第18話 『支配の輪郭』
昼休みの食堂は、いつも通りのざわめきに包まれていた。
談笑するグループ、スマホを見ながら一人ランチを取る学生、無我夢中で昼食を貪る集団。だがそんな穏やかな昼食の時間に如月香帆の表情は、少しだけ陰を帯びていた。
目の前で笑っている女子学生は、確かに知り合いだった。学部も同じで、これまで何度もグループで行動してきたはずだ。なのに――。
(……目が、笑ってない)
声色と口調は明るい。けれど、その視線はどこか焦点が合っておらず、表情の“温度”が以前と違う気がする。
「ねえ香帆ちゃん、この前の異能サークルの話、覚えてる? 今度、代表の葵くんが企画するレクリエーションするから、良かったら来てみてよ」
そう言って渡された小さなチラシ。紙質も色も地味で、手作り感はあるが、どこか違和感と怪しさがある。
彼に吸血されてから、気のせいなのかもしれないけれど、人の違和感や物への怪しさを今まで以上に感じられるようになっているような気がする。
「……ありがと。でもごめんね、今日はちょっと予定があって」
「あ、そっかそっか。またの機会にね!」
笑顔のまま立ち去る女子学生を見送りながら、香帆は小さく息を吐いた。
「(あの子、あんな話し方だったっけ? ……いや、私の勘違いかもしれない。でも――)」
胸の奥にある“警鐘”は、小さく、だが確かに鳴っていた。
香帆には、似たような経験があった。
人の内側が、何かに侵されてしまったように、少しずつ歪んでいく。目つきや言葉遣いの微妙な変化、何かに“乗っ取られた”ような違和感――
あの頃と、似ている。
家族が洗脳されかけた時。
あの時も、最初に気づけたからこそ、無事でいられたのだ。
「(私、こういうの……近づいちゃダメな気がする。良い結果になったことなんて無い)」
強くはないかもしれない。でも香帆は『自分の直感』だけは裏切らないと決めていた。
そこから気を紛らわすために周囲を見渡してみる。
数人が会話しているその向こうに、サングラス姿の郷夜と、金髪の後輩――蓮華が笑顔で向き合っているのが見えた。
「(……郷夜くんと……あれは1年の獅子堂蓮華ちゃん……仲良いな)」
その光景に、胸の奥が一瞬だけチクリと痛んだ。だが、香帆は一呼吸だけして、迷わず彼らの元へ歩み寄る。
集団を離れることに対しても、香帆の友人たちは何も言わず、サークルの話を楽しそうにしている。
「郷夜くん」
声をかけた瞬間、郷夜が振り返る。
「……如月さん」
「……香帆だよ?」
「……悪い、香帆」
「ふふ、それでいいの」
蓮華が、郷夜と香帆の間に流れた空気を敏感に察し、自然な笑みを浮かべた。
「こんにちは、香帆さん。1年の獅子堂蓮華です……一緒に食べる感じですか?」
「うん、ちょっとだけお借りしてもいいかな」
「もちろん! アタシさっき食べ終わったとこだし~。それじゃ、またあとでね、先輩♪」
蓮華は軽やかに手を振って立ち去る。香帆は小さく頭を下げたあと、郷夜の正面に腰を下ろした。
違和感について話をするために。
「……今日も、なんだか疲れる日だったかも」
「周りの奴らが変だったか?」
「うん……変というか、少しずつ距離を取られてる感じ。直接何かされたわけじゃないのに、視線や距離感が……おかしいの」
香帆は視線を落とす。
「私、勘が強いって言われるんだ。昔も、こういう感覚で助かったことがあって」
「助かった?」
「詳しくは、また今度話すね。でも、私こういう空気が苦手なの。誰かの意思が混じったような、濁った感じ」
郷夜はその言葉に、心の中で頷いていた。
脳裏によぎるのは、蛭に寄生された人たちの顔。
自分の意思であるはずなのに、誘導されている、涙を流しながらも抗えない異能。
「香帆、元々何かしらに耐性のある特異性持ちなのかもな」
「え?」
