第230話 見えるはずのない「誰か」
皇帝は、ワインに口をつけるドミニクを無機質な目で静かに眺めていた。
やがて――――
ドミニクは、手に持っていたグラスをテーブルの上に置いた。
「…………いつ、目覚めたのですか?」
「いつだと思う?」
「…………」
問いに問いで返されたドミニクは黙っていた。
沈黙を破ったのは皇帝だった。
「それよりも、状況は?」
問いに答えてもらえなかったドミニクだったが、表情を変えることなく返事をした。
「作戦の開始を一週間後に早めることになりました―――というか、私に聞くことなど、何もないでしょうに……」
すると、皇帝に初めて表情が現れた。
くっくっ、と小さく声を立てて笑う。
「こういうのを様式美というのだ」
「そういうものですか…………」
「そういうものだ。
ドミニクは黙ったまま、小さく微笑んだ。二人の間に、奇妙な雰囲気が生まれ、沈黙が流れる。それを破ったのは皇帝だった。
「そんなことよりも――――ついに誕生したぞ」
「…………なるほど。星霊の誕生が、あなたを覚醒に導いたのですね」
ドミニクは、今気がついたかのように答えたが、皇帝が覚醒するための条件は知っていたし、ドミニクが知っていることを無論、皇帝も承知している。これも、皇帝が言うところの「様式美」だったのだろう。
「もちろん言うまでもないが、これがゴールではないがな」
「ええ、分かっています。でも……星霊がこの世界に誕生したのです。もうエルフや妖精族への作戦は不要なのでは?」
「……なぜ、そう思う?」
「最終の目的は星霊なのですから。作戦は、星霊の誕生を促すための仕掛けだったはずです」
そしてドミニクは指を折る。
「魔力の暴走。ラルゼの迷宮に仕掛けた装置は、迷宮の氾濫を促すためのものでした。失敗しましたが……」
「そうだな……」
皇帝はワイングラスを手に取り、ゆっくりと回す。
「あの少年の力は、かなり異質だな」
「ええ。私もそう思います。もっとも、あなたにとって脅威ではないのでしょうが……」
「そりゃそうだ。あの少年は生まれたてのヒヨコのようなものだ。右も左も分からぬ輩が脅威になるはずがない」
「だったらなおさらでしょう……」
そして、ドミニクは二つ目の指を折った。
「今回のユグドラシルに仕掛けた穢れを使った装置は、単に、侵攻をしやすくするためのものです。星霊が生まれた今、やはり不要なものだと思いますが……」
しかしドミニクの言葉に、皇帝は小さく首を横に振った。その表情からは『お前は分かっているくせにそういうことを言うのだな』という言葉が聞こえてきそうだった。
「……いや。まだだ。星霊はまだ覚醒をしていない。今回の作戦は、星霊を覚醒させるためにも必要だ」
「…………ミナト、ですか?」
少しの間を置いてからドミニクが答えた。小さく皇帝が笑みを浮かべる。その笑みは『やはり分かっているじゃないか』と告げていそうだ。
「ああ…………少年は星霊の片方の
「…………星霊は覚醒しますか?」
「さあな。だが主の感情の高ぶりが星霊を揺り動かすことは確かだ」
皇帝がグラスに残ったワインをぐいと一息で飲み干した。ワインの甘い残り香が漂ってくる。
「そのための伝説の武器、ですか?」
「まあ描いた通りの絵が描けるかどうかは……知るのはまさしく『神』のみ、ということか」
皇帝の皮肉をたっぷりと含んだ視線に、ふとドミニクは何かを思い出すかのような仕草を見せた。
「…………今回、作戦の開始が早まったのはもしかすると……?」
「いや関係ない」
グラスを持ったまま、皇帝が首を横に振る。
「何もしかけていない。鬼族の行動に合わせたわけではない。だが…………もし、早まったことに意味があるとするなら、やはりパシュパラ・ストラにその因はあるのだろう」
そして、皇帝は再度、グラスにワインを注ぎ入れた。ドミニクは黙ってその様子を見ている。
「少なくとも、これで絵を描く準備がさらに整ったことは確かだ」
皇帝は、グラスを掲げて、ワイン越しにドミニクを見ていた。
「鬼族の若者が異世人特攻となる武器を手に持ちユグドラシルに来るのは、一週間後だ」
