第3話 感激のオレンジジュース。
編集長に、今日の分の原稿をパソコンからデータに起こして渡すと、すぐに帰宅することにした。
と言っても、自宅に帰るわけではない。あの四人組を迎えに行かないといけない。
時間がないので、瞬間移動して、あの子たちのウチの前に瞬時に移動した。
「迎えに来たわよ」
私は、そう言って、声をかけると、彼女が顔を出す。
「待ってたわよ」
「用意はいい?」
「いつでもいいわよ」
彼女は、どこか戦いに行くかのような顔で言った。
別に、争いに行くわけではないのだが、なんか勘違いしているようだった。
家来の三人も出てきて、四人揃ったので出かけることにする。
「ちょっと歩くけど、もしかして、あなたたちって、なんか空が飛べるとか、テレポできるとか、超能力って持ってたりしない?」
「吾輩は、空は食べるチュン」
スズメ男が言った。そりゃ、そうだろ。スズメなんだから、空を飛べて当たり前だ。
「それで、お姫様は?」
「百面相とか、手足が伸びるくらいだけど」
それでは、移動に役に立たない。
「しょうがない。私と手を繋いで」
「ハァ? なんで、お前と手を繋がなきゃいけないんだ。あたしは、そっちの趣味はない」
「そうじゃないわよ。テレポーテーションするから、手を繋いでって言ってるの」
「なんだ、それ?」
「説明は後。いいから手を繋いで。家来の三人も繋がないと、置いて行くわよ」
そう言うと、渋々私と手を繋ぐ。右手にお姫さま、左手にスズメ男たちだった。
「途中で手を離したら、落ちるからね。いくわよ」
そう言うと、精神を集中させる。体が熱くなって、頭の中で、移動場所を思い浮かべる。次に目を開けると、そこは、いつもの居酒屋の近くだ。
「ハイ、もう、いいわよ」
そう言って、手を離すと、四人は、周りをキョロキョロしながら、見渡している。
すでに日は暮れて、夜のとばりが落ちている。
街灯の明かりと周りの家から漏れる明かりしかない。
「ここは、どこだ?」
「いいところよ」
私は、それだけしか言わなかった。私の家が近くなので、もしも、自宅を探されたら大変なので、詳しい住所はないしょだ。
「これから私の言うことをよく聞いてね。これから行くところは、とても楽しいところよ。きっと、あなたたちは、初めて行くところね。だけど、安心して。危なくないからね」
そう言っても、四人は、私を疑いの目で見ている。
「家来の三人は、お酒は飲めるの?」
そう言うと、三人は、黙って頷いた。
「酒なら、あたしも飲めるぞ」
「アンタはダメ。まだ、未成年でしょ」
おてんば姫が口を挟んだ。
「あたしは、200年生きてるから、立派な大人だ」
「お嬢、230年ですニャン」
「うるさい、大して変わらないでしょ」
彼女に怒られて、ネコうなぎの男が首をすくめた。
「それでも、ダメ。人間界だと、どう見ても子供でしょ」
「子供ではない」
「見た目は、16歳か17歳くらいでしょ。人間界では、子供は、お酒は飲んじゃいけないの」
「チェッ・・・」
口を尖らせて、横を向いてしまうところが、子供っぽい。
「とにかく、ここで、アンタたちは、人間をよく観察して、情報をちゃんと知るのよ。仕事で来てることを忘れないようにね。くれぐれも、飲み過ぎて、酔っぱらったりしないように」
家来の三人は、私の言うことには、素直に聞いているようだった。
「それと、ここの勘定あなたが払ってよ。お金は、持ってるでしょ」
「それは、吾輩が預かってるチュン」
どうやら、スズメ男が金庫番のようだ。
「中に入ったら、アンタたちは三人で、お姫様と私は二人で、別れるからね。わからないことがあったら、こそこそしないで、堂々としてれば、誰かが教えてくれるから大丈夫よ」
それだけ言って、私は、暖簾をくぐった。四人も私の後について、恐る恐る入ってくる。
「いらっしゃい」
いつもの威勢はいいが、愛想はない、親父さんの声に出迎えられる。
「こんばんわ」
挨拶しても、焼き鳥を焼いているだけで、返事はない。でも、それでいい。
三人の家来は、テーブル席に座らせて、私とお姫様は、カウンターに並んで座った。
四人は、初めて来る居酒屋に、どこを見ていいのかわからない様子で、まるで子供のように目移りしている。
