第17話 励め若人
賑わう食堂、豊かな朝食。それを囲む羽澄、根岸、伊藤。そこに篠束を添えて。一見してオタサーの姫でも紛れ込んだ光景であり、やたら目立つ。
しかし本人は、気にした風ではない。
「今日も良い日でありますように。いただきます!」
篠束は当然のように羽澄の隣に座る。食事も色とりどりで、トレイには卵サンドやフルーツグラノーラ、葉野菜サラダにドリンクが並ぶ。
大食いには程遠いメニューだが、羽澄よりずっと豪勢だ。彼はトースト1枚にパンプキンスープと、病人のような食事を続けている。
「朝から結構食うんだな、篠束は」
「羽澄さんが少食なんですよ。ほら、もっと食べないと、大きくなれませんよ?」
「お前が言っても説得力」
「ウッ……。まぁ私はもう伸び止まりなんで。とにかく、羽澄さんはもっと食べた方が良いんです」
そこで篠束は卵サンドを半分に割った。コッペパンまではキレイに割れても、中のスクランブルエッグが溢れ、レタスも半端に破けた。
思いの外汚く見えた事で、篠束が微かに慌てだす。そして両手を見比べては、マシと思えた方を差し出すのだ。
「はい羽澄さん。どうぞ、アーーンしてください」
「いや要らんし。お前が食えよ」
「私の分は心配いりません。料理はまだたくさんありますし」
「だったら、お前の分をオレが食う理由は無い」
「ええと、その、ほら! こうやって食べると、気持ちが詰まってる分、美味しくなりますよ? 何なら、旨味が増す儀式でも……」
「要らん。何したって、味も栄養も一緒だろ」
「ううっ……鉄壁ガード……」
「結姫ちゃん、結姫ちゃん! オレの口なら空いてるよ。いっぱい食べさせて欲しいなぁ〜〜」
対面石の根岸が、猫なで声とともに口を開く。いつものウザ絡みである。根岸の場合は口先だけでなく、気忙しく手を伸ばしてくるので、酷く鬱陶しい。
篠束はどう返したかと言うと、静謐である。音もなく、ゆるり、ゆるりと首を回す。僅か1秒程度の動きが、その何倍にも感じられる程に遅い。さながらブリキの玩具が、ギギギと音を立てて関節を回すのに似て。
そこで更に声を低くして返答するのだから、肝を冷やされる。顔だけは笑顔のままで、羽澄に向けたものと同じなのだが、たたえる気迫が別人のようだ。
「根岸さん。それに何の意味があると? それが羽澄さんに何のメリットがあるというんです?」
「えっ。いや……もしかして怒ってる?」
「怒ってなどいません。いませんが、以後はご注意を。私が羽澄さん専用である事実をお忘れなく」
「ひどい、むごい、羽澄ッ!」
急に話題を向けられた羽澄は、小さくむせた。
「おい待て、人の名前を三拍子にすんな。つうか黙って食え」
そんな騒がしい朝食も終わりを迎え、食堂を後にする。
そして篠束と共に辺りをウロつく。用もなく、足の向くままに。
「はぁ、なんか暇だな。急にやることが無くなった」
「そうですね。でも、たまにはノンビリするのも良いです! 私は、羽澄さんとゆっくり歩けるだけで、十分楽しめる――」
「なるべく早く次の目標を見つけないと。イービルどもが、また暴れだすかもしれない」
「あっ、そうですね。目標って大事ですもんね」
会話を重ねるうち、2人の前に伊藤がやって来た。腕に『共成奉仕』の腕章もある。
「おっ、伊藤。今日も何かやってるのか?」
「配達だよ。安いけど楽な部類なんだ」
そう告げると、茶封筒を差し出してきた。羽澄宛だと言う。それから伊藤は、踵を返して、どこかへと走り去っていった。
「手紙か。送り主は、不明」
「なんだか、見るからに怪しいですね。イタズラだったり?」
「いや、一応の心当たりはある」
羽澄がその場で封筒を開くと、そこには見慣れた便箋があった。折り目も前回と同じで、文面もおおよそは一緒だった。
◆ ◆ ◆
親愛なる羽澄殿。独り寝の夜が寂しく思える昨今、いかがお過ごしかな?
