第2話「ハジマリ」

それは、どこか遠い世界の話。


大きな天井に覆われた街の中、人々は、誰かの視線に、理不尽な規律に怯えながら生きていた。

でも、それはおかしなことではない。

何故なら、それがその世界の決まりだから。


全ては為政者の望むままに。

人口の管理という名目で行われる「ゲーム」だって、一つの見世物、娯楽だった。

優秀な個体が生き残り、楽園を維持する。

そんな滑稽な話がまかり通る世界で、俺は生きていた。

誰も信じず、差し伸べられた手など全て払い除けながら──。


俺には、人に嫌われやすい事情があった。

それは生まれつきのもので、決して俺が望んだものじゃない。

挙句の果てには、両親すら保身の為に俺を遠ざける始末である。

人を信じる心を持てという方Qが無理な話だ。


その一方で、俺は"友達"というものに憧れている。

ある時、公園の長椅子に一人で座っていると、小さな子供が泣いている姿が見えた。

なんとなく眺めていると、すぐに他の子どもが駆け寄って来てその子供を慰めてあげていた。

それを見て、つい思ってしまったんだ。

悲しい感情も、嬉しい感情も分け合えるような相手が居れば……俺も、何かが違ったんじゃないかって。


そんなある日、大規模なテロ事件が発生した。

聞けば、為政者に一矢報いようとする集団の決死の作戦だったとか。

運が悪いことに、俺はその場に居合わせてしまった。

民間人の犠牲をも厭わないその行為によって俺は負傷し、薄れゆく意識の中残り僅かな命に想いを馳せていた。

後悔、懺悔、恨みつらみ……ああ、ろくな人生じゃなかったな。


もし一つだけ願いが叶うとしたら、まだ生きたい。

そんな希望を言い遺し、全てに別れを告げようとした時──


『大丈夫!? 待っててね、今助けるから……!』


俺の上体をそっと抱き起こし、大丈夫、大丈夫と声をかけ続ける一人の青年が居た。

そうしてるうちに意識が遠のいて……次に目を覚ました時は病院だった。


『あっ、起きたんだね……!』

『俺……生きてる……?』


その状況を不思議に思いながら天井を見上げる俺に、安堵の表情で話しかけてきたのは先ほどの青年だった。

どうやら、青年は俺が目を覚ますまでずっと付き添っていてくれたらしい。

俺をここまで運んでくれたのも、彼で間違いないだろう。


『よかった……』

『あ、その……助けてくれてありがとう。えっと、君は……』

『俺は月下 縁(げっか えん)。君は?』

『……ユン。綾辻ユンだよ』


それが、月下 縁(げっか えん)との出会い。


*****


屋敷の中。

俺と朔は今日も二人、お揃いの服を着て過ごしていた。


「これが、ユンの物語の始まりだよ」

「ふーん……」

「あれ、なんか変だった?」


不安そうに、朔は俺の顔を覗き込む。


「いや、そうじゃなくて。……縁っていう奴が、俺の友達なんだなって」

「そう! 縁はね、ユンを助けてくれるんだよ」

「どんな見た目の子?」

「え? えーっとね……藍色の髪で、こう、カーディガンを羽織ってて……」


返答に詰まりながらも、朔は頑張って説明する。

俺はなんとかその特徴一つ一つを理解しながら、それっぽい姿を頭の中に思い描く。


「大体こんな感じかな。かっこいいでしょ?」

「うーん、朔が思う縁と、俺が思う縁のイメージはだいぶ違うと思うけど……」


俺も朔も、絵はあまり得意ではない。

言葉でしか説明できないので、お互いが考えている縁の姿は絶対に一致しない。

まあ、それは大した問題でもないか。


「この話はここまでにしよう! 今日は、まだここまでしか書けていないから……」

「ん……ああ、分かった」

「ユン、やっぱり様子が変だよ?」


ぼんやりしている俺を見て、朔は心配そうに言う。


「んー、それが、また友達と喧嘩しちゃって……」

「また喧嘩? それって、前に喧嘩した子?」

「そうだよ。今度こそ、向こうが悪いと思う」

「……前の時は、ユンが悪かったと思うけどね」


それっぽい言葉を並べて、朔に俺の非がないことを説明する。

気づけば、まくしたてるような形で一方的に話してしまっていたようだ。

朔は少し戸惑いながら、うんうんと話を聞いていた。


「あ、ごめん。こんなこと、朔に言っても仕方ないよな……」

「ううん、大丈夫。でも、ユン?」

「何?」

「喧嘩ばっかりしてると、いつか大切なものを失っちゃうよ」


それだけ言うと、朔はアプリコットジャムが乗ったクッキーを頬張り始めた。

その甘い香りと朔の平和ボケした様子に、なんだか俺も拍子抜けしてしまった。

一緒にクッキーを食べて、ぼんやりと他愛ない話をしている間に日は暮れていく。


「あのさ、朔」

「なぁに?」

「その……ごめん」

「いいよ。それより、また遊びに来てよね?」


俺の俯いた視線に合わせるように、朔は中腰になって笑顔で手を振った。

