第7話 敵は傍らに

 篠束結姫と話し合いを終えた以降、羽澄俊は動きを変えた。別れ際に見たモノクロームの世界。あの光景が強く引っかかる。


 篠束は敵である、とまでは思わない。実際彼女は、化物に変貌する事はなかった。動き回れたのは羽澄だけだった。


 もし篠束がおぞましい化物だったとして、世界をモノクロームに染めた意図は何か。そして、一切の危害を加えなかったのは何故か。答えは自ずと見えてくる。



「篠束はたまたま居合わせただけ、と考えるのが妥当だな」



 だからといって、あの異質な世界と篠束が無関係とも思えない。まるで、羽澄達の会話がトリガーであったかのような、絶妙のタイミングだった。



「篠束、それと寝谷。こいつらは要注意だな」



 篠束とはあれからも、連日のように顔を合わせる。話題もささやかなお得情報に終始しており、態度は一貫して変わらない。


 そのため羽澄は、篠束の後を密かに追いかけた。普段の行動から、新たな気づきが見つかる事を期待したのだ。追跡や張り込みは、もっぱら中央棟になる。さすがに女子寮や洗濯場に潜むわけにもいかない。



「居た。寮から戻ってきたようだ」



 篠束が中央棟ロビーを通り過ぎるのを、羽澄は通路の陰から盗み見た。幸い、正面の壁には張り紙がいくつかある。立ち止まっても不自然ではない。


 雑多に並ぶ紙面には『秋の泥沼レース開催決定』だとか『パソコン室利用料改定のお知らせ』などとある。全く興味をそそられないが、追跡を偽装するには丁度良かった。


 だが追々、丁寧に隠れる必要も無いことが分かる。篠束のもとには、彼女にすがる人々が押し寄せており、その対応に追われる様になるからだ。



「ねぇねぇ結姫ちゃん聞いてよ。こないだシアタールームに行ったんだけどさぁ〜〜」


「あっ篠束、良い所に! ちょっと500Nだけ貸してよ。今度3倍にして返すから!」



 今日も篠束を中心に人だかりが出来てしまう。しかし身体は1つ。一斉に押しかけても処理しきれる訳がない。


 次第に篠束を求める声が強くなり、怒声まで聞こえるようになる。騒ぎは落ち着くどころか、加熱する一方。ついには周囲で、いさかいが起きるまでに発展した。


 あちこちで「順番を守れ」「いやお前は後回しだ」と罵っては、真っ向から衝突するようになる。もはや暴動の1歩手前という様相だった。



「大丈夫かコレ……。助けに行ったほうが良いのか」



 しかし、羽澄の手助けは無用だった。篠束が声をあげたことで、途端に静まり返ったからだ。



「あっ、寝谷さん! 少しお話が!」



 その台詞をキッカケに、人垣は崩れた。全員が1歩2歩と下がるので、自然と篠束の通り道が出来上がる。


 人垣の隙間を縫ってまでして駆け寄った相手は、同じく共成者だ。腰まで届く長い金髪で、青ツナギを着る10代の少女。見た所、不審な点は見当たらない。


 強いて言えば、寝谷の名を聞いた周囲の反応が異常だ。態度を変えないのは篠束くらいのもので、ほかは皆、遠巻きになる。露骨な愛想笑いを浮かべる者さえ出始めており、先程の剣幕など忘れてしまったかのようだ。



「寝谷さん。この後お暇ですか? 少しお話ししたくって」


「ふぅん。まぁ別に、構わないけど」


「では、こちらにご足労願います」



 寝谷という言葉に、羽澄も心を固くした。そちらも調査対象である。篠束と同等、いやそれ以上に重要な鍵を握っている可能性があった。


 篠束達3名は場所を変えた。行く先は中央棟のラウンジで、幸か不幸か空いていた。監視ポジションに困らないものの、同時に悪目立ちする。とりあえずは、篠束達と観葉植物を挟む位置の席に座り、張り込みを続けた。



「話ってなんだよ結姫。アタシはどっか遊びに行きたいんだけど」



 3人のうちの1人、寝谷は不満を隠さない。髪の毛先をまさぐっては、枝毛を探す仕草を続けた。乗り気でない事は自明だった。

 