店内は、満席状態なので、客たちの声で賑わっている。
酔っぱらって、いい気分の客同士でのおしゃべりとテレビから流れる野球中継の音、
それと、焼き鳥を焼く耳にうれしい音とニオイ。四人は、もはや、虜になっている様子だ。
「いらっしゃいませ。今日は、一人じゃないんですね」
「そうなのよ。今日は、知り合いを連れて来たの。でもね、後ろの三人は、こういうところ初めてだから悪いけど、説明してやってくれる?」
「わかりました」
店主の娘さんは、そう言うと後ろに座っている三人に向きを変えて、メニューを説明していた。
「おじさん、私は、生ビールといつもの焼いて。この子には、オレンジジュースでいいわ」
「ハイよ」
店主は、こっちも見ないで、それだけ言う。
「なんだ、ここは?」
「居酒屋さんよ。みんな、いい気持で酔っ払ってるのよ。楽しいでしょ」
「う~ん、よくわからん」
やっぱり、子供には、10年早かったかなと思ったけど、彼女の横顔を見ていると、意外とそうでもなさそうだった。顔が笑っている。楽しそうというか、おもしろそうで、雰囲気に飲まれている感じだ。
「ハイ、お待ちどう」
カウンター越しにビールのジョッキとオレンジジュースを受け取る。
「ハイ、あなたの分。飲んだことある?」
彼女は、オレンジ色の液体を見て、首を横に振る。
「それじゃ、飲んでみたら。甘くておいしいわよ」
そう言って、私は、ジョッキを煽った。彼女は、ストローを小さな口で咥えると、まずは、一口啜った。
「うぅんんん・・・」
彼女は、小さく呻くと、私の顔を穴が空くほど大きな目を向いて見詰めた。
「どうしたの? おいしくない?」
「うまい!!」
彼女は、そう言うと、ストローで一気に飲み干してしまった。
「甘くてうまい。これは、なんていう飲み物だ?」
「オレンジジュースだよ。しかも、果汁100%だ。飲んだことないのか、お嬢ちゃん?」
私の代わりに応えたのは、彼女の隣に座っていた、いつもの常連のサラリーマンらしい中年男だった。
「オレンジジュース・・・」
「そう、オレンジジュース」
彼女は、オウム返しのようにつぶやいた。
「もっと、飲んでもいいか?」
「いいわよ。すみません、オレンジジュース、お代わり」
私は、店主のおじちゃんに言った。
「チュチュン・・・」
「ウニャ~ン!」
「ゲロゲ~ロ」
後ろから異様な声が聞こえたので振り向くと、あの三人が、目を向いてジョッキに入ったものを見詰めていた。
「どうしたの?」
「これは、おいしいチュン」
「うまいニャン」
「ゲロゲ~ロ」
いったい、何を注文したのか、不思議に思って、ジュースを運んできた娘さんに聞いてみた。
すると、スズメ男は青汁サワー、ネコうなぎはまたたび酒、河童は焼酎のキュウリ割を注文したらしい。
私は、絶対飲まない酒だ。それぞれ、口に合うのがあったなら、それでいい。
「ハイよ、お待たせ」
「ありがとう」
カウンター越しに焼き鳥の皿を受け取る。
「食べてみて。おいしいわよ」
「これは、なんという食べ物だ?」
「焼き鳥よ」
彼女は、一本を手に取ると、じっと見つめて、ニオイを嗅いでから、一口食べた。
「おい、これは、なんて言うんだ?」
「だから、焼き鳥よ」
「ムチャクチャうまいじゃないか」
彼女は、そう言うなり、焼き鳥に食いついた。
「ちょっと、だれも取らないから、ゆっくり食べたら」
「イヤ、だって、これは、うますぎる」
彼女は、夢中で焼き鳥を頬張っている。
口元が、焼き鳥のタレで汚れている。
「ほら、口を拭きなさい。可愛いのが、台無しでしょ」
そう言うと、手元のお絞りで口を拭くと、口一杯に頬張った焼き鳥をジュースで流し込んだ。
「お嬢ちゃん、いい食べっぷりだな。この店の焼き鳥は、安くてうまいんだぞ」
隣の中年の男に言われて、嬉しそうに笑った。
「この食べ物は、食べたことない。ホントにうまいな。おい、もっと、持って来い」
「ハイハイ、おじちゃん、焼き鳥のお代わりお願い」
「ハイよ」
私は、カウンター越しで焼き鳥を焼いているおじさんに言った。
「ハイ、お待たせしました」
後ろで店員の娘さんの声がするので振り向いた。いったい、家来たちは、何を注文したのだろうか?
