第27話鈍感野郎

「あ”あ”あ”あ”…湊良かったぁ…」


「はは…泣くな泣くな。見苦しい」


 熱っぽさが残る体を起こして、俺は目の前で泣きつく奏音に手を焼いていた。

 どうやら俺と玲奈が学校を休んだ事で不安になったのか、放課後に直接やってきてくれたらしい。それにしても別に泣くことはないだろう。

 玲奈もちょうど買い出しで家を空けなければいけないところだったので、俺の見張り役ということで俺の部屋へと上がっていた。…別に風邪の状態で逃げるほどアホじゃないけどな。

 

「だってよぉ…お前が学校に来なくなったらと思うと…」


「なんだよ。マックに行けないか?」


「そうじゃねぇよぉ…ゲーセン行けねぇだろぉ…」


 …こいつほんとに心配してんのかよ。全くその気持ちが感じられないんだが…

 訝しむ俺のことなど気にせずに奏音は俺の布団を濡らしていく。…汚れるから止めてほしい。

 次第に俺の視線は奏音からその後ろにいる一人の女へと映る。


「…で、なんでいるんですか」


「…奏音くんがマンションのキーナンバー分からないと思った」


 紙パックのオレンジジュースを啜りながら仁奈は答えた。相変わらず生気の感じられないその瞳は俺ではなく奏音に向いている。…怪しいな。


「本当は他の目的で来たのでは?」


「…そんなこと、無い…」


 少し歯切れが悪そうに仁奈は答えた。ほんのりと頬が赤らんでいる。…これは完全にあれだ。彼女の奏音を見る目が完全にその目になっている。日頃玲奈の歪んだ瞳を見ているからか、俺は他人の変化が少し分かるようになっていた。…奏音、お前の春も近いぞ。


「…良かったな奏音」


「…へ?なにが?」


「いや、何でも無いよ。…そのうち分かるさ」


 俺の発言が一ミリも分かっていないような表情だったが、その方がいいだろう。こいつが純粋じゃなかったら、この顔を使ってやりたい放題するに決まってる。そんな奴にはなってほしくない。

 まだ疑問符を浮かべている奏音に俺は問いかける。


「…奏音は仁奈さんと仲いいの?」


「あぁ、うん。最近よく話すようになってさ。この前一緒に水族館行ったぜ!」


「…あ〜」


 俺は奏音の後ろに座る仁奈の表情をちらりと見た。なんとも言えない、曇ったような表情だ。

 これは恐らく、というか確実にそうだ。奏音が言うには二人で水族館に行ったと言っていたが、つまりはデートのことだろう。年頃の男女が二人でお出かけがデートじゃなかったらなにがデートだと言うのか。

 だが、問題はそこじゃない。こいつには自覚がないのだ。仁奈とデートに行ったという自覚が。

 こいつは良くも悪くも純粋だ。それが今回は悪い方に働いた結果だ。普通の男子だったら誘われた時点で舞い上がってしまうものだが、こいつの場合は『え?誘ってくれるの?やったー!楽しみ!』とかいう純粋な感情しか無い。直接にでも言わない限りこの男に気持ちを伝えるのは困難だ。

 …ここは一つ助け舟でも出しておくべきかな。


「なぁ奏音、ちょっとこっちに寄れ」


「なんだよ。風邪移るだろ」


「今更そんな事気にすんな。いいから来い」


 奏音の腕を掴み、ぐいっと引き寄せる。不思議そうに見つめてくる仁奈には聞こえないように奏音の耳元で囁いた。


「お前二人で水族館ってさ、それってデートじゃね?」


「…へっ?///」


 奏音はまるで茹で上がったエビのように顔を真っ赤に染め上げる。 彼の脳内は今まで自覚していなかった感情と彼女との記憶で埋め尽くされているはずだ。でなければこんな顔にはなっていない。

 口をわなわなとさせる奏音に俺は更に追い打ちをかける。


「最近仲良くなったのにデートに誘われるなんて、お前多分がっつり狙われてるぞ」


「な…そ、そんなわけ…」


 口では否定をしているようだったが、彼の顔を見るに分かっているようだった。彼の瞳は後ろの仁奈をちらちらと見ては、目線を逸らすを繰り返している。目は口ほどに物を言うとはこのことか。

 こいつ顔はいいのにこういうところに疎いんだよな。もったいないというか、なんというか。逆に敏感すぎても嫌だけど。

 

「…な、なぁ、湊。…仁奈さんって俺のこと…」


「好きだな」


「ばっかお前聞こえるだろ!!!…マジか」

 

 奏音は焦ったように俺の口を両手で塞いだ。…別に俺そんなでかい声で言ってないし、聞こえないと思うんだけど。こういうところに若干の初を感じる。

 思えばこいつはそういった経験がなかったらしい。きっと彼は気づかなかったのだろう。自分に近寄ってくる女の好意に。こう考えると、こいつはかなりのにぶチンだ。女を惚れさせておいて気づかないとは。


