緒に楽しみたいという多くの申し込みの全てを彼が律儀に断って回るまでがこの祭りの恒例行事だが、今回はその要件ではないらしい。


「何の用だ」


 これ以上気まずい空気になる前にさっさと要件を聞き出したいクロムに急かされ、若い天使は勢いよく頭を下げた。


「あの。青い鳥を捕まえていただいたそうで、ありがとうございました! そしてすみませんでしたっ!!」


 あぁ、とミカエルとシルバーは頷いた。彼女の顔をよく見ると、確かに青い鳥の魂を抜き忘れたという新人だ。以前天使達には謝罪して回っていたのだが、その場にクロムはいなかったので名前だけ伝えていたのだった。その事を素早く伝えると、クロムとサタンも納得して頷く。


「あぁ。なるほど」

「クロムには本当に助けられたからね」

「地獄もすげぇ騒ぎになったもんな」

「ほ、本当にすみませんでしたっ!!」


 天使はガチガチに身体を固くして再び頭を下げた。まだ悪魔自体を見慣れていない彼女にとって、サタンとクロムの前に一人で謝罪に来る事自体が恐ろしい事であろう。勇気を出した彼女にこれ以上圧をかけるのは申し訳ないと、既に謝罪を受けている天使達と無関係なサタンは一歩下がって見守る姿勢に入った。


「本当に……申し訳……」

「いやいい」

「いいえ。何でもしますので! あ、あの……許してください」

「だからいいと言っているだろうが」

 

 頭を下げたまま泣き出しそうな若い天使を前に、クロムは軽い溜息をついた。彼は仕事のフォローは得意だが、メンタルケアはかなり苦手だ。助けを求めて振り向くと、シルバーと目が合った。


「……わかったわよ」


 クロムからの無言の圧に、シルバーが頷いてふたりのもとへ歩いてきた。クロムは優しいが不器用だ。フォローの言葉が思いつかず困っているのだろうと思い、代わりに若い天使の前に立つ。


「ほら、泣かないの。これあげるわ」


 シルバーは持っていた籠から一輪の花を取り出した。天国にしか咲かない黄色い花。拳の半分ほどの大きさで、六枚の丸い花弁は散った分だけ何度でも新しく再生されるという不思議な花だ。若い天使は不思議そうにその花を手に取り、しばらく眺めた。彼女の目から涙が引っ込んだのを見て、シルバーがにこりと微笑む。


「その花には『前進』という意味があるのよ。ミスをするのは頑張ってる証拠。あたしたちがフォローするから心配ないわ」


「シルバー様……はい! あっ、ありがとうございます!」

 

 黄色い花を手に真っ赤な顔で飛んでいった若い天使にシルバーは笑顔で手を振り、その後ろではクロムが感心した表情でそれを眺めていた。流石癒しの天使、精神的なフォローもお手の物だ。


「なるほど、花か……」

「あんたは真似しちゃダメよ。本気っぽく見えちゃうから」


 早速参考にしようかと呟いたクロムをシルバーがすかさず止めた。クロムは首を傾げる。彼には、シルバーの忠告の意味がよくわかっていない。

 

「何が本気なんだ?」

「そういう質問するヤツは、女性に花を贈っちゃいけないってこと。わかった?」

「? 分かった」


 よく分からないまま頷いたクロムを見て、シルバーはほっと息を吐いた。彼は硬派に見えるが決して女性が苦手なわけではない。泣いている女性には花を贈ると良いとひとたびインプットしてしまえば、特別な意味も感情もないまま次回からそのようにするはずだ。


 しかしこの無表情不器用悪魔に花を贈られて、勘違いしない女性はいないだろう。無用なトラブルの芽は摘まなければならない。


「あ。そうだわ!」


 贈り物で思い出したと、シルバーがクロムに白い封筒を差し出した。クロムはすぐに受け取るが、眉が不審そうに寄せられている。


「……何だ?」

「あげるわ。色々お世話になったし、日頃の感謝を込めてよ」

「別に何もしていないが」

「ほら、青い鳥とか」

「これ以上思い出させるな」


 眉間に皺を寄せながら、クロムは封筒を開けた。中には薄い栞が一枚入っている。


「これは……」

「虹色のクローバーって、知ってる?」

「あぁ。まぁな……」


 クロムは栞を光に翳した。長方形の薄い半透明の膜の中に、クローバーが一枚挟まっている。どんな加工技術を使ったのかわからないが、四つ葉はまだ根がついているかのように生き生きと、そして虹色に光っていた。


(虹色のクローバーか……何故こんなものを)


 しかし美しく光る虹色を前にして、クロムはやはり不思議そうに眉を寄せている。それを見て、シルバーもやがて首を傾げた。


「どうしたの?」

「……何故これを?」

「天国で流行ってんのよ。見つけるとね……」

「あぁ、確か見つけると……」


「幸せになるんだって」「不幸になるらしいな」


「え?」「ん?」


「ははっ! お前らの会話っていつも面白ぇな」

「相変わらず息ぴったりだねぇ」


 横でサタンが爆笑し、ミカエルがのんびりと頷いている。シルバーとクロムは暫く考え、そして理解した。クロムは、シルバーの贈り物の意味を、シルバーは、クロムの不思議そうな表情の意味を。


「地獄では不幸の証なのね」

「天国では幸運の証なのか」


 同時に呟き、頷いた。これが文化の違いというものだ。珍しいがたまにこういう事がある。


「悪かったわ、知らなくて。違うものにするから一旦返して……」

「いやいい、このまま貰う」


 すぐさま不幸の証を回収しようと手を伸ばしたシルバーを避け、クロムは白い封筒に慎重に栞をしまって懐に入れた。悪魔の不幸は地獄の発展。しかし天使からもらったのだから幸運の証か。どちらにしろ持っていて損はないし、たとえ悪いことが起こるとしても返す気は微塵もない。


「幸運を呼ぶんだろ?」

「あんたに良いことがあればと思ったのよ」

「ならそれでいい」

「でも不幸を呼ぶんでしょ?」

「気にするな。ほら、終わったみたいだぞ」


 シルバーがクロムの指さす方へ顔を向けると、少し向こうでルキウスが両手を上にあげて大きな丸を作っている。屋台の準備完了の合図だ。大方準備を終えて、皆氷像を見上げている。


「そろそろ良いかもね。シルバー」

「はいはーい」


 ミカエルの合図で、シルバーが天高く舞い上がって花籠に手を入れ準備する。ミカエルは氷像前に浮かび、主催者の挨拶を始めた。


「今年も皆のおかげでこの祭りが無事開催されたことを嬉しく思うよ。さぁ、楽しもう!」


 主催者であるミカエルの挨拶は毎年短くざっくりしている。シルバーが空から色とりどりの花を降らせると広場のあちこちから歓声があがり、今年も賑やかに、天国の大きな祭りが始まった。

 

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