すると、テーブルに並んでいたのは、野菜サラダ、刺身の盛り合わせ、モロキュウだった。いかにも、だれが食べるのか、一目でわかるものだった。
三人の家来は、それぞれテーブルに並んだものをじっと見ると、ニオイを嗅いでから、静かに食べ始めた。
「これは、おいしいチュン」
「うまいニャン」
「ゲロゲ~ロ」
スズメ男はサラダを器用に箸を使って食べていた。ネコうなぎは、刺身をうまそうに食べている。
河童はもろキュウを両手に掴んで夢中で食べている。なんだか、ほのぼのしてくる。
「ハイよ、焼き鳥」
私は、焼き鳥を受け取ると、彼女の前に置いた。
「食っていいか?」
「いいわよ、たくさん食べて」
そう言うと、両手に焼き鳥を持って、一心不乱で食べ始めた。
「そうそう、アンタたちに言っておくことがあるから、食べながら聞いて」
私は、後ろの席の家来たちと隣の彼女に言った。
「私のことは、麗子さんて呼ぶように」
「麗子さん?」
隣の彼女は、焼き鳥のタレまみれの口で言った。
「私のが、年上でしょ。だから、麗子さんて呼ぶの」
「しょうがないわね。麗子、この飲み物をお代わり」
「麗子さんでしょ。まったく、全然わかってたないんだから。おじさん、オレンジジュースをもう一杯お願い」
「ハイよ」
それでも、おいしそうに食べるのを見ると、私も頬が緩んでくる。
「姐さん、吾輩も、お代わりしていいですかチュン?」
「おいらも、もっと、食べたいニャン」
「ゲロゲ~ロ」
それぞれが言うと、三人で声を合わせて言った。
私は、ヤクザの女じゃないんだから、その呼び方は、やめてほしい。
でも、この四人は、食べ物には弱いらしい。手名付けるのは、食べ物が一番いいというのは怪物も人間も同じらしい。そう考えれば、私も悪い気はしない。
「好きに食べて、飲んでいいわよ。ただし、仕事も忘れないでよ」
最後の一言を忘れることはしなかった。
「どう、姫ちゃん。ここの感想は?」
彼女に聞くと、お絞りで口を拭いてから、少し真面目な顔で言った。
「いいところだ。とても賑やかで、みんな楽しそうだ。それに、笑っている。こんなところは、怪物王国にはない」
「そうなんだ・・・」
「人間というのは、楽しいことがないと、生きていけない生き物なんだな」
彼女が言った一言は、私も感じていることだった。
店内は、それぞれのテーブルでおしゃべりしたり、笑ったり、飲んだり食べたりして、誰も彼もが楽しそうに笑っている。仲がよさそうなカップルもいれば、女子会でおしゃべりに夢中のグループもいた。テレビからは、野球中継の音が聞こえて、それもいいBGMだ。
そして、カウンターに座る私たちには、焼き鳥を焼くおいしそうな音とニオイが、耳と鼻に心地よい。
そんな時だった。私の隣の常連の老人が言った。
「お嬢ちゃん。人間は、楽しいことがないと生きていけない生き物っていうのは、ちょっと違うな」
私と彼女は、思わず振り向いた。
「どう違うんですか?」
私が老人に聞いた。
「人間ていうのは、つらいことや悲しいことのが圧倒的に多いんだ。それでも、少しでもいいから、
楽しいことがあるから、生きていけるんだよ」
これには、どう返事をしていいか、私も彼女もわからなかった。
私のような宇宙人は、つらいことや悲しいことなど、まったくない。
もしも、そればかりだったら、きっと、生きていないだろう。
毎日が楽しいことばかりではないが、決して、つらいとか悲しいとか言うことは、
今まで一度も感じたことがない。
「あたし、前に、クソ親父から聞いたことがある。人間は、10のうち、9までつらくても、1良いことがあれば生きていける生き物だって・・・ あたしには、考えられないけどね」
