警視庁生活安全課保安部怪異対策室
浦井らく
第1話
とおりゃんせ、とおりゃんせ。ここはどこの細道じゃ。天神様の細道じゃ。
遠くから、小さな子供の声でそんな唄が聞こえる。振り返っても僕ら以外には誰もいない。見晴らしのいい一本道で、遠くに人影が見えるわけでもない。
ここは僕らの秘密の抜け道で、学校近くの林を通って辿り着ける近道だ。近くにあるのは田んぼと林だけで、家はもう少し先の方に沢山並んでいる。
僕らの家は学校からはちょっぴり遠くて、この道を使えば大体十分は早く帰れるから、少しだけ帰るのが遅くなってしまった時に使うようにしている。
お母さんからは他の子達と人がたくさん通る道を使って帰るのよって言われてるから、この道を通ってることは僕とかなちゃんの秘密だ。かなちゃんは僕の家のお隣さんで、学校の行き帰りはいつも一緒だ。かなちゃんは人気がないからこの道は怖くてあんまり使いたくないって言うけど、僕がこの道で帰りたいっていうと嫌そうにしながらいっつも着いてきてくれる。
お母さんには内緒にしてねって僕のお願いを、かなちゃんは守ってくれてる。きっとかなちゃんのママも、僕のお母さんと同じように言ってるんだろうから、かなちゃんも怒られたくなくて言ってないんだろうな。
今日も、学校でたくさん遊んでたらすっかり夕方になってしまって、慌ててこの道を使って帰ることにした。
空は見たことないぐらいにオレンジ色で、遠くの方から段々と暗い色が迫ってきていた。
「ゆうくん、早く帰ろう?」
一本道を振り返って立ち止まった僕を、かなちゃんは手をグイグイ引っ張って歩かせようとする。
「かなちゃん、今何か聞こえなかった?」
そうかなちゃんに聞けば、フルフルと首を振られた。
「何も聞こえてないよ、それより早く帰ろう? ママに怒られちゃう……」
かなちゃんは泣きそうな顔をしてそう言う。かなちゃんのママは結構怖くて、特に帰る時間には厳しい。いつも五時までに帰ってくるのよって言ってて、それを破っちゃうと普段の優しそうな顔から一気に鬼みたいな顔になって怒ってくるのだ。その時はかなちゃんだけではなく、僕も一緒に怒られるから、怖さはよく知っている。
怒られたくないな、と僕もさっきのことは忘れて少し早足めに帰ることにした。ここから家までは十分ぐらいだから、早足で帰ればなんとか五時までに着くと思う。
いつもより速度を上げて歩いていけば、また後ろの方から同じ唄が聞こえた気がした。
なんだか気味が悪いな、と思いながらも無視して歩けば、段々とその唄が近付いてくるような気がした。
ちらり、と歩きながら後ろを振り返っても、やっぱり人影はない。夏なのにぞわりと鳥肌が立つような寒さを感じた。
「ね、ねぇゆうくん。なんか変な唄が聞こえる…」
ビクビクしながら、かなちゃんがそう言う。さっきまで僕の勘違いかと思ってたけど、かなちゃんにも聞こえてるってことは勘違いじゃなかったんだ。そう思うと一気に怖さが増してきた。
「かなちゃん、走れる?」
「え? う、うん…」
僕は少しでも早くこの変な唄から逃げたかった。もしこれが遠くから僕らのことを追いかけてきている人が唄ってるのだとしても、きっと人通りのあるところまで出れば追ってこないはずだ。ここから大きな通りまでは全力で走れば数分で着く。そこまで走ればきっと、この怖さはなくなるはず。
僕はかなちゃんと繋いだ手をぎゅっと握りしめた。僕が男の子なんだから、かなちゃんを守らないと。僕がここ通ろうって言ったんだし、こんな怖い目にあわせちゃったのは僕のせいだ。だから早めに怖いことから遠ざけてあげないといけない。
かなちゃんと目を合わせて、お互いこくりと頷いて、せーの! という僕の合図で走り出す。走ると背中のランドセルが右に左にとグラグラ揺れてすごく走りづらい。かなちゃんのランドセルについてる鈴が、走るたびにチリンチリンと激しく音を鳴らす。走るのがあまり得意じゃないかなちゃんも、頑張って僕に置いていかれないように着いてきてる。
たまに後ろを振り返りつつ、かなちゃんに頑張って!と声をかければ、かなちゃんも必死に走りながらコクコクと頷く。
けど、そんなに走ってもさっきの唄は消えない。これまでよりも大きな声で歌われてる気がする。早く、早く大きな通りに出なきゃ。
目の前に、細い路地が現れる。これを抜ければ、大きな通りに出られる。僕はかなちゃんの手を強く握り、声をかけた。
「もう少し! 後ちょっと!」
もう息も苦しくて、足も痛くて、走れないと思うぐらいにきつい。けどここで足を止めたら、よくわからない何かに追いつかれてしまうんじゃないか。そんな怖さが僕の足を止めなかった。
狭い路地に入って、少しだけスピードが緩む。それでもここさえ抜ければ、人通りのあるところに出られる。唄は、耳元で大声で歌われてるんじゃないかと思うぐらいに、すぐ近くまできていた。
行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ。
そんな歌詞が聞こえて、後ろからかなちゃんのキャァ!という悲鳴が上がる。僕が大通りに出たところでさっきまで強く繋いでいたはずのかなちゃんの手が、いつの間にか離れていってしまい、振り返ればそこには、かなちゃんはいなかった。
「かな、ちゃん…?」
かなちゃんのランドセルについていたはずの鈴が、チリン、と音を鳴らし、誰もいない路地に転がっていた。
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