第11話 悪意を喰らい尽くせ

 多勢に無勢。さらに丸腰で、武装した敵を相手取る。羽澄俊は攻める側ではなく、むしろ、相手の攻撃に備えなくてはならない。


 一方で所員達は、薄笑いを浮かべては緩やかに詰め寄った。横に広がり、包囲しつつ押し包む構えになる。


 なぜ、コイツらは寝谷に従うのか。本来ならば、島の秩序を保つべき立場であるのに。そう思えば、腹の奥で憤怒が煮えた。



「お前らも寝谷に何かされたのか! 正気に戻れ!」



 答えたのは所員ではなく、寝谷の方だった。



「ハッ、ちげぇし。コイツらは『自発的』にやってんだよ。アタシには絶対に逆らえないからさ」



 思えば、懲罰房でも似たような事態を見た。あの時も大の大人達が、寝谷の意を汲んで動いている気配だった。



「お前のどこに、そんな力が」


「世の中ってマジで腐ってるよね。このオッサンどもは全員、10代のメスガキと『オアソビ』したい連中なんだよ。みんな親世代で、結婚してる奴だって居るのにさ」


「つうことは、もしかしてコイツら全員……!」


「そう。金払いの良い『お客さん』ってとこ。友達を紹介するだけで、金はくれるし命令はきくし。コスパ最高の手駒なんだわ」


「脅してるだけだろ、周囲にバラすとか言って!」


「そうでもないよ。案外、嬉々として動いてくれる。定期的に『餌』を用意してやれば」



 所員達は、肯定する代わりに下卑た嗤い声をあげた。そこには恥もプライドも、良心の呵責さえも無かった。



「そうかよ。だったら遠慮は要らないな。お前らまとめて、ブッ倒してやる!」


「よく喋るよな、お前。つかそろそろ終わりにするぞ。大口タタキも飽き飽きだわ」



 寝谷がアゴをしゃくって指示を出す。すると所員の1人が動き出した。


 掲げた警棒を一直線に振り下ろす。狙うは羽澄の脳天。ためらいの感じられない一撃だった。


 羽澄は咄嗟に足元から棒切れを手に取り、弾き返した。それから身を低くして駆ける。所員達の足元を抜け、ガラ空きの背後を獲った。相手に防御の暇さえ与えない、俊敏な動きである。



「喰らえ、クソ野郎が!」



 羽澄は棒切れを相手の肩に叩きつけた。渾身の一撃だ。掌には、小砂利でも砕いたような手応えが伝わる。


 討たれた所員は、膝から崩れてのたうち回った。激痛から起き上がる事すら出来ない。


 これは勝てる。そう踏んだ羽澄は、1度後ろに飛び、間合いから外れた。そして棒切れを握りしめては、敵を見据える。



「一度に全員を倒す必要はない。1人ずつ捌けばいい。そうしたら、いずれ寝谷にも届く」



 所員達は、変わらず横並びだ。次は一斉に攻め寄せてくる。その中で、真ん中の1人が血気に逸り、突出していた。


 羽澄には好都合。迫りくる警棒に棒切れを合わせ、鍔迫り合いを仕掛けた。


 力の押し合いは互角だ。羽澄は激しく吠えた。それから力の限りに押す、と見せかけて棒切れを引いた。それで所員はバランスを崩し、構えが酷く乱れた。



「素人だからって油断したな、喰らえ!」



 前方に泳ぐ敵の頬を、渾身の力で殴りつける。それだけで所員を転がしては、意識までも奪い去ってやった。


 羽澄は1度飛び退ろうと試みる。このまま1人ずつ倒せば良く、既に半数は打ち倒した。



「残すは2人だけか……。あッ!?」



 しかし、所員達も動きを変えた。警棒を邪魔だと言わんばかりに投げ捨てて、捕縛を優先したのだ。


 距離を取ろうとする羽澄に、囚えようとする手が伸びる。そして、不運にも裾を掴まれてしまう。それからは速やかだった。さすがに所員達は、捕縛することに慣れている。


 ついに羽澄は拘束され、自由を奪われた。両手足を結束バンドで縛られた後、地面に転がされてしまう。



「クソ! 卑怯だぞお前らッ!」



 いかに身体を動かそうとも、自由は戻らなかった。そこへ、勝ち誇った嗤い声が降り注いでくる。



「アッハッハ。大口叩く割には、大した事無ぇな。やっぱ見どころナシのクソ雑魚野郎だったわ」


「寝谷ッ……! 解(ほど)けよこの野郎!」

 