そう言って、彼女は、焼き鳥をかじった。
私も、その意見に同意する。私も、考えられない。
「それじゃ、人間て、毎日、つらいことばかりってことなの?」
「そうだな。だから、みんな、この店に来ると、笑って、しゃべって、飲んで、食って、イヤなことを忘れるんだ」
そう言われて、店内の人たちを見ると、私には、客たちの裏の顔が見えるようだった。仕事や家庭で、疲れている人たち。イヤなことがあった人たち。
それでも、生きているのはちょっとでも楽しいことを求めて、この店に来る。
そして、楽しく笑っている。明日から、また、つらい一日が始まっても、生きていける。それが人間らしい。私には、とても不思議に感じることだった。
客たちの会話を聞くと、仕事の愚痴、家庭の話、上司の悪口、評論家気取りの時事ネタなど私にとっては、情報が多い。もちろん、全部が全部、必要な情報ではないが、人間という生き物を知るには、十分すぎる情報ばかりだ。
「麗子。人間て、不思議ね」
彼女が、急に静かな口調でつぶやいた。
「そうね」
私が軽く返事をすると、彼女は、残ったジュースを飲み干すと言った。
「でも、あたしは、人間界に来てよかったと思う。クソ親父が、いつも言ってた。人間は、愚かでダメな生き物だ。だけど、愛すべき生き物で、とても不思議だって。あたしには、意味がわからなかったけど、なんとなく、今は、わかる気がするわ」
「姫ちゃんも少しは、賢いのね」
「少しとは何だ。無礼だぞ」
「ハイハイ、失礼しました」
そんな話をしていると、急に店内が盛り上がった。
「よぉし、やった」
「なんだよ。そこは、ボールだろ」
「このまま、優勝だな」
「バカだな、阪神が優勝するわけないだろ」
どうやら、テレビの野球中継らしい。テレビでは、巨人対阪神の試合がやっていた。店内の客たちは、巨人ファンと阪神ファンで盛り上がっている。
お互い知らない同士でも、同じ趣味ということなら、話も合うらしい。
「ほら、見てみなよ。あの人たちは、みんな知らない人同士なのに、楽しそうでしょ」
「あたしには、わからないわね」
彼女は、つまらなそうに言うと、オレンジジュースを飲んだ。
「お嬢ちゃんは、何が好きなんだい?」
中年の男が彼女に話しかけた。
「この人たちは、野球が好き。酒が好き。この店が好き。他にも、いろいろ好きなものがあるはずだろ。それじゃ、お嬢ちゃんは、何が好きなんだい?」
「う~ん、好きなものなぁ・・・」
彼女は、急に難しい顔をして考え込んだ。
「そんな難しいことかな。アンタにも、好きなものがあるだろ」
私は、彼女の答えを待った。すると、彼女は、思いついたように言った。
「あたしが好きなのは、この焼き鳥とジュースだ。それと、この三人だ」
そう言って、後ろの席で他の客たちといっしょになって騒いでいる、家来たちに言った。
野球が何かわからないのに、お酒でいい気分になっているのか、他の客たちと楽しそうに騒いでいる家来たちは、いろんな意味で、幸せなのかもしれない。
「姫ちゃんて、この三人のことが好きなのね」
「そりゃ、そうだろ。そうじゃなきゃ、いっしょに、こんな世界に来たりしない」
「きっと、この三人も、そう思ってるわよ」
「当り前だ。あたしは、姫だぞ」
わかりやすい答えだ。案外、この四人は、いい仲間かもしれない。
そんなこんなで、四人もすっかり楽しんだようで、お腹も一杯になり、程よくいい気分に酔ったので会計することにした。この四人の財布は、スズメ男が持っているらしく、ちゃんと払ってくれた。
「ありがとうございました」