「なぁ、お前チャンスなんじゃない?」


「そ、そうかな…でも勘違いっていう可能性も…」


「無い。いいから今から二人で帰れ。そしたら…なにかあるかもしれないだろ?」


「いやっ、でもそんな…」


 どうしようかと右往左往している奏音。なんだか昔の自分を見ているようでいたたまれない。むず痒い。早くしろ。


「いいから。ほら、仁奈さんお前の事見てるぞ」


「…私に内緒で、なんの話?」


「ひぇっ!?あっ、いや…」


 しびれを切らした仁奈が奏音に詰め寄る。顔が赤いことに更に不信感を抱いたのか、奏音の顔をまじまじと見つめる。


「奏音くん。何の話いてたのか教えて」


「いやっ、え、えーっと…」


 仁奈が顔をぐいっと寄せて奏音に問い詰める。助け舟でも出してやろうかと思っていたら、こちらをちらっと一瞥した仁奈は俺を牽制した。どうやら俺の出る幕は無いらしい。

 まぁ俺が言うまでも無いし、この調子だと黙っていてもそのうち吐くだろう。時間の問題だ。


「…言えないの?私のこと嫌い?」


「いや、そんなことは…」


「じゃあ言って。言えるんでしょ?」


 焦る奏音にグイグイと詰め寄る仁奈。退路を絶たせて徹底的に追い詰めるそのやり方がどこぞのストーカーに似ている。彼女もまたその気質だあるように見えた。

 …これは流石に見過ごすわけにはいかないか。これ以上俺の部屋でやられると俺が気まずい。しょうがないか…


「ちょっと仁奈さん。病人の前で止めてくださいよ。これ以上やるなら外でやってください」


「…分かった。行くよ奏音くん」


「え?ちょ、湊!?」


 数秒の沈黙の後に動き出した仁奈は奏音を引きずって家を出ていった。奏音の困惑した表情がなんとも悲壮感を漂わせていたがこればっかりはしょうがない。奏音、ご愁傷様。

 騒がしいやつらがいなくなったからか、俺の体にどっと疲れが襲ってきた。これ以上起きていると更に体調が崩れかねない。

 静かになった部屋の中で俺は疲労感に目を閉じた。




「…ん…」


 暗い部屋の中で俺は目を覚ました。どうやら寝ていたら夜になっていたらしく、日はすっかり落ちていた。

 秒針が刻む音が俺の耳に入ってくる。時計に目をやると、時刻は21:04。完全に夜だ。…そう言えば玲奈は…


 ベッドから体を起こし、周りを見回す。するとベッドの傍らで伏している玲奈の姿が目に入った。その手には買い物袋が下げられており、帰ってきてそのまま寝てしまったことが分かった。

 きっと俺の事を気にかけて頑張ってくれていたのだろう。少し申し訳ない。

 気がつけば、俺の体からは熱とだるさは抜けきっていた。喉の違和感も無い。玲奈のおかげで元通りだ。


「…ありがとう」


 伏したままの玲奈に俺は感謝を伝える。いつもは振り回されてばかりで感謝なんて伝える機会は少ないが、俺は彼女に感謝している。失恋の悲しみに暮れていた俺を支えてくれて、その上生活まで支えてくれている。感謝してもしきれないぐらいだ。

 ストーカーという重大な欠陥はあるものの、俺にとって彼女はかけがえのない存在となっていた。本当に、なんとお礼を言えばいいのか。


ピンポーン


 俺の思考を遮るようにインターホンが鳴った。この時間帯に誰だ…?母さん…ではないよな。風邪のことを言ったらすぐにでも飛んできそうだけど、めんどくさいから伝えていない。じゃあ奏音か?忘れ物でもしたのかな…

 伏した玲奈を見るが、起きる気配は無い。寝息を立てて寝ている。ここはかわりに出るとしよう。

 俺はベッドから抜け出し、玄関へと向かった。




 廊下に出てみると、寒さが体に染みた。基本的に部屋ごとに扉で仕切られているため、廊下には暖房の空気が入ってこない。そのため、この季節になると決まって外と同じぐらい寒くなる。

 俺は手を擦りながら玄関へと向かう。…一体誰だろうか。この時間帯ということもあり、かなり怪しい気がするがこのマンションのセキュリティは前も言った通りだ。怪しい人間が入れるはずがないのだ。…星導が例外なだけで。

 俺は寒さで僅かに震える手でドアを開けた。


「…え?」


「…」


 まさかの人間の登場に俺の体は固まった。腰まで伸びた長く艶のある髪の毛。整った顔立ちの中で若干のツリ目が目立つ。不機嫌そうな口元は昔から変わらない。

 俺の目の前に立っていた人間はほかでもない、俺の元カノである七海瑠璃奈だった。

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