第2話 仲良しの証 3/3

 夕食にはイタリアンのレストランを予約しておいた。

 とはいってもかなりリーズナブルなお店。

 私の予算では申し訳ないけれどいいお店にはなかなか連れて行ってあげられない。


 けれどお値段の割にお店の雰囲気はよく、料理の味も文句はなかった。

 個室の席を用意してもらえたというのもあって、デートのディナーとしては申し分ない感じにはなっていたと思う。多分。


「あー美味しかった〜! お料理もデザートもお酒も、どれも最高だったよぉ。アリサちゃん、連れてきてくれてありがとっ」


 グラスに残っていたシャンパンをくいっと飲み干してから、マコちゃんは上機嫌にそう言った。

 お酒のせいか顔はほんのりと赤らんでいて、それでもいつもの朗らかな笑みは健在だった。

 普段よりも少しだけふにゃっとしているところが可愛らしい。


「満足してもらえたのならよかった。私こういうの不慣れだから、物足りないって思われたらどうしようって、実はちょっと不安で」

「全然! サイコーだったよ。それに、アリサちゃんとだったらどこに行っても楽しいしね」

「それはありがとう」


 両肘をついた手の上に顎を乗せ、マコちゃんはこてんと甘い視線を送ってくる。


「あ、信じてない」

「え?」

「ただのおべっかだと思ってるんでしょぉ。違うよ、本心」


 ほのかに赤みが差す顔から、とろっとした瞳が私を優しく貫く。

 マコちゃんは私からひと時も視線を外すことなく、ゆっくりと唇を動かす。


「本当に、今日は素敵な夜だよ。アリサちゃんはカッコいいし、料理は美味しかったし、居心地もすごく良かった。私、アリサちゃんといられてとっても楽しかったんだから」

「えっと、その、ありがとう……」


 思わずどきりとしてしまったことに気づく。

 だって私は、マコちゃんに楽しんでもらいたいと思いつつ、でも実際は自分の自己満足でしかないものだと思っていたから。

 私たちはあくまでお金の関係で、マコちゃんはお仕事で私を気分よくさせてくれているだけなんだからって。


 でも、こうやってまっすぐ甘い瞳を向けられると、そんな無粋な気持ちは吹き飛んでいく。

 どうしたって伝わる、彼女の心からの想いに私の邪推が押し除けられていく。

 諦めているフリをして、でも実は私が欲していた言葉を、マコちゃんは言ってくれる。


 マコなら言ってくれたであろう言葉を、私に教えてくれる。


 自分の顔が赤くなっているのを感じた。

 嬉しい。でもちょっぴり照れる。

 この気持ちをお酒が隠してくれていることを願うけれど、でもきっと彼女はそれすらも見抜いてしまう。

 マコはそういう子だったから。


「ねぇアリサちゃん、もう一杯、飲んでもいい?」

「え? うん、もちろん」


 私のことを上目遣いでじっとりと観察してきていたマコちゃんが不意にそう言った。

 そこにある笑みはちょっと意地悪っぽく、でもそれすらもまた可愛い。

 私が了承すると、マコちゃんは二杯の赤ワインを注文した。


「ねぇ、アリサちゃん」

「は、はい」

「隣、座っていい?」


 赤ワインがグラスに注がれた後、マコちゃんはとても落ち着いた声で言った。

 普段朗らかな彼女にしては珍しい声色に、なんだか私は逆らえなくって。

 ただ首をかくかくと縦に振る私に、マコちゃんはグラス片手に私の真横へと移動してきた。


 狭い個室の中で肩と肩が触れ、細い腰がピタッとくっつく。

 マコちゃんの小柄な体が私にほんのりと体重を預けてきて、自分の半身に全神経が集中していくのがわかった。

 隣り合うのなんていつもしていることなのに、なんだか無性にドキドキする。


「はい、カンパーイ」


 ドギマギしている私を楽しそうに見上げながら、マコちゃんがグラスを掲げる。

 慌てて応えると、彼女はカンとグラスをぶつけてワインを口に運んだ。

 そして、その小さな手をそっと私の手に重ねた。


「あ〜ぁ、酔ってきちゃったっ〜」


