第1話 メアリーの残像 1ー⑷


「……へえ、あの住職がカフェ―に詳しいとはねえ。恐れ入ったな、こりゃ」


 流介が首尾を報告すると、升三は目を丸くして声を上げた。


「あちこち調べて回ろうかとも思いましたが、住職に聞いた弥生町の外国人が気になりましてね。外国語に堪能な先輩記者がいたら引っ張っていけないかと思ったんですが……」


 流介はそこで言葉を切り、がらんとした編集部をひとわたり見回した。同僚はあらかた出払っており、流介は大げさに肩を落としてみせた。


「やっぱり秘密のカフェーを先に探しますか。言葉が通じないんじゃあ、取材のしようがないですからね……」


 流介がそう言って引き返そうとした、その時だった。ふいにドアが開いて、恰幅のいい外国人と少年と言っていいほど若い男性が、肩を並べて入ってきた。


「あれは……?」


 流介の関心を惹いたのは、外国人ではなく少年の方だった。外国人は珍しくないが、流暢な英語で地位のありそうな外国人と親し気に話す少年というのは珍しかった。しかもその少年は絵物語の美剣士と見まがうほどに整った顔をしていた。


「先輩、あの少年は何者です?記者ではないようですが」


 流介が升三に耳打ちすると、升三は「ふむ」と頷き口を開いた。


「うちで雇っている通訳で、水守天馬みなかみてんま君だよ。本業は伝馬船てんませんの船頭だが、外国人の取材が必要な時だけ、時間を割いて社まで来てもらうことにしている。相手の男性はハウル社のウィルソン氏だ。君も名前を聞いたことくらいはあるだろう」


 流介は頷いた。ハウル社と言えば鳴事の初めから船見町を拠点に貿易を行ってきた有名な会社だ。ウィルソン氏というのは確か、その代表の名ではなかったか。


「それにしても不思議な少年ですね。あの年で外国語に通じ、しかも貿易会社の重役とじかに会話を交わすなんて」


 流介が感心して見せると、升三が「少年ではないよ、ああ見えて二十三だ」と訂正した。


「えっ、そうなんですか。十七くらいかと思いました」


「私も最初はそう思ったよ。しかし話してみるとこれが落ちついていてね。物腰も紳士的で、なかなかの若者だよ」


 流介はうーむと唸ると、はたと膝を叩いた。そうだ、彼こそ謎の外国人との通訳に、うってつけではないか。流介は二人の会話が一段落するのを待って、そっと近づいた。


「すみません、お取りこみ中、失礼します。通訳の水守天馬君ですね?」


 流介がおずおずと割って入ると、天馬という少年は聡明そうな顔を流介に向けた。


「そうですが、何か?」


「僕はこの新聞社の記者で飛田という者だけど、今度、通訳をお願いできないだろうか」


 流介がいきなり本題に切り込むと、天馬は表情を和らげ「なるほど」という顔になった。


「構いませんよ。……では、こちらの話が済むまで少々、お待ち願えますか」


 天馬はそう言い置くと、再び流暢な英語でウィルソンに話しかけた。やがて話し終えてウィルソンと別れた天馬は、自信に満ちた足取りで流介の机に近づいてきた。


「お待たせいたしました。初めまして、水守天馬と申します」


 天馬は深々と一礼すると、流介の顔を覗きこんだ。すっきりとした目鼻立ちが輝かんばかりの魅力を放ち、改めて流介は「こういう人間を貴族と呼ぶのかもしれない」と思った。


「通訳をお探しとのことですが、私でよければお手伝いさせていただきます。どちらに参上すればよろしいでしょうか」


「あ、ええと……弥生町の方に住んでいる外国人なんだが、なんでも面白い漂流話をする人らしいんだ。それで一度、話を聞きに行きたいんだが、同行してくれるかな」


 流介が要点をかいつまんで伝えると、それまで大人然とした落ち着きを湛えていた天馬の瞳がぱっと輝き、少年のような表情になった。


「漂流の話ですか、それはいい。実は私、匣館港はこだてこう伝馬船てんませんの船頭をしてるんです。海や船の話、特に摩訶不思議な話に目がなく、異国の怪談を収集しているくらいなんです」


 突然、饒舌になった天馬は、戸惑っている流介を尻目に「では今から行きましょうか、その弥生町の外国人のところに」と畳みかけた。


「え、まあそりゃあ構わないけど……本当にいいのかい」


「善は急げというでしょう。あやかしを愛するものにとって、奇譚の収集は常に善です」


 天馬はそれまでの落ち着きが嘘のように性急にまくしたてると、帽子掛けの前に移動した。流介は升三に「……てなわけで、ちょっくら取材に行ってきます」と言い置くと、ドアの前で楽し気に足を踏み鳴らしている天馬の後を追った。

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