「いくらでも叫べば? 口先だけで、どうにかなると良いなぁ?」



 寝谷は見下ろしながら舌なめずり。血を見たくて堪らない、とでも言いたげだった。



「このまま殺すのは勿体ないよなぁ。やっぱ絶望のドン底顔を見てから、殺してぇよなぁ」


「やれるもんなら、やってみろ! オレだってな、それなりに修羅場を潜り抜けてんだよ」



 寝谷は突然、羽澄の頬を蹴り飛ばした。革靴の先が頬の皮を切り裂き、辺りに血しぶきを撒き散らす。



「台詞を間違えんなよ。許してください何でもします、だろ」


「ホザくなゴミクズ。殺されたって、お前なんかに頭を下げないからな」


「あっそ、あっそ。アタシは脅しで言ってんじゃない。マジで殺すよ」


「お前らに殺される未来が、全然見えてこないんだが?」



 羽澄は、口先で抗った。言い負かすつもりではなく、時間稼ぎの為だ。期待するのは緒野寺による救援だ。


 だから一秒でも長く、寝谷の関心を惹いていたい。煽る、罵る。頭に浮かんだものは全て試した。


 その結果、羽澄は何度も蹴りを浴びてしまう。頬に、腹にと執拗なほどに。



「お前さぁ、さっきから何なの? 自分の立場が分かってねぇだろ」


「ゲホッ、ゲホ。おかしくなんか無いだろ。お人好しとか、縛られた奴にしかイキれないお前の、何が偉いってんだ。下げる頭なんかどこにも無いんだよ」


「テメェ……蹴り殺されたいのか、アァ!?」


 