 寝谷の隣に座るのは新顔だ。羽澄は名前も知らなければ、立場も知らない。だが、しきりに寝谷の顔色を窺うあたり、それほど重要人物とも思えなかった。


 そんな寝谷達の対面には、篠束が腰を降ろす。見ようによっては2対1の構図。気圧されでもしたのか、なかなか話題を切り出せずにいる。


 それでも彼女は逃げなかった。



「あのね、寝谷さん。今日はちょっとお願いがあって」


「お願い? 何だよ」


「この前、森で待ち合わせしようとしたでしょう? あの時落ち合えなかったけど、何かありました?」



 会話の流れから事件の日、篠束は寝谷と約束したのだ。羽澄はこの時になって、ようやく知った。


 そして、篠束にすれば当然の疑問だった。厳しい言い方をすれば、予定通り待ち合わせていたら、篠束は襲われずに済んだかもしれない。あの事件は、寝谷が遠因だと言えなくもないのだ。最低限、説明責任くらいは生じるだろう。


 だが寝谷、特に響いたようではない。今も変わらず枝毛を探しており、返す言葉も興味薄な口調だった。



「またその話? そろそろ飽きろよ、つうかウゼェ」


「ごめんなさい。私、何だか怖くって」

 

「グチグチ言ってんじゃねぇよ。犯人はもう居ないんだから、気にしたって意味ねぇだろ」


「でもね、また同じような事が起きるかもしれないでしょ? だから、せめて約束には遅れないようにしてくれたら、嬉しいかなって」


「ハァ? もしかして謝れって言いたい? クソ野郎に襲われたのは、アタシのせいだって事?」


「ううん! 違います、そうじゃなくて!」



 羽澄は、拳を震わせながらも堪えた。寝谷の傲岸な態度には吐き気がする。隣の取り巻きらしき女と嘲笑う声など、怒鳴り声で蹴散らしてやりたいくらいだ。


 それでも、この場で飛び出すわけにはいかない。篠束は堪えている。それを押しのけてまで他人事に肩入れする理由も、そして権利も、羽澄は持ち合わせていない。



「あのね、寝谷さん。私は『繰り返さないでね』って言いたいんです。ほら、他の子とかも、またどこかで襲われちゃうかもしれないし……」


「あっそ。つまりアンタは、被害者様だから謝ってもらえるって事か。アタシに頭を下げて許しを乞えって言いたいんだな」


「いや、本当にそんな話じゃなくて」


「ハイハイごめんなさいぃ。男に色目使いまくる天然たらし女に配慮が足りませんでしたぁ。許してくださいませぇぇ」



 そこで羽澄の拳が暴れ出した。テーブルを激しく叩いた事で、耳障りな音が響き渡る。


 羽澄はすかさず寝谷に詰め寄った。視界の端で篠束の驚く顔を見たが、彼の憤りは冷めやらない。



「黙って聞いてりゃ何だその態度は! 良心をどこに置いてきたんだ!」



 羽澄は辺り構わず一喝。


 対する寝谷に、怯んだ様子はなかった。むしろ眉をしかめて、睨み返すようである。



「なんだテメェ。いきなり。ケンカ売ってんのか?」


「ケンカじゃない。説教だ。お前のようなクズとオレが同格だと思うなよ。図々しい」


「アァ? つか誰だよ。他人がクビ突っ込むな。とっとと消えろ」


「オレは、篠束の……」



 羽澄は少し言いよどむ。友人だと言おうとした矢先、胸に確かな痛みが走った。



「オレは篠束の知人だ。例の暴漢から助けた経緯がある」


「うわ嘘くさっ。ヤンキーにボロ雑巾でも食わされてそうなお前が、アイツをブッ飛ばしたって? 有り得ねぇ〜〜」


「信じなくても良い。事実だ」


「んで、それがどうしたんだよ、豆モヤシ野郎。さっきからクソウゼェんだが。死ねよ」


