第129話 ルドラの作戦



「……もしかすると、師匠は僕の死の――」


「いいや違う。ミナト、あんたの死の影を察知したんじゃない」


「じゃあ……」


「アンジェだ。アンジェの死の影を察知したのさ」



 え!?……



 僕は、突然、頭をぶん殴られたように感じた……


 アンジェに死の影……?


 少しずつ手が震えだすのが分かる。


 なぜ? なぜ? なぜ?……


「し、師匠……そ、それって?」


僕は突然、胸の苦しさを感じた。息を吸っても吸っても苦しい。


「慌てるんじゃない。あんたが想像しているほど、深刻なものじゃないさ。ほら、一度、ゆっくり息を吐きだすんだよ」


 どうやら、少し過呼吸を起こしていたようだ。


 僕は、ゆっくりと息を吐きだした。そして数秒ほど、息を止めてみる。


 ふぅ。


 少しだけ、気持ちが落ち着いてきた。


 師匠が優しい目で僕を見つめる。


「ミナト、本当はあんたにこの話をするべきか、随分と迷ったのさ」


「……はい」


「さっき言ったように、あたしが視る『死の影』は未来予知とは全く違う。あくまで、死の気配が近づいていることが分かるだけなのさ」


「……アンジェに、この話は……?」


「ああ、もう伝えたよ」


 僕は、深い思いやりを無表情の影に隠す、エメラルドグリーンを好む少女の姿を思い浮かべていた。


「アンジェは、なんと……?」


「そんなことは、あんたが一番良く分かっているだろ?」


「…………」


 うん。おそらくアンジェは「そう……」とだけ言ったのだろう。


 僕は、自分の頬を両手でパチンと叩いた。そして師匠を真っ直ぐに見る。


「……師匠。師匠が視た『死の影』を、アンジェから遠ざける方法を教えてください」


「あの子は、それを尋ねようとはしなかったが、一応、教えておいたよ。一番手っ取り早いのは、今とは違う行動をしてみることだ、と。死の影とは、たいてい『今』の延長線上に現れるようなものだからね。もちろん、アンジェは、首を横に振ったが……」


「その、今とは違う行動って……」


 僕は、その答えを頭に思い浮かべて師匠に尋ねた。


「そう、あんたが想像している通りさ。一度、あんたと離れることさ」


「…………」


「あの子は微笑んでいたよ……分かるだろ? あの子の立場になって良く考えてごらん」


 ああ、そうか。


 思い出してみれば、アンジェはいつも僕の側にいてくれた。


 ……いや違う。


 師匠と初めて戦った訓練場のとき――


 ヴァンパイアのお婆さんたちと戦ったとき――


 僕に何かあったとき、アンジェはいつだって「僕の前」に居た。


「あの子は言っていた。ミナトが私を家族として認めてくれた、私はミナトを守りたい、ってね」


 ……僕はどうすれば良いのだろう?


 アンジェが、僕と少しでも離れる選択肢を選ばない、という気持ちは分かる。なぜか、アンジェは――おそらく僕が思うよりもアンジェは、僕のことを大切に思ってくれている。時々、からかうこともあるけれど、その視線はいつだって僕を向いていた。


 もしも、僕がアンジェの立場なら――自分の家族を守りたいと思うなら、自らが死の影に覆われようと、そんなことは関係ない。自分が行いたい行動を優先する。


「言っておくが、『いつもと違う行動』といっても正解はないからね」


「……はい、分かっています」


 そう。アンジェに纏わりついた「死の影」に僕が関わっているとは限らない。ただ、アンジェのステータス、そして僕の眷属として「無効」スキルも使えることを考えると、アンジェが致命傷を負う姿は、簡単には想像できない。


そうなると、よほどの厄介ごと――それも僕絡みの――が関係してくるとしか思えなかった。今のアンジェの行動範囲を考えると、単独行動はしないから、そうした厄介ごとを抱える機会がまず無いはずだからね。