 腹を蹴り上げられた羽澄は、うつ伏せにひっくり返り呻いた。それから激しく咳き込んだ。



「マジで死ぬほどムカつくな、テメェは。ちっとはショボくれたツラを晒すと思ったのによ!」


「残念だったな。思い通りにならなくて、ゲホッ」


「そういや世の中には、自分が傷ついても他人を守りたいってバカが居るらしいな。テメェもそんな偽善者か?」


「何を言い出すんだよ、そんなわけ……」


「決めた。テメェは大事な『お姫様』を守れずに死ぬんだよ。ザマァねぇわ」



 寝谷はアゴをしゃくった。すると、所員達は下卑た笑みを溢しつつ歩き出す。その足は、今も立ち尽くす篠束の方へと向いた。


 その光景に羽澄も戦慄し、色をなした。



「止めろ! 何を企んでやがる!」


「へぇ。良い声で鳴くじゃん。やっとそれらしくなってきたな」


「フザけんな! 指一本触れるな、絶対に許さんぞ!」


「アッハッハ。それだよそれ、その顔! これだから止められねぇわ。ウジムシどもをいたぶるのは! そこで眺めてろよ、バカみてぇにキィキィ喚きながらさ」


「逃げろ篠束! 早く!」



 所員達の手が篠束へと伸ばされていく。


 篠束はやはり、今も逃げようとしない。マネキンかと疑いたくなるほど、抵抗する素振りも見せなかった。



「こんな事、許されるのか……もう理不尽ですらない!」



 羽澄の心は漆黒の底へと落ちた。また、悪意から守れなかったのだ。前回は自分の平穏な人生を、そして今回は、何の落ち度もなく襲われる知人を。


 羽澄には力が与えられたハズだった。これで敵を、理不尽な連中を打ち払えると信じた。しかし結果はどうか。無様にも囚われてしまい、目の前の悪事を止めることも出来ない。


 果てしなく無力。強大な悪意と対峙するには、あまりにも貧弱すぎた。闇よりも濃い絶望が、羽澄の心を侵食し、何もかも覆い尽くそうとした。


 しかしその刹那、羽澄の瞳が捉えた。寝谷の愉快そうに嗤う顔、そして声。所員達も続けて嗤い、声は汚らしい三重奏になる。



「やめろ、お前ら……!」



 他者をイタズラに虐げ、嘲る姿。悪を悪とも思わず、誰かを陥れて、愉快そうに眺める顔。虫唾が走るほどに醜悪だった。



「何が、そんなに愉しいんだよ。お前らは、どうしてこうも底意地が悪いんだ……!」



 鳴り止まない哄笑。それを耳にするうち、羽澄の腹で何かが弾けた。


 右手が燃えたかのように熱い。だが、その熱が羽澄に強靭なる力を授けた。両手を、両足を縛った結束バンドを苦もなく引きちぎると、高らかに吠えた。


 憤激のマグマが、腹の奥底で暴れるのに任せて。



「今すぐ、その嗤いを、止めろーーッ!」



 叫ぶやいなや、羽澄を中心に暴風が吹き荒れた。


 そして空も森も、地面も色彩を失い、静止する。世界はモノクロームに塗り替えられ、異界化したのである。



「異界化した……? これは、もしかしてチャンスか!?」



 所員達だけでなく、寝谷もモノクロの住人だった。身じろぎ1つ見せない。ならば篠束を抱えて、この場から逃げ出すことも可能に思えた。


 ひらめいた瞬間、羽澄は駆けた。そして篠束に迫り安全を確保しようと手を伸ばす。しかしそこで、強烈な寒気を覚えた。


 反射的に転がる。すると次の瞬間、地面が弾けた。羽澄に向けて攻撃だった。地面には、巨大な蛇が突き立っている。



「何だコイツ、いったいどこから!?」



 蛇の胴は長く続いていた。それを辿ると、寝谷の片腕に繋がっている事に気づく。


 そして寝谷は既に、色彩を取り戻していた。金色の髪もツナギの色も、真っ赤に煌めく瞳も、世界から分離したように鮮やかだった。



「寝谷……お前は動けるのか!」


「チッ。異界化も出来ないクズだと思ってりゃ、こんな土壇場でやってのけるとはな。面倒な仕事を増やしやがって」


「面倒だけで済むか? 自分の首の心配をしたらどうだ?」


「調子に乗んな。テメェが丸腰のクソ雑魚ってのは同じなんだよ」


「武器なら、お前たちを打ち倒す力ならある! いでよ、龍鳴剣ーーッ!」



 羽澄は右手を掲げて叫んだ。その姿は日輪を掴もうとするような、あるいは希望を掴み取るような、勇ましいものだった。


 しかし、変化らしい変化は起きない。やがて静寂が重たく感じられる。気まずさのあまり、冷や汗が頬を伝うほどだ。



「ええと、あの剣は確か、見た目が……」



 羽澄は必死に龍鳴剣の姿を思い出した。概形、柄の手触りに重さ。それらを繰り返し意識する内に、眼前で閃光が眩く煌めいた。


 するとようやく、彼の手に一振りの剣が現れた。両刃で、鏡の如き美しい刀身。握りも長く、両手持ちも可能とする長剣。それが遂に主の手元に戻ったのだ。



「見たか。これで形勢逆転だぞ!」


「いやお前。絶対しくじっただろ。ミスったとしか思えないタイムラグが――」


「さぁ覚悟しろ! 獄炎で焼き尽くしてやる!」



 羽澄、半ば強引に宣戦布告。しかし寝谷は構えたりせず、家来に命じるばかりだ。

 


「お前ら、さっさと擬態を解け! 羽澄をここで潰すぞ!」



 寝谷の怒声に所員達が身じろいだ。すると所員の2人、いずれも黒い霧に包まれるようになる。霧が晴れた頃、彼らの利き手に警棒は無かった。代わりに腕が、大蛇そのものに変貌してしまう。 


 羽澄に驚きは薄い。むしろ納得したように、ほくそ笑んだ。



「なるほど。コイツらも人間を辞めちまった訳か」


「お前ら、さっさと殺せ! 倒した方には褒美をくれてやるぞ! 女だけじゃない、新しい力もだ!」



 報酬に色めき立つ所員達は、奇声を発すると共に襲いかかった。


 戦法は大蛇による攻撃だ。口を開いた蛇の顔が、弧を描きながら羽澄にせまる。



「遅いッ!」



 軌道を見切った羽澄は、剣を一文字に薙いだ。


 それで二匹の蛇が首をはねられ、地面に転がり落ちた。すると、蛇の頭、続けて所員2人が業火の炎に包まれていった。



「うわぁぁ! 熱い、助けてぇーー!!」



 火だるまになって踊る2つの身体。それも長くは続かなかった。いずれも燃え尽き、肉片の1つも残さずに消えた。


 羽澄は、最早そちらを見ていない。寝谷を鋭く睨み、切っ先を突きつけた。



「お前の手駒は全滅したな。チェックメイトってやつだろうよ」



 羽澄は横目で篠束を見た。安否を気遣ったのだが、そこで驚愕させられた。


 改めて見る彼女の姿は、異様そのものだ。巨大な首枷をつけられ、両手も鎖で縛られていた。先程、幻覚と思われた姿のままだった。異界化した事で、彼女の状態を正確に把握できたのだ。