「篠束に謝れ」


「関係ねぇだろ。マジで殺すぞ」


「そうか。では無学なお前に教えてやる」


「へぇ、面白ぇ。アタシに何する気だ? 言っとくが、ここには監視カメラがあんだよ。指一本触れてみろ。暴行の現行犯っつう証拠が……」


「世間一般では、雑巾なんて食わない」



 この時、寝谷は唖然としてしまう。しかしその顔は、瞬く間に憤慨に染まった。羽澄が鼻で笑う仕草を見て、小馬鹿にされたと理解したのだ。


 寝谷は怒りをブチ撒けた。テーブルの紙コップを薙ぎ払い、そして羽澄の真正面に立つ。



「ナメてんのかこの野郎! アタシにケンカ売って、タダで済むと思うなよ!」


「もう一度言ってやる。ケンカをしに来たんじゃない。それと篠束に謝れ」


「テメェには関係ねぇってのが分かんねぇのかッ!」


「篠束は慎ましいからな、オレが代弁してやったんだ。とにかく謝れ。成り行きだったにしても、かなり危険な目に遭わせたんだろ」


「戦争しようってんだな! このアタシと! 死ぬ覚悟は出来てんだろうな、アァ!?」


「お前は話を聞いてないのか、それとも理解するだけの知能が無いのか。どっちなんだよ」



 ここで寝谷は肩を震わせた。拳も固く握りしめ、今にも殴りかかりそうである。


 羽澄はというと、半歩だけ退き、微かに腰を落とす。さすがに殴り掛かる気は無いが、同時に、棒立ちで殴られてやる義理も無いのだ。


 辺りは一触即発の空気。怒気がトグロを巻いて暴れるようだ。間もなく両者とも、干戈(かんか)を交える事態になるだろう。


 だがそんな結末を横から破ったのは、篠束である。



「あの、羽澄さん! もう大丈夫ですので!」


「何がだよ。まだ話は終わってないだろ」


「ご心配なら、お気持ちだけ頂戴します! だからこの場はどうか……!」



 篠束にここまで言われてしまうと、羽澄の正当性も損なわれる。話はだいぶ拗れた。ここは引き上げるほうが懸命かとも思う。



「わかった。篠束がそこまで言うなら、言う通りにしよう」


「ありがとうございます。助かります」


「付き合う相手は選んだほうが良いぞ。じゃあな」



 羽澄はそう言い残すと、ラウンジから歩き去った。背中に投げかけられた『タダで済むと思うなよ』という言葉は、歯牙にもかけずに。



「まったく……何なんだあの女は。性悪なんてレベルじゃないぞ」



 しかし、立ち去ってからしばらくして、羽澄は思い出す。本来の目的についてだ。寝谷や篠束の日常を調べている最中だった事を、完全に失念していた。


 それが、怒りのあまり乱入してしまったのだ。冷静に徹する事が出来なかったのは、大きな反省点だと言える。



「まぁ、あれだ。次に見つけた時、もう一度後をつけよう。睨まれてるから気をつけないとな」



 その日の夜から、羽澄は警戒した。特に寝谷からの報復や嫌がらせ。何かしらの悪意が向けられるはずだと予感した。


 しかし彼の目星は盛大に外れる。翌日、翌々日と、何も起きない日々が続いた。


 だが安心は出来ない。寝谷だけでなく、篠束の姿もめっきり見かけなくなったのだ。



「寝谷が見つからないのは良いとして、篠束はどうしたんだ。トラブルに巻き込まれたか。それとも、オレと距離を置いただけか?」



 単純に嫌われたなら、それは仕方がない。既に覚悟していた事だ。今さら寂しさに浸るつもりは、毛頭ない。


 羽澄が抱くのは消化不良にも似た感覚だ。何かを閃きそうで、不発するという状態が続く。