「うまかったぞ。また、食べに来るからな」
「また、いらしてください」
外まで見送ってくれた、娘さんに見送られて家来の三人も笑って手を振っている。
「麗子、また、連れてきてくれ。今度は、あの作家先生も誘おう」
「そうね。原稿料がもらえたらね」
すっかり夜も更けて、辺りは真っ暗だ。時計を見ると、夜の九時を回っていた。
「さて、アンタたちは、どうやって帰る?」
「心配するな。自分たちで帰れる」
「どうやって帰るの? 帰り道、わからないでしょ」
来たときは、テレポーテーションできたので、彼女たちは、帰り方がわからないはずだ。
「送っていくわよ」
「構うな。麗子の世話にはならない。おい、ネコうなぎ、帰り方はわかるわね」
「大丈夫ニャン。ちゃんと、ニオイは、わかってるニャン」
「そう言うことだ」
彼女は、ネコうなぎの返事を聞いて、どうだと言わんばかりの顔をしている。
しかし、ここからだと、電車に乗って20分くらいかかるはずだ。
どうやって帰るつもりなのか? 電車に乗って帰るとでもいうのか?
「スズメ男、帰るぞ。用意しろ」
「チュン、チュン。いつでもいいチュン」
そう言うと、背の高いスズメ男は、両手を顔の前にかざすと、巨大スズメに変身した。
「ちょっと、こんなとこで、変身しちゃダメでしょ」
「心配ない。誰も見てない」
そう言うと、巨大スズメの背中に彼女と家来たちを乗せると、夜空向かって飛び立っていった。
「またなぁ、麗子・・・」
「ご馳走様でしたニャン」
「ゲロゲ~ロ」
手を振りながら夜空に去っていく四人は、あっという間に夜の闇に消えていった。
「あの子たちは、もしかしたら、大物なのかもしれないわね」
私は、彼女たちが消えた夜空を見上げて、独り言のようにつぶやいた。
私のウチは、ここから歩いて五分だ。一人夜道を歩いていると、少し前のことが夢のように感じた。
たった一人で、地球に来てから、久しぶりに楽しいと感じた夜だった。
人間の振りをして、人間社会に混じって、仕事をしていると、同僚や上司と飲みに行ったり食事会など行くことはあっても、私以外は、人間であり、地球人だけに、楽しいと感じたことはなかった。
唯一、この店に一人で飲みに来た時だけが、楽しいと感じる時間だ。
それに、今日は自分でも頬が緩んでいるのがわかった。
声を出して笑ったのは、いつ以来だろうか? 自分でも驚いたくらいだ。
あの子が帰りに行ったように、原稿料が出たら、市川先生も誘ってみようと思った。
その日から、数日が立った。私は、市川先生の自宅に原稿を取りに行く毎日だった。
ときどき、彼女たちが来ていることもあったり、いないときは、帰りに彼女のウチに立ち寄ることもあった。
そして、やっと、原稿料の支払いがあったのか、たまっていたガス代を払ったらしく、いつものように、原稿を取りにいったら、彼女たち四人と先生が、食事をしていた。
「姐さん、いらっしゃいニャン」
玄関奥の台所から、中年太りの男が顔を出した。この男の正体がネコうなぎとかいう、怪物なのは、私しか知らない。
「何してるの?」
「ガスがついたから、お祝いに御馳走を作っているニャン。姐さんも、いっしょにお祝いするニャン」
なるほど、そういうことか。しかし、いきなり、こんなことしていいのだろうか?
「麗子さん、やっとガスが開通してね、この子たちがお祝いしてもらってるんだよ」
市川先生は、かなり天然なのだ。怪物たちに祝ってもらって喜んでいていいのか。
正体は知らないとはいえ、なんかのん気すぎる。
小さなちゃぶ台に乗りきらないくらい、いろいろな料理が並んでいる。
これを全部、作ったのだろうか?