 解決策は知らない。犯人に尋ねるのが一番だった。



「篠束を元に戻せ。そうしたら、命だけは助けてやるぞ」


「クッ、ククク。まさか、もう勝った気でいやがる。アタシもナメられたもんだな」


「後はもうお前1人だけだぞ」


「テメェをブッ殺すくらいアタシだけで十分だ! 手駒共は『お遊び』程度のモンなんだよ!」



 寝谷は大きく叫んだ。すると黒い霧が吹き出し、彼女の全身を覆い隠した。霧は意志を宿したように、何らかの概形を描きつつ膨らんでいく。


 それは止め処無く広がっていく。縦に、横にと。明らかに寝谷の体格を超えても、膨張は収まらない。


 やがて霧が散り散りになると、寝谷の姿が露わになった。下半身は爬虫類のようで、足は無い。長い尻尾がトグロを巻く。胸から上は人間に近い造形だが、毛髪の代わりに蛇が幾重にも重なる。


 更には、見上げる程に巨大だった。



「どうだクソ野郎。これがアタシの真の姿、ナーガリザードだ! そこらの雑魚と一緒にしてくれるなよ!」


「フン。どうせデカいだけが取り柄だろ?」


「ホザけ! あの世で後悔しろ!」



 寝谷は両目を赤く煌めかせると、両手も凶々しく掲げた。


 すると羽澄の身体に暴風が襲いかかる。指向性を持つ風はやがて渦となり、巨大な竜巻となった。



「アーーッハッハ! 口ほどにもない。まさか避けもしないとはな! やっぱ目覚めたばかりの雑魚じゃ相手にもならねぇ!」



 風が去った跡に、羽澄の身体は残らなかった。ただ、草地には赤い鮮血が広がっている。



「せっかくのコア持ちをアッサリ殺しちまった、もったいない。だがまぁ、別のコア持ちを探せば良いだけだし」


「どこを見てる。よそ見すんなよ」


「その声は羽澄!? どこだ、どこに隠れてやがる!」


「ここだよノロマ!」



 大木の枝に立つ羽澄は、勢いよく飛んだ。夜の帳を背に受けて、天高く舞う。


 そして落下の勢いを乗せて、逆手に持った剣を寝谷に突き立てた。剣は右肩に刺さり、大きな鎖骨を両断した。



「ギャァア! 燃える! 燃えるーーッ!」



 寝谷の全身は紅蓮の炎に包まれた。毛髪の蛇がちぎれては落ち、地面に横たわった。


 しかし、炎は次第に火勢が落ちていく。そして寝谷が気合の雄叫びを放つと、ついに鎮火した。


 寝谷はくすぶる煙をあげつつも、身体のほとんどは健在なままだ。右半身が焦げて垂れ下がっただけである。



「殺す、殺す、殺す! 殺してやるぞ羽澄ィィ!」


「良いから降参しろ。次は全身をコンガリ燃やすぞ」


「黙れ、この……! 矮小な地上人のクセにーーッ!」



 またもや暴風が羽澄を襲う。先程より風圧が強く、肌に無数の切り傷が刻まれていく。怒り任せに浴びせられた大竜巻は、視界を奪うほどに激しかった。



「仕方ない。寝谷は倒す。篠束のケアは、緒野寺にでも相談して……」



 羽澄はまたもや、大木に飛びつく事で攻撃を躱そうとした。しかし、何故か身体が重たい。思うように動けず、その場で膝をついてしまう。


 やがて竜巻は威力を増していき、羽澄を天高く巻き上げては、地面へと叩きつけた。



「グハッ! 何が起きた……?」


「ナメるなと言ったろ。アタシは1万種の毒を操る事が出来る。身体の自由を奪うなんてカンタンなんだよ」


「毒なんて、いつの間に……!」



 ふと腕を見れば、浅傷のひとつが酷く悪化していた。傷口が青黒く染まり、指先の感覚もない。


 辛うじて立ち上がる事は出来た。しかし、視界は歪みだし、目眩が波を打って押し寄せてきた。



「そうか。竜巻は陽動で、本当の狙いは毒だったのか」


「気づくのが遅ぇ! 今更答えが分かっても、何にもならねぇよ!」



 羽澄は揺れる頭で思考を巡らせた。毒を追い出すには、無効化するには、何をすべきか。解毒薬など無い中で、いったい何が出来るのか。


