第41話 マリー・アントワネットの素顔
ダニエルさんは至急カヤンの城に戻る必要がある。
招待をして頂いた王妃さまには、「急用が出来てしまい申し訳ございません」と連絡をする。ダニエルさんに状況を説明して、4人で城に戻ろうとした。ただ、ひとり結菜さんだけはキャリーバッグをゴロゴロと引いて、呆然としている。
「あっ、あの、私は残ります」
「えっ、結菜さん、残るって、本当に?」
「はい」
「でも、言葉とか――」
「何とかなります。ボンジュールくらいは言えますよ」
結菜さんがおどけて言った。
「…………」
確かに彼女は大阪城周辺で、海外からの観光客をガイドしている。片言のフランス語も実際出来るようなのだ。
「じゃあ後でまた迎えに来ます」
結局結菜さんだけは、別行動をとる事となる。もちろん彼女はマリー・アントワネットの待つ宮殿に向かった。
カヤンの城に戻ったダニエル氏はクルムさんを呼びだす。
「殿」
「状況はどうなっている?」
「はい、集結をしているルーマニア軍は5から6万くらいで、ヴァシーレ・ルプ公より対抗の為出陣するよう、命令が来ております」
さらにダニエルさんから意見を聞かれたクルムさんは即座に答え、
「現在ルーマニアは他の国との戦争も抱えている為、どこまで本気でモルダビアとも戦火を交える気が有るのか分かりません」
確かに6万やそこらの軍勢では、いかにモルダビアが小国といえども、ルーマニアが本気で向かって来ているとは思えない。
「ヴァシーレ・ルプ公も急遽4万の兵を招集するようです」
「ではわが軍も1万をもって出陣するぞ」
「分かりました」
カヤンの城にはまだバルクが率いる傭兵も残っており、やはりモルダビア側に付いて従軍する事となったようだ。
「結翔さんはどうしますか?」
ユミさんが聞いてきた。
「あの、おれは……」
一瞬迷ってしまった。これはモルダビアとルーマニアとの紛争になる。おれが関わる意味がどれだけあるんだろう。前回はダニエルさんを助けようと奮戦したが……
出陣するダニエル軍は、ヴァシーレ・ルプ公よりポルス家の牽制を命令された。
今回も当然ポルス家は軍を出して来るだろう。ルーマニア軍と対峙するモルダビア軍の背後を突かれる恐れがある。そこでダニエル軍はポルス家の軍を牽制して、その足止めをするように指示されたのだ。
「殿」
「安兵衛!」
カヤンの城で、おれの前に安兵衛が立っている。
「そなた、いつの間にまいったのだ?」
おれの言葉使いが戦国時代になっている。
安兵衛は自分の気持ちを語り出した。
「ムラト4世の亡き後、妻ミネリマーフの祖国モルダビアにまいりました。今は妻の眠るこの地で、拙者も骨を埋める覚悟で御座います」
すでにこの土地を自らの祖国と定めていると言うのだった。
さらに安兵衛は続けた。
「拙者は今どの軍にも所属しておりません。もし殿が再び戦って下さるのなら、共に参戦させて頂く所存で御座います」
「…………」
ヴェルサイユ宮殿の敷地内にある離宮「プチ・トリアノン」に王妃と結菜さんのふたりは居た
田園や農家の風景をそのまま再現したもので、静かな池もある。宮殿での窮屈な暮らしに疲れた王妃が、心から安らげる唯一の場所だ。王妃はこの離宮に気心の知れた者だけを呼び、そうでない者は一切入れなかった。
オーストリアから政略結婚でフランスに派遣されてやって来たマリー・アントワネットだが、瞬く間に宮廷でのファッション・リーダーとなり、髪型などはどんどんエスカレートし、草木を飾りにつけたり、なんとかつらの上に船の模型をのせてみたり、ド派手な方向に迷走していった。
フランスの宮廷内はとにかく格式ばっている。末っ子で祖国では気ままな生活をしていたマリー・アントワネットの、自由に振る舞えない鬱憤からの反動でもあった。
「ユイナさん」
「はい」
「貴女の肌は何故そんなに綺麗なの」
「…………」
実は結菜さん、王妃とこうして間近で接するようになると、気になって仕方がない事があった。ショックと言い換えてもいい。
マリー・アントワネット王妃といえば、現代の女性からも憧れの存在ではないか。その王妃の肌や髪がはっきり言ってあまり綺麗ではない事に気付いてしまったのだ。髪は粉まみれなのだが、本当にそれが粉なのかどうか分かったものではない。誤解を恐れずに言ってしまえば、あまり清潔ではないのだ。
王妃はさらに先を続けた。
「髪だって、何て綺麗なんてしょう。それにとてもいい匂いがするわ」
結菜さんは思い切って言ってしまった。
「王妃さま、お風呂に入りましょう!」
「お風呂……」
「身体を洗うんです。髪もシャンプーを使って綺麗にしましょう。トリートメントだってしっかり持って来ているんです。そのトリートメントを流してからリンス・コンディショナーで仕上げをします」
「…………」
結菜さんの指示で、お付きの方達がバスタブにお湯をふんだんに用意する。
「えっ、貴女の前で全部脱ぐの?」
「もちろんです、下着を着たままでは身体は洗えません!」
「…………」
「私は女性ですし、キリストの教えも何もないのです。裸の何処が悪いのですか」
この時代人前に肌をさらすことは、キリスト教の教えではタブーだったが、知った事か。結菜さんは不退転の決意で臨んだ。
王妃のかつらはもちろん、髪飾りの類は全て取り払われた。
今でもフランス人の風呂嫌いは有名なのだが、この時代はもっとだっただろう。全く風呂に入る事のなかったその身体は、現代人から見ると、あまりにも不潔であった。王妃はオーストリアからいらして、フランス人ほど入浴嫌いではなかったようだが、それでも現代人から見れば身体を洗わなさすぎる。
「王妃さま、失礼します」
結菜さんはボディソープをたっぷりしみこませた布で王妃の身体をゴシゴシと擦り始めた。もちろんデリケートな女性の肌だ、細心の注意を払って。
「ワアアッ」
王妃は大げさな悲鳴を上げた。
幸い結菜さんは旅行用のシャンプーから、ボディーソープ等をたくさん用意してきている。キャリーバッグには、女性用の身だしなみセットがしっかり入っているのだ。
「こんなに汚れているとは思わなかったわ。もっとどんどんお湯を沸かして!」
髪を洗うと、シャンプーが瞬く間に減っていく。何度すすいでも泡だたない。
石鹸の泡をたっぷり含ませた布で、次は顔だ。
「貴女の前なのに、お化粧が落ちてしまう!」
「良いの!」
深呼吸をさせた王妃の顔をずりっと洗う。
「ブハッ」
バスタブのお湯が何度も取り替えられた。
結菜さんはくすぐったがる王妃を構わず押さえ付け、格闘し、その身体を懸命に洗って磨き上げる――
やがて、滴る泡の下から、信じられないほど綺麗な身体とマリー・アントワネットの素顔が現れた。
「わぁっ!」
思わず見惚れてしまう結菜さんは、次の言葉が出てこない。
すぐアイフォーンで立ち上がる王妃の全身写真を撮って見せると、今度はディスプレイをのぞき込む王妃が、裸のまま息をのんだ。そこにビーナスが立っていたからだ。
かつらも羽根飾りも付けず、広がったドレスも着ていない。なのにその瑞々しく、神々しい肢体は美の女神そのものだった。
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