ドミニクはワイン越しに、皇帝の目を見る。
「さらに、少年が不浄の実を『四方位の儀式』で落とすのも一週間後」
その目が怪しく光り出したように、ドミニクには見えた。
「そして――――我が帝国の侵攻も一週間後となる」
確かにこれは偶然の結果なのだろうが、不自然と言えるほど「必然」に向かって「偶然」が重なっている。
「では…………やはりこれは『世界の意思』が関わっているのでしょうか?」
「どうだろうな…………」
皇帝は手にしたグラスを少しだけ口にしてからテーブルに置いた。
「だが、もし誰かの意思が働いているなら、それは確かに『世界』なのだろう。世界そのものが、星霊の覚醒を望んでいることになる」
「では、やはり星霊が覚醒を……」
再び、同じ問いをドミニクが口にするが、皇帝は「さあな」と答えることはなかった。
「パシュパラ・ストラは、どうしますか?」
ドミニクが話題を変える。
「どうするもこうするもない。手に入れろ。あの武器は絵を描くために必要な『筆』だ。筆がないと絵は上手く描けない」
「ただ…………いえ、なんでもありません」
皇帝は、ドミニクが言いかけた言葉は無論分かっていた。
ドミニクがパシュパラ・ストラを確実に手に入れる最も良い手段。それは一つしかない。ケンシンが振るう刃をその身で受け止めることだ。
■□■□
皇帝クリストハルト—―――彼は異世界人だった。
彼の元の世界はミナトがいた地球と酷似していた。もっとも、地球のような「科学文明」、あるいは、今の世界のような「魔法文明」ではなかったのだが……
彼の元の世界での名前は、真
そして、この世界に辿り着いた時の名前が――――「シンジ」だった。
初代の皇帝から今の23代まで、全ての皇帝は彼だった。もちろん全ての皇帝たちを、一人のシンジの「肉体」が演じていたわけではない。
シンジは魂を他の
「転生」は死を持って輪廻の輪に入り、その輪から新たな生へと生まれ変わるものだ。
それに対して「憑依」は、死を介さずに「肉体」、つまり魂の入れ物だけを変えることができる力だった。
この力は、この世界のスキルにもない「力」で、シンジが前の世界で得ていた力の一つだった。
こうして、ある出来事から皇帝の身分を得たシンジは、自分の跡継ぎを作り、そして自分を憑依させることで、死の列に一度も加わることなく生き続けてきた。もっとも、死の列に加わらない――――いや加われない理由がシンジにはあったのだが……
生き続けてきた理由。
それは「星霊」を手に入れること。それだけがシンジの願いであり、目的だった。
いくつもの世界を渡り歩きながら、幾千もの時間の流れを越えてきたのは、全ては星霊を手に入れるためであり、それだけがシンジが生き続ける全てだった。
あまりにも膨大な年月を――――その全てを足せば、この世界が始まってからの時間よりも遥かに長い年月を過ごしていく中で、いつしかシンジは、必要な時がくるまで自身の意識を「殻」の中に入れる術を身に着けていた。
殻が割れる条件は二つ。
一つは、新たな「憑依」の時期が来た時。そしてもう一つが「星霊」の誕生だった。だが…………「星霊の誕生」は「普通の出来事」ではない。幾多の世界を渡り歩く中、星霊が誕生しなかった世界の方が多いぐらいだった。
しかし、「憑依」を続けていくことは、正常な精神を保つのが難しくなる。元はごく平凡な普通の人間に過ぎなかったシンジにとって永遠に近い時間は、その精神を大きく削り続けてきた。
そこでシンジが取った手段が「憑依」と「パペット」だった。
自身を眠りにつかせ、その間は「パペット」に管理を任せる。そして「憑依」の時が来れば――元の肉体が寿命を迎えれば――目覚めて「憑依」を繰り返す。
ただ息を殺すようにじっと「星霊」の誕生を待つ存在。それがシンジだった。
ドミニクは、シンジの力により作り出したパペットに過ぎない。殻にこもったシンジを守るための存在だった。ケンシンが仇と狙う「シンジ」もまた、シンジが作り出したパペットの一人だった。