だから、俺もその場を去るまでは笑顔で居ることにした。


「じゃあ、明日また来てもいい?」

「明日? 二日続けて来るなんて珍しいね?」

「まあその、暇だから……」


本当は、明日は喧嘩した友達と遊ぼうと思っていた。

だけど、今の様子じゃその予定も潰れてしまいそうなので話し相手が欲しかったんだ。

そんなこと、朔には言えないけれど。


「分かった! 待ってるからね、ユン」

「じゃあ、また明日」


もやもやする気持ちを胸に、俺は夕焼けの空の下を走って帰る。

角を曲がる時に、少しだけ屋敷の方を見た。

朔はいつも通り、俺が見えなくなるまで見送っているようだ。

それだけ確認すると、俺は再び走り出して、自分の家を目指した。


*****


『ユン、おはよう』

『縁……? 今日も来てくれたの?』


病院のベッドで寝ていた俺は、突然の来客に驚いた。

昨日、俺を助けてくれた青年──縁が、またやって来たのだ。

手に持っていた二種類の飲み物を差し出しながら、俺に問いかける。


『どっちがいい?』

『えーと、じゃあ……こっちで』


縁は俺が受け取らなかった方のジュースの缶を開けて、窓の外を見ながら飲み始める。

その様子を見て、俺も縁に手渡された飲み物の蓋を開けた。


『怪我の様子はどう?』

『ダメかな、退院までは二週間くらいかかるって』

『……そう』


その声色は、少し悲しそうだった。


『でもさ、縁?』

『何?』

『縁が助けてくれなかったら、俺は今頃……。

だから、助けてくれてありがとう』

『うん。……そう言ってくれるならよかった』


その後は会話も目を合わせることもなく、静寂の時間が続いた。

そうしているうちにジュースを飲み切った縁は──その空き缶を浮かせて、ゴミ箱の中へそっと入れた。


『あっ……!』

『何?』

『それ、縁の"能力"?』

『そうだよ。この部屋にあるものくらいなら、なんでも浮かせられると思う』


縁は相変わらず窓の外を見ながら、不愛想に返答する。

部屋の中を見渡せば、病室のベッドや仕切り、それに少し大きめの棚がある。

そんなものまで、自在に操れるんだ。


『縁って、すごいんだね』

『生まれつきのものだからね』

『……そっか』


本来、能力を持つ者はそれを隠して生きなければいけない。

理由は単純で、能力者は嫌悪されたり差別されることが多いのだ。


俺も、ちょっと特別な"能力"を持っていた。

だけど、上手く使いこなせないので普段は人に隠している。

正直、この"能力"を明かして縁に嫌われることが怖かった。


『縁は、気味悪がられなかった?』

『え?』

『ああ、いや……』


俺の能力は、悪気が無くても無意識に出てしまうことが多いので、辛い経験はたくさんあった。

人に嫌われる理由も、概ねそこにあると言っても過言ではない。

それを平然と扱う縁を見て、カッコイイと思うと同時につい心配してしまったんだ。

だけど、逆に気を悪くさせてしまっただろうか?

どう言葉を続けたものかと迷う俺に、縁は言った。


『ねえ、ユン?』

『何?』

『人には、良いところも悪いところもある。

完全な良い人も居なければ、完全な悪い人も居ないんだよ。

だから、そんなつもりがないと思っていても、悪いことをした時は……ちゃんと、謝るんだよ?』


*****


「はい、今回はここまで」

「えっ?」


本を閉じた朔は、穏やかな笑顔をしている。

そのまま目を合わせることもなく、今日もまたクッキーを頬張り始めた。


「ねえ、朔?」

「なぁに?」

「縁が言ってたことってさ……」

「僕には分からないなあ。でも、僕は素直なユンが好きだよ?」


俺の考えすぎかもしれない。

だけど、きっと朔は、縁を通して俺に伝えたかったんだ。


『悪いことをした時は、ちゃんと謝ること』


素直になれない俺を、後押ししたい朔の気持ちが伝わって来た。

縁の言葉は、俺に向けられていたのだと思った。


「朔。……俺、ちょっと明日は用事ができたかもしれない」

「分かった! じゃあ、明日はその用事を頑張って来るんだよ?」


朔はポンポンと俺の頭を撫でた。まるで子ども扱いだ。

だけど、縁が俺の為に言ってくれた言葉は、しっかり守ろうと思った。


*****


翌日、俺は喧嘩をしていた友達に自分から謝った。

それを聞いた友達は、なんだか不気味なものでも見るような顔で言った。


「何か悪いものでも食ったのか?」


俺はせっかくの勇気を台無しにしてくれた友達の青髪を、くしゃくしゃと不器用に撫でてやる。

さらに混乱を極める友達に、新しくできた友達のことを自慢げに話した。


「朔と……縁。俺の大切な友達なんだ」

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