29 エルフ、敵を迎え撃つ

 シロガネがツンと鼻先でこちらを突いて起こす。それだけで敵が来たのだと理解する。だがここに来てやけにシロガネが言葉に出来ないなにかを聞いてくれと訴えかけている。


「追い払ってからでいいか?」

「ウー……」


 どうやら不服らしい。だがシロガネももうホワイトウルフに対応する他にないことは分かっているのか、俺に文句を言うことはなくレンガの家の扉を開けて外に出て行く。

 家から飛び出した途端に頭上からオオカミ一匹が襲いかかってくる。起きていても感知範囲をすり抜けてくるあたり驚きの潜伏性能といったところだが、この間合いであればこちらがれる――!


 〈ストレージ〉から小剣を引き抜きホワイトウルフに斬りかかろうとすると――しかしシロガネが間に入って両者の攻撃をモロに浴びることになる。俺は途中で翻したからいいものの、オオカミのほうの爪は皮膚に食い込んで……いない。


「シロガネ!」

「――!」


 シロガネはこちらにサッと目配せをする。「手を出さないでくれ」と。

 その直後、集まってきたホワイトウルフの群れに遠吠えをし、じっと見据える。

 彼らはシロガネの一瞥によって金縛りに遭ったかのように硬直し、息づかいが『正常』に戻ってきているように見えた。もっと言うと、彼らはなにかから怯えていたのに対して、その恐怖が和らいでいくようであった。


 ここに来て俺は理解する。シロガネは少なくともホワイトウルフたちによって群れを追放されたのではない。


「オオオオォオオン――――」


 どこからか、遠吠えが鳴り響く。

 しん、と雪が降り始める。

 迷宮内の季節とは外れた、重い雪。


 その遠吠えひとつによって平静を取り戻しかけていたホワイトウルフたちは再び狂乱に陥り、互いを傷つけあい、あるいは俺やシロガネに襲いかかって来る。


 ホワイトウルフたちは、この遠吠えの主によって統率されていたのだ。


 低く唸るシロガネ。その瞳から憎しみを隠そうともせずに大きく遠吠えをする。


 ああ、こいつはこの遠吠えの主に追放されたのか――。


『なんぞなんぞ』


 それはとん、とん、と防護柵の上を飛び乗っていき跳躍。ホワイトウルフたちの前に着陸する。

 灰色混じりのシロガネとは違う、銀雪そのものの毛皮を纏ったオオカミはこちらを嗜虐的な目でこちらを目視する。それに対して俺が取った行動は『状態異常の耐性薬を飲む』ことだった。そして俺とシロガネの状態異常と氷属性への耐性を〈エンハンス〉で大幅に引き上げる。この二手で取ってくるであろう行動の受け身をとれるようにしておく。


 直後――白銀のオオカミ、識別名スノーウルフの口から白く輝く息が吐き出された。この凍てつく息はそのものが魔法で、大きなうねりを伴った暴風とともに氷の刃が被服や肌を削っていく。


 家が、柵が、ホワイトウルフたちが散り散りになっていく。シロガネはそれらを見て低く唸る。巨大で、もうほとんどが黒い体毛の身体は、今の怒りの声によって完全に白色の体毛を駆逐してしまっていた。彼は傷つくこともいとわずに、逆風が吹く中、右前足に力を込め――


「シロガネ! 止まれ! 今じゃない!」

「――――ッ!」


 アイコンタクトを交わそうとしてもシロガネはこちらを見ていない。暴風の中であっても声が聞こえているはずなのに、彼の頭の中には俺のことなど吹き飛んでいるのか眼前のスノーウルフのことしか見えていないようであった。


 頭の中でシミュレーションをする。

 盤面には俺とシロガネ、スノーウルフ。狂乱状態に陥ったホワイトウルフたちは除くものとする。

 スノーウルフはブレスを発動しているが、隙は少ない。シロガネはこの中で一番早く攻撃できる。彼は今にも飛びかかれるが、俺と連携がとれていない。俺は二番目に行動ができる。しかし先ほどの受けに使った〈エンハンス〉の魔力量の関係でスノーウルフとの近接戦闘は確実に負ける。そしてシロガネとは連携がとれていない。


 こうした危機に直面した時、俺はいつもひとりだった。ひとりであれば自分の身を守ればよかった。誰かに守られることはなくても誰かを守ることなんてなかった。


 だからだろうか――俺は、戦場で初めて固まってしまった。


 ――敵とシロガネ、どちらを優先すればいい?


 スノーウルフに飛びかかるシロガネ。ブレスをやめずにそのままシロガネに噛みつくスノーウルフ。

 シロガネの鮮血が黒い毛皮に滲んだ時点でようやく俺の脳が「このままじゃ手遅れになるぞ」と緊張を解きほぐしてくれた。


「……シロガネ、戻れ!」


 呼びかけとともに俺は〈ストレージ〉から煙玉を取り出して着火と同時にスノーウルフに投げつける。迷宮産のニンニクを混ぜた匂いのキツイ煙を噴霧されるのは敵にとっては初めての体験のようだ。ブレスも噛みつきもピタリと止んで地面に倒れてひたすらに身もだえしている。


 俺はその隙にシロガネのそばに寄って傷口を見る。即座に治療用の丸薬を噛ませ、〈エンハンス〉でシロガネの治癒力と身体能力をこちらの魔力ギリギリまで上昇させた。


「逃げるぞ、シロガネ。……走れるか? よし、行くぞ」


 力なく頷いたシロガネの背中に乗り俺たちは拠点から逃げ去っていく。

 ここから離れた場所、ヴィヴィアンの祈りを拾った薬草園まで敗走することになった。

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