「パペット」とは、いわばミナトが作り出す「分裂」スキルの「影」の技能と似たようなものだ。違うのは、ドミニクはシンジそのものであったということ。完全なるコピー。それがシンジが前の世界で得ていたもう一つの力――――「
さらに、「パペット」にはオリジナルであるシンジが持たない「モノ」を持っていた。それは消滅できること。
ドミニクはシンジの「完全なる」コピーだ。つまり異世人特攻であるパシュパラ・ストラの刃が届けばそれは、ドミニクの「死」を意味していた。
ドミニク自身は自我があるとは言え、シンジの意識がベースだ。自身の死が必要ならば、それを躊躇うことはないし、それが有効な手段であるならば自らが率先して行うべきであることも理解していた。
一方、コピーの死はシンジの死ではなく、それこそ人族から見れば無限に近い時間を過ごしてきたシンジにとって、過去に幾度となく経験したことだ。最初の頃ならいざしらず、もはや、その
二人の感情の機微には微妙な違いがあったが、とはいえシンジが「星霊」を必要とする理由は、その違いを無いものとするだけの力があった。
だから、シンジは迷わない。
ドミニクにケンシンがパシュパラ・ストラを突き刺せば、必ず手を離すだろう。パシュパラ・ストラは僅かな傷さえつけることができれば、確実に異世人を殺せるからだ。
そうすれば――――
パシュパラ・ストラは簡単にシンジの手に入る。ドミニクの死を代償にして……
だから、ドミニクも迷わない。
■□■□
ドミニクの迷いは――自分が消滅することを許容して良いのか、という問いかけは――自我を与えたシンジにとっても、好ましいものだったと言える。もし、ドミニクがシンジに取って代わり、シンジの願いを叶えてくれるなら、喜んで「オリジナル」の座を渡していたはずだ。
だが…………
ドミニク自身は、シンジの考えも思いも、そして願望すらも「正しく」把握していた。
誰を犠牲にするかが問題なのではない。何を為すかが問題なのだ。その犠牲が誰であっても、為すことができれば、そこに至る過程も、そして結果も全て正しかったことになる。
ドミニクは、これ以上、この話題を続ける必然性を見つけられなかった。なので話題を変えることにした。
「…………そういえば、神龍は手を出してきますか?」
「神龍? あいつは手を出したくても、あの場から動くことはできないから、それはないな」
「エルフの偉人はどうでしょう?」
「ナオか。あいつは、転生は済んだようだが、まだ覚醒はしていない。ユグドラシルの作戦の中で覚醒をするかもしれんし、逆に死んで新たな転生に入るかもしれんが…………いずれの場合も、描く絵に影響は与えないから気にする必要はない」
そして、もう一度皇帝は、くっくっと小さく笑った。
「それにしても…………自分との会話が、これだけ奇妙なものに聞こえるとは……面白いものだな」
「それはそうです。いくら私があなたの
「なるほど。ではこれでどうだ?」
そして、皇帝が何かを呟くと、空間が細かく揺れ…………その姿が違う人物へと変化した。
そこには、黒髪と黒い目をしたドミニクと同じ容貌をした男の姿があった。
先ほどまでのどこか人を皮肉ったような表情は見られない。そこにいたのは、自らの意思を封印したかのような静かに気配を消した男だった。
「ドミニクよ。いや――――もう一人のシンジよ。まもなくだ。まもなく『世界』を変えるためのパーツが揃う」
「そうですね。オリジナルのあなたが望まれる、いえ――――私自身が望んでいる『世界』は間もなく手に入るでしょう」
「ああ。そうだな……」
そして皇帝――――シンジはソファーから立ち上がると、空中を見上げた。その感情を現さない黒い瞳は、見えるはずのない「誰か」をはっきりと映し出していた。
「神よ――――いや、管理者よ。待っているがいい。全てが掌の上で動くと思ったら大間違いであることを分からせてやる。必ず、『世界』は奪い返してやる。この世界の『全て』を代償にしてな…………」
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