第3話


 ピックは戸惑っていた。

 普段は、小間使い程度や日雇いで、何とかその日の飢えをしのぎ、そして、同じような境遇の同年代たちと、身を寄せ合うようにして寒さを凌ぐ。


 もう少し年を重ねると、スラムの中の上位者達に荒事にも駆り出され、男は腕っぷしに才能があるやつは仲間入り、女は容姿が良いもので上位者達に気に入られれば愛妾に収まるか、そうでなくても娼館などに落ち着くこととなる。

 は、そうして生き延びることになる。


 ピックは普段はスリをやることはない。

 これはピックに矜持があるわけではなく、皆同様の理由だった。


 善行でも悪行でもいい。それよりも寒さを凌ぎ空腹を癒せればよかった。

 痛めつけられても、その日を凌げるなら御の字。でも犯罪とまで言われるものは痛めつけられた上で何も得られないリスクが見合わないためやらない。それだけだった。


 ただ、その日は普段はリスクに見合わずやらないスリに手を出した。

 サリという、幼い身ながらにいつの頃からか共にいるかわからない妹分が、ちょっとしたことから負った傷が膿み、高熱を出していた。

 このままではどうしようもないと分かっていた。

 でも、ただ少しばかりの薬を買うお金さえあれば、死なずに済む。からかいなのか、馬鹿にするようになのか、そんなことを年上の人間に囁かれて、ピックは踏み入れようとしていた。


 相手に彼女を選んだのは、目に入ってきたのが余りにもキレイな金色の髪だったから。

 捕まっても捕まらなくても、裏の底辺を彷徨う少年が、よくあるルートに転がり落ちるはずだった。


 だが―――――





「もうすぐ着くよ」


 戸惑いと警戒の入り混じった複雑な表情をしながら、ピックが二人を案内してきたのは、駅前の大通りから外れた、裏通りとも言うべき路地を入り、スラム街と呼ばれる領域の外側に位置する一角だった。

 スラムの中でも、奥の方にいるのは上位の人間、下位の人間は外側に寝ぐらを構えている。つまり、ここがスラムの外縁部、ピックと同様の人間が群れている場所だった。


「……ピック、よそ者を連れてどうしたんだよ?」


 仲間というよりも同類と表現した方が正しい、ピックと同じような格好をした少年少女が、ピックとその後ろにいるマリアとライルを見て警戒心をあらわにする。

 当たり前のことだった。

 奪うよりも、圧倒的に奪われることの方が多い身だ。


 (改めてどうしたと言われると、何をしてるんだろうって思うよな)


 サリを助けてくれる人を連れてきた、と言おうとして、しかし内心でそう考えたピックは言葉に詰まる。


 そんなピックの内心を知ってか知らずか、マリアが進み出て言った。


「警戒しないで良いわ、あなた達に危害を加えるつもりはないの。ちょっと縁があってね、彼の妹に会いに行くところよ」


「…………こっちだ」


 声をかけてきた少年の警戒の色に対して、戸惑いが大幅に追加されたのを見て取り、ピックはそれ以上の説明を諦め、マリアとライルに対して、自分とサリのねぐらとしている場所に案内する。