 そうだ……


 僕は、もう一つ知っておきたいことを師匠に聞くことにした。


「師匠、もう一つ聞いてもいいですか?」


「なんだい?」


「師匠が、その『死の影』を感じた時、それが現実のものとなるまでの時間って、どれくらいの猶予があるんですか?」


 僕の言葉に、師匠が少し難しい顔をした。


「残念だが、決まりはないね。短いとその日だったこともあるし、長いと数年後、ってこともあった。それに『死の影』も濃くなったり薄くなったりするからね」


「ということは、例えば、アンジェに僕と別行動をさせて、その後の『死の影』の濃さを視てもらう、ってことはできるんですか?」


「ああ、もちろん、弟子の頼みなら、それぐらいなんでもない。ただし、あたしがアンジェの近くにいれば、という条件がつくけどね」


 そうだった。師匠は間もなく、ファイファイバ島に出かけるんだった。


「……分かりました。一度、アンジェと話をしてみます。それと――師匠、ありがとうございました。話していただいて」


 僕が頭を下げ、そして顔を上げた時、師匠はさっきよりも優しい顔で僕を見ていた。


「ミナト。家族思いのあんたのことだ。アンジェが助かる道なら自分を犠牲にすることは厭わないかもしれない。だが、アンジェも同じ思いを抱えていることを忘れちゃいけないよ」


「……分かりました」


 僕は、もう一度、師匠に深く頭を下げた。



 ▼▽▼▽



 side ルドラ



 夕方。


 ルドラが自室で、書類の作成を行っていると、突如、左上の空間から声がかかった。


「久しぶりだな」


「遅かったな、オウザ」


 驚くことなく答えるルドラ。そして、ルドラの前に一人の男の姿が突如、現れた。サラムー暗殺団のルドラの同僚、オウザだった。オウザも、ルドラと同じ村の出身で、ハーフの獣人だ。ルドラとの付き合いもかなり長くなる。


 遠慮なくオウザは、ルドラが座るデスクの前に置かれたソファに、ドサッと腰を降ろした。


「いろいろあったようだな」


「ああ。信じられないことばかりさ」


「それで、俺を呼んだのは? 何の仕事だ?」


 この部屋はスクロールを使って防音の結界を張っている。外に声が漏れる心配はなかったが、内容が内容だけに、ルドラは声を潜めた。


「暗殺だ。指令はすでに受けている」


 オウザは一瞬、目を見開いたが、すぐに元の表情に戻る。


「今の任務はバラす終了するのか?」


「ああ。もうじき、例の保険が発動する。それに合わせて撤収する」


「最後の置き土産、というやつか。で、誰を暗殺する?」


「二人の王妃、二人の王女のうちの誰かを。もちろん全員でも構わない」


「ほう……だが、今、王都にいる王女は三人じゃないのか?」


「ルーヴァ王女は、すでに降籍した。それに――俺らが手を出せる相手じゃない」


 オウザが、今度は変な顔になった。


「ルーヴァ王女に、俺らが手を出せない? なぜだ? よほどの手練れが護衛についているのか?……まさか、あの噂が……」


「ああ、そのまさかだ。ルーヴァ王女は一人でBDブラックドラゴンを倒した。それも一振りで両断だ」


「…………」


「間違っても、手を出してはいけない。なぜルーヴァ王女が、それだけ強くなったのか、理由は定かでないが、少なくとも俺たちが敵う相手でないことは確かだ」


「……そうか。手順は考えているのか?」


「これを入手した」


 そして、ルドラはオウザに小さな瓶を見せた。


「それは?」


「ウマカブトの毒に、ヤードクガエルの毒とデュラハンの兜を砕いたものを混ぜたものだ」


 ウマカブトは植物の根から抽出した神経毒だ。ヤードクガエルの毒は、強い出血をもたらす。デュラハンはアンデッドの魔物で、手に抱えた兜を砕いたものには呪いを付与する効果がある。


