ep.9 報復必須


 ──あ、落ちる。


 危機にひんした人間が、普段では考えられない行動を取るのは何らおかしなことではない。

 生存のため、時として本能が理性にまさるのだ。


 だからいま私が取っている行動も、まさに生存のためと言えば説明がつくだろう。

 宙に浮く霜月と、霜月の体にコアラのようなフォームでしがみつく私。


 はたから見れば、いい歳した大人が高校生くらいの男子に必死でしがみついている光景だ。

 通報待ったなしである。


 まあそもそも、の話ではあるのだが。


「む、睦月!?」


「霜月、抱っこ。今すぐ抱っこして。落ちちゃう」


 どうせ見られることはないんだ。

 ここから落ちることに比べたら、大人のプライドなんてゴミ箱に捨ててやる。


「だっ……! 睦月、落としたりしないから少し落ち着いて。いったんこの手を」


「落ちちゃう。落ちちゃうから霜月〜」


 必死にローブを掴むも、じわじわずり落ちていく状況に耐えきれず理性が消えていく私と、そんな私の対応で内外ともにあわてまくる霜月。


「霜月〜」


 私の切実な鳴き声に、説得は無駄だと気付いたらしい。

 霜月は背中と膝裏に腕を添えると、横向きにした私の体を軽々と持ち上げた。


「そこにある建物に降りるから、少しだけ待ってて」


 いわゆるお姫様抱っこでなだめるように話しかけられ、現状の無情さに一瞬意識が遠くなる。


 しかし何を隠そう、今の私は本能が勝った私だ。

 例え思っていた抱っこと違えど、落ちなければいいのだ。

 落ちなければ。


 スンッ……とした顔で、借りてきた猫のようにおとなしくなった私を抱えて、霜月は近くにあるビルの屋上へと降り立った。


「睦月、落ち着いた?」


 そっと私を降ろすと、霜月はすぐさま心配そうにこちらをのぞき込んでくる。

 私も地に足がついたことで、幾分か調子を取り戻せたようだ。


「なんとか。でも、死ぬかと思った……」


 いきなり13階から紐なしバンジーは肝が冷える。


 上司が来てからというもの、私の寿命は削られっぱなしだ。

 しかもそれが本物の死神だというのだから、洒落しゃれにもならない。


「もしかして……飛んだことない?」


「……人間はそもそも飛べないよ?」


 雷に打たれたような衝撃に、二人して呆然と見つめ合う。


「でも、睦月は最近空を飛んだばかりだって……」


 最近飛んだばかり?

 そんなはずはない。

 近頃といえば、ちょっとした野暮用やぼようで遠出をいられたくらいだ。


 そもそも、人間は空を飛べない。

 そんな根も葉もない話どこから……いや、一つだけ思い当たる節があったかもしれない。


「その話をした人、他に何か言ってた?」


「睦月は飛んでる最中とてもリラックスしてたから、飛ぶのが好きなんだろうって」


「うん。多分それフライトだね」


 最近行った遠出先というのが島根だったのだ。

 東京から島根までの距離であれば、飛行機を使った方が早い。


 確かに飛行機は乗り慣れているし、快適な空の旅を売りにしてるくらいだから、それなりにくつろぐこともできた。


 まさかそれで、「空を飛ぶのが好き」なんて、穴だらけの解釈かいしゃくをされるとは夢にも思わなかったけれど。


「最近、遠出することがあってね。その時に飛行機を使ったの。多分その事を言ってるんだと思う」


「じゃあ……」


「生身でって意味なら飛んだことは一度もないし、むしろ恐怖にしかならないかな」


 霜月の顔色がどんどん悪くなっていく。

 元から白い肌だが、血の気が引いて今や雪のようだ。


 ──そういえば、死神に血液は流れているのだろうか?


 ふと気になったものの、この状況で聞くのは流石にはばかられる。

 また今度、時間がある時にでも聞いてみよう。


 そんなことを考えながら、私は同時に一つ、ある推測すいそくを立てていた。


「ねえ霜月。もしかしてだけど、その話を霜月にした人って……」


 落ち込む霜月の頭を、気にしなくていいんだよと言うように撫でる。

 申し訳なさはあるものの、撫でられた嬉しさがにじみ出ていた霜月は、私の質問にハッとした顔をした。


 そう、本当に気にする必要はないのだ。

 私の推測が正しければ、この事態を引き起こした元凶は他に居る。

 そして、それは間違いなく……。


「「上司」」


 綺麗に重なった回答こたえ


 つまりこれは、仕組まれた出来事だったのだ。

 「嘘は吐いていませんよ?」なんてわらう上司の顔が思い浮かんで、だんだんと怒りがいてきた。


 霜月と視線を交わし、頷きあう。

 今ここに、上司報復ミッションのゴングが高らかに鳴り響いた。




 ◆ ◆ ◇ ◇




 霜月の言っていた場所は、居住区から少し離れた先にある、静かで閑散かんさんとしたところにあった。

 近くには川が流れており、周りにはちらほらとだが家も建っている。


 川沿いの一部に開けたエリアがあり、雑草が生えてはいるものの、荒れ放題というわけでもない。

 静かで人通りも少ないこの場所は、まさに実践向きで適した場所と言えるのだろう。


 結局あの後、飛んで行くにも練習が必要な私を見た霜月が、座標転移のやり方を教えてくれた。

 登録した座標まで一瞬で飛べるらしく、本当はこちらを使って向かうか検討していたそうだ。


 知れば知るほど上司へのヘイトが上がっていく状況にため息を落とす。

 上司に対する報復は後で考えればいい。

 今はとりあえず、目の前のことに集中しなければ。


 大鎌をたずさえた霜月が近寄ってくる。

 実践と言うのは、どうやら死神之大鎌デスサイズに関するものだったらしい。


 

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