先日はどうも世話になったね。キレイに後片付けをしてくれたそうで、バーベキュー場の管理者も喜んでいたよ。
以前、使用済みの諸々をそのまま突っ返した事があってね。その時は大目玉を食らったものさ。その苦い経験を繰り返さずに済んだ事は、実に喜ばしい。
それはさておき、本題だ。
羽澄君、並びに篠束君。
2人とも、来るべき日に備えて鍛錬に勤しみたまえ。
一見して平穏に見える共成所も、連中が水面下で活動を続けている。
だから備えだ。一端の戦力となる事を最優先にしてもらいたい。
羽澄君は、異界化を意図的に構築できる事。
篠束君は、自身の得物を顕現させる事。
当面はその2点を目標に頑張ってもらいたい。
不明点があれば質問も受け付けるが、極力手紙にしてほしい。大っぴらに顔を合わせるのは、避けた方が懸命だ。
追伸:
例のオタノシミについてだが、いつごろに時間が取れるかな? 私は一日千秋の想いで待ち焦がれているよ。夜更けに、監視のないエリアなら、いくらでも愉しめると思う。
かしこ。
◆ ◆ ◆
羽澄は小さく頭痛を覚えたが、一応の主旨は理解した。
「緒野寺からだ。2人とも鍛えておけってよ」
「あの、羽澄さん。追伸の所が気になるんですが」
「忘れろ。ともかく訓練をやってみようか。もう1枚の便箋にメニューも書いてあるし」
「このオタノシミっていうのは、服を脱ぐ系のものですか? いや待てよ。服を着たままってパターンもあると聞いたことが……」
「だから忘れろ。緒野寺が勝手に口走ってるだけだ。今は目の前の物に集中するぞ」
なおも言い募ろうとする篠束には構わず、人目を避けられる場所へ移動した。
訓練を記載したメニューには、オススメスポットまで記載されている。それは南西部にある小高い山だ。人通りは滅多に無く、無骨な岩場と小ぶりな瀧が目印のエリアである。
「なるほど。確かに、人が全く居ないな。ここでなら集中できそうだ」
「あの、羽澄さん。本当にやるんです?」
「一応は。まぁ、緒野寺の言いなりになるのは面白くないが、正論だとは思う」
「分かりました。私も、腹をくくります……!」
訓練メニューは羽澄と篠束で別にある。それ自体に不満はないものの、悪ふざけのような内容に目を見張った。
「オレはまず、腕立て・腹筋を500回。その後滝行って……。真面目にやらせる気ないだろ」
「私は坂道ダッシュを10本と、腕立て腹筋を10回ずつ? 何だか桁が……?」
「文句は後回しだ。まずはやってみて、結果次第では抗議の手紙を突っ返そう」
羽澄が地面に両腕をつくと、すかさず腕立て伏せを開始した。高校に通っていた頃は帰宅部。体力自慢には程遠く、せいぜい30回が限度と記憶している。
しかし、回数を重ねるうち、認識は歪んでいく。
「51、52、53……。何でこんなに余裕なんだ?」
筋肉が一向に疲れない。ペースも全く乱れる事無く、回数はみるみる内に増えていく。しばらくして、苦痛からしかめツラを浮かべるようになるのは、ラスト50本に差し掛かってからだ。
「493、494……」
「羽澄さん、後少しです! がんばってください!」
いつしか、篠束の応援まで加わり、どうにか500を達成。さすがに腕は気だるさを覚え、その場に突っ伏してしまう。
小休止の後、腹筋にも着手する。こちらも、かなり苦労はしたが達成。その頃には、羽澄も全身が汗だくになる。
「ふぅ、ふぅ。まさかの500を達成できたんだが」
「凄いですよ羽澄さん! 細身なのに筋肉オバケみたいでした!」
「いやいや、オレ自身も驚いてる……」
そこで羽澄は、右手のタトゥーを見た。そして、コレのお陰ではと思う。
これまでも、篠束を抱えながら走り回るなど、身体を酷使するシーンはあった。その時も息を切らす事がなく、更には追跡者から逃げ切る事まで出来ていた。
それだけでも十分おかしい。この筋トレも何らかの理由で、身体が強化された結果としか思えない。