「……呼吸停止に出血、それと呪詛か。なかなかえぐいものを作ったな。呪詛は何だ?」


狂呪きょうじゅだ」


 ルドラの言葉にオウザは眉を潜めた。


「王女に狂呪? そんなものが発動したら、混乱ではすまんぞ」


「狂呪」とは、その名の通り、正気を失わせて全力で暴れまわらせる呪いだ。通常、人は本当の意味で「全力」は出せていない。自分の筋肉や骨、内臓に異常をきたすような力を出すことを自身が持つ生存本能が止めるからだ。狂呪は、その咎を外す。頭蓋骨が砕ける力で頭突きをして、手首が折れる力で殴る。そのため、狂呪を受けた者は「全力」で暴れることで死に至ることが多い。解呪が間に合うかは、時間との勝負になる。


「分かっている。だが、ルーヴァ王女がリアナ島から帰ってきてから、王国はおかしなことが多すぎる。王妃の呪いを解いたことも、ブラックドラゴンを倒したこともそうだ。今までなら、どちらか一つで十分に任務は達成できた」


 ルドラの言い分をオウザは理解できた。確かに、解けない呪い、暴力的な破壊をもたらすドラゴン、その両方を何の被害も出さずに鎮めたことは信じがたいことだった。


「例の保険が発動すれば、近衛騎士団が王、そして次に王太子を避難させる。その後が、第二王子だろう」


 緊急時の王族の避難体制は、その緊急の内容によっていくつかのパターンが定められている。緊急度が高ければ高い程、王族を同時に避難させることはない。避難させる場所も異なる場所へと向かわせる。何かあった場合、固まっていては全滅する恐れがあるからだ。王家の「血」を失わせないための処置だった。


「最後が、王妃と王女たちだ。ラルゼの森で起きた混乱ならば、王妃、王女たちの避難は地下の隠し通路から北門に向かうルートが選ばれる。ちなみに、ルーヴァ王女はすでに王族から離れているから避難には同行はしないはずだ」


 ルドラは、第一王妃の薬師だ。そのため、緊急時の行動については、何度も訓練に参加して知っている。避難の際、王妃、王女それぞれ専従の医師、薬師は護衛騎士団と共に同行するのが常だった。


「オウザ、お前は隠し通路の出口で、脱出のタイミングを見計らって、これを焚いてくれ」


 そして、ルドラが机の引き出しを開け、植物が束になったものを取り出すとオウザに放り投げた。


「これは……イエローセージか」


植物の束を受け取ると、オウザは軽く臭いを嗅いだ。


「ああ、そうだ。使い方は知っているよな?」


「もちろん」


 イエローセージとは、燃やすと黄色い大量の煙を出す。今は滅んでしまった妖精族が儀式の際に、スマッジング煙で空間を燻すのため用いていたもので、一般には知られていない。煙の色と臭いが、幻覚を見せるアサハシシを燃やした際に出るものと似ていることから、暗殺団では作戦を行う際のダミーとして良く使われていた。


「煙が充満したら、幻覚を防ぐためと言って、俺がこれを飲ます」


 そして、ルドラはさっきの小瓶を指で摘んで軽く振った。


「もし、毒や呪詛の対抗手段を持っていても、三種類同時、というのは無理なはずだ。それでももし、毒で倒れなかった場合、始末できそうな奴を仕留めてくれ。間違いなく現場は混乱しているだろうからな」


 なるほど。二段三段構えの作戦か。それに、毒を飲ますところまでは、さほど難しくないだろう。


「分かった。それでタイミングだが――」


 そして二人のハーフの獣人は、細かな打ち合わせを始めた。ルドラもオウザも、単純な作戦だけに失敗のしようがないだろう、と考えていたのだが……


 彼らは知らない。ミナトがルーヴァの家族を守るために渡した「指輪」の存在を……


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