 栄転者となった暴漢、化物。モノクロームの世界。篠束と寝谷。断片的なものが繋がりそうに思えて、しかし論理的説明がつかない。そんな状態だった。



「クソがっ。なんだこの気持ち悪さは! いやもしかして、これは、焦り……?」



 羽澄はザワつく心に急かされて、当て所もなく歩き続けた。篠束、寝谷、そのどちらでも良い。今は答えに近づきたくて仕方がなかった。


 だが難航した。この共成所において、人探しは相当に難しい。皆が同じ服装をしているからだ。髪型や体格など、乏しい視覚情報から特徴を見極めなくてはならない。


 狙って見つけ出そうとする難しさを、彼は今頃になって思い知らされた。



「ヤバいな、全然見つからんぞ。せめて行動パターンを把握してたら、違うんだろうが……」



 羽澄は疲労から、足を止めて座り込む。そこは体育館の裏手で、傍らにプレハブ倉庫がある。小さな段差に腰を降ろし、僅かな休憩をむさぼろうとした。


 だがその時、ふと焦げたような臭いを感じた。やがて、タバコの煙が流れ込んだ事に気づく。



「こんな所で、誰が……?」



 羽澄は念のため、息を殺して辺りを覗き見た。すると倉庫の裏手に2人組の女を見つけた。


 1人は寝谷で、手元から紫煙をくゆらせている。もう1人は篠束ではない。いつぞやの取り巻き女だった。


 2人とも羽澄に気づいた気配はない。今も変わらず談笑の最中だ。



「寝谷さん。こんなトコで吸って平気? 所員に見つかったら面倒じゃね?」


「余裕。このスペースだけ絶妙に監視カメラに映らねぇんだわ。だから森までわざわざ行かなくて平気」


「へぇぇ知らなかった。さすが寝谷さん事情通ッ」



 しばらく他愛のない会話が続く。その間、篠束の姿は見えない。


 だが、この状況が少し気になる。羽澄は物陰に隠れつつ、会話に耳を傾けた。何か収穫が有ることに期待したのだ。


 そこで彼は知る事になる。悪意の塊としか思えない、おぞましき企みを。



「えっ? 寝谷さん。それマジのやつ?」


「マジだよマジ。羽澄って奴を標的にするって言ったらさ、結姫が泣きながら言うんだよ。『それだけは止めてください』ってさ」


「うはっ! 何、今の声真似。すげぇ似てるし」

 

「でもあの野郎は許せねぇじゃん。だから言ったんだよ。『結姫がウリやって、稼ぎを寄越せば水に流してやる』ってさ」


「エグすぎ。つか、彼氏でもない相手庇う為に、ウリなんかやらんっしょ」


「それが結姫のやつ、2日くらい部屋に引きこもったんだよ。んで、ホントついさっき、半泣きになって出てきてさ。『言う通りにするから羽澄さんだけは』とか言ってんの」


「ちょっとマジ、声真似やめて! お腹痛い!」



 哄笑が漏れ聞こえる中、羽澄は強烈な目眩を覚えた。


 羽澄を守るために篠束は、自らを犠牲にしようとしている。よりにもよって売春という手段をもってして。それを条件に提示した寝谷は、もはや同じ人間とは思えない。いっそ化物であれと願いたくなるくらいだ。


 そもそも、なぜ嘲笑う。なぜ寝谷は篠束を目の敵にする。なぜ悪事を愉快げに自慢する。何もかもが理解できず、眼の前が暗くなる想いだ。衝動的に唾を吐きたくなり、それには堪えた。


 そんな羽澄など置き去りにして『談笑』は続いてゆく。



「そんで寝谷さん。客は決まったん?」


「選別中。アイツさ、男から好かれそうな見た目じゃん。イイ金になりそうなんだよねぇ。掲示板に書いたらもうオークション状態。せいぜい5万くらいかと思ったら、20とか30出すって奴まで出てきた」