「麗子も、そんなとこに立ってないで、食べたらどうだ」
彼女に言われて、私もちゃぶ台を囲むように座った。
「あの先生、食事もいいですけど、原稿の方は・・・」
「そうそう、忘れてたよ。ほら、これで終わりだ」
渡された原稿で、今回の話は、終わりとなる。
締め切りよりずっと前に書き終えたので、ホッとした。
「確かに、預かります。お疲れ様でした」
「それでな、次回作のアイディアもあるんだよ」
「えっ? もう、書くんですか?」
「こういうことは、勢いが大事だからな。思いついたときに、少しでも書いておく方がいいんだ」
そう言って、書きかけの数枚の原稿用紙を見せてもらった。
「まだ、最初だけなんだけどな。これも、おもしろくなるぞ」
先生は、自信満々のようだった。早速、見せてもらった。
「あの、これを書くんですか?」
私は、最初の原稿を見て、目が点になった。
しかし、私の質問に答えたのは、彼女だった。
「あたしたちがモデルなんだぞ。これは、絶対、売れるわよ」
そこに書いてあった、次回作のタイトルは『お姫様と3匹の家来たち』だった。
まんま、この子たちじゃないか・・・
「ちょっと、姫ちゃん」
私は、彼女を廊下に連れ出した。彼女は、両手に箸と茶碗を持ったままだった。
「なんだ、食べてる最中に無礼だぞ」
「それどころじゃないでしょ。あなたたちの正体は、秘密にするって言ったでしょ」
「大丈夫、心配ないって」
「心配に決まってるじゃない」
「あの人間は、あたしたちのことは、信用してない。あたしたちのことを書いてるけど
空想と思って書いてるだけだから心配ない」
そう言って、彼女は、部屋に戻っていった。
私は、呆れてため息が漏れた。とにかく、原稿がもらえただけで、今日はよしとしよう。
それに、私が思う前に、次回作も考えてくれたことも、よかったと思う。
私は、部屋に戻って、原稿をパソコンに打ち込む作業を始めた。
その間も、先生と彼女たちは、楽しくおしゃべりしながら食事をしている。
「麗子、今夜、また、あの焼き鳥屋に連れて行ってくれない?」
「えっ?」
「イッチーも原稿ができたことだし、料理もできるようになったし、みんなで食べに行かない?」
「それはいいけど、イッチーって・・・」
「もちろん、この作家先生のことだ。よし、今夜は、イッチーもいっしょだ」
「ちょっと、先生に向かって、イッチーって、失礼でしょ」
私は、彼女に面と向かって怒って見せた。
「いいって、いいじゃないか、イッチーってのも」
「しかし、先生」
「いいんだよ。その方が、友達らしいだろ」
先生は、ホントに素直で単純だ。
「それで、先生も行くの?」
「そうだ。イッチーに、焼鳥屋の話をしたら、行ってみたいっていうから、いいじゃないか」
「それは、そうだけど・・・先生、いいんですか?」
私は、少し不安を感じて先生に聞いてみた。
「この子たちの話を聞いたら、ぼくも行ってみたいと思ったんだ」
「先生がいいなら、いいですけど」
一抹の不安を覚えながらも、この日の夕方を待って、みんなで行くことにした。
私は、一度、出版社に戻って、編集長に原稿を渡した。
「もう書いたのか? いいじゃないか。早速、編集作業にかかってくれ」
「それと、次回作なんですけど・・・」
「それそれ、俺も考えていたんだ。市川先生は、なんか考えているのか?」
「実は・・・」
私は、次回作のことを編集長に話した。
「いいじゃないか。なんか、おもしろそうじゃないか。引き続き、キミに頼むよ。しっかり、補佐してくれ」
編集長もノリノリだった。だけど、ホントにあの話でいいのだろうか?
ホントを言えば、この本ができたら、私は、出版社を辞めるつもりだった。
私の仕事は、編集ではなく、地球侵略だ。そろそろこの仕事も辞め時だと思っていた。
なのに、引き続き、次回作も担当することになってしまった。
なんだか、彼女たちと市川先生に引き寄せられている感じだった。
これでいいのだろうか・・・
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