「こなせた。でも身体がキツイ。少し休まないと」
「じゃあ、私のトレーニングに付き合って貰えます? 腕立てと腹筋をやりますんで」
「それくらいなら構わんぞ」
篠束が、羽澄の前で腕立て伏せを開始。その腕は細腕と言うしかなく、寂しさを感じさせる程に華奢だ。
だが篠束もタトゥーを持つ身だ。見た目に反して、100回くらいは成し遂げてしまうだろう。そう見積もっていたのだが。
「4、5ぉぉ……。ろ、ろ、ろぉぉぉ!」
「おい、それ全力か?」
「ろぉぉ……ブヘェ。撃沈です……」
見た目通りの筋力だった。腹筋の方は更にという有り様で、3回を目前にダウン。運動と無縁な少女に相応しい筋力、としか言いようがない。
「篠束。今のはマジのやつ?」
「大真面目です、ハフゥ〜〜。ちょっと、お腹がつりそうで、上手く喋れそうに……ハフゥ〜〜」
「まぁアレだ。あまり無理すんな」
羽澄にとってはちょうど良い休憩になった。気持ちを新たに次のメニューへ移る。
「ええと、次は滝行。緒野寺のやつ、マジで言ってんのか……?」
「私も同じメニューですね。精神修養で健全なマギカを育成しよう、と書いてあります」
「本当に意味があるのか……疑わしいぞ」
羽澄は、口では不満を漏らしつつも、スニーカーを脱いだ。そして冷えた水面に足を浸し、瀧の方へと向かう。
「冷たっ。篠束、水に入る時は気をつけろ」
「はい、分かりまし……ひゃっ!? すごく冷たいです!」
「まったく。夏場でもないのに、こんな事させやがる」
瀧は小ぶりだ。水の落差も、大瀑布などと呼べないほどで、せいぜい3階建て程度の高さしかない。
それでも重力は偉大だ。豊かな水量が確かな圧力を抱きつつ、来訪者に洗礼を与えた。
「うおおぉ! 冷てぇ! あと痛え!!」
「ひぃっ。水がすんごく痛いです!」
「篠束、無理すんな! 何なら向こうで待ってろ!」
「いいえ、私も、お供をさせてください!」
声は自然と大きくなった。わざとでは無いのだが、声を張らねばやってられない心境である。
羽澄は思う。この行為にどこまでの意味があるのか。別のトレーニングで代替できるのではないかと
「こんな前時代的なやり方で、本当に強くなるのか? 全身ズブ濡れだし……。あぁッ!?」
「羽澄さん。どうしましたぁ? 何か気になることでも?」
「篠束! お前、着替えは!?」
「持ってきて、ないです!」
「そっか! オレもだよクソがッ!」
痛恨の失態。全身は頭から爪先まで濡れそぼっており、ツナギ服も下着も、完全にアウトである。
それから、身体の芯が冷え切った頃、羽澄たちは水からあがった。日向の岩場に出ても寒い。晩秋の風が不必要なまで身にしみた。
「これ、服を絞らないとヤバいだろ。あと下着もか」
「確かに。このままじゃ風邪ひいちゃいますよ」
「どこかに更衣室、なんてあるわけ無いよな……」
つまり、屋外で裸になると言う事だ。ためらう気持ちは大いにある。しかしこのままでは、どこかしらの施設に辿り着く前に、低体温症を発症しかねない。
「あそこ、茂みに囲われてるスペースがあるだろ。そこで服を脱いで、水気を絞ろう」
「わ、分かりました! あの、予め謝っておきます。ガッカリさせたらごめんなさい」
「何の話だよ」
「私の身体は、見ても心躍るような感じじゃないので。今日の下着も、あまりカワイイもので無く……」
「一緒に脱ぐわけじゃない! 交代に決まってんだろ!」
「あ、あぁ。なるほど。そういうシステム?」
羽澄は、すかさず茂みの方へと向かった。周囲の様子はというと、三方は上手く隠れる。茂みに雑草、大木の幹と、頼もしい遮蔽物が並ぶ。
唯一、一方向だけがガラ空きだ。そこにお互いが背を向けて立てば、誰にも見られずに済むという寸法だ。
「まずはオレが試す。安全そうなら、次は篠束だ」
「はい。羽澄さんの貞操は、この私がお守りします!」
