【改稿】守護者の乙女

胡暖

1章 貴族の養子

第1話 異変

その日は、朝からとても静かだった。

 神殿しんでんはいつだって静かな場所だったけど、その日は特別だった。エヴァの住む離宮りきゅうに、人が一人もいなかったのだ。

 それに彼女が気づいたのは、たまたまだった。

 エヴァは基本的に日中は自室にこもりきりだからだ。

 急にとても前髪の長さが気になって、誰かを探した。誰もいない。こんなことは、今までなかった気がするが、エヴァはいつも部屋にこもりきりだから、本当になかったのかは自信がない。

 けれど、そんなことはどうでもよかった。

 エヴァはワクワクしながら、はさみのありかを探して神殿内を探検した。

 そして、庭の剪定せんてい用のはさみと、作業着を発見した。

 いつも着ている白くてすそそでが長くて、一人ではとても動きにくいワンピースを脱いで、ぶかぶかの作業着を着て、少し大きい剪定用のはさみを持って外に出た。


 シャクシャクシャク静かな森にハサミを動かす音が響く。

 一通りぐるりと頭の回りにハサミを走らせてエヴァは頭を振った。濃紺のうこんのつやつやした髪がはらはらと落ちていく。虹色のひとみうれしそうにまたたかせて、どんどんとはさみで切り進めていく。

 本当は前髪を切りたかったのだが、なんだか楽しくなって後ろの髪まで切ってしまった。


「切りすぎたかな?ラタ」


 近くにあった木から、肩に飛び乗ってきた小リスに話しかける。

 チチチチチッと歯を見せた小リスの頭には真っ赤な宝石のようなものがついている。

 魔石ませきを持つ生き物は魔獣まじゅうである。普通は人にれないはずの生き物と顔を見合せ、エヴァはふうと溜め息ためいきをついた。


「仕方ないよね。今日は誰もいないみたいだし、自分でやるしかないよね。…後で怒られるかな?」


 また、チチチチチッと小リスは歯を見せる。


「ねぇ、ラタ。今日はどうして人がいないのか知ってる?」


 問いかけたエヴァに、ラタは少し首をかしげて答えた。


『なんでもオウゾクが来たとかで、みんな見物に行ったようだよ。まぁ、でも毎年の行事だけどね?』

「そうなの?知らなかった」

『エヴァは、いつも部屋に引きこもり』


 からかうように笑う小リスにムッとしながら、パンパンとひざに乗った髪の毛を払いながら立ち上がる。


 そこにキーともキューともつかない叫び声が聞こえてきた。

 はっと、顔を上げるエヴァ。


 音とは反対の方角から、ガサガサガサと草むらを掻き分かきわけて、1匹の狼型おおかみがたの魔獣が姿を表した。


「リル!ってことは、今のはルルの声?」

『多分、人間に捕まったみたい』


 人間一人くらいならゆうに乗せられるくらいの真っ白な狼は、エヴァの問いに頷いた。

 その真っ赤な瞳が心配そうに揺らめいている。ルルはリルの一人娘だ。

 普段、日中は外に出ないようにしているエヴァはちょっと迷ったが、今日は誰もいない。エヴァが出て行ったところで、気にする人間はいなかった。


「リル、私も行く。乗せてってくれる?」


 うなずいた狼の背にヒラリと乗り森を疾走しっそうする。

 エヴァの肩に乗っていたラタは振り落とされないようエヴァのつなぎの胸ポケットに急いで入った。


 エヴァの暮らす、精霊の森と呼ばれる森には鬱蒼うっそうと木が生い茂り、野生の花々が咲く。

 森の奥深くには、湖がある。聖水として人々から親しまれているその泉に行くために、一部の道が整えられ、馬車が通れるところもある。



 開けた場所に20人くらいの男たちがいた。

 顔に傷があったり、無精ぶしょうひげを伸ばしていたり、さまざまだが、どの顔も一様いちよう人相にんそうが悪い。明らかに、ならず者の集まりである。


 リルが、走ってきたそのままの速度で飛び出しながら、そこにいた男たちに食らいつき、なぎ倒しながら止まった。

 まれた何人かの男たちは地面に伏せ、うめいていたが、その他の男たちは嬉しそうに歓声かんせいをあげた。


「やった!親が出てきやがった!大人のフェンリルも捕れるなんてラッキーだな!」

「ま、待て背中になんか乗ってやがる!…ガキか?」

「なんだっていい!おそわれる前に、こちらからやるぞ!」


 ばさっとリルをめがけて、網ようなものが投げられる。

 エヴァが目を白黒させているうちに、リルとともに引きずられ、ほろのついた馬車の荷台に放り込まれていた。


「まさか大人のフェンリルが捕まえられるとは!」


 獲物えものの様子を確認しに来た一人が、エヴァの顔をのぞき込んで息を飲む。


「こっちの坊主も、上物だ。虹色の瞳なんて珍しい…これで女だったらよかったんだがな」


 にやりと顔を歪めて笑った男は、エヴァを見てそう呟くと、バタンと荷台を閉める。


「…坊主?」


 そうか、散切ざんぎりの頭のせいで男と勘違かんちがいされているのか。改めて自分の格好かっこうを見下ろすエヴァ。

 まぁいいか、と呟くと、小声でリルに話しかける。


「リル、どうしちゃったの?」

『エヴァ変なの。この網、力が出ない』


 リルはもがきながら、エヴァに訴える。


『おかぁさん、エヴァ!!』

『ルル!』

「よかった、ルル。無事だったんだね」


 薄暗くて見えにくかったが、馬車の荷台の奥にはリルの半分くらいの大きさの白い狼がいた。

 ルルは泣きながら、同じように網の中をもがく。


『遊んでたら、この変な網を急にかけられて…あいつら、僕たちを捕まえに来たみたいだ』

「こんな道具まで持って…どうするべきかな」


 エヴァは指先で網をつまむと首をかしげて思案する。

 固くてエヴァの力ではどうしようもなさそうだった。

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