 風の通りにくい場所に、廃材や布をつなぎ合わせた、雨をしのげれば御の字の家とも言えぬ住処。

 ドアとも呼べぬ布を捲りあげて、二人を招き入れる。


 そこには1人の少女が横たわっていた。

 枕元には、何とかピックが手に入れたこの場所としては綺麗な水が少量残っている。


 身なりは乏しいが、整った顔立ちの少女だった。

 だが、その右腕は腫れあがり、高熱が出ていた。朝方布で拭った身体は、汗でびっしょり濡れている。


「サリ、聞こえるか? 助けを呼んできた」


 手を取り、ピックがそう言うと、薄く目を開き、そして言葉を発そうとして咳き込む。

 普段のピックには、その手を握ってやること位しかできない。

 でも今は、すがるように、問いかけるようにマリアに目を向けた。


「言われたとおりに連れてきたけど、薬、持ってるのか?」


 気づいてみれば間抜けなものだ、助けてあげるから案内してと言われて、連れてきたものの、何故?が先立ってどうやって?が抜けていた。

 共に付いて来た、ピックのスリを防いだライルにも目を向けるが、こちらも把握していないのか肩をすくめられる。


「無理させないでいいわよ、。私はね、ちょっとばかし法術が得意なのよ」


 そして、サリの傷を見たマリアは、ピックの戸惑いを気にもせず、サリに近寄って手をかざした。

 

 後にピックは語る。

 

 あの時、俺は初めて『奇跡』っていうものがこの世の中にあるって知ったんだ、と。




 ◇◆



(これは、本当に法術なのか?)


 ライルは眼の前でマリアが発したそれに心底驚いていた。


 法術。


 簡単にいえば、人の生命力を強化し、傷の治りを早めたり、病魔への耐性を上げたり、一時的に身体能力を高めたりする魔術の中の一分野である。主に、血統によって才能は受け継がれるとも言われている。

 回復という点から宗教とも結び付きやすく、法術として魔術とは別のくくりにされているため、法術の方が通りがよい。大陸東部のヴァロリュー法国では太陽神信仰と密接に紐づき、特に才能があるものは聖女と祭り上げられたりする。中には、一瞬で病を治し、傷を回復させ、時には死者すら蘇らせたという文献すら残っているが、実際には信仰のための誇張である。

 

 ――――とライルは習った。

 

 断じて、


 そう、かざした手の暖かな光に呼応するように、膿が剥がれ落ちては傷が塞がり、見る見るうちに血色が良くなり、呼吸を整えるような即効性のものではないはずだった。


 勿論、教わった技術や知識が間違っている可能性もあるが、傭兵とは言え、長く傭兵をやっているものは知見も深く(あるいは、知見のないもの、得ることをしないものは早くに死ぬ)、戦場での法術使いも、痛みを和らげたり、回復を早めたりが主だった。



「すげぇ、傷、傷が塞がって――――サリ! 起き上がって大丈夫なのか?」


「…………暖かい、あれ? お兄ちゃん?」


 眼の前の光景に驚き、そして目を覚ました妹分の回復に喜んでいる少年と、何が起きたかわからず、しかして楽になった身体と自らを抱きとめるようにした少年に不思議そうな表情を浮かべている少女。



「ふう、無理しないようにね。一通り傷は治したし、身体も活性化したから楽だと思うけれど、きっと凄くお腹が空くと思うの。だからピック、ちゃんとご飯を食べさせてあげて――――できれば真っ当に手に入れたものでね」


「えっと、何ともないの?」


 そう告げる姿があまりに普通過ぎて、ライルはつい疑問を言葉に発してしまった。

 あれだけの回復を与えて、相当な魔力を費やして、動くのも大変になっても驚きはしない。


 なのに、少し運動した程度かの様に、ため息くらいで終わっている少女が信じられない。


「んー、少しお腹が空くくらいかな?この位なら神殿でもよくやってたから。――――本当は、軽々しく無償でやっちゃ駄目だって言われてるんだけど、私の力は私の使いたいように使うの…………でも内緒にしといてね」


 そう言って人差し指を口の前に翳し、いたずらっぽく笑うマリアに、ライルは毒気を抜かれたように笑うしか無かった。


(なるほど、全然違うけど、カレルと同類だ)


 普通なら、もっと突っ込むところなのかもしれなかったが、ライルには物心つくころから、常識外れカレルを見ていた。

 だから言う。


「うん、わかった。僕はそういうの好きだよ」


「あはは、ありがとう」


 対するマリアも、自分の法術がことはわかっている。

 眼前で見た異常への疑問を飲み込んで、そう言って笑うライルの評価を引き上げるのだった。


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