#14 「アッツアツ」
「よぉーっし準備完了」
ちらりとリビングの掛け時計を見ると18時30分を指していた。
「予定よりちょっと早かったかな」
義母が帰ってくるのは19時頃。
夕飯、風呂、洗濯物の取り込みは終わっていてやる必要のあることが全く無い。強いて挙げるなら掃除だが、普段からやっていて特別汚れがある箇所もない。夕飯の前にやって下手に埃が立ってしまっては困る。
顎に人差し指をあてて「うーん」と唸る。
「編集途中のがあったっけなあ」
先まで動画編集中であった新曲。残りは全体の整合性チェックくらいだったのでそれほど時間はかからないはずだ。
早速自室のパソコンの電源スイッチを押す。
デスクトップ画面から動画編集ソフトのアイコンをダブルクリック。
「さてと。やりますか」
クリックとタイピング音だけが鳴る時間。
こういった作業中は脳のキャパシティを少しでも空きをつくり、集中力を引き上げられるようにBGMは流さない。創作中は脳内に様々なイメージが浮かびやすいためBGMの影響を受けてしまうからだ。
通しで何度か聴き、微調整を施す。
曲の雰囲気を最大限感じられるよう慎重に。
「いい感じ……っし! 完成っ!」
しっかりと保存し指差し確認。よしっ!
「予約予約っと」
動画投稿サイトをブックマークから開いて投稿画面へ。
投稿時間は明日の6時00分に設定。
日の出の爽やかな朝の空気とうまく馴染むように作曲したからこその時間。
「本当はゴールデンタイム後のほうが伸びるんだけどねえ」
世の中には投稿日時から雰囲気を感じ取る人もいるらしい。そういった人に配慮する必要は数字を求める上であまり重要ではない。チャンネル登録者数がある程度いるからこそできる芸当であり、基本的には参考にしないほうがよい。
*****……
「たでぇーいま~」
「お邪魔しまっす」
玄関からドアの開閉音と共に気の抜けた声が聞こえた。
小走り気味にリビングから玄関へ向かう。
「はい、おかえり。それと芦田さん?」
義母と一緒に来たのは
前髪に緑のメッシュを入れているのが特徴的な人懐っこいお姉さんだ。得意な楽器はドラム。
「あれ言ってなかったっけ」
「誰かまでは言ってないね」
「あれぇ~」と首を傾げる義母。まあそれは置いておいて。
「芦田さんこんばんは。誰か来るのはちゃんと聞いているので」
「在処ちゃんこんばんは。なんかごめんなさいっす」
「いえ全然。お腹空いてますか?」
聞いた直後にどこからか響いてくる空腹の音。
音の発信源は義母である。
「腹ペコさんがいるみたいなので用意しますね~」
「くふふ」と堪えるように笑みをこぼす芦田さん。それを見て頬を赤らめる義母。
いつもと少し違う雰囲気に新たな一面の発見と新鮮さを感じる。
キッチンでテキパキと皿に料理を取り分けて盛り付けていく。
2人分が3人分に変わっただけなので労力的にそこまで大変ではない。どちらかというと好き嫌いの有無のほうを考えるのが大変だ。
幸い芦田さんはアレルギー関係は問題なく、好き嫌いもないとのことだった。非常に助かります。
「むむ」
義母がキッチンから香る食欲をそそる匂いに反応する。
「これは麻婆豆腐の匂い!」
俺は「佳代さんが来ると思ってたから麻婆豆腐にしちゃった」と返事をする。
「自分麻婆豆腐大好きっす! めっちゃ美味しそう!」
いつの間にか横に立っている芦田さん。
ニコニコと人懐っこい笑顔を寄せてくる。可愛いなおい。
「自分も配膳手伝うっす。飲食店のバイト経験あるんで結構得意っす」
なんて良い子なんでしょう。これは心強い。
「ではお言葉に甘えて」
準備できたお皿から順次配膳。
さすがに義母まで配膳に参加すると手狭なのでテーブルを整えてもらう。
今日の献立はいつもの白米を筆頭に麻婆豆腐、えのきと長ねぎの生姜スープ、トマトと塩昆布のサラダ。
今回はごま油を使い切りたかったがゆえにスープとサラダにほんのりごま油を効かせている。
えのきと長ねぎと生姜を炒めているのでスープからはより香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
そして先程から空腹を抑えきれず唾液をごく、ごくりと飲み込んでいる人がいるので「いただきます」と手を合わせた。
「ハフッ、はふっ、うまっ!」
義母は早速麻婆豆腐を口に入れ、熱さに息を漏らしながら良い笑顔で食べている。
白米をかきこんで麻婆豆腐の余韻に浸り、もう一度麻婆豆腐を口に入れる。このループからは逃れられない。
「麻婆豆腐で火照ったところによく冷えたトマトが染みる~」
塩こんぶとほんのり効かせたごま油のアクセントでより食べやすくなった冷やしトマト。
辛さと熱さを少しだけ抑え、再び麻婆豆腐への食欲を刺激される組み合わせだ。ぶっちゃけ俺の好みの食べ方である。
最後は口の中に残った余韻を締めのスープで胃の中に流し込む。
「ふう」
俺は一息ついて「ごちそうさまでした」と手を合わせる。
「それじゃあ食器を……の前にキンキンに冷えた水持ってきまーす」
額に汗を浮かべながら赤い頬を緩ませて「「は~い」」と返事をする大人2人。
あれだけ美味しそうに食べてくれたなら作ったかいがあるというものである。
(そういえば芦田さんはどんな理由で連れてこられたんだろう)
義母がライブハウスの従業員を家に呼ぶときは大体なにかしらの相談を受けた時だ。
佳代さんが以前来たときは今後のキャリアといった人生に大きく左右するものだったので内心ハラハラしている。
まあそれはそれとして今はアッツアツの辛い食べ物を少し消化してから考えよう。
俺はよく冷えた水をぐいっと飲み込んだ。
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