篠束は気合を迸らせると、羽澄に背を向け、両腕を大きく開いた。ひたむきさは伝わるものの、悲しいかな、サイズが小さい。決死と思しき構えも、オオアリクイの威嚇を彷彿とさせ、逆に悪目立ちするようにも思えた。
だが、今は服の処理が最優先。羽澄は、重たくなったツナギ服を、素早く脱ぎ捨てた。
「さっさと片付けてしまおう。フンッ!」
脱いだツナギ服は雑巾の要領で絞る。ここだけ土砂降りにでもなったかのように、水が激しく落ちた。続けて下着も超高速で脱ぎ、絞り、履く。
一連の作業が終わると、多少はコンディションを持ち直した。身体の冷え方も随分とマシになった。
「これくらいなら、何とか堪えられるな。篠束、待たせたな」
「分かりました。では交代を?」
「そうだ。やってみたところ危険はないと思った。それでもノゾキや変質者には注意してくれ」
「承知しました、気にしてみます!」
羽澄は速やかに篠束と入れ替わった。背後は見ないよう、そして正面に人影を察知できるよう、注意を払った。
だが、やはり人の姿は見かけない。水遊びをする季節でもなく、わざわざ訪れる物好きは居ないだろう。羽澄も、緒野寺の言葉が無ければ、足を運ぶこともなかった。紅葉狩りなら平地だけで良く、こんな山場まで来ない。
「篠束。そろそろ終わったか?」
「ええと、もう少しでお終いです……。きゃあ! 羽澄さん!?」
「どうした、何かあったか!?」
振り向くなり、羽澄の視界には柔肌。そして身体を繊細な意匠で包む、薄桃色の生地が見えた。
「お前、まだ途中! 何でオレを呼んだ!?」
「すみません! チャックを上げたら終わりなので……よいしょっ」
「今度こそ終わったか!?」
「失礼しました。いやぁ、ビックリしましたよ」
「驚かされたのはコッチなんだが」
「ああ、そのですね。ちっちゃな猫ちゃんが、茂みから飛び出してきたんです。もう駆けて行っちゃいましたが」
「猫? この島に居たのか?」
「私も初めて見ました。でも見間違いじゃないです。確かに、生後半年くらいの猫ちゃんが」
「まぁ、そこはどうでも良いか。オレ達には関係ない」
水を絞ったなら、火急の件はおしまいだ。先程より、冷え方はやはり楽になっている。
「羽澄さん、どうします? 一旦戻りますか?」
「その前に1つ試したい。異界化できるようになっているか」
「異界化って、あの白黒の景色ですか?」
「そうだ。あれを意図的に作れるようになったのか、今試してみよう。もし失敗したら、緒野寺に熱い抗議だ」
羽澄は右手に意識を集中し、気迫を溜めた。大切なものは認識だ。そこに在る、そう成っている事を、心から信じる必要がある。
精神統一を続けると、何か、心の奥底でカチリと嵌るものを感じた。これが機か。何かの予感の突き動かされるようにして、右手を大きく払った。
「今だ! 展開せよ、荒涼世界――」
羽澄が決め台詞的に叫ぼうとした刹那。突如として、茂みから第三の人物が乱入してきた。
「あの、そこの2人! ちょっと良いですか!?」
「うおっ!? 誰だ!」
「いきなりすみません! ここら辺で子猫を見かけませんでしたか!?」
「子猫だって……?」
羽澄が返答に迷っていると、篠束が代わりに応対した。
少し嫌な予感がする。そして的中してしまう。
「分かりました、では私も猫ちゃん捜しに協力しますね!」
篠束、ここで安請け合い。羽澄に付き合う義理はないのだが、人気のない森を女子だけで放り出す訳にもいかない。つまりトレーニングは、強制的に終了させられた形になった。
こうして3人そろっての捜索が始まる。果たして羽澄は異界化を実現できるようになったのか、分からないままに。ついでにどんな猫なのか、どんな名前であるかも、知らないままに。
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