それは肌に食込むトゲのような

【それは肌に食い込むトゲのような】

地獄の入り口は何の前触れも無く突然ポッカリと開く。

そんな言葉をどこかで見たことがある。

どこだか分からない雑居ビルの一室の隅に置かれたベッド、と言っても病院にあるような電動ベッドに白いシーツが敷かれているだけの簡素な物だけど・・・に膝を抱えて丸まったまま私はまだ現実を受け入れられずにいた。

お父さん、お母さん。

ベッドとスチール製の机。そして、茶色のソファ以外何も無い殺風景な部屋の景色に耐えきれずギュッと目を閉じると、二日前に見たリビングの光景が写真のように浮かび、私は胃から何か急激にせり上がってくるのを感じて慌てて隅のドアを開けてトイレに駆け込んだ。

もう何回目だろう。

胃からはすでにツンとする胃液しか出てこない。

疲れ切ってベッドにしゃがみ込むと、入り口のドアからノックの音が聞こえた。

何も言わずにじっと見ると、やがてドアが開き九国さんが入ってきた。

両手には食べ物がのっているトレイを持っている。

すでにいつものメイド服では無く、白い無地のTシャツにジーンズだったが、私の知っている彼女の印象とはあまりに異なっていて、なんとも言えない寂しさと泣きたくなるような悲しさを感じた。

九国さんはテーブルの上に置かれた食事をチラリと見た。

私のために用意された物だが、全く食べる気にならず一切手を着けていなかったのだ。

「お嬢様、もう二日です。そろそろ召し上がって頂かないとお体に・・・」

「そんな心にもない事を言わなくてもいいわ。『お嬢様』なんて思ってもいないでしょ?」

そう、あんな事をして・・・あんな顔で私に「殺す」と言った。

それなのに何が「お嬢様」なんだろう。

 九国さんは表情を全く動かすこと無く、机の上の食事を入れ替えて部屋を出て行った。

そして少しして戻ってくると、ベッドに近づいてきて私の横に座った。

(!!)

驚いて後ずさりしようとする私の肩を九国さんは片手で掴んだ。

何て力だろう。掴まれている肩からミシミシ音が聞こえるようだ。

私は恐怖でガタガタ震えた。

九国さんは私の目を見ながら静かに言った。

「あなたが私の事をどう思っても構いません。ただ・・・このまま逃げるおつもりですか?」

「逃げ・・・る?」

「はい。このまま食事を取らずにご両親に殉じる・・・美しいですね、一見。でも、率直に申し上げると、そんなあなたのために誰も涙したりはしないでしょう」

何が言いたいんだろう、この人は。

真意を測りかねて目をそらすと、九国さんはあざ笑うように言った。

「このままもし死んだら、そんなあなたを人はこう呼ぶでしょう・・・負け犬って」

負け犬。

私はたまらずに顔を上げて九国さんをキッとにらみ付けた。

「あら、まだそんな元気がおありになったんですね。そういえばお嬢様は昔から大の負けず嫌いでしたね。すっかり忘れてましたが」

「あなたに負け犬なんて言われたくない!あなたがあんな事をしなければ・・・お父さんやお母さんが何をしたの!二人ともドジだし、世間知らずだし、お人好しだけど・・・何の悪いこともしてない!なのに・・・なんであんな事・・・」

「それはあなたに言う必要ありません。私は依頼をこなしただけ。ご両親の人格などどうでも良いこと」

「どうでも・・・いい?」

「はい。私は仕事を忠実に遂行する。それ以上でもそれ以下でもありませんので」

「じゃあ・・・あの家で働いてたのは」

「ターゲットとその環境を完璧に把握する必要がありました。そのため、メイドという職業は大変効果的です。お陰で必要な情報を完璧に・・・」

私は自分のしたことに呆然とした。

九国さんの話を遮るように思わず、彼女の頬を叩いてしまったのだ。

どうしよう・・・殺される。

だが、予想に反して九国さんは無表情のままだった。

その表情を見て、私の中の何かが音を立てて切れるのが分かった。

「じゃあ・・・私と関わってたのもお仕事だったの」

九国さんは私の顔を何も言わず無表情のままでじっと見ていた。

その沈黙が何よりの答えだった。

「・・・出てって」

私は短くそう言うと、食事を置いてあるトレイのある机に向かった。

「食べるわ。だって・・・お父さんとお母さんのかたきを取らないと」

そう言って九国さんをキッとにらみ付けたが、彼女は私の方を見もせずにドアへ向かっていた。

「ほ、本当なんだから!いつかあなたをやっつけてやるんだから!」

私の言葉がまるで聞こえていないかのように九国さんはドアを開けて部屋を出た。

だが、部屋を出る瞬間、彼女は薄く笑みを浮かべていたように見えた。

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