「おおっと、打ち出の小槌かな? オヤジ共は金持ってるねぇ」


「やっぱ『初めて』だと値が張るっぽい。ちょっと前に、暴漢雇って襲わせてみたけど、失敗して良かったわ。処女じゃなかったら半値にもなってねぇと思う」



 お前がけしかけたのか。篠束を危険に晒した黒幕はお前だったのか。羽澄は、今すぐにでも寝谷に掴みかかりたくなる。


 それでも辛うじて留まったのは、『自白』を待つ為だ。ここで、吐かせるだけ吐かせてしまいたかった。幸いにも、2人とも口ぶりは滑らかである。



「つうかさ、寝谷さん。篠束と何かあったん? メチャクチャするじゃん」


「別に。なんもない。ただ嫌いなだけ」


「嫌いなだけでココまでやっちゃうとか、寝谷さんマジおっかねぇんスけど」


「死ねばいいと思う、むしろ殺す。嫌いなんだよね。篠束みたいな皆から好かれようっつうか、顔色窺う奴」


「マジすか。予想外の理由だったし、ウケる。篠束ちゃん、死んでも恨まんといて〜〜、運が悪かっただけと割り切っといて〜〜」


「ボロクソにしてからブッ殺したい。つうか殺す。グッチャグチャにしてから殺す。もう決めたし」



 羽澄が黙っていられたのは、ここまでだ。怒りが腹の底で、マグマが吹き出すように燃え上がる。


 そして感情が促すままに、寝谷の前に飛び出した。



「今の話聞いたぞ! 今すぐ止めさせろ!」


「アァ? テメェは羽澄。また盗み聞きしてやがったのか。盗聴マニアのド変態野郎が」


「細かい事はどうでも良いだろ。とにかく篠束を止めろ、さもないと所員に通報するぞ」



 羽澄が強く糾弾するのだが、対する寝谷は顔色を変えなかった。


 寝谷には、返事を後回しにするだけの余裕がある。悠々とタバコを地面でモミ消し、靴裏で穴を掘っては吸い殻を隠す。羽澄の存在よりも、その隠蔽工作の方を気にかけているようであった。



「やってみな。だけど誰も動かねぇ。お客さんはその『所員ども』なんだからよ」


「ハァ!? 有り得るか、そんな事! ここを管理してる側の人間だろ?」


「やりたきゃやれよ、ロクな証拠も無いのに。まともに話を聞いてもらえるとでも思ってんのか?」


「クソッ……今は証拠がなくても、どうにかして!」


「つうかさ、バカじゃねぇの。せっかく篠束が身体売ってまで助けようとしたのに、ご本人が台無しにしやがった」

 


 ここで寝谷はゆるりと腰を落とし、前傾姿勢になる。


 すると、羽澄の右手に痙攣が走った。肌にも強い闘気が打ち付けられる。


 これはきっと何かある。羽澄はとっさに判断すると、素早く身構えた。もしかして寝谷も化物なのか。相手を睨みつけては、一挙手一投足に目を向けた。


 寝谷が無言で距離を詰める。羽澄は、その分だけ下がり、距離を保とうとする。


 僅か数歩の移動。それを終えた途端、寝谷は鼻で笑った。さながら、勝利を確信したかのようで、歪んだ唇からも宣言が言い放たれた。



「つうかさ、どうあってもテメェを許す気なんて無かったけどな。とりあえず、懲罰房にでも引き籠もってろや」



 羽澄は拳を固く握った。来るか。そう思って待ち構えていると、寝谷が予想外の行動に出た。


 寝谷は唐突に仰け反ったかと思うと、尻から地面に倒れ伏した。それからは、別人としか思えない高い声で、叫び始める。



「誰か助けて〜〜。ストーカーに襲われるぅ〜〜」



 あまりの出来事に、虚を突かれた羽澄は反応できない。頭は混乱の極みに陥り、構えた拳を降ろすべきか否か、そんな事すら決めかねる程になる。


 そんな所へ所員達が殺到した。彼らは迷うこと無く羽澄の身体に掴みかかり、たちまち拘束してしまう。



「大人しくしろ! こんな所で女子に襲いかかるだなんて、厳罰を覚悟しろ!」


「待て、オレは何もしてない! コイツが自演しただけだ!」


「話なら後だ、取り調べの時にたっぷりと聞いてやる」


「離せ! お前ら全然働かないくせに、こんな時だけ!」


「暴れるんじゃない! 罪が重くなるだけだぞ!」



 羽澄は、力づくで縛めから逃れようと試みた。しかしそこへ、更なる増援が押し寄せた事で、とうとう完全に捕縛されてしまう。


 目隠しに猿ぐつわ。両手は縄で縛られるという、強い拘束をされた上での護送となった。



「これからお前は懲罰房に収監される。少なくとも、調査が終わるまでは出られないからな」


「だったらもう良いよ、オレの事より篠束だ。篠束結姫っていう女子が居るから、彼女を保護しろ。さもないと、取り返しのつかない――」


「うるさい。余計な口をきくな!」



 頬を殴られた羽澄は、黙るしかなかった。車内の所員達は皆、聞く耳を持たない事が身にしみて理解出来たからだ。



(篠束、早まるなよ。ともかく無事で居てくれ……!)



 羽澄は心の中で祈った。


 車の後部座席に押し込まれ、いずこかへと連れ去られて行く最中も、繰り返しに祈り続けた。



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