「血もそうだし、これまでも無事なところが特にだな」
「そっか……でも、気を抜いちゃいけないよね。そういう“気づけない変化”って、きっと一番怖いから」
「俺が変だったときも、しっかり疑ってくれよ」
「本気のビンタで戻してあげるね」
「パワーで解決できるもんなのか?」
香帆は、ふっと優しく笑った。
「でもね、郷夜くんと話してると、ちゃんと戻ってこれる感じがする。だから、ありがとう」
その言葉は、静かに郷夜の胸に染みていった。
「(……どうせこの会話も聞いてる奴らもいるだろう。人を操れる以上、本体に最短で辿り着いて叩き潰す)」
この場所に、確かに繋がっている誰かがいる。
そのことが、郷夜の肩の力を少しだけ抜かせた。
この笑顔を守り抜くために、普通の学生生活を送れるように……容赦はしない。
―――――――
夕暮れが大学を染め始める頃、講義棟の裏手――人目につかない階段下のスペースに、数人の男女が集まっていた。
無言でうつむく者。携帯をいじる者。手持ち無沙汰に足元を見つめる者。
共通していたのは、その“気配の薄さ”だった。
元は学生であったことは間違いない。だがその表情は、どこか感情を削ぎ落とされたように見える。
そこへ、清潔感溢れる格好をした男――常磐 葵が静かに歩いてくる。
彼の足元を一匹の“黒い蛭”が這っていた。靴の縁からぬるりと脚に這い上がり、ジャケットの袖の中へと消えていく。
「お疲れさま。今日もよく頑張ってくれたね」
声をかけられた数人は、ぎこちなく頷くだけで、誰一人言葉を発しない。
だが、それでいい。言葉が必要なのは“意思”がある者だけだ。
この段階まで来れば、もう「命令」だけで動く。
葵は、階段の壁に貼られたポスターにそっと手を伸ばす。
『多文化共生と異能の未来』と題されたフォーラムの告知――その端に、彼らの作った偽装サークルのビラが重なるように貼られていた。
「香帆さんには……少し期待しすぎたかな。まあ、そう簡単にはいかないよね」
先日、彼女に向けて流した『同調共鳴』は、見事にすり抜けられた。
「(やはり、あの“血”は特別だ。……通常の精神操作は通らない。ならば、もう少し回りから固めていくしかない)」
その思考と同時に、袖口の中の蛭がピクリと反応する。
寄生による強化と自身の異能である洗脳。
どちらかが効かなければ、両方を重ねるだけ。
標的が香帆であろうが、郷夜であろうが、やることは変わらない。
「……まずは、彼女の“友達”からだね」
小さく呟くと、葵はトートから数枚の写真を取り出した。
その中には、香帆と昼食をともにしていた女子、すれ違いざまに会釈をした蓮華、そして――郷夜の友人・猿川鉄真の姿もあった。
「どれだけ違和感を感じても、周りの皆が変だったら……それが正しいと感じてしまう。そんな時代だよ」
葵は小さく笑った。
その笑みは、自身の異能に対する信頼と、異能を持たぬ人間を支配する快感に染まっていた。
蛭が服の下で脈動し、彼の“思考”と呼応するように震える。
「次は……うまくいくといいな。
人間って、意外と脆いから――」
―――――――
夕方、郷夜は図書館前に行き、そこで蓮華と待ち合わせをしていた。
珍しく時間に遅れた蓮華が小走りで近づいてくる。
「ごめん先輩、遅れちゃって。さっき知り合いの子と少し話してたんだ」
「時間に厳しいのに珍しい」
「んー……ちょっと顔見知りの子。最近変な話ばっかしてくるから、苦笑いで逃げてきた感じ!」
蓮華のその一言に、郷夜の背筋がわずかに強張った。
「(……見境無し、どこからでも仕掛けてきている……違和感をもっと探ってかないと)」
無意識の中で、常磐の黒い気配が――少しずつ、大学という“社会の中”に浸透しているのだった。
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