 その時脳裏に閃いたのは、イービル達の末路だった。龍鳴剣の力で、敵の全てを燃やしくしてきた。ならば、もしかすると、敵の能力に対しても対抗出来るのかもしれない。


 その仮定は正しいか否か。もはや賭けである。そして、悩んでいる暇はやかった。



「やるしか、やる以外に無い!!」



 羽澄は青黒い傷口を、龍鳴剣で更に斬り付けた。


 すると、体内に膨大な熱が駆け抜けた。脂の焼ける音が鳴り響き、焦げた匂いも鼻を犯す。生きたまま焼かれる苦痛に、我を忘れて転がり続けた。



「クックック、どうした! 気が狂った挙げ句、自らを傷つけたのか? 大口叩いた末に自害とは、どこまでも無様だなぁ!」


「ハァ……ハァ……寝谷。オレは賭けに、勝ったぞ!」


「な、何だとッ!?」



 羽澄は再び立ち上がった。多少、構えに歪みはあるものの、両手で剣を構える事は出来ている。



「行くぞ寝谷、次こそトドメだ!」



 羽澄は剣を構えながら駆け始めた。真正面から、一直線に攻め掛かる。



「正面からの突撃か! 良い的だぞバァカ!」



 寝谷は、健在の左腕を高く振り上げた。


 すると羽澄は、攻撃を受ける前に、剣を振り下ろした。斬り付けたのは寝谷本体ではない。辺りに散らばる、毛髪だった蛇の身体である。


 刃が蛇の亡骸を討つ。すると、それら蛇の身体は大きく燃え上がる。



「おのれ、目眩ましか!」



 炎が燃え盛ったのは一瞬。しかし、羽澄が姿を隠すには十分だった。



「これでトドメだ! あの世で皆に謝りやがれ!」



 羽澄は寝谷の右後方。傷つき垂れ下がる右手の真下に居た。そして腰溜めにした剣を、跳躍しながら斬り上げた。


 肉を割く感触が生々しい。そして切り口から炎が生じ、瞬く間に寝谷の全身を覆い始めた。



「アァァーーッ! 嫌だァァ! 燃えちまうーー!」



 声はもはや言葉になっていない。耳障りな絶叫が、長く長く闇夜に響き渡る。


 上級のイービルは、比較的多くのマギカを持つ。それに応じて、燃え尽きるまでに時間を要するため、長く長く苦痛を味わう事になる。


 よって寝谷は生きたままで、いつ終わるかも分からない炎に焼かれ続けるのだ。



「アアァアア! 熱いぃぃ! クソッタレがァァ!」


「篠束の助け方を教えろ。そうすれば、すぐに楽にしてやるぞ」


「フザけんなよ! こうなったら、ヤツも道連れだーーッ!」



 寝谷は業火に包まれる中、焼け残った左腕を掲げだ。それは禍々しい濃紫の光を煌めかせると、間もなく焼け崩れた。



「おい、今何をした! 言え!」


「クケケケケ。残念だったな。囚われのお姫様も、もうじき死んじまうんだ!」


「何だと!?」



 寝谷を問いただそうとするも、もはや手遅れだった。巨体を誇る身体は全て燃え尽き、影も形も残らなかった。



「クッ! 篠束、大丈夫か!?」



 振り向き、篠束の元へ向かう。すると、あまりの事に羽澄は愕然とした。


 大きな首枷、身体を縛める鎖は変わらず。それよりも問題なのは、篠束の背後に現れた巨大な釜だ。篠束は鎖を引かれる事で、ゆっくりと、一歩ずつ釜の縁へと近寄っていた。


 釜の中は赤黒い液体で埋まり、所々で気泡が弾けている。それが何かは分からない。しかし本能的には理解した。


 決して、釜の中に入れてはならないと。



「篠束、そこから離れろ! 釜に近づくんじゃない!」



 どうにか呼び止めようとする。しかし説得は虚しく、篠束の足は止まらなかった。



「ごめんね羽澄さん。私が我慢すれば良いだけだから」


「その話は後だ! 今はとにかく離れろって!」


「私が我慢すれば、幸せになれる。私が我慢すれば、この場所に居られる。私が我慢すれば、皆が必要としてくれる」


「埒が明かない、一体どうしたら……!」



 戦いはまだ終わっていない。何のヒントも無いままに、篠束の救出法を見つけねばならなかった。


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