 そんなことを言いながら、腕を絡め、寄りかかってきて。


「ねぇ、アリサちゃんは?」


 そんな風に意地悪な質問をしてくる。


「わ、私は……」


 正直、私はお酒に強い方だ。

 二、三杯ワインを飲んだくらいでは別にどうもならない。

 でも思う。マコはきっと弱かっただろう。


「私もちょっと、酔ってきた、かも……」


 普段ならどうってことのない酒量。

 本当に酔いたかったらまだまだ足りないはずなのに。

 なのに頭がぽーっとしてくるのは、お酒のせい? それともこの瞳のせい?

 マコのせい、なの?


 マコちゃんの細い指が私の指の間に割り込んでくる。

 絡まった腕と指。預けられたその体。

 彼女の全てが、今私の手の内にあるような気がした。


 わかってる。彼女はマコではない。

 どんなに似ていても、決してマコではないんだ。

 でもマコちゃんが私にくれるものは、あまりにもマコすぎる。


 私がマコに求めるものを、彼女は全てくれる。


 マコならこう言う、マコならこうする、マコならこう笑う、マコなら、マコなら……。

 その全てを、私の思い描く通りに見せてくれる彼女から、目をそらせるわけがない。

 マコちゃんは、私にマコを感じさせてくれるんだから。


「あの、私……」


 ダメだとわかっているのに。それはダメなんだって。

 マコちゃんにマコを重ねるだけじゃなく、彼女をマコと思うだなんて。


 でもそれを我慢するには、この子はあまりにもマコすぎて。


 私がマコに求めているものを見せてくれて、そして私にマコをくれる存在。

 そんな彼女を、マコだと思わないでいられるなんて、きっとはじめから無理だった。

 ううん、私はずっと抑える気なんてなかったのかもしれない。


「いいんだよ……アリサ」

「マコ…………」


 その最後の一押しは、私の頭を空っぽにして。

 気がつけば私は、その唇を奪っていた。


 しっとり柔らかな唇の感触が私のものと溶け合う。

 儚く繊細で、でも確かな熱を持つ混ざり合い。

 十数年ぶりにしたその味は、ほのかにしょっぱかった。


「ッ…………!」


 熱く唇を重ねる中、細い指が一際強くぎゅっと私の手を握った。

 その弱々しい力強さが唐突に私を我に帰して、慌てて顔を離す。


「ご、ごめんなさい……! 私、こんなつもりじゃ……」


 顔を背けながら早口で謝る。

 マコちゃんがどんな顔をしているのかは見られなかった。見てはいけない気がした。

 一瞬味わった幸福感はすぐさま焦燥と後悔に押し流されて、嫌な汗が背中を伝っていく。


「謝らなくていいよ。なにも悪いことしてないんだから」


 そんな私にマコちゃんは優しくそう言ってくれる。

 強く絡まっていた指は解けていて、でも未だ手を重ねたままに。


「素敵なキスだったよ。私、ドキドキしちゃった」

「その、私は……」

「でも顔を見ないでくれてるのは正解かも。私今、恥ずかしい顔してるかもだから」


 アハハと朗らかに話してくれるマコちゃんの言葉に、ジクジクとした罪悪感がいくらか和らぐ。

 その優しさが、暖かさが、甘い蜜となって罪の傷を覆っていく。


 私はマコが好きだった。今も好きで、忘れられない。

 この気持ちを一体いつまで引きずっていくのか、自分でもよくわからない。

 でももう私の隣にはマコはいなくて。あの日々の続きは訪れない。


 ならせめて、これくらいのことは……。


「あのさ、マコちゃん」


 今になって、前回の別れ際に頬へ受けた熱がぶり返した。

 顔が熱くてたまらない。


「もう一回だけ、していい?」


 マコとしたかったこと、マコとできたかもしれないことを。

 私がマコちゃんとしたって、誰も責められない。誰も。私も。

 だってあなたが